第13話 突死



十三章 『突死』



後藤クンが退社して、一ヶ月がたった。

そうなのだ。犬のように私にシッポを振っていた可愛らしい後藤クンは、会社を去る事になったのだ。

今では、とある葬儀屋で日雇いの仕事をしている。

正社員では雇ってくれなかったので日雇いだそうだ。

それも仕方ないか。役立たずの給料泥棒に、会社が福利厚生を負担するなんてアホくさい。

使い物にならなかったらバッサリ切り捨てられても文句は言えまい。

ゴミは、ゴミなりの扱いで丁度良いのだ。


さて、その後藤クンの仕事内容はというと、劣悪を極めているらしい。

まず、死体を触って運ぶなんて当たり前。

亡くなった家で、狭くて置けない仏はどうするかというと、巨大な冷蔵庫に一時閉じ込めておくそうだ。

その扉を開けたら、中に六体もの仏さんが眠っていたのには驚いたそうだ。

そして、ホームに飛び降り自殺して電車に轢かれたバラバラ死体。

これは警察で一時預かるそうで、足りない部品を探すのにひと苦労だそうだ。

それらのパーツをなんとか組み立て、人のカタチにするのも彼の仕事。

本人いわく、ホラー映画などバカバカしくなるほどの、恐怖と戦慄と悪臭を体験できるらしい。

とにかく、低賃金と重労働でヘトヘトになった後藤クンに、安らぎはない。

ちなみに時給は千円だという。途方も無く安い。


しかしなぜ彼は、そんな人生を歩むはめになってしまったのだろうか?

それにはちょっとだけ、時間をさかのぼらなければなるまい。



==<1ヶ月ほど前>=============================


「課長、今夜ご一緒に飲みにいきませんか?」

目の下に熊のマークをプリントした後藤クンが、私に話しかけてきた。

その日は、夜の社長業は忙しくなく、事務所にちょっと顔を出す用事だけだった。

久しぶりに部下と飲むのもよいと思い、他の人も誘うように後藤クンに言った。

しかし、後藤クンは誰も誘うことが出来なかったようだ。

「どうして誰も来ないんだ?」

「はぁ・・その、みんな用事があるそうでして・・・」

後藤クンが課のみんなを誘う際に、相手の顔が険しくなるのを私は見逃さなかった。

確かに私の事を嫌っている人間は少なくない。だが反対に、私を好いてくれる部下もいるのも事実。

と、なると・・・

この後藤という男と、一緒に飲みに行きたくない理由があるのだろう。

私の直感がピクリと働いた。

よし、こいつが何故、みんなに煙たがられているか、それを解明してみよう!私の興味が沸いた。

「じゃあ、ふたりで行こうか。たまにはそれもいいもんだ、なぁ、後藤クン」

「は、はい・・ご一緒させていただきます!」

にこりと引きつった作り笑顔。なんだか痛々しいほど顔色が悪かった。

よほど何かワケがあるのだろう。これはますます楽しみになってきたぞ。


仕事も終わり、定時で会社を出ると、私と後藤クンはタクシーに乗り込んだ。

「あの・・駅前近辺で飲むんじゃないのですか?」

「いや、あそこらの店は騒がしくて嫌いなんだ。となり街までいこう」

「は、はぁ・・・」

昔の私だったら、まずは駅前の赤提灯でコップ酒を飲んでいただろう。

そこで負け犬どもと愚痴を垂れ、慰め合っていただろう。

そして場末のスナックで、安い焼酎を飲みながら、哀愁漂うカラオケを熱唱していただろう。

虚しさと儚さと寂しさと侘しさと情けなさに溺れながら。

あそこはゴミ溜めのような飲み場だ。

野良ネコや野良ブタや野良カラスが飲む場所なのだ。


でも今は違う。

まずは、しゃぶしゃぶの店で腹ごしらえをし、次に寿司屋で活魚をツマミに冷酒を頂いた。

そして、高級クラブを2件ほどハシゴした。そこの店のママとは馴染みなので、私の横にママがついた。

後藤クンの両横にはキレイどこがそれぞれついた。

後藤クンは最初、少しばかり緊張していたが、キレイどこの接待に、鼻の下がアゴの下まで伸びていた。

なんともだらしのないその顔に、私は大笑いした。

「あ、あの・・課長・・・こんなとこでこう言うのもなんですが、ボクあまりお金もってないんですよ・・・」

なんだと?お金を持ってないだと?

