第14話 突腐
第十四章 『突腐』
山根が死んだ。
ポツポツと冷たい雨の降る日に、葬儀は行われた。
礼拝の皆がそろって黒い服を着ている。私はそれに疑問を感じた。
なぜ、そんな地味な服じゃなくて、もっとハデな服を着ないのだろうか?
そんな服を着ていたら、余計に暗く寂しく感じるじゃないか。
漠然とした思いが、どうにももどかしく感じる。
いつもなら、気にならない事が、どうしても気になってしまう。
感覚がおかしい。
自分の感情が、まっぷたつにメリメリと裂け、それが別々の方向に引っ張られていく感覚。
お尻の穴のまわりの力が抜け、足が液体のように溶け、地面にするすると吸い込まれていく感覚。
立っているのか座っているのかわからないような、くらくらとした無重力な感覚。
大声を上げたらいいのか、小声でささやいたらいいのか、声を出す加減が全くつかめない感覚。
すべてが闇に見えた。
私はその闇を少しでも掃いたかったので、喪服を着ている人の黒い色を取り払おうとした。
すると何故か、その男は怒ったような顔で大声を上げ、私に向かって叫んでいた。
なんだコイツは?なんでそんなにムキになるのだろうか?
私が何かしたのか?私は何もしていないぞ?
その黒い闇を取り払おうとしただけなのに、何が悪い?
バカだ。こいつらバカだ。
クソだ。クソムシだ。
私はどうにもバカらしくなってこの場を去った。
ふと振り返ると、どこかの男が大声で叫び、辺りの物を振り回していた。
あれでは葬式がメチャクチャだ。どこにでもアブナイやつはいるものだ。
ただ、その姿が、どこか私と似ている気がするが・・・まぁ、いい。そんな事はもうどうでもいい。
こんなイヤな気分は早く忘れてしまいたいので、まだ空が明るいがどこかで酒を飲もう。
そうだ、あのバーへ行こう。
あそこの外界をシャットアウトした感覚に浸り、強い酒を流し込み、ホロホロに酔いたい気分だ。
痛い・・イタタ・・
誰だ、私の腕を強く掴んでくるのは?
これではまるで、暴れている男を取り抑えるようではないか?
痛いんだよ、痛い・・・いたいなぁッ!
いたたたた・・・
私が目を覚ますと、そこには何故か朱雀江さんがいた。
あたりをキョロキョロ見回してみると、どうやら彼女のマンションにいるようだった。
頭がズキズキと痛い。米神がキュウと締め付けられる。胃袋が腐ったように心地悪い。
どうやら二日酔いのようだ。相当のアルコール量を摂取したらしい。
私は記憶を手繰り寄せ、なぜ自分がこうしてここにいるのかを思い出してみた。
ああそうだ・・私は山根が死んだショックで葬式で錯乱し、それでその場からつまみ出されたんだ。
「やっと起きたようね、河合さん」
「あ・・・朱雀江さん・・・私は何でここに・・・」
「まったく呆れたわね、あれだけハデな騒ぎを起こして覚えてないなんて」
「騒ぎを起こした?・・・一体私は酔っ払って何をしてしまったんだ?」
「さぁね、それは自分で確かめて頂戴。とりあえず、山根さんのご親族にだけは謝っておくべきね」
「やっぱりそうか・・・わかった。行って謝ってくるよ」
私は、ソファーの上の背広を手に取った。
「それがいいわね。あ、それとよほど覚悟しておいた方がイイわ」
「そう脅かさんでくれよ」
「ひょっとしたら、奥さんに殺されるかもよ」
朱雀江さゆりは、小悪魔のような笑顔をした。
「おいおい、それは冗談なんだろ?」
「ふふ、河合さんも私のウソがわかるようになってきたみたいね」
