5.異変

「あぁ、城門の見張りって、こっちか。お疲れ」

「なんだ、憲兵組か? 見た顔だな。見張りの増員ってことか」

「そう。寝たとこ叩き起こされてさ。城門なんて立ち位置も知らないってのに」

「はは、そりゃ災難だな。だが一人だと居眠りしちまうとこだ。話し相手はありがたい。俺はさっきまで城内見回りで、朝までここに貼り付きだ」

「大変だな。どうだ、一杯。こっそり持ってきた」

「…いや、ありがたいが。仕方ないさ。トーニャ様の戴冠の日だ。夜が明けたら近隣の王がご到着だしな。真夜中でも気は抜けない」

「町はあんな賑やかなのにな」

「あぁ。肉屋は食い放題だそうだ。うらやましい。戴冠式のあとじゃ、なんにも残ってないだろうな、ちくしょう」

「せいぜい鳥の羽くらいだろうな」

「…そいつはいい冗談だ」

「戴冠式は大事になりそうだな」

「前王の戴冠は俺が生まれた年だったそうだ。そりゃあ大騒ぎだったってよ。ところで、タイノス大祭司は結局、帰られたのか」

「いや。遅いし城に泊まるそうだ。その方が安全だろ」

「ふむ。要人が増えたわけか。じゃあ合言葉も替わったな」

「あ、あぁ。そうだろうな。すまん、寝床からそのまま来たから新しい言葉を聞いていないんだ」


「…お前、誰だ」

「え、なな、なにを」

「誰だと訊いている。人を呼ぶぞ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、剣なんか抜くなよ」

「夜守に酒は厳禁だ。酔って櫓から落ちたヤツがいるからな。さっきからおかしいと思った」

「それは、俺は憲兵だから見張りの決まりを知らなくて」

「それと肉の話だが、戴冠式が終わるまで鳥はご法度だ。鳥はサヌマ発展の象徴だからな。これは憲兵でなくとも、この国の人間なら誰でも知っている」

「いや、もちろん。そんなつもりじゃ。冗談だよ」

「最後に合言葉だ。合言葉と言われたら帽子を触るんだ。今夜は3回。お前、なにをしゃべる気だったんだ?」

「いや、あのののの」

「どうした」

「だから、ひひ、そ、それをかにとじゅるに」

「なにを言ってる?」

「ふれかすがぐとめすににろーううおあなーなわいをす」

「おい! お前、顔が」

「あー、めんどくさ。ひひ」


 倒れた戦闘兵は既に動かない。刺し方を工夫したから流れる血もわずかだ。わざわざ憲兵になりすまさず、初めからこうすればよかったのに、と【影】は思う。しゃべっている途中で変装の顔がずり落ちてきた。驚いてたな、間抜けな兵士め。


 それでも他の者に見つかるな、という命令は守った。くだらないおしゃべりの間に、視界にいた他の兵士が巡回で消えたからだ。殺したところは誰にも見られていない。


 【影】は場外を見下ろす。他の【影】が待っている。縄梯子を降ろし、兵士の遺体を捨てる。処理は他の【影】がうまくやるだろう。

 それにしても、あとは戴冠まで隠れているだけとは、退屈な仕事だ。

 早く朝になれ。この国をひっくり返すのが楽しみだ。



 しまった。寝てた、あたし。

 ジーノが目を覚ましたのは町の太鼓が聞こえたときだった。しばらく状況が飲み込めず呆然とする。ここ、城内の書庫だわ。

 確か、資料を届けに来て、退出したけど調べ物を思い出して…えーと、そう、ジートニアの古地図だわ。それを見て…

 ロロポス文章を調べ始めたんだった。眠気の原因はそれだ。


 ロロポスを直接読み解こうとしたのは久しぶりだった。町で見かけたリケルトらしい姿が影響していたのは間違いない。だが、異術の才能もなくロロポスを読むには相当の知識がいる。ここ数日の読書漬けもあって、他に人のいない書庫で一人眠ってしまった。


