2.次の王

 トーニャは宮殿の中庭で剣を振っていた。明日からは正式な王、リトーニング8世。もう「小さなリトーニング王トーニャ」と呼ばれることもなくなる。金に近い栗色の髪が、王冠をかぶったら少しは大人に見えるだろうかと自問する。


 生まれながらにいつか王位に就くことが決まっていたことに疑問はないが、トーニャと呼ばれなくなることには不思議な気持ちがあった。もちろん彼に正式な名はあるが、父である先王7世がトーニャと呼んだため、城内はもちろん、町の人々も彼をトーニャと呼び慕った。


 王になるんだな。


 戴冠することで、本当に父がいなくなる気がしていた。父が亡くなったときよりもその思いが強い。いつかひょっこり帰ってくるのでは、そんな気持ちがずっと消えなかった。母の記憶がないトーニャにとって、父と2歳下の妹、カルーシャだけが家族だった。


 戴冠式は【王の力】を得る儀式である、とだけ父に教わっていた。それがなにを指すのかまでは聞いていない。自分が戴冠するときは、父がその力を失うということではないか、とぼんやりと思っていた。こども心にそれが恐ろしかった。戴冠の儀は【王書】にのみ書かれており、当日に読むことが許される。


 帰ってくるといえば、3年前に旅立ったきりの月下群舞も気がかりだった。1年の予定が過ぎても誰一人円形広場に戻った者はいない。同い年の旅人、リケルトはどうしたか。

 この国は変わったぞ。


 トーニャが15の誕生日に戴冠式を迎えることが決まった日から今日まで、宰相シセがサヌマ国をとりまとめている。父が倒れてから一日も国政に混乱を起こさない、鮮やかな交代劇だった。手際は良すぎたといっても過言ではない。


 このキタサン地方の近隣六か国が表面上とはいえ協力を惜しまなかったのも、シセの力だった。宗教に対し積極的でなかった国の方針に手を入れ、祭司の最高位である大祭司を数十年ぶりに置いた。

 一方で異術を明確に研究の学問に位置づけ、実践の場を減らして異術に抵抗を示す国の理解を取り付けた。豪腕で恐れられた父とは違う、周辺国に配慮ある懐柔策は奏功している。


 父の急死に疑問がないわけではなく、シセの本性は見えないが、外の脅威から国を守ってきた手腕は疑いの余地がない。自分が王となった後も、力を借りないわけにはいかないだろう。しかし。

 油断はできない、とつぶやき、見えない敵に向かって刃を刺す。勢いがつきすぎて前のめりになった。


「踏み込み過ぎです、トーニャ殿」

 軽やかな声に振り向くと、バルシスが立っている。17の彼は背が高く、顔立ちは幼く、成熟した剣士のようにもまだこどものようにも、見える。屈託なく笑う顔は、禁じられた決闘をして監禁された過去などなかったかのようだ。軽装で、腰には剣を下げるベルトをしているが中身はない。


 バルシスは過去の戦で両親を亡くしていた。宮殿には見習いで入ったが、剣の筋がよく、国王に認められると、正式に入隊するまでしばらくトーニャの稽古相手として生活を共にしていた。トーニャのことならなんでも知っている。


 彼なら、バルシスなら、明日からもトーニャと呼んでくれないだろうか。価値のない質問をしてみようと真剣に思った瞬間、がちゃがちゃと鎧がこすれる音が近づいた。広場に三つの影が差す。


 平時において唯一甲冑装備を許される存在、王命三傑。十倍以上の人数の騎馬隊が彼ら三人に敵わない。隣国まで名を響かせ、国民の人気も高い一方、素行や言動に問題も囁かれる。

 シセが代理王政を始めた頃に任命された、トーニャより一回り歳上の剣士たちは部下として頼もしくもあり、悩みの予感でもあり、剣技でいえば雲の上の存在。


 異術を信奉していた父が亡くなったことだけでなく、月下群舞が絶対の存在でなくなったことも、この国で剣が力を増したことに関係がある。異術は以前に増して過去に追いやられ、明日を切り開くのは剣、という風潮は高まっている。