「まぁな。顔合わす機会もなにかと多いから、なんとなく分かるよ」
「女のウソを見抜く男は嫌われるわよ~」
「それでも、二重のウソは見抜けない男だよ、私は」
「あら、誰のことかしらね?」
「さぁな・・・じゃ行ってくる」
私は背広を肩にかけると部屋を出た。昼下がりの日差しのせいで、頭痛が悪化するようだ。
それにしても、朱雀江さゆり・・・
年齢不詳の美人ではあるが、どこか謎めいた女性だ。それが魅力的であり疎ましくもある。
彼女との会話は淡白であり濃厚だ。さらっとした口当たりの後に、くるりと絡みつく余韻。
私はその感覚が好きだった。
私と女房の会話だと、トゲのついた団子を、丸呑みさせられるような不快な感覚になるのに。
朱雀江さんは魅力的な女性ではあるが、心の奥底が熱くなるような相手ではない。
私の男性ホルモンが、どこか彼女を拒んでいるような、そんな感覚なのだ。
彼女はどうやら男に興味がないようで、相手はもっぱら、みそのクンだった。
いや、他にも相手をしている女性がいるかもしれないが。とにかく性癖は異常で変態だ。
とにかく、お互いの性癖が一致しないからこそ、朱雀江さんとは友人になれたのだろう。
普通の男なら、あんな綺麗な女性を目の前にして、意識するなというのが無理かもしれない。
ん?普通の男なら・・・私は何を言っているのだ?
これではまるで、私の性癖が普通ではなく、どこか異常だと言っているようなものだ。
そんな事はない、私は正常だ。普通の女性に対して、普通に興味を持っている。
ただ、女房と結婚して以来、他の女性と男女の関係をもった事がないだけで、私の性欲は眠っているだけなのだ。長い長い間、ずっと眠っているだけなのだ。けして変態な趣味に興味を持っているのではない。
駅で出会った少女・・・その少女の前で射精してしまったのは、ただ珍しい趣味に触れ、それが新鮮だったからに過ぎない。だから私は、けして少女趣味に走ってしまったのではないのだ!
「社長、何か?」
「あ?い、いや、何でもない・・」
私はいつの間に、二ノ宮の運転する車に乗っていたのだろう?
さっきまで、朱雀江さんのマンションの入り口の階段を降りていたと思ったのに、そこから記憶が途切れている。いかん、どうやら私は相当疲れているようだ・・・
無理もない。親友の山根が、目の前であんな無残な死に方をしたのだから。
私の涙腺が緩むと共に、脳内がガツンと痛む。
思い出したくない記憶を、思い出してしまった反動だろうか。
トゲで覆われた不快な記憶。それを思い返す度に、そのトゲが私の脳内を引っ掻きまわすのだ。
「社長、山根様宅の前に着きましたが・・・」
「あ、そ、そうか・・・よし」
「あの、余計な事ですが、今の社長の精神状態では、奥様に会うのは止めたほうがよろしいかと・・・」
「ああ、そうかもしれん。だが、これは私の試練なのだよ」
「試練・・ですか?」
「そうだ、立ちはだかった壁を乗り越えなければならない、男の試練なのだよ」
「・・・そうですか。では、いってらっしゃいませ」
「心配かけてすまんな。ではここで待っていてくれ」
ガチャリ、バタン。
私は、山根の家の入り口に立った。そして見上げる。
なかなか立派な佇まいの家だった。やはり支店長だけはある。
私はその家を見上げると、頭の中で山根の葬儀が蘇ってきた。
===(山根の葬儀中)============================
「ヒソヒソヒソ・・・それでさぁ・・・」
