なすべきこと

二石臼杵

成すことに意味がある

 ナスビが歩いていた。体に突き刺さった四本の棒を手足にして、ナスが立って歩いていた。その背中には、人間の老人の姿が。

 上を見ると、星がいっぱいに広がっており、赤やら青やら黄色やら白やら、なかには毒々しい紫色やけばけばしいピンク色に輝くものもあった。


「あれが全部、地上の光かね」


 ナスの背におんぶされている老人が漏らした。


「そうですね。最近はネオンやらLEDやら、不自然な光り方をするものもありますんで」


「ちょっとばかしいない間に、地上もずいぶん変わったもんだ」


 老人は、驚きとも呆れともつかないため息をこぼす。彼を背負っててくてくと歩くナスは、少しだけ地上をフォローしてやる。


「まあ、こういう夜だから、ってこともありやしょう。なにせ、死人のあなたを現世に送ってるんです。あっしみたいに、不思議なことなんてごろごろ転がっていやすよ」


 ナスは歩きながら言った。

 今はお盆。死者が、あの世から現世の様子見に一時的に帰ってくる日。ナスは、死者を運ぶ乗り物の役目を担っている。


「しかし、なぜナスなのかな」


「あっしだけってわけでもありやせんけどね。ほら」


 答えるナスの前方から、同じく棒の四肢を持ったキュウリの馬が走ってきた。  キュウリは立ち止まり、ナスに話しかけてくる。


「おう、ナス。お前まで仕事中か? 珍しいな」


「ああ。ところでどうしたよキュウリ。お前さんの背には誰も乗ってないじゃないか」


「あー、それが、ちいっとトばし過ぎてな。送り死人を三途の川に落っことしてきちまった。じゃ、オレは閻魔さまにこのことを報告しに行かにゃならんから、また今度ゆっくり話そうや」


 そう言うやいなや、キュウリの馬は慌ただしく駆けていった。


「……キュウリは、えらく速いんだな」


 老人の言葉に、ナスは応じる。


「本当なら、現世から迎えに来るのは、足の速いあいつらの仕事なんですがね。あっしはその逆で、盆のあとに現世の余韻を味わってもらうための帰り専門なんですが、いかんせん、あの世も人手不足でして」


 ナスは棒の手を器用に曲げて、ヘタの部分を掻く。


「早くご家族さんに会いたいでしょうが、すいやせんね」


「いや、構わんさ。振り落とされたら元も子もないからな。それに、お前さんの背中はなんだか落ち着く」


 老人の笑いを受けたナスは、マイペースのまま歩き続ける。

 そこでふと、思い出したように、ありもしない口を開いた。


「ああ、さっきの質問の答えなんですが、あっしはナスの前は人間だったんです。前世ってやつですかね。こう見えて、あっしも人間のときはいろいろやんちゃしましてね。そりゃあ、大なり小なり数え切れないくらい悪事を働きましたよ」


「そうだったのかい」


「ええ。で、地獄に堕ちたら来世でナスにされやして。ころっとマーボーナスになって死にましたよ。そのあと閻魔さまとすぐに再会して、今まで犯した罪の数だけ、死者を送り迎えするように言われたんです」


