7.戴冠式
城の中では戴冠の儀が始まるところだった。
雰囲気は最悪だ、とバルシスは思う。
外ではキタサン六カ国の王を広場に待たせたままだ。安全のため、とシセが急遽かけ合った。自国の王の戴冠を守れないなど、身内の恥をさらすようなものだったが、とにもかくにも戴冠が最優先。渋る王たちを強引に押し切ったと聞く。
その代わり玉座だけは慣習に従い、町の広場に据え付けられた。サヌマの新しい王が初めて玉座に着くのは、諸国の王と民衆の前。
内では儀式を接見の間にしたため、見苦しくない程度に入れる人数は50がやっとだった。憲兵が20、戦闘兵が20。左右に分かれ、権威を競うように双方を威圧している。勢力争いなんて今やることかよ、とバルシスは呆れる。
憲兵側の上段にはシセ、戦闘兵の上段には王命三傑。こちらも牽制し合うかのような空気なのは言うまでもない。シセとロイドルは睨みあうように動かない。そして王の座の前にタイノス大祭司が一人、中立を保つかのように立つ。
タイノスの傍らの台座には【栄光の資質】と称される冠が飾られている。冠といっても装飾はほとんどなく、頭を覆い顔にかかる武骨な造りは兜に近い。過去の王が単騎先陣を切り、不利な戦を勝利に導いたと伝えられる権力の証。
扉が開き、正装したトーニャが入ってくる。今朝15歳になったばかりの少年のそれとは思えない、堂々とした歩みだった。バルシスは素直に敬服する。
腰に下げた剣は【最果ての力】。地の続く限りを力で支配したといわれるジートニアの遺物。小ぶりだが年季の入った輝きは異彩を放った。そして町の広場に運ばれた玉座【確約の未来】。
冠、剣、玉座が【王位三器】と呼ばれるこの国最高の宝であり、【王の力】の継承に必要な道具であることはバルシスでも知っている。容易に並べてはいけないものであることも。
さて、肝心の【王の力】とはなんだろう。王ですら自在には扱えない三器が揃うとなると、想像は否が応にも膨らむ。異術の類と考えるのが妥当だろう。もしかすると、隠された暗号や呪文が記されているのかもしれない。
もし、兄の敵を探す可能性を持った力なら――バルシスが望みを描いていると、トーニャが入って来た扉がゆっくり閉まるその隙間に人影がみえた。
あいつ。
扉の憲兵の制止を振り切って廊下に出る。
よしよし。リケルトは一安心する。どうやらトーニャは無事に接見の間に入った。拝借した憲兵の制服はかなり大きかったが、怪しまれずに済んだようだ。
一番懸念していたのは暗殺だった。だが、あれだけ人のいる場所で暗殺はないだろう。見たところそれなりの腕の剣士もいる。
やはり広場で公衆の前に出る時間が問題か、と思案していると、扉が開いた。
あの剣士――バルシスが現れるなり剣を抜く。
「わ」リケルトが身構える間もなく刀身が顔の右を突き抜けた。
「ちょ、ちょっと待て」
「お前、昨日の酒場の。どうしてこんなところに入り込んでいる」
「いや、それは」それより、今のは? なぜ、ここにある?
「貴様か、殺しの犯人は」
「なん…の話」矢継ぎ早に剣が飛んで来る。左肩を一撃がかすめた。
「ガキが。誰の差し金だ! 警備もなんだ、こんなチビの侵入を許すとは」
チビ。完全に頭に来た。「手加減できねーぞ」短槍を構える。
「おかしな武器を。それでなにが」話せたのはそこまでだった。リケルトが尋常でない速さで襲い掛かる。
速い。バルシスは驚く。槍術としてはでたらめだ。だがこの速さ。突風のようだ。信じられないが、気を抜くと見失う。
短槍をさばききれず、リケルトを蹴飛ばす。リケルトは柔らかに宙がえりをして着地する。
「何者だ、お前」
「話してる暇はない。トーニャが危ない。助けに行かなくちゃ。そこをどけ」
「誤魔化すな。トーニャ様が狙いか」
リケルトは素早く考える。この筋肉ばかを相手にする時間が惜しい。正面に立ちはだける姿勢からみて影の仲間や一団といったことはないだろう。ばかだし。仕方ない。ばかだし。手持ちの札をぶつける。
「なぜ謁見の間に玉座がある!」
バルシスは虚を突かれた。「なにを言ってる? あれは別の椅子だ」
「お前が出てくるときに玉座が見えた」
「玉座は町の広場にある。諸国の王の目の前だ」
「誰かが強力な変化の異術をかけている。トーニャの目の前にあるのが玉座。【確約の未来】だ」
バルシスは目の前の少年を見た。ただのガキじゃない。王位三器のことも、二つ名も知っている。それが本当なら、誰が誰をだまして三器を揃えているのか。
信じるまでにはいかなかったが、確かめてやろうという気にはなった。
「よし、嘘だったら殺すぞ」
リケルトは揺るがない。バルシスは扉を指す。
謁見の間では台座に剣を立てかけたトーニャがタイノス大祭司から祈りを受けている。
【王書】が運ばれてきた。ごく普通にみえる一冊の本。シセが表紙をめくると、どの項も白紙。それを確認し、トーニャが受け取ると、その茶色の表紙に金の文字が浮かんだ。どよめきが起こる。
王の血が受け継がれた。3年ぶりに王の手に渡った書物は、息を吹き返したように次々と隠されていた文書を現す。
広場の上段にある椅子が玉座か否か、遠目でバルシスには判別がつかない。バルシスは近くの憲兵を捕まえた。
「なぁ、戴冠をここにしようと言ったのはシセ殿だよな?」
「なんだよ。違うだろ、王命三傑さまが進言したんじゃないか」まるでそっちの都合だろ、と言わんばかりだ。
そんなこと一言も聞いていない。戦闘兵たちはみな、憲兵側の、つまりシセの都合だと思っている。じゃあ誰がこの閉ざされた空間での戴冠を決めた?