礼拝に来た二人組みの男が私の前に立ち、何やら内緒話をしていた。
「それってマジかよ?」
「ああ、保険会社って社内に鳥居があって、毎朝そこで、『死人が出ませんように』ってお祈りするんだと」
「何でそんなことするんだよ?」
「だってお客が死んだら、そのぶん保険金払わないといけないだろ。だから生命保険会社にとっては、お客は死んで欲しくないし、ケガもして欲しくないのが本音なんだよ」
「そっか、客に寿命で死ぬまで保険金払い続けて欲しいもんな」
「そういうこと」
私はこの男たちの話を聞いて、そんなこと当たり前だと思った。
ひとりの死人に何千万という金額を払えるのは、その他大勢の客が高い保険金を払っているからだ。
「でさぁ、この支店長はノルマ達成の為、かなりギリギリの悪さしてたみたいだぜ」
「どんなことよ?」
「それがさぁ、年寄り連中を言いくるめてバカ高い保険入らせたり、ちょっとのケガじゃ保険金払わなかったりとか、とにかく悪いウワサが絶えなかったらしい」
「そうか、それで恨まれた客にホームで背中押されたんだな?」
「いや、どうやらそれも違うらしいぜ・・」
ピクリ。
私の耳が引きつった。
「どういうことだよ?」
「ここだけの話、ホームで背中を押した男って、奥さんの浮気相手らしい」
「ええ、マジかよ?じゃあ恋愛のもつれが原因で殺されたのか・・・」
「悪さしてまで支店長になって、浮気されるは殺されるはで、ロクな人生じゃないな、この男」
「おい、声が大きいぞ・・・ヒソヒソ」
私は拳を握り締め、ブルブルブルと震えた。そしてガクガクガクと、肩を猛烈に震わせた。
次の瞬間、私の意識がプチンと切れた。そして、この男たちに掴みかかっていったのだった。
私は、その時の記憶を思い出した。
確かに葬儀をメチャクチャにしたのは私が悪い。だが、山根の浮かばれない顔を想像したら、居ても立ってもいられなくなったのだ。抑えきれない感情は、悪口を言った男どもをブチ殴る行為に発展したのだ。
葬儀の時に暴れていた男。それは自分自身の姿だったのだ。
崩壊した意識が私の正常な感覚を狂わせ、自分を客観的な存在にする事で逃避していたのだろう。
人間をコントロールするのは己の精神。それが歪めば感情も歪む。
当たり前のことだが、それを常に正常に正しておくことは難しいものだと痛感した。
さて。
私は山根の奥さん、『柊日登美(ひいらぎ ひとみ)』に平常心で会えるだろうか?
その自信はないが、とにかく葬儀を荒らしてしまった事は、一言謝らなければならない。
しかし、彼女の顔を見たら、私は真相を問い質してしまうかもしれない。
時折見せた山根の寂しそうな顔。あれはきっと、奥さんの浮気を知っていたのだろう。
それを分かっていても、昔からの男グセの悪さを、山根は問い詰める事ができなかったのかもしれない。
とにかく考えていても仕方がない。家の前まで来てしまった以上ここで帰るわけにはいかない。
私は玄関の前に立つと、インターホンを鳴らした。
「はい、どなた?」
「あの、河合です。突然すいません」
「・・・・・ちょっとお待ちください・・・・」
久しぶりに聞いた声は、どこか歯切れが悪かった。当然だ。自分の旦那が死んだのだから。
そしてし、ばらくして玄関のドアが開き、見覚えのある顔が見えた。山根の奥さん、ひとみちゃんだった。
「しばらくぶりね、河合くん」
「あ、ああ、ずいぶんしばらくだね」
この前、葬式で顔を合わせたのに、しばらくとはどういう意味だろうか?
