ジートニア伝記

泉 遍理

1.異術使いの少年

 ジートニアは全てを持ち、

 ジートニアは全てを統べ、

 ジートニアは全てを超す。


 それが大国、ジートニアが滅んだ理由。

 一夜にして歴史から消えた栄華の末路。



 山林。木々の間を少年が駆け抜ける。頭まで皮のマントで覆った少年の後ろを、黒い鎧が張り付くように追う。

 鎧は重さなどないかのように宙を舞い、抜いた剣で少年に切りつける。

 少年は方向を変えて剣をかわす。鎧が追走する。再び、剣が迫る。

 走り、跳ぶ。剣先が少年のすぐ背後を捉える。

「やべ」少年は太い枝につかまって体を一回転させ、一撃をかわしながら鎧の背中を蹴る。マントに隠した短槍を抜き、飛びかかって反撃に転じるが、地面で体勢を崩していた鎧は、剣を持たない手で軽々と少年を突き飛ばす。


「いって」体を起こしながら、やっぱ槍は苦手だな、と少年は思う。狩りには便利なんだけど。

 笑顔で鎧を見据え、「このやろ」とつぶやきながら短槍を持ち直す。

 マントの上から胸に手を当てるとそこだけが淡く光り、少年の周りに風が起こった。


 巻き上げるように吹く風にマントがはためき、少年の顔があらわになる。体が浮き、飛び上がって木を蹴った。その反動で突風のように鎧に突撃し、鎧の頭部に短槍を突き刺す。

 鎧は崩れ落ち、一瞬光るとその姿はない。あとには幻創石と呼ばれる、形態変化を起こす黒い石が割れて転がっている。


「あー…やりすぎた」稽古相手として重宝していたのに。【風】を使わないとまともな戦闘にならないことも不安要素だな、と心に留める。

 割れた黒石には文字が刻まれている。少年が仮想の敵として戦いの練習台にしていたものだ。手持ちの最後の石だった。もう訓練はできない。

 

 しかし、次は本番であることを少年自身が一番理解している。

 本当の敵。

 戦いは避けられない。


 山林を抜けると緑の髪が高原の風に揺れた。一人立つ少年、リケルトの瞳は深い緑に澄んでいる。異術と総称される、森羅万象に変化を及ぼす術を使う少年。国によっては魔術や錬金術ともいわれるこの術がときに称賛され、または妬まれ、常に畏れられることを彼は十分理解している。


 大山羊の皮をなめしたマントは小柄な14歳にはまだ大きく、膝下まですっぽり体を覆っている。それは彼が山の中を移動するのにも、使い慣れない短槍を隠すのにも都合がよかった。

 3年前のあの爆発以来、リケルトは誰が敵か分からない日々を一人隠れながら生き延びてきた。


 ――飛行異術による長距離移動集団、月下群舞げっかぐんぶ。月の旅人とも渾名あだなされるサヌマ国最高の異術旅団にリケルトが参加したのは3年前。国中に祝福されて旅立った一団の到着を、見えざる罠が待ち構えていた。

 四方を囲む爆発と正体不明の【影】の襲撃。一団は壊滅し、リケルトは団長のマズルにかばわれ、怪我を負いながらも一人だけ生き延びた。


 空想だ神話だと言われ、神事に関する古文書の片隅にひっそりと伝えられる賢者の森。正史には載らない、。偶然か宿命か、その賢者の森に辿り着かなかったらリケルトの命はなかった。

 賢者の森は長い時間をかけて彼に一人で生きる強さと考える力を与え、笑顔を取り戻させた。リケルトは旅をしながら異術を極め、【影】の正体を追っていたが、サヌマに迫る異変を知ると戻る決意をした。

 待ち受けている敵は、あの【影】――


 高原の端まで来ると、崖の向こうに眼下が開けた。なだらかに続く山々の中、そこだけ切り開いたように現れる台地は崖に囲まれ、背後に湖が広がる。攻守に優れたこの土地には、いかなる軍も姿を見せずに近寄ることができない。


 立ちはだかる堅牢な灰色の城門。その向こうにそびえ立つ宮殿。3年ぶりのサヌマ国王都、ナガヌ。あの夜旅立った円形広場は城に隠れて見えないが、丘の上の風車は最後に見たままだ。


 こんな形で帰ってくるとは思わなかった。リケルトの胸中を思い出が馳せるが、今は景色に目を奪われ、懐かしさに心を浸す余裕はない。明日の戴冠式までに友人にして【次の王】、トーニャに会わなくては。


 【影】は確実に城内にいる。のんびり道なりに関所を歩いて時間を食うのも、敵に気づかれるのも避けたい。ここからまっすぐ崖を降りられれば関所の裏に出られるし、背の高い雑草に混じって城のすぐ傍に出られる。


