6.夜明け

 場面はいつも同じだ。

 バルシスは12歳。野山を駆ける10歳離れた兄のあとを必死で追っている。

「追いつきたければ必死になれ。置いてくぞ」

 短剣を腰に下げたままの兄は笑顔で飛ぶように走る。


つい先週、兄は海洋軍への正式な入隊が許可された。翌月には半年に及ぶ海洋遠征に旅立つ。目的の定まった兄の笑顔は自信に満ちている。今追いつかなければこの先一生兄にはたどり着けない気がして、バルシスはあせる。


倒木を飛び越え、蔦を掴み、汗だくの顔を上げる。少しでも兄の影に近づこうとする。

 幼いころからの遊び場であり、いつの間にか訓練の場になっていた山道。兄に並ぶには、足の長さも手の大きさも足りない。背も。兄にしか見えていない景色が見たい。

 早く大きくなりたい、追いつきたい。バルシスは息を切らせる。速く、高く。


 黒い鎧は顔まで覆われ、どこを見ているのかも分からない。倒れて動かない兄を見下ろしている。

 逃げろ。兄の眼だけがバルシスに訴える。

 いつも通り兄を追っていただけのはずだった。岩場を越え、兄の姿が見えるはずのなだらかな坂、ではない。むき出しの岩場。乾いた土がどこまで続くのか見当もつかない。いつの間にか見たこともない場所に出ている。

 どこだ、ここ?

 

対峙した鎧が好意的な相手でないことは一目で分かる。

 見たところ兄に怪我はない。出血も、どこかが折れた様子もない。ただ、黒い煙が鎖のように兄の手足を地面に縛り付けている。

その煙が分裂してバルシスにも絡みついた。あまりの重さにその場に膝をつきそうになる。


「余計な殺しをしたくないんだよ。せっかくの術の精度が落ちるからさぁ」神経質な甲高い声が鎧から響く。芸術なんだよ、芸術。

「それならあいつを離せ。あいつは関係ない」

「じゃあさっさとしゃべってよ、どこにあるのか」

「俺は知らん。もし知っていても、下衆に教えるつもりはない」

「あっそ」

 なんの前触れもなく、鎧が兄の右肩に剣を突き刺した。兄が悲鳴を上げる。

 声が。バルシスはその場で立ち尽くしていた。声が出ない。

兄が自分に叫ぶ。逃げろ。

 鎧が兄にもう一度剣を刺す。


 矢が飛んできたのはその瞬間だった。

 矢の元から白い衣装の僧の一団が現れ、舌打ちをして黒の鎧は消え去る。

 バルシスは兄に駆け寄った。兄がなにかつぶやく。

「いいから。楽にしてよ」バルシスが言う間にも、鮮やかな赤が兄の腹部に広がる。剣を抜くべきかためらった。兄が息を引き取るまでさほどの時間はかからなかった。


白の一団はバルシスの家まで兄を届けることを手伝ってくれ、去って行った。

 どうして一瞬の内に、山一つ向こうまで移動していたのか。

なぜ兄が殺されなければならなかったのか。

呆然とするバルシスの頭の中は、悲しみより疑問が多かった。怒りはあとから沸いてきた。

 兄を丁寧に埋葬し、短剣を墓標代わりに土に刺した。兄の命を奪った剣だけが手元に残った。


 両親は早くに亡くしている。もう俺には、なにもない。

 あれは異術の類だ、と白の一団が教えてくれた。この国には情報がない。三国向こうのサヌマが異術使いを多く抱えていると知ると、海を越え、剣士見習いの門を叩いた。剣に励む傍ら、異術使いの名を聞いては尋ね歩いた。

 顔は見ていない。しかし、あの禍々しい気配は全身が覚えている。


 とある夜、帰り道を何者かに襲われた。姿を消しては数歩先に現れる相手を異術使いだと確信し、剣を抜いた途端、目の前に倒れていたのは面識のない剣士だった。

 禁じられた決闘をした、とろくに調べもされず投獄された。

 闇の中、扉が閉まる――



 バルシスは目を開ける。いつもの夢だ。額の汗を拭い、自分が喚いていなかったか辺りを伺う。

 城の仮眠所だった。バルシスの他に人はいない。酔った憲兵を送り、同僚を起こしてはまずいと仮眠所に来たのだった。それにしても、誰もいないのは奇妙だ。いつもなら夜勤明けの4,5人はいてもおかしくない。