「元気そうでなによりだわ、さぁ、お上がりになって」
「・・・で、では・・おじゃまします」
意外にも、家の中に招待された私。てっきり玄関で追い返されると思っていたのに。
家の外観は洋式だったが、部屋の中は和室によって構成されていた。けして安くない作りだ。
山根が稼いで溜めた金で、この家を建てたことは間違いない。
それがどんな方法であろうと、稼いだ金に良いも悪いもないのだ。山根の労働の成果なのだから。
私は部屋をキョロキョロと見回しながら、部屋のインテリアや飾ってある絵を眺めた。
あいつは学生の頃から、オシャレで小奇麗な格好をしていたものだ。それがこの家にもにじみ出ている。
居間に招かれた私は、改めて山根のセンスの良さを実感した。
それに比べて、私のセンスのなさも痛感した。私の家のつくりとは雲泥の差だ。
自分の家もこのように綺麗にしたいと思う。
だが、山根の奥さんのように美人が住む家ならば、綺麗な家にしてやりたいと思うが、女房のためにそうまでしようと微塵も思わないのが正直な気持ちだ。
あの家には未練がない、というか、そこまでするメリットが何もないのだ。
私は溜息をついた。それはこの家の豪華さと、ふてぶてしい我が女房の両方の意味を込めてだった。
「河合くん、お茶を入れたから飲んでいって」
そういって山根の奥さんは、漆塗りの木彫りのテーブルの上にお茶を置いた。
そして奥さんもそこにちょこんと座った。
「あ、いただきます・・」
私はそのお茶を手に取って、ずずずと吸い込んだ。しかし、それが喉にむせて咳き込んでしまった。
「ごほっ、ごほっ!」
「うふふ、ゆっくり飲んで下さいな」
奥さんはテーブルに両肘をつき、私を見てニッコリと微笑んだ。
おかしい・・・
私との久しぶりの再会で、こうして持て成してくれるのは嬉しい。
だが、今の奥さんの表情は、旦那を亡くしたばかりの淋しい表情ではけしてない。
どちらかというと、肩の荷が下りたような、そんな安堵感さえ感じられる。
やっぱり、浮気をしていたというのは本当だろうか?
邪魔な夫が死んでくれて嬉しいのだろうか?
いや、もうすでに、この女は学生時代から浮気を繰り返していたのだ。
他の男はおろか、友人の私までも誘ってきたのだ。
それを今更ながら、浮気をしたとかしないとか問い詰めても意味がないかもしれない。
肝心なのは、山根を駅のホームに突き落とした相手が、奥さんの浮気相手だったのかを知りたいのだ。
もしそうならば、そんなくだらない事で死んでしまった山根が浮かばれない。
私はその事を、奥さんに問い質してみようとした。
すると奥さんは、ふいに立ち上がって、ふすまを開けて奥の部屋へと移った。
「こちらに位牌があるの。拝んでいってくださらない」
私は湯のみをテーブルにことりと置くと、立ち上がって隣の部屋へと移った。
そして、位牌の前で座った瞬間、思いも寄らぬ出来事が起こった。
な・・・!
口元が温かい物で塞がれ、奥さんの顔が間近に見える。
どうやら接吻をされているようだ。
奥さんが私に抱きつき体を密着させてきた。
女性特有のふくよかな感触が、甘い香りとともに巻きついてくる。
私は、部屋の窓から見える植木に目をやり、天気の良い青空を眺めた。
そして、なぜ私はこんな昼間から、親友の奥さんとキスをしなくてはいけないのか考えてみた。
しかし、どう考えても道理がない。
いやいや!冷静に考えている場合ではない!私は急いで奥さんの体を振り解き、距離をとった。
「な、何をするんだ!」
本来なら、男がこのセリフを言うのは逆だと思う。普通は、突然唇を奪われた女性が言うセリフなのだ。
「なにって・・・キスよ?河合くんはしたことないの?」
私の問いに対する答えがずれている。私の聞きたいのはそんな事ではない。
何故、私にキスをしてきたかを聞いているのだ。