 歩みを止めることなく、ナスはすらすらと喋る。


「この姿は、それを『成す』ことができるように、ってことかもしれやせんね」


「まるで初夢だな」


 老人はかかか、と笑った。


「ところでお客さん」


 それまでとは少し違うイントネーションで、ナスが声をかけた。


「本当は知ってるんでしょう? あっしが遅いことを。閻魔さまから聞いてやすぜ、お客さんがわざわざナスのあっしを指名した変わり者だと」


「そんなことまで聞いていたのかい」


 こりゃ参ったな、と老人はひとりごちた。


「お前さんの言う通りさ。おれはわざと、足の遅いお前さんに運んでもらうよう頼んだんだ」


「へえ、なぜです?」


老人は少し溜めたのち、思いを吐き出した。


「実はな、おれも悪人なのさ」


「なんですって?」


 ナスの声に、驚きの色が混じる。


「と、言っても、お前さんほどじゃないよ。ただ、ちょいと家族を見捨てて逃げちまった」


「はあ。またどうしてですかい」


 ほんのわずか、逡巡が聞こえてくるようだった。


「なんのことはない。旅館の経営がうまくいかなくってな。温泉の出が悪くなって、つい魔が差して温泉の素なんかに手を出したのがいけなかった」


「それから、どうなさったんで?」


 ナスは控え目に訊ねた。


「あとはまあ、よくある話だな。偽装がばれて、槍玉に挙げられて。終いには、閑古鳥を鳴かせちまった」


「で、いやになって逃げ出したってわけですかい」


「ああ、そうとも。そして、余生をホームレスとして送ったんだ」


 老人はしっとりと目をつむる。


「残った嫁と息子には、悪いことをしたなあ」


 そこには、自虐の笑みが浮かんでいた。


「そのせいで、ばつの悪いというか、合わせる顔がないというか。とにかく、なるべく家族に会うまでの心の準備が欲しかった。だから、本来なら帰りのナスを指名したのさ」


 あいつらの顔を見るのが怖くてなあ、と。そう、小さく漏らした。

 しばらくの間、ナスは会話をやめ、のんびり無言で歩く。


「……その話ですがね、実は続きがありやして」


 ふいに、ナスが口を開いた。


「続き?」


「残された奥さんの話です」


「なんでお前さんがそんなことを」


「その方は、ちゃあんと旅館を継いで女将さんになったんです。女将さんはナス料理が上手でしてね」


 はて、そうだったか。自分の記憶では、妻はナスの料理をあまり作らなかった気がするが。老人は思い出す。


「本当はナスが大好物だったらしいんですが、旦那さんに『お前は食うな』と言われていたようでして」


 そう言えば、「秋ナスは嫁に食わすな」のことわざを鵜呑みにして、食わせないようにしていたんだった。

 しかも、秋ナスを「焼きナス」と勘違いして、年中食べることを許さなかったっけか。

 老人の記憶に、色が灯りはじめる。


「で、旦那さんがいなくなったあと、それまでの分を取り戻すように、ナスを食べるようになったんですよ」


「……」


 老人は黙り込む。ただじいっと、ナスの背中を見つめ続ける。


「あっしに包丁を入れながらね、『これはあの人への復讐だ。これはあの人への復讐なんだ』と、つぶやいていやしたよ」


「そう、だったのかい」


「ええ」


 再び、つかの間の沈黙が訪れる。それを破ったのは、やはりナスの方からだった。


「でもね、そのあと決まってこう言っていたんです。『あなた。私はナスを食べていますよ。ほら、止めに来てくださいよ』と」


「それは――」


 本当かい、と。老人が勇気を振り絞って聞く前に、ナスは言った。


「おっと、そろそろ地上に着きますぜ」


 ナスの言った通り、さっきまで小さかった光の群れが、目の前に迫ってきていた。

 光を見る老人の目には、どこか不思議な活力が宿っていた。

 たとえ嫌われていようとも。憎まれていようとも。今、家族たちがどうしているのかを、見届けなければと思うようになっていた。決意の光だった。

 気づけば、老人から恐怖は去っていた。

 彼はナスの背から降り、しっかりと自分の足で地を踏みしめる。


「じゃあ、ひとつ、孫たちの顔でもおがんでくるか。ありがとうよ、ナスさんよ」


「お気をつけて。あっしはここで待ってますんで。くれぐれも待ちぼうけにさせないでくださいよ? 忠犬ナス公なんてごめんですからね」


 老人は、ナスから離れ、光の中に進みながら言う。


「わかったわかった。向こうで家族に会ったら、ナスを大事にしろとでも伝えとくよ」


 そこで、ひょいとナスに呼び止められた。


「どうせなら、うんと悪事を積むように言ってくれやせんかね? そしたら、あっしもこの仕事をなすりつけてまた生まれ変われるってもんで」


 ナスの言葉は冗談のようでもあり、あるいは本音かもしれなかった。

 老人は一笑してナスに背を向け、後ろ手をひらひらさせながら現世へと進む。


「食えないやつだな」


「食えますよ。あっしはナスですから」


 老人が光に包まれていくのを、ナスは律義に見送っていた。

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