今までの店で散々私におごらせて、今さら金を出す気は毛頭ないくせに。しらじらしいヤツだ!

私はこいつが、金を全然持ってないのを知っている。

どうやらパチンコで負けが込んで、50万ほど借金があるらしい。

そして友人や社内の知人にも借りまくり、そのせいで煙たがられているようだ。

だから社内の低金利ローンを借りる相談の為、今夜、私を飲みに誘ったのだ。

バカなやつだ。

高級ブランデーをたらふく飲ませてやったら、私の前でペラペラと全部喋りやがった。

上司の前で、私生活の乱れを暴露すれば、出世はおろか、別の課へ飛ばされるかもしれないのに。

本当にバカなヤツだ。

まぁいい。こいつがどうなろうと知ったことじゃない。

もっともっとそそのかして、おのれの愚かさを痛感させてやる!

敗北感を骨の髄まで刻み込ませてやる!


「あの、課長は・・なんでそんなに羽振りがいいんですか?いくら課長といえども、そんなに・・・」

確かに後藤クンの言う通りだ。いくら課長の月給でも、こんなにも豪遊出来るはずがない。

私は口まで運んだグラスを置き、後藤クンの正面を向いてニッコリ微笑んだ。

「いや、なにね。最近ちょっと初めてみたんだよ」

「え?・・なにをですか?」

「ふふ、コレさ!」

私は、ひとさし指で、ポンポンポンと押さえる仕草をした。

「えぇ!課長はスロットやるんですか?!」

「まぁね、最初はなんとなく初めてみたんだが、これが勝つと意外にオモシロくてね」

「い、いくらぐらい勝ってるんですか?!」

「う~ん、そうだな。今月は3回くらい打ちにいって、合計30万くらいかな?」

「エエッ!そ、そんなに勝てるもんなんですか?!」

「ああ、結構カンタンだよ、それくらい。10万勝つ程度ならザラだよ」

「す、すごい!・・い、いいなぁ、課長は運があって!」

私はそれを聞いて、さらにニッコリ微笑んだ。

「運なんか関係ないさ」

「そ、そうなんですか?」

「そうとも、ただ攻略法を読んだだけだよ。なんなら私の知っている攻略法を教えようか?」

「ええ!是非!」

「あら、何の話?」

そこに店のママが話しに入ってきた。

「そういえばママもけっこう好きらしいね、ギャンブルが」

「好きだわぁ~、あのスリルが病みつきなのよねぇ~。先月は大負けしたから、今月は取り返すわよ!」

「大負けって・・・あの、いくらくらい負けたんですか?」

「そうねぇ・・・だいたい500万くらいかしら?」

「そ!そんなに?!・・・す、スケールが違う・・・・・」

後藤クンは絶句してしまった。


そりゃそうだ。

こいつらはパチンコやスロットの他に、麻雀で一晩数十万の金が動く賭け事をするのだからケタが違う。

ママのように破格の収入を得ている人間ならば、500万負けたって痛くも痒くもないだろう。

だが、サラリーマン風情が、月々25万ほどの安月給で、パチンコひと勝負5万も負ければ、それは生活に響いて当然だろう。それを周りのみんながやっているからと言って、自分には何の危機感もないと麻痺してしまうのだ。それが群集効果に踊らされた末路だ。

聞いた話では、777が揃って大当たりすると、脳からドーパミンやらアドレナリンが大量分泌され、それが快感に変わるらしい。それを味わいたいがためにスロットを打っている輩もいるらしいのだ。

これではまるで麻薬中毒者ではないか?そこまでしてスリルを求めたいのだろうか?

日常生活の中で、夢中になってのめり込む趣味が他にないのだろうか?

若い世代なら、いくらでも楽しい趣味があるだろうに。

スキーにスノーボードにカラオケにサーフィンに、その他いろいろあるだろう。

それがよりによってギャンブルを選択するとは、趣味と呼ぶのもおこがましい。


私が思うに、今の時代は楽しい遊びがあまりにも増え過ぎていると思う。

何をしても楽しい。だから楽しいのが当たり前になってしまった。

これがもたらす結果はどうなるか?