 飛ぶか、と崖の下を覗く。城門の上の見張りやぐら以上に高さがある。断崖絶壁で足の掛け場もないが、リケルトはそんなことを気にする様子もなく、マントを脱ぐと短槍や腰袋を包み、下に投げた。

 着地を見届け、地面までは6秒くらいだなと見当を付ける。


 少年の首には小さな銀の塊が革紐で下げられている。賢者の森で手に入れた幸運のしるし。ささやかな魔力が宿っていることはあとで知った。ユラウリの葉に似たその塊をぎゅっと握り、大地を背に太陽を見ながらリケルトはさかさまに飛び降りた。両手を広げる。


 胸の銀塊が浮き、太陽の光に緑に輝く。その緑が球体のようにリケルトを包んだ。少年は姿勢を変えて着地に備える。

 伸ばした右腕で見えない綱を掴むように風を操り、膝をつくようにして柔らかに着地する。


 マントを拾うと何事もなかったかのように歩き出した。花冠を編んでいた小さな女の子が始終を見ていて、驚いて落とした花が風に散る。


 さて、とリケルトは考える。城はもう目の前だが、陽が沈めば城門が閉じてしまう。名乗るつもりはなく、通行証も持たないこどもをすんなり城に入れてくれるとも思えない。中の様子が分からない状況で異術は使いたくなかった。


 時間は惜しいが、やはり夜を待ってどこか手薄なところからよじ登るしか――

 と、彼の視界に30人ほどの一団が入った。馬車には荷物が満載。隊商の連中か。最近雇われたヤツもいるだろう。紛れ込むにはちょうどいい。


「よし」リケルトはつぶやいた。大きく伸びをすると体が軽くなった気がした。一陣の風になり飛ぶように草原を走る。


 【次の王】に危険が迫っている。月下群舞の一員として華々しく飛行術で旅立った自分が、一人徒歩で戻らざるを得ないこの状況自体、今後を楽観できないことを示している。しかし久々のナガヌに近づくにつれ、笑顔は抑えられなかった。


 リケルトは帰還した。



「止まれ!」門前の憲兵が4人、行商の一団をさえぎる。「通行証を!」

「はいよ」馬車から降りてきたのはジルー。12の頃から30年、一度も休まずに大陸越えの貿易を続ける隊商の長。年に二度はナガヌに立ち寄る顔馴染みに、憲兵長ガザンは緊張を解いた。


「ジルーか。コバルティコから来たのか?」

「そう。砂漠は日照り続きで参ったよ、まったく」

「この人数で砂漠を超えたのか?」

「いや、リドリーで馬車ごと買い付けた」

「馬車ごとだと? 相変わらずの豪商だな」

「新しい王の誕生だからな。貢物も気合い入るさ」

「どうせ市場でがっつり儲けてくんだろ?」

「そりゃあもちろん」


 あまりに正直な答えに、ガザンもジルーも笑う。一番若い憲兵のラースが積み荷を検査しながら順に馬車を通す。籠を担いだ商人の列にはマントを着たこどももいて、ラースは一生懸命な姿に感心する。思わず、頑張ってるな、と声をかける。こどもは手を挙げて応えた。


「ところで」ジルーが声を小さくした。「戴冠式に、どこぞの国から横やりが入るなんてことはないだろうね」

「大丈夫だ」ガザンの笑顔が勤務に戻る。「サヌマの新しい君主、リトーニング8世の誕生は近隣国も祝福をしている。3年間王が不在だったからな。海の向こうと張り合うには、やはり正式な王が立たんと。共同戦線ってヤツだ」

「海の向こうは穏やかじゃないかもな。それにしても、あのトーニャが王とはなぁ」

「いい方だ。それに賢い。佳き時代になる気がするよ」

「お前さんの佳き時代とは、昼間から酒を飲める毎日だろう」

「はは、違いない」


 トーニャ様が戴冠したら、とガザンの頭をいつもの夢想がよぎる。サヌマだけではない。この地方の小さな七か国が今度こそ同盟を結び、大国に渡り合える日が来るかもしれない。勢力が大きくなれば迂闊に手を出してこないだろう。それも平和の一つと言える。


 昔この地方には大きな一つの国、ジートニアが存在した。魔術の研究が盛んで、それに劣らず軍備にも長けていたと聞く。国はよく治まり、富に溢れていた。もしそれくらい強固な同盟を作れれば。


 ラースが最後の馬車を通し、通行証を持ってきた。

「ジルー、積み荷に問題はなしだ。33名、こどもが1人だな」

「こどもなんていないぞ。ウチは、俺を入れて32人だ」

 憲兵たちが慌てて馬車を止めた頃、大山羊のマントは既に城下を駆け抜けていた。

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