唇と唇を合わせればキスだということぐらい、私でも知っている。
「そうじゃない!・・・なぜキス・・・いや、なぜ山根が死なねばならなかったんだ?!」
「・・・・・・」
私は大声を上げて怒鳴った。そして、しばしの沈黙。
「うふ」
この女は笑った。それは、男を惑わす色気のある笑顔だった。
そうなのだ。この女のぷっくりとした下唇と、釣り上がった口元が、なんともそそられるのだ。
私は戸惑った。この女の異常な感覚に。
それは、夫の死後にとるべき行動とは明らかに掛け離れていた。
「答えてくれ!山根は誰に突き落とされたのかを!」
「だれって・・・どういうこと?」
「だから!誰かに恨まれていたとか、誰かに殺されてもおかしくない動機があったとか!たとえば・・・」
私はそこで言葉に詰まってしまった。
この先のセリフは、『例えば浮気とか』であったが、それを奥さんの前で言うには、さすがに躊躇した。
だが、ここで曖昧な事を言っても埒があかない。
他人の事情に入り込むのは気が引けるが、山根が死なねばならなかった確かな理由を、私はハッキリと聞きたいのだ。
「奥さん・・・あなたは浮気をしていましたね?・・・その浮気相手が、旦那である山根を殺した・・・」
私は、ひとみちゃんの目を睨んだ。
「そんなに怖い顔しないでよ。どこでそんなウソ聞いたの?河合くん」
山根の奥さんは、そんなこと初めて耳にするような顔でそう言った。私はその顔に苛立ちを覚えた。
「も、もうやめろ!しらばっくれるな!」
「え・・どうしたの?」
「あ、あんたが他の男と浮気をして、その男が・・山根を突き落としたんだろ!」
「・・・・・」
ひとみちゃんは俯いたまま黙っていた。すると、畳の上に何か水が一滴こぼれ落ちた。
それは、ひとみちゃんの頬からつたる涙だった。
「な・・」
この時わたしは、彼女がどういう心境で泣いたのか考えてみた。
純粋に、夫である山根が死んでしまったのが悲しいのか?
それとも、自分の犯した罪の意識からの涙なのか?
どちらでもいい。とにかく、今は私に抱きついてキスをしている場合ではないということだ。
山根を弔い、御悔やみしながら、悲しくて涙を流すのが正しい感情なのだ。
私は、ひとみちゃんの涙を見て、やっとそれを感じてくれたのだと思った。
いや、考えてみれば、最愛の夫が死ねば、悲しくて泣くのが当然だろう。
ひとみちゃんだって、山根の死後は、涙が枯れるまで泣いたことだろう。
そして、締め付けられて苦しくてどうしようもない感情を、何とかして紛らわせようとしたのだろう。
それが、さっき私にしてきた行為なのかもしれない。
私にキスをするという破天荒な行為を行い、自分の感情を麻痺させたかったのかもしれない。
悲しみの極限というのは、もしかしたら、そんな心情なのかもしれない。
それは、悲しみを背負った当の本人にしかわからないことなのだ。
私は、そんなひとみちゃんを見て少し哀れに思った。
「その・・本当に山根のことは・・残念だったね・・・」
「・・・・・」
私は、ひとみちゃんの悲しむ顔を直視できなかったので、上目でチラリと見た。
ひとみちゃんは、肩を震わせて悲しみを堪えていたようだった。
「ぅぅ・・お・・っく」
彼女は、必死に嗚咽を抑えようとしている。その様を見るのはとても心が痛む。
私は、それをなんとかしてあげようと、ひとみちゃんの肩にそっと手を置いた。
だがしかし、それがいけなかった。彼女がとった次の行動。それは・・・
ゴキン!
「うぐッ!・・」
突如、私の脳みそが豪快に揺れた。そして意識が吹っ飛んでいく感覚に陥った。
どうやら私は、ひとみちゃんに何かで殴られたらしい。
その思いもよらない出来事の理由は、一体何なのだろうか?
何故、私が彼女に殴られないといけないのだろうか?
