第二話 青い世界
きつねのこは、目を覚ましました。朝です。
横向きになって寝ていたきつねのこの視界に、きらりとなにかが光っているのが見えます。それは朝日に照らされているようですが、なぜ持っているのかはきつねのこにはわかりません。昨日真っ黒な世界に行って、迷子の人間を帰してあげたことはよく覚えているのですが、これがなんなのかはさっぱりわかりません。とにかく、綺麗なので傍にある小さな机の上に置くことにしました。
きつねのこの住処は、「青い世界」の青い森の中にありました。わずかに開けているところに、小さな青色の小屋があります。それがきつねのこの家です。家は畳で言う、四畳半くらいの大きさになっていて、小さな机と、寝床しかありません。「あやかし」であるきつねのこは、これだけでも事足りるのです。これはきつねのこに限らず、他のあやかしでも同じなのです。
あやかしはとても変わった生き物で、この青い世界でしか暮らすことができません。青い世界は、文字通り真っ青な世界で、いろいろな種類の青色と、白色以外は基本的に他の色はありません。
しかし完璧など世の中に存在しないもので、例外もあります。それが、きつねのこのように髪の色に現れます。きつねのこは銀色ですが、他に桃色や黄色、灰色のあやかしがいます。彼らは「色持ち」と呼ばれ、町の人々から一目置かれています。なぜならば、町の人は彼らを通して「色」を知ることができるからです。
中でもきつねのこは特殊で、彼だけが唯一「真っ黒な世界」に行くことができます。真っ黒な世界もまた、文字通り真っ黒で、明かりを持っていないと本当に何も見えない世界なのです。ここにたまに人間が落ちてきてしまいます。そんな人間たちを「人間界」に帰してあげるのが、きつねのこの日常茶飯事になっています。
そんな彼の日課は、真っ黒な世界に通じる、空に空いた黒い穴の真下に行くことです。真っ黒な世界の出入り口には大きい真っ赤な鳥居があって、その鳥居の色が、赤い光となって青い世界の地上へと降り注いでいるのです。赤色の「色持ち」はまだいませんが、きつねのこはこの青い世界の中で唯一、一色多く知っているのです。
きつねのこは、昨日聞いた赤い夕日の話が忘れられないでいます。元からきつねのこはこの赤色が好きでした。しかしきつねのこは、あの話のおかげで、さらに赤色が好きになりました。
赤い光を浴びながら、きつねのこは一日の予定を決めます。
「今日は町に行こうかな」
さっそく予定を決めたきつねのこは、元気よく歩き出しました。
***
町は透き通るような白い肌と青い髪、青い瞳を持つあやかしたちで賑わっています。町の建物は皆簡素で、長屋町のようになっています。大通りもありますが、特に店がたくさん並んでいるわけでもありません。ただそれぞれがおしゃべりを楽しんだり、子供などは元気に遊び回ったりしています。
数少ない店のうちの一つに、団子屋と、その隣に黄色い花しか売らない花屋がありました。それぞれ、「ももいろのお姉さん」と「しあわせを呼ぶきいろいお兄さん」が営んでいるお店です。
ももいろのお姉さんは、文字通り「桃色」の色持ちで桃色の髪をお団子にしてまとめていて、黄色い花飾りを頭につけています。彼女はあやかしたちの恋愛相談に乗ってくれることで有名でした。いつしか縁結びの御利益があると言われるまでになりました。ももいろのお姉さんは「ただ話を聞いているだけなのに」と困っているようですが、あやかしたちからしてみれば、それだけでもありがたいことだったのでしょう。
きいろいお兄さんも、「黄色」の色持ちで黄色い髪を持っています。彼は黄色い花を、町はずれの丘の上で育てていて、花が咲くとそれを売りに町までやって来ます。この花の花言葉は「幸せを呼ぶ」だそうで、実際彼の花を家に飾っておくと、なにかいいことが起きたというあやかしがたくさんいるのです。
ももいろのお姉さんは、髪飾りとしてこの黄色い花をいつもきいろいお兄さんからもらっています。
きつねのこは、ももいろのお姉さんのお店に着きました。お店の中には人がたくさんいて、恋愛相談をしている少女のあやかしの話に皆耳を傾けていました。
「それでね、この間思い切って好きだって言ってみたのだけどね、逃げられてしまったの…」
「うーん…」
少女の話によると、ずっと昔から好意を抱いていた、近所に住む幼馴染に勇気を出して告白したにもかかわらず、相手は何の返事も言わずに走り出して逃げてしまったのだという。その話を聞いていた周りのあやかしたちは、一斉にがやがやと野次を入れます。
「そんなやつなら放っておけ」
「いや、それでは彼女が可哀想だ」
「近所に住んでいるのなら直接問い詰めたらいいじゃない」
きつねのこも悩みました。どうして相手は逃げてしまったのでしょう。好きだと他人から言われて嬉しくないことなんてあるのでしょうか。
がやがやとほかのあやかしたちの言い合いの熱が高まってきて、店はどんどん騒がしくなってきました。少女は居心地が悪そうにしてうつむいてしまっています。
すると、ももいろのお姉さんが手をぱんぱんと叩き、「静かにして!」と一喝しました。そして少女に向かって言いました。
「幼馴染って難しくてさ、きっと彼は君のこと家族かすごく仲の良い友達だと思っていたんじゃないかな。君のことが嫌いなわけじゃない、ただ、突然一人の男として好きだ、と言われて驚いたんじゃないかな」
「驚いた…?」
「そう。だから、もう少しだけ待ってごらん。彼の気持ちの整理がつくまで」
「…そうだね、わかった」