楽しくない事を、言い換えれば苦しい事を体験する機会が少なくなる。

だから辛い事に対しての抵抗力が著しく落ちてしまうのだ。

ちょっとした事で自殺をしたり、他人を傷つけてしまうのも、この影響ではないかと思う。

溢れすぎた娯楽と快楽。

その結果、人の意思は堕落の一途を辿り、むせ返る悪臭を社会に撒き散らす。

悪臭はさらに増え続けていく。その一環としてギャンブルがある。

運次第で、自分の身を切り売りする愚かな行為。それがギャンブルなのだ。

己の保全よりも危険な快感。バカだ。まるでバカな人種だ。

毎日の生活の中で嫌々ながら働き、夢のない現実から逃避したいと願う。

結果、酒とギャンブルに明け暮れる。

それは、生きるという行為を自ら拒否し、生きるという行為を冒涜しているのと同じだ。

だったらそんな人間はいなくなってしまえばいい。死んでしまえばいい。

そうだ。この目の前の後藤という男が、世の中からいなくなっても私はいっこうに構わない。

むしろ、それで世の中のゴミが減り、より良い社会に近づくのだ。

だったらどうする?

こんな男を殺すくらいわけはないのだ。よし、ではそうするか・・・


「ゴホッ!ゴホッ!な、何をするんですか!課長ッ!」


ハッ!

私は何をしているのだろう。気がつくと、私は後藤クンの首を絞めてしまっていた。

「ははっ、いやなに・・・後藤クンがギャンブルで借金つくったから、奥さんの恨みだよ、これは」

「もう、ヒドイなぁ・・ごほっ、ごほっ・・」

「あははは」

私の機転で、その場はなんとか笑って誤魔化すことができたが、それにしても今のはまずかった。

無意識のうちに、私は後藤クンを殺そうとしてしまった。

今の私なら、何でも実現できそうな錯覚に陥ってしまった。

以前の虚しい人生から、突然に豹変したおかげで、私の感覚をそう狂わせているのかもしれない。

いずれにせよ、私自身の中から溢れてくる突欲を、未だコントロールできていないのだろう。

私はブランデーを軽くコクリと口に含み、何事もなかったように後藤クンに話しかけた。

「それでさっきの話なんだけど、スロットの攻略法、あれ後藤クンに教えてあげるよ」

「え!ホントにいいんですか?・・・あの、た、タダですよね?」

「ははは、当たり前だよ。一刻も早く、奥さんと仲直りさせてあげたいからね」

「課長、何でボクがあいつとケンカしてるのわかったんですか?」

「キミの顔を見れば一目瞭然だよ」

後藤クンの目の下のクマ。そして顔にある引っ掻き傷。どう見ても奥さんとのケンカの跡だろう。

「それだったらワタシたちにもわかりまーす!」

お店の女の子が手を上げて言った。

「わかりやすいわね~おほほ!」

「ははははは」

「あは・・あははは・・・」

後藤クンの乾いた笑い。

この時の笑いが、後藤クンにとって最後の笑顔だったのかもしれない。


そして一週間後。後藤クンは会社の金に手をつけた。

スロットの攻略法も通用せず、借金は倍に増えてしまったそうだ。

当たり前だ。ウソの攻略法で勝てるなら、私だってやっている。

着服が発覚しているのは私のところで止まっている。私が上に報告しなければバレることはない。

後藤クンが借金を増やしてしまったのは私の責任だから、その償いとして最良の方法を教えてやった。

とある金融会社から金を借りれば、利息も安くて安心だし、それで穴埋めすれば良いと。

切羽詰った後藤クンは、疑う余地もなく、私の言葉を鵜呑みにした。

もちろん、その金融会社というのはディザイア。すなわち私の会社だがね。

これから後藤クンは、一生かかっても返しきれないローンに追われ、息絶えるまでクソムシのような生活を送るだろう。もちろん、奥さんは子供を連れて実家に帰ったそうだが、それも当然かな。

全てを失った後藤クンは、会社の仕事も手に着かず、結局大きな失敗を重ねてクビになった。

そして、さらにギャンブルにはまって、立派に脱落人生を歩み始めたのだ。

現在の借金と、雪だるま式に増えていく利息がいくらなのか、すでに彼には把握できないだろう。


がんばれ後藤クン!私はキミを影ながら応援しているよ!

本当さ。人間、諦めなければチャンスはまた来る。とにかく一生懸命生きるんだよ?後藤クン!