バルシスに隠れるように謁見の間に入っていたリケルトは、広間の隅に隠れている人影に気づいた。バルシスをつつく。
「おい、侵入者がいるぞ」
「…お前だろ?」
「いいから、あそこ」
バルシスはリケルトの指先を見た。そして仰天した。
「カルーシャ様!」
「誰?」
「トーニャ様の妹君だ」
あ。リケルトも思い出す。それからその後ろにいるのは、確か――ジーノ。
「やめましょうよ、カルーシャ様」ジーノは半泣きで訴えた。しかしカルーシャは目を輝かせ、玉座がよく見える場所を探して前方ににじり寄る。飾られた剣の前を通り、鹿や鳥の剥製の下をくぐって柱の陰に隠れる。
今朝、一睡もできなかったジーノは仕方なくカルーシャに真夜中のできごとを話した。安全策を講じてもらうためだった。しかしカルーシャは自分の目で確かめる、という仰天の選択をした。帰ろうと思っていたジーノに選ぶ権利はなかった。
城内の警備は最大級に引き上げられていたが、式典でどの従者も飛ぶように駆け回っている。ジーノはよく城に出入りして怪しまれることはないし、カルーシャが式典の場所を聞き出してこっそり広間に忍び込んでおくのは難しくなかった。
「ふーむ」カルーシャは目を凝らす。「これといって怪しいことはなさそうだけど」
「じゃ、もう戻りましょうよ」
「父はねぇ」カルーシャはまた一歩、前進する。「あんまり神さまとか、信じない性格だったの」
「そうですか」正直、どうでもいい。今兵士の誰かが振り返ったら、わたしたち丸見えだ。
「神さまの前で行う儀式だったのね。ちょっと意外」
「よ」背中から声がして、ジーノの心臓は飛び出しかけた。反射的に振り返る。
緑の髪。少し大人になった、でもまだこどもの笑顔。
「リケルト!」
「ジーノ。なにしてんだ、こんなとこで」
なにがなにやら。大体、あなたこそここでなにを。でも、それよりも言いたいこと。
「どういうことですか」トーニャの声が広場を切り裂いた。
裏切り者が正体を現す。
広場にざわめきが広がる。トーニャが凝視しているのはタイノス大祭司。
「今、なんと」
タイノス大祭司は落ち着き払っている。「もういい、と言ったのだ」
【王書】をトーニャが読み上げているところだった。タイノスがそれを取り上げ、トーニャは驚いた。タイノスが王書の続きを読み上げる。
「冠を飾り、剣を掲げ、王の座に着け。ふん。これだけか。あとは兵の動かし方、水の引き方? くだらんな。大層な秘密でも記してあるかと思えば」
「あなたは、自分がなにをしているかお分かりか」
タイノスは大仰にため息をついた。「お分かりですよ、王子様。【栄光の資質】【最果ての力】【確約の未来】。名前だけは大層だな」言いながらつまんだ冠を被り、剣を掴んだ。「要は三器が揃えばいいってことだろう。小僧に王は無理だ。俺がなってやろう」
「タイノス殿」静かに、だが力強くシセが歩み寄った。
「なにかの間違いと信じたい。あなたがこのような」言葉は継げなかった。タイノスが短刀でシセを刺す。シセは膝をついて倒れた。
タイノスは面倒そうに手を打った。玉座。先ほどまでの椅子ではない。町の広場にあるはずの、本物の玉座が置いてある。
訓練された兵に判断の迷いはなかった。明らかな謀反。無言で次々と剣を抜く。空気に異変を感じた数人が、すでにタイノスににじり寄っていた。シセを壁の傍に運ぶ者、弓をつがえる者。
「あぁいい、そういうのは。いかにも死に急ぐ者のすることだ。大体、未来の王に失礼ではないか」
言うなり、灰色の塊を取り出し床に叩きつける。広間中に灰色の煙が広がった。
黒い一団が四方から現れたのはそのときだった。
リケルトが忘れるはずはない。【影】たち。
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