ももいろのお姉さんと話をして、少女は気持ちが落ち着いたようです。
少女は周りのあやかしから「がんばれよー」と声をかけられながら店を出ました。耳が真っ青に染まっているのを、皆微笑ましげに見ていました。
きつねのこは、改めてお店の中に入って、ももいろのお姉さんに挨拶をしました。
「こんにちは、お姉さん。今日もさすがだね!」
「あら、おきつねくん、こんにちは。もう、いつも言っているでしょ、こういうのは柄じゃないんだから」
「でもおねえさんの言っていること、すごくわかりやすくて良いと思うよ!僕もだれか好きな人ができたら、お姉さんにいろいろ教えてもらうんだ!」
きつねのこは無邪気に言いました。ももいろのお姉さんは眉を垂れさせて困ったように笑っていましたが、まんざらでもないようです。
ふと、きつねのこはももいろのお姉さんの頭を見て気づきました。
「お姉さん、髪飾りのお花、萎れてきているよ」
「ん?ああ、本当だ。でも大丈夫。今日来るって言っていたから」
「わあ、じゃあお兄さんにも会えるんだね!」
「ふふ、そうだよ。しばらくここに座って待っていて。今お団子持ってくるから」
「ありがとう!」
ももいろのお姉さんは、先ほど少女が座っていたところにきつねのこを座らせてくれました。そして、きつねのこにお団子を持ってくるために、店の奥へ入っていきました。
しばらくすると、お姉さんはお団子と飲み物を持ってきつねのこの座る机の前に置いてくれました。きつねのこはお礼を言って、お団子を食べ始めました。
ももいろのお姉さんのつくるお団子は、黄色いたれがかかっています。きつねのこは料理をしないのでわからないのですが、きいろいお兄さんの持ってくる花を使っているようです。ほのかな甘みが人気のお団子です。
青い世界の住人は食事を娯楽の一種として捉えているようで、毎日なにかを食べるあやかしも居れば、きつねのこの様にたまにしか食べないあやかしも居ます。きつねのこは、こうしてももいろのお姉さんに会うたびにお団子をもらっています。
ももいろのお姉さんと周りのお客さんと談笑しながらお団子を食べていると、隣の店からどたばたという音が聞こえてきました。
「お兄さんだ!」
きいろいお兄さんがやってきた音です。店に花を並べているのでしょう。慌ただしい音と、近くを通るあやかしたちからの挨拶で通りはさらに賑やかになりました。
しばらくして、準備が終わったのか、きいろいお兄さんは隣の店であるももいろのお姉さんの店へ顔を出しました。
「はい、これは今回の分の花だよ」
「ありがとう」
二人は和やかな雰囲気で話していました。そんな二人を見ながら、周りの客は微笑ましそうに見ています。
しばらく談笑していた二人ですが、きいろいお兄さんは、ももいろのお姉さんの髪飾りが萎れていることに気づきました。
きいろいお兄さんは、「ちょっと待っていて」というと隣の彼の店へ戻っていきました。きつねのこは後をつけてみました。
「お兄さん」
「あ、おきつねくん。久しぶりだね」
「うん。それはお姉さんに?」
きいろいお兄さんは持ってきた花でも綺麗に咲いている物を選んで花束を作っていました。
きつねのこは、ふと先ほどのももいろのお姉さんと少女の恋愛相談を思い出しました。
「お兄さんは、お姉さんのこと、好きなの?」
「…そりゃあ、嫌いではないさ」
「それじゃあ好きなの?」
「ははは、おきつねくんは容赦がないね!でもね、これは内緒だよ」
きいろいお兄さんはいたずらっぽく笑いました。きつねのこは首を傾げて考え込んでいましたが、その間にきいろいお兄さんは花束を作り終えてしまいました。
「さあ、お店に戻ろう」
「うん!」
考えても埒が明かないと思ったきつねのこは、きいろいお兄さんのあとについて、ももいろのお姉さんのお店に戻りました。
お店に戻ると、ももいろのお姉さんはきいろいお兄さんの持つ花束を見て、
「ああ、いつもありがとう」
と言って受け取ろうとしました。きいろいお兄さんはそれを少し制止して、自分の持つ花束から一輪、花を取り出して、ももいろのお姉さんの、萎れてしまった髪飾りを取り、新しく黄色い花をつけてあげました。そしてももいろのお姉さんに向かって微笑んで、
「よく似合っているよ」
と言いました。そうして改めて花束を差し出したのです。ももいろのお姉さんは、少しはにかみながら、お礼を言い、店の奥にある青い花瓶の中に花束を移しました。
きつねのこは、この二人を見るといつも、胸の奥がきゅんとして、心が温かくなります。この二人には、心の底から幸せになってほしいと願わずにはいられません。
「そうだ、おきつねくん、君にもどうぞ」
「え、いいの?」
「もちろん。中々会えないし」
「ありがとう!」
きつねのこは黄色い花を一輪もらいました。きいろいお兄さんは定期的に町にやってくるのですが、きつねのこがあまり町に顔を出さないこともあり、なかなか会えないのです。
きつねのこは、しばらく二人と話した後、町を出ました。そのころにはあたりは暗くなり始めていました。
家に帰ると、以前拾った青いビンに花を挿しました。自分の家に色がついたことが嬉しかったきつねのこは、にこにこしながら花を眺めました。
夜になり、濃紺の空に白い星々がはじけています。きつねのこは瞼が重くなってきたのを感じて、寝床に入りました。
「明日も楽しいことがありますように…」
きつねのこは瞼を閉じました。
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