私は笑いが止まらなかった。

人が落ちていく様は、こんなにも簡単に、且つ私の予想通りに進んでいくものだろうか。

ふと、Nゲージという趣味を思い出した。

本物さながらにスケールダウンされた電車の模型を、精巧に作ったディオラマ(情景模型)の上に設置し、プログラムを組んで時刻通りに走らせるのだ。さながら自分は鉄道全てを管理している気分を味わえる。

その電車の切替レバーをチョコンと倒せば、電車はレールの方向に沿って走る。その先に谷があろうと。

後藤クンはまさにそんな感じだった。私がレバーを切り替えてやったのだ。

面白い。

人の人生を操作することが、こんなにも楽しいことだなんて。

私の欲の中に、もうひとつの悪い趣味が追加されてしまったようだ。


そして後藤クンは、やっとの思いで再就職できた。それが冒頭で話した葬儀屋だった。

彼に送りたい、はなむけの言葉。

過労で倒れ、その葬儀屋で葬儀をあげるなんてシャレにならんことはやめてくれよ、後藤クン!



==<そして現在>=============================


後藤クンの様子を見に、私はその葬儀屋さんへやってきた。

彼は元気だろうか?

遠くからその様子を覗く私。

いたいた。なるほど、どうやら真面目に働いているようだ。

ドス黒い顔色で、無気力に仕事に精を出しているようだ。

さらに顔色が悪くなるまで働くなんて、若いのにたいしたもんだな。

今度は、いつ死んでもいいように、生命保険の額を上げておいてあげよう。

しかし、後藤クンだけを特別扱いしてはいけない。

何故なら、彼のように借金で苦しむ人達は大勢いるのだから。

私がその世界に誘ってやったのは、人数にして50人くらいになるだろうか。

だから自分だけが苦しいと思わないで、逆に感謝して欲しい。

だってお前らは、周りのみんなが苦しければ、自分もその感覚が麻痺して感じなくなるのだろう?