 怒られるかなぁ。ジーノは扉を開け、そっと廊下を覗いてみる。武装した兵士たちが歩いていて驚く。もう戴冠式の準備なの? それにしても物々しい。

 一度閉めた扉をもう一度開ける。今度は誰もいない。

 既に城門は閉まっているだろう。朝まで待って、こっそり帰ろう。心に決める。

 とりあえず…おなかすいた。どこかに夜食とかないかしら。本を縛っていた紐で髪をまとめる。


 ジーノが台所、と検討をつけた部屋は正解のようだった。暗くて分からないが、パンだの焼き菓子だのを見つけて胃に収める。よし、と一息ついたところで扉が開いた。


「誰?」灯りを持った少女が入ってくる。ジーノの足は凍ったように動かない。

「あ、つまみぐい? あたしも」少女の声は弾んでいる。灯りを机に置くと顔が見えた。

「カルーシャ様!」

「ちょっと、ちっちゃい声にして」

「す、すみません」


「仕方ないよ、空腹は誰にでも平等に訪れる」カルーシャは至福の顔で焼き菓子を選んでいる。

「はぁ」いや、他にもいろいろすみません、と言葉を飲み込む。

「夕食、家臣がずらーっと並んだから、思い切り食べられなくてさ」

「そう…でしたか」


「あなたは? こんな時間まで仕事? どこにいたの?」

「えぇーと、書庫で」

「こもりきり? すごいね。晩ごはん、まだだったの?」

「はい」いろいろ省略したけど、まぁ嘘はついてない。


二人は一つの灯りの下、しばし無言で夜食に集中した。

「はー食べた。ね、まだ仕事?」

「いえ…」

「じゃあさ、わたしの部屋で寝ようよ」

うえぇ? 驚きが喉から出そうになるのを必死でこらえる。王子の妹と? そんなの無理無理。


でも、朝に書庫で誰かに見つけられたら大事だ。カルーシャ様の部屋なら誰もが出入りするわけではないだろう。それにカルーシャ様がうまくごまかしてくれる気がする…なんとなく。

 ジーノの葛藤をよそに、カルーシャはさっさと部屋を出ていく。唯一の灯りがなくなると、さっきまで真っ暗な中を歩いていたのに、急に不安になりジーノはあとを追う。 


 カルーシャの部屋に入るのは初めてだった。部屋の前で居眠りしている女性の召使を起こさないよう、そっと扉を閉める。

 花や飾りが溢れているかと思っていた室内は意外なほど質素で、中央に天蓋付きの大きなベッドが置いてある。ジーノは、大人3人は座れそうな背もたれつきの椅子に腰かけた。

「いいから、こっちこっち」カルーシャはベッドに飛び乗り、ジーノを呼んだ。


「わ」ジーノは声を上げた。夜空がある。

 天蓋の裏には布に描いた天体図が貼りつけてあった。星座、方角まで詳しく書き込んである。

「すごい」

「でしょ」

 旅に出るのが夢だったんだけどね、とカルーシャは語り始める。王を失くし、兄が国王になると決まったあとは妹が国を離れるわけにはいかなかったのだろう。


「なぜ、そんなに旅を?」

「ジートニアの手掛かりを探すのよ」

 ジーノは心臓を掴まれた気がした。「え」

「だってあなたも、ここがジートニアだったとは思っていないでしょ?」


 それは、ジーノがずっと抱えていた矛盾だった。ジートニアの資料は、過去の一定期間抜け落ちている。そして突然、サヌマの近代史が綴られる。歴史を学ぶならここ300年の近代史で十分こと足りるが、そこから遡るとジートニアとはまるで違う歴史がなくてはならない。ここにあったはずのジートニアは、追えば追うほどするほど霧の中に消えていく。具体的にこれと指摘はできないけど。

ジートニアはここであって、ここでない。


 ジーノが考えを巡らせている間にカルーシャは眠ってしまったようだった。

 なんとなく寝付けなかったジーノは、窓の外に光を見た気がして窓枠に歩み寄る。


 見張りの兵士さんかしら。最初はそう思った。

 黒い一団。頭まで覆うマントで顔は見えない。その中に鎧を着た者が近づき、一団は鎧を囲むように円を作った。

 鎧がなにかを取り出す。黒く輝くそれがなにかを理解して、ジーノは固まった。


 あれは、しるし。なんの力か分からないけど、闇に輝くしるしがまっとうな力でないことはこどもでも知っている。一介の騎士が気軽に持てるものではない。それに、あの大きさ。しかも禍々しい気配に満ちている。

 突然騎士がジーノを向いた。気がした。距離は離れている。こっちは灯りもつけていない。顔の角度が合っただけかもしれない。だが、ジーノは確信した。

 見られた。

 次の瞬間、一団は跡形もなく消えた。


 ベッドにもぐりこんだものの、震えが止まらなかった。

 よくないことが起こる。

でも、それをどう周りに伝えればいいのか。証拠もなく、いつなにが起こるのかも分からない。

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