第三話 夢の中

 きつねのこは、湖のような場所に立っていました。湖と言っても、水位はきつねのこのくるぶしのあたりまでで、少し深い水たまりと言った方が正確でしょうか。

 水は透き通っていて、下を見るときつねのこの小さな白い足がよく見えます。


 きつねのこは青い瞳をぱちくりさせながら辺りを見渡しました。ここがどこなのかさっぱりわかりません。

 ふと感じたのは、真っ黒な世界に落ちてきてしまった人間が、どんなに不安な気持ちになっているのだろう、ということです。

しかし不思議なことに、きつねのこはこの場所が怖くはありません。戸惑っているし、不安でもありますが、恐怖は感じないのです。妙な感覚に、きつねのこはどうしていいかわかりません。

 しばらく立ち尽くしていましたが、そういうわけにも行かないと思いなおして、きつねのこは歩き出しました。


 きつねのこが歩くたびに水がちゃぷちゃぷと音と波を立てて揺れていきます。ひたすら青い空間が続くだけで、この音がどこまで響くのか、この波がどこに行くのか、まったくわかりませんでした。

 それでもどうしようもないので、きつねのこは歩き続けました。すると、白い靄があらわれはじめました。視界がどんどん濁っていく中、人影が見えてきました。靄のせいでよく見えないため、きつねのこはどんどん近づきました。


 すると、今度は靄が晴れていきます。人影は次第に薄くなって、やがてその者自身が見えてきました。

その者は、青い瞳に銀色の髪で、どこかきつねのこに似ているような感じがします。

 しかし、きつねのこよりも背が高く、着物も水干を着ておらず、白い着物に青い帯の、ふつうの着流し姿です。青年、と呼ぶのがふさわしいのかもしれません。

 青年は、きつねのこの姿を認めると、ふわりと笑いました。口を開いて何かを喋っているようですが、きつねのこにはまったく聞こえません。困惑しているきつねのこを見て、青年は困ったように笑いました。

 きつねのこは青年の顔を凝視しました。きつねのこをそのまま大きくしたような感じがします。

 すると、青年と目が合ってしましました。きつねのこは、先ほどまでは全く怖くなかったのに、途端に怖くなりました。

 

 次の瞬間、晴れていた視界が再び靄に覆われてしまいました。先ほどよりも濃い靄は、きつねのこの目に映るすべてを真っ白に染めました。きつねのこは、たまらなくなって走りだしました。じゃぶじゃぶと水音がしますが、下を見ても水や足は全く見えません。

 きつねのこは、走り続けました。


***


 がばり、と勢いよく身を起こしたきつねのこは、驚きました。視界が白くないからです。そしてだんだん冷静になって辺りを見まわすと、自分の家であることがわかります。次にきつねのこは窓の外を眺めてみました。月のない夜で、濃紺の夜空に白い星がちりばめられています。まだ夜明けには早い時間です。


 どうやら夢を見ていたようでした。きつねのこは自分の息が上がっていることに気づきました。

 実を言うと、きつねのこは、何度かあの空間に行く夢を見たことがあります。先ほどまで夢を見ていたときは意識していませんでしたが、確かに何度か同じ場所に立っていた夢を見た覚えがあります。

 しかし、あの人影が出てきたのは初めてでした。加えてあの青年はきつねのこの容姿とそっくりで、そのまま大きくしたかのような印象です。

 それになにより、彼に笑いかけらた時、言いようのない怖さが襲ってきたのです。心臓を冷たい手で握られたような、ぞっとする恐ろしさです。

「誰だったんだろう…」

 きつねのこは、再び床に就きました。


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