そうだろう、後藤クン。



「二ノ宮、車を出せ」

「はい、社長」

あの二ノ宮は、今では私の運転手を勤めていた。

タクシーの運転手をしていただけあって、裏道事情に詳しくけっこう役に立っている。

今夜の社長業はもう終了だ。久しぶりに、朱雀江さんのマンションに寄ってみるか。

私は朱雀絵さんの携帯に電話をかけた。

「あ、河合さん?いま丁度よくってよ。みそのが絶頂を迎えそうだから早く来て!」

「そうか、では今からそちらに向かうよ」

朱雀江さんのマンションには、この場所から近かったので5分ほどで到着した。

「二ノ宮、おまえはここで待っていろ」

「はい、社長」

「それとこの前みたいに、みそのクンの動画を携帯で撮って送ってやるぞ」

「はい、ありがとうございます、社長」

「彼女な、そうするともっと興奮するんだとさ」

「は、はい・・社長」

私は少し呆れた顔で二ノ宮にそう言うと、車から降りた。


マンションをエレベーターで上がり、朱雀江さんの部屋の前まで来た。

入り口を開け、奥の特別室へ向かった。少しツンとした臭いが部屋に立ち込めている。

「やぁ」

「早かったわね、河合さん。いま最高潮に盛り上がっているわよ!」

朱雀江さんの鼻息が少し荒い。そして彼女たちの行為は相変わらずだった。

攻める側と受ける側。そのどちらもが悦楽できる如何わしい行為。

みそのクンは、鎖と皮の拘束具に縛られ、様々な道具を使って遊ばれていた。

私は、スコッチを注いでテーブルに置き、それをコクリと口に含んだ。

「おいおい、どうしたよ?今日はいつもより乱れているじゃないか」

私の言葉で、みそのクンの感度が上昇していくのがわかる。

みそのクンは、口からよだれが垂れるほど喘いでいた。よほど気持ちが良いのだろう。

私はソファーにこしかけ、その行為をしばらく無言でぼーっと眺めていた。

何度も目にしているその行為に、私は少し飽きを感じていた。

そして、あの時のことを思い出していた。



==<1ヶ月ほど前>=============================


それは私にとって衝撃的な光景だった。

朱雀江さんの豪華なマンションに呼ばれ、そこで私は、みそのクンの意外な姿を目にした。

全裸のまま鎖に繋がれ、朱雀江さんに屈辱的行為をされていたのだった。

あの純真で、穢れを知らないみそのクンのイメージが、私の頭の中で引き千切られて破り捨てられた。

そこは地獄。ある人にとっては性の勃発した楽園に見えるだろうが、私の中ではそうは思えない。

噂には聞いていただけの、女同士での蜜なる関係。私には生涯無縁なことだと思っていた。

それを目の当たりにした私は、ただ絶句するしかなかった。

私ごときが覗ける世界ではないのだ。まして、そこに立ち入ることなどありえないのだ。

しかし、それが実現してしまった。

50歳を超えた、ただの冴えないサラリーマンに、そんな世界が目前で展開された。

ただ呆然と立ちつくす私の股間に、朱雀江さんの細くて綺麗な指が宛がわれる。

私の目の瞳孔がばくりと開く。

そしてズボンのファスナーが下がり、瞬く間に私は女性の前で恥ずかしげな姿にされる。

もう隠し通せないほど、私の興奮度は実直に表現されていた。それも仕方ない。

私の精神の鼓動は、すでに限界点に達していたのだから。

そこからの私は、まるで翼の生えた幼子のように、天と星雲と宇宙を感じることが出来た。

今までの人生が、いかに私の心が作り出した小さな箱であったかを思い知った。

無限なる領域と、尽きる事のない生命力。


そして突然、私の欲が爆発した。

もう何も恐れることはない、絶対的な顕示欲。

人の目を睨みつけるほどの、傲慢たる支配欲。

それらが開花した時、私の『突欲』はやってきた。

もう私は、誰も恐れずに、誰も気にせずに生きていける。

今までの河合修二は死んだ。そして新しい河合修二が生まれたのだ。


数時間が過ぎた。

薄暗い部屋の中で、裸で横たわる三人。

私の体中は、とろみのある液体で包まれていた。

種なしスイカに無造作にかぶりつき、したたる果汁のように濡れていた。

披露困憊した体とは逆に、満ち溢れてくる生命力。

こうして、私の突欲が生まれたのだった。



==<そして現在>=============================


みそのクンは絶頂を迎えた。

私はそれを見てなんだか虚しくなった。

スコッチを急いでグイと飲み干し、テーブルにグラスをカタリと置いた。

「さて、今日は帰るよ・・」

「あら、もう少し見ていってやったら?みそのもそうして欲しいでしょ?」

「・・・・は・・・はい、お、お姉様・・・・」

虚ろな目でビクビクと震えているみそのクンは、精神が崩壊したようにうまく喋れないようだった。

「すまん、ちょっと用事があるんだ・・・」

私は少しぞんざいに言葉を残して部屋を出た。


外では二ノ宮が車を停めて待っていた。

「二ノ宮、今日はここで帰ってくれ。少し歩きたいんだ」

「わかりました。ではまた明日、同じ時刻にお迎えにあがります。お気をつけてお帰り下さい」

「うん、ありがとう・・・それと・・・」

「はい、何でしょう?」

「・・・いや、いい・・・」

私は振り返って歩き出した。

さっき私は、二ノ宮に何を言おうとしたのだろうか。いや、特別に言うことがあった訳じゃない。

なにか、心のどこかの虚しさを、二ノ宮に解って欲しかったのかもしれない。

でもそれを、人に言ったところでどうなる訳でもないし、どう言ったらいいかわからなかった。

それから30分ほど歩き、私は駅前についた。そこは、私があの少女と出会った駅だった。

「ここから始まったんだな・・・私の突欲が・・・」


そう言えば、あの少女はどうしているだろうか?

海で溺れて家族が迎えに来てくれたのだろうか?

朝になれば、またこの駅のホームに立っているのだろうか?


そのどれもが不明のままだし、そのどれもが不明のままで良いのかもしれない。

これ以上、私があの少女に対して接点を求めることに意味はないだろう。

良い言い方をすれば、あの少女のおかげで今の私があるのだから、それでいいじゃないか。

今の私は充実しているし、満足しているはずだ。満たされてないものはない。

間違いなく一流の人間に近づいてきているのだ。けして以前のような三流ではないのだ。


「よう、河合か?!」

考え事をしていると、誰かが私を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、そこには知っている顔があった。

「山根・・か?」

「そうだよ河合!久しぶりだなぁ、こんなところで会うなんて!」

「いや、驚いたよ、山根もこの町にいたなんて」

「それはこっちのセリフだよ。おい、元気でやってたか?」

「ああ、もちろんだとも」

「そうか、そうか。どうだ?再会した記念にイッパイ?」

「お、いいねぇ、行くか!」


久方ぶりの親友との再会。それは突然にして偶然だった。

この男、『山根徹(やまね とおる)』とは、中学生からの付き合いだった。

私が就職で田舎を出るまで、よく酒を飲んで語りあった仲だ。

私は、駅通りの居酒屋を選んだ。居酒屋は騒がしいので好きではないが、あまり高い店に入るのも、相手の同意を得られにくいと思ったからだ。幸い時間的にも遅い時間なので、客はそれほどいなかった。