「剣ならそこの腰抜けより、私が教えましょう!」体も声も大きいマルタスが笑う。戦の前後は興奮して眠れない兵士が多いが、マルタスはいつでもよく食いよく眠る。

「いや、それには及ばん。ただの素振りだ」トーニャは汗を拭う。

 バルシスが目の奥に怒りを光らせたことに、もちろん気づいている。


「日が暮れる前にお戻りください」弓も使うパスクが頭を下げる。聴覚に優れ、森向こうの馬の足音を逃さない。もちろん美女の甘い囁きも。

「うむ。もう戻るよ」

「明日は大事な日です。くれぐれも怪我などなさいませぬよう」ロイドルが笑顔で話すが、その言葉に熱はない。単にトーニャの体調を気遣っているわけではないのは、言わなくとも分かる。余計なお守りをさせないでくれ、というのが本音だろう。


 やはりロイドルが軸だな、とトーニャは思う。三傑は同格、上下関係はないのが建前だが、その中で一番小柄なロイドルが最も風格を備えている。他の二人がロイドルに従っているのは明らかだ。目の前にいても彼の思考はここにはない。いつも鷹のように、空から全体を把握し的確な指示を出す。はじめから全て知っているかのようだ。知将と恐れられるのも頷ける。


 バルシスが三傑と折り合いが悪いのは周知の事実だ。トーニャは経緯を詳しく聞いたことがないが、自分が王となる以上、上手く指揮していかなくてはならない。

王は、勝つために剣を抜かせることをためらってはいけない。だが安易に抜かせない重圧も必要だ。その決断力が自分に備わるだろうか。


 ロイドルが頭を下げたのをきっかけに、三傑は引き上げていった。空気がようやく和らぐ。

「揉め事は起こしませんよ」

「そうあって欲しいな」

沈黙の中を吹く風が心地いい。さっきからいい風が吹いている。

「明日より王、ですね」

できれば、まだこのままで。トーニャはそう思うが「うん」とだけ答えてみる。

バルシスは目を向けたまま、何も言わない。


 明日は来客が多く、内輪で食事を楽しむ余裕もないでしょう、というシセの配慮で、城の一同が夕食を共にした。王命三傑も、大祭司タイノスも姿を見せ、全ての者が大いに飲み、食べた。乾杯は4度も行われ、皆がトーニャの即位と国の発展に明るい笑顔を見せていた――表面上は。


 誰が信頼できるか見極めなくてはならない。トーニャは夕食の間中、互いの心の内を推し量った。

 シセはすんなり自分の配下に収まるつもりだろうか。三傑はシセの上に出ようと様子を伺っている節もある。誰が自分を狙わないとも限らない。目の前の杯ですら、注がれるままに飲んでよいのか一瞬の疑念もよぎる。


 少年が王になることの難しさを、トーニャはよく理解していた。年端もいかぬ若造の下に就くことを、快く思わない連中も少なくないだろう。

 権力は毒だ、と彼は思う。力を毒ごと飲み干す力はまだない。それを悟られてはいけない。それでも、ほとんどの者が自分を祝福してくれていることは明らかだった。トーニャもよく笑った。サヌマのために、力は正しく使わなくては。


 家臣が集まれば異国の話を聞きたがるカルーシャも、今日はおとなしく笑顔でたたずんでいる。リケルトが月下群舞で旅立った日、自分も行くときかなかったっけ、と思い出す。


 夕食が終わる直前、憲兵の動きが慌ただしくなった。

「どうやら、侵入者がいた模様です」シセが囁く。

「どこだ」

「宮廷監視の者が、中庭でこどもを見たと」


「こども? それで、どうした」

「なにも」シセもそこは見当がつかない、と言った様子だった。「一人で宮殿を見上げていたようですが、憲兵を振り切って消えたと。物乞いの類かも知れませぬ」


 それだけならトーニャも同意する。だが簡単に侵入できる場所ではない。シセになにか思惑があるか。顔色を伺うが判断はつかない。

「とりあえずカルーシャを部屋に。タイノス殿のお帰りには護衛を。それから見回りを増やせるか?」

「承知しました。用心に越したことはございません。今夜はご自分の部屋に戻られますか?」

「いや、予定通り、今日から父の部屋を使うよ」

「では、そのように」


 今夜から自分の部屋でなく、父の部屋を使うことはもう決めていたことだ。歴代の王の部屋で明日を迎え、起きた瞬間から王として振舞う。王の部屋は見晴らしがよく、つまり城下からも見やすい位置にある。

ここに王がいる。民衆に告げ、敵に対して逃げも隠れもしない強い姿勢を朝日と共に見せることが、新しい王の最初にして最大の使命。

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