その理由がさっぱりわからない。わからなかった・・・
だが、彼女の次の行動で、私はそれが理解できた。
カチャカチャ・・・はも・・・チャプ、チャプ・・・・
ひとみちゃんは、私のズボンのベルトをゆるめ、私の一物を口に咥えているようだ。
意識がモウロウとしながらも、私の男根はそれを快楽と認識したようで、海綿体に血液が流れ込んだ。
そして彼女は、私の上に覆いかぶさるようにして、自らの性器に私の物を挿入しようとしていた。
その異常な行為に、私のモウロウとしている意識がハッキリとしてきた。
いかん・・このままではいけない。何か、取り返しのつかない行為に発展してしまっている。
私は意識を失っている場合ではないのだ。起きなくては。いや、起きてはいけない・・拒まなければ!
だがしかし、目の前にいる魅力的な女性が、男性が最も欲する行為を、相手から望んで行なっている事に対し、それを拒否しようとする気持ちが薄れていくのも仕方のないことだった。
言い訳か。
そうだ、これは言い訳なのだ。私の山根に対する気持ちなど、快楽という欲に対してはその程度なのだ。
これが欲の恐ろしい正体なのだ。
自分の信念などイッパツで覆してしまうほどの破壊力を秘めているのだ。
今の私には、山根を供養する資格などない。
あるのは、性欲に飲み込まれた、オスという資格だけなのだ。
私は、自分が落ちていく様を実感していた。
こともあろうに、友人の死んだ直後、その奥さんと性行為をしているということに。
それは、いけないことだとわかっている。それが、相手から求められてきた事だとしてもだ。
生暖かい包容力の前では、所詮、人間の尊厳などネズミのフン以下なのだ。
すでにその行為は収まりのつかないところまできてしまった。
完全に彼女が私を受け入れてしまったのだから。
この時点で、私の意識はほぼ回復していた。
脳の思考は、正常に働くまでに回復していたし、身体への影響もほとんどなかった。
だから、私の脳がこれを冷静に判断し、そして身体を動かして、この行為を停止させることは不可能ではなく、至極、単純で簡単なことだったのだ。
だがそれを行なわないのは、私の意識が完全に彼女に蝕まれてしまった証拠なのだ。
いや、それでも心の中では、山根に対する謝罪の念はあったのだと思う。
しかし、私の体はそれに相反し、彼女の魅力的な造形を手の平で咀嚼し、堪能していたのだった。
その物体は素晴らしい造形で、感動的なエネルギーに満ち溢れていた。
私はそれをもっと感じたくなり、衣類で隠されたゾーンにまで興味をもつようになった。
そこからはもう立場は逆転していた。
上と下との関係は、いつしか下と上との関係にまで発展していた。
午後の昼下がり。天気の良い空と、庭先に見える花壇。
それらとはかけ離れた空間が創り上げたエロスの教典。私はそれを読み進めることに没頭した。
何度か反旗を翻そうとしてみた事もあったが、それは無力に過ぎなかったのだ。
私はそこで、もうひとりの自分という立場をつくって、自分を誤魔化すのに必死だった。
だってそうだろう?
絶対的に間違っている行いに対し、少しも詫びる気持ちがなかったなら、私という人間が、なんと非常識な存在になってしまうのだろうか!それを避ける為には、一握りに、いやチリのように少しだけでも良心を作っておきさえすれば、100%の悪魔になることはないのではないか?