「バルシスか」憲兵長のガザンが疲れ切った様子で入ってくる。

 所属が違えど上官だ。バルシスは立ち上がり、一礼する。

「ラースが世話になったそうだな。すまない」

「いえ」

「ところで、昨夜町の様子はどうだった」

「戴冠前夜の祭りが始まり、賑わっておりましたが、自分は飲酒など決して」

「あぁ、そうじゃないんだ」ガザンは椅子をたぐり座る。「死体が見つかった」

「どこでですか」

「酒場の裏。サヌマ川の橋の下。薬草院の畑。それから」

 そんなに? 酔って喧嘩したばかがいるということか。

「城門で2人」

 耳を疑った。「城門…とは、つまり、この城の」

「そういうことだ」ガザンは頭を抱えた。「ウチの連中は今、総出で他に死人がいないか調べている。そっちも指示があるだろう」

「事故ですか、それとも」

「断言はできん」表情険しくガザンはつぶやいた。「あくまで俺の勘だが、殺しだ」

 バルシスは部屋を飛び出した。



「通常警備、ですか」バルシスは拍子抜けした。

 戦闘部隊は有事に警戒せよ。張り出された通達は一行だった。戴冠式の予定通り警戒に当たれということか。少なくとも5人、殺しの疑いがある死体が見つかったというのに。しかも2人は城門警備だぞ。軍の最高権威はシセだが、兵士の動向については実質、王命三傑が判断している。

 あの3人がなにもないと判断したのか? なにか隠しているのか。


 他の兵は情報を知ってか知らずか、無言で警戒の準備を整えている。

 バルシスも動揺を悟られないよう、式典用の装備を整えた。一律支給の安物の剣。ただし、盾は改造してある。持ち手の裏に、あの剣を仕込んである。それを抜く瞬間が来るような気がしていた。

 ためらうな。鏡の自分に確認する。



「鳥?」目覚めたリケルトはつぶやく。茶色いフクロウがひどく不機嫌そうにリケルトの目の前にいる。

 昨夜は廃屋の屋根裏に忍び込んで寝た。明るくなった今見渡すと、草を集めた場所がある。巣のようだ。このフクロウの寝床だったか。

「あーごめんよ」寝返りを打つ。「あだだだ」フクロウが頭をつついてくる。「悪かったってば」

 腹を空かせて不機嫌なのかもしれない。買ったパンをちぎると食べ出す。


 野生にしては人馴れしている。巣を覗くと、光る金属のがらくたに混じって親指ほどの笛があった。吹いてみると、フクロウが肩に乗る。爪の一つが銀で補強してあった。やはり誰かに飼われていたのか。

「邪魔して悪かった」パンの残りを置いておく。フクロウはちょこんと片足を上げた。

 マントを羽織り、夜市で買ったターバンを巻くと旅人に見えなくもない。少し町を歩いて、城に向かうことにする。



 はて。商人ジルーは首をひねる。

新しい王は戴冠後、広場に現れるとの掲示が貼られ、道を開けるよう憲兵が指示をしている。

広場で戴冠するんじゃないのか。トーニャ様が王になる瞬間を見られると思ったのに、なんで城の中でやるんだ。一番の見せ場なのに。祝祭の壇はもう建てられている。【王の椅子】もしつらえてある。ここでいいじゃないか。


接見の間でタイノス大祭司立ち会いの下、戴冠の儀を済ませ、それから新しい王が国民の前に姿を現す。そういう段取りに変更されたようだった。警備の強化だろうか。

なんの理由かまでジルーは知る由もない。ジルーに限らず、ほぼ全ての町の人間は昨夜から今朝にかけての不審な死を知らない。ましてそれを関連付けて考える者などいなかった。

 

せめて憲兵に一言言ってやろうか。ジルーが八つ当たりを決意した瞬間、門より大声が響いた。

「六カ国王、ご到着!」

コバルティコ。

リドリー。

セジャビース。

パントタノス。

バンバンノーチス。

サランシア。


 キタサン地方七カ国の、六カ国の王が順次ナガヌ入りする。

真紅の鎧をまとった兵士。妖艶な女性たちに先導される一団。象にまたがって進む国もある。さながら国の勢力を凝縮したような光景は圧巻だった。

 象に店を壊されちゃ一大事。

 ジルーの関心は忘れ去られる。



【ブラフール】は城内で一人、ほくそ笑んだ。予定通り、目立ち過ぎない程度に何人かを殺し、城内に些細な警戒心を生んだ。戴冠の儀が中止になっては元も子もないから発言には十分注意した。自分の一言で式典が城内に変わったという印象を抱いた人間はいないだろう。


 限定された空間なら、同時に全員へ術をかけられる。そして自分が戴冠し、【王の力】を得る。そのあとはしるしの力を使って、広場で国中に自分が王だと信じさせ、認めさせる。キタサンの王たちが集結しているのも都合がよかった。確かめもせず城内での戴冠を認めるなど、間抜けどもめ。

この地方は俺がすべてもらうさ。歴史書にあるジートニアを、俺が復興させてやる。


 ひざまずけ、愚民たち。

 誰の策略かも分からぬままこの国は乗っ取られるのだ。

 極めて城内の信頼の厚い立場から、疑われぬ裏切り者は笑う。

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