それだけで、私は言い訳ができる。人間はそんなに強くはない。人間はそんなちっぽけな存在なのだと。
そして、私の言い訳作りは完了し、後はこの甘美な行為を続行させればいいだけの話である。
詫びればよいのだ。どんなに悪い行いをしても詫びさえすればそれで良いのだ。
私はこの瞬間を待ち焦がれていたようだ。もう、この女を抱くことに躊躇しなくて良いのだ。
所詮、こんなもんだ。
悪事を働く場合、一握りの良心さえ作っておけば、それは言い訳になり得てしまうのだ。
私は猛烈に興奮した。
自分という存在を、こうも簡単に脱ぎ捨てられたという事に興奮した。
それは喜びだったのかもしれない。とにかく、私は一歩足を踏み込んだのだ。
それが前進か後退かなど、どうでも良いのだ。ただ、現状から動いてさえすればそれでいい。
一箇所に縮こまって震えているよりは数万倍もましだ。
私はいけないことをしたおかげで喜びを掴んだ。それは彼女も一緒のようだ。
高密な興奮度に包まれた彼女は、とても良い表情をしていた。
ああ、これが。これが女にとっての悦びなのだな。
エステや、コラーゲンや、ポリフェノールなどそんなものはどうでもよい。
女性が若くて綺麗でいるのに必要な栄養分は、この如何わしい行為なのだと確信した。
数百回の摩擦のおかげで、私の脳内アドレナリンとドーパミンとエンドルフィンは過剰に分泌され、放出セヨとの命令を受けて私は登りつめたようだ。
我慢するのを面倒くさくなった私は、最後の晩餐に望んだ。そしてそこで、ご馳走を平らげた。
その満足感は、まるで食後のデザートに、ミントとアロエのジュースを飲んだような清涼感だった。
ここまではまだ私の良心は、心の奥底で小さく縮こまっていたようだった。
だが・・・そこから私の悪意が消えたと同時に、その良心は勢いよく舞い戻ってきやがったのだ。
私の体中から血の気が引いた。
犯してはならない事を犯してしまった。そう、まさしく犯してしまったのだ。
私は言い訳をしようと必死になって考えた。
だが、どう言い訳しようが、それは私の心の善と悪が共同で計画した作戦なのである。
もう後戻りはできないのだ。時間というものが逆行しない限り。
彼女は髪をかき上げながら、舌なめずりをしながらウフフと笑った。
私はそれを見て途端に腹が立った。
だから私は、とりあえず彼女の頬を引っ叩いた。
すると、彼女は嬉しそうに体をくねらせた。だから私はそれが面白くなって、次に体を引っ叩いた。
やはり、こいつは嬉しそうに体でそう表現している。
私は、ズボンのベルトを抜いて、それで彼女の体を叩き付けた。
ピシッ!ピシッ!っと子気味よい音が、仏壇のある居間に響く。
私は怒っているのだ。だからこいつを反省させようとしているのだ。けして邪推があってのことじゃない。
それなのに、この女はまだ足りていないのか益々喜んでいるようだ。
冗談ではない!
私は自分の過ちを怒りに転換した。そして気がつけば、彼女に馬乗りになり顔を豪打していた。
はじめは気持ち良くなっていた彼女も、だんだんとエスカレートしていく刺激に耐えられなくなり、それを拒もうとした。
だがしかし。
そうすればそうする程、私の怒りは更に憤慨へと成長していったのだった。
それから数分間。
私は何も考えずにその行為を黙々とこなしていた。
居間の畳に飛び散った鮮血は、更なる鮮血を吸って滲んでいった。
それが、ちょっとばかり、風情ある水墨画のようにも見えた。
偶然に飛び散った液体が、畳の隙間に偶発に染みてゆく。
それは、はたしてすべてが偶然に起こったものなのだろうか?
私はそれが必然に染みこんで、ある形となっていくとしか思えなかった。
この世に偶然などない。
すべてが意味のある意思と存在によって動いている。いわば、運命の動脈なのだ。
これはサイコロを振って出た目の数がどうとか、パチンコが当たる確立がどうとか、宝クジが一等に近い数字だったとか、そんな陳腐で燃えない生ゴミのようなくだらない事と同じではないのだ。
だから、偶然などない世の中などないのではないだろうか?
それからしばらくして。
私の腕の感覚が少しだるくなってきた頃、その対象物の抵抗は終わっていた。
その物体が完全に呼吸停止したのがわかったのは、それから数分してからだった。
「山根・・すまない・・・」
そんな事を微塵も思う環境ではなかったけれど。
私は謝るという行為を続けるしかなかったのだ。
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