「ここでいいか?」

私が山根に聞いた。

「ん、ああ・・まぁいいんじゃないか」

山根は、少しばかり不満気だったように感じた。

とりあえずビールを注文し、焼き鳥とおしんこを頼んだ。山根は相変わらず豪快に酒を飲んだ。

「ぷはっ、うまい!」

「ははっ、あいかわらずの飲みっぷりだな、山根は」

「これがなくちゃぁ生きていけませんよ!」

「それより山根、いつからこっちにいるんだい?」

「住んでいるのは梅山町さ。河合は?」

「それじゃあ俺と反対方面だな、俺は渋川町だから」

「そうか、じゃあここの駅が中間地点だな。お、そういえばよ・・・」

山根が私に顔を近づけてきた。

「俺、最近、駅で松下を見たぜ」

ドキリ。


最近、私は松下と会っていない。仕事のかけもちで忙しくて会う暇がないのだ。

・・・というのは言い訳で、あまり松下とは会いたくなかった。

悪いヤツじゃないのだが、どうにも私と波長が合わない部分があるのだ。

前にバーで首吊り死体のフリをして騙した時など、冗談にしては行き過ぎなところがあったからだ。

だから私は、自然に松下を避けていたのかもしれない。


「で、どうしたんだ?何か話したのか?」

もし、山根が松下と会っているなら、当然、私のことも話しただろう。

私が裏の仕事の社長をしているのも知ってしまったのだろうか?

「いや、声もかけなかったよ。俺、実はあいつのこと好きじゃないんだよ~」

山根は、起伏のある顔でイヤな気持ちを表現した。

こいつの顔は感情によって、百面相のように大げさに変化するのでわかりやすい。

「そ、そうか・・あ、あいつもこの町にいるのかぁ」

私はワザと、松下の事を知らないふりをした。

「あいつは悪いヤツじゃないんだけどさ、なんていうか、波長が合わないっていうか」

山根の言葉に驚いた。まるっきり私と同じ気持ちだったからだ。

「山根もそう思うか!いやー、実は俺もそう思っていたんだよ!」

「河合も?やっぱそうだったか」

「そうだったかって・・何で知ってたんだよ」

「いやさ、河合って顔にストレートに出るからさ、松下のことキライだってすぐわかったよ」

どちらかと言うと、私は無表情な方だし、感情を読み取られまいと、あえて顔にださないようにしていた。

しかし山根は、私のささいな表情からそれを読んでいたのだろう。さすが旧友だ。

「おまえに言われたくないよー、山根のほうが顔に出るって、ぜったい」

「何いってんの、俺はどちらかというとクールだぜ?」

「うそつけ!わはは!」

「そうかな?あははは!」

笑いの絶えない時間が続き、その夜は、久しぶりに楽しい酒を飲むことができた。


それを機会に、私と山根は、一週間に一度はこの駅で会って酒を飲むようになった。

仕事のことを聞くと、保険会社の支店長をやっているらしい。

私は、いちおう課長をやっているとだけ言っておいた。裏の仕事のことは知られたくなかったからだ。

山根は、仕事のことをあまり話したがらなかった。まぁ、それはお互い様なので、私も詳しく聞かなかった。


「社長、最近ご機嫌が良いですね?」

「ん、そうか?まぁな、ちょっと楽しいことがあってな」

二ノ宮が車の中で、私にそう話しかけてきた。

実際、山根と会ってからは、私の寂れていた気持ちが明るくなったと思う。

旧友との他愛のない語らいが、これほど自分を元気づけるとは、やはり持つべきものは友なのだ。

今日も、山根と待ち合わせて飲む約束があった。

私の心はうきうきと弾んでいた。女よりも、金よりも、旧友との語らいは楽しかった。

お互いが素の心を出せる関係というのは良いものだ。大げさに言えば素晴らしいことだ。

今までは安い居酒屋で飲んでいたが、お互いが仕事で役職についているので、今回はもう少し豪勢に飲もうと決めてあった。

まずは、私のお気に入りの料亭を紹介しようと、そこで待ち合わせした。

「二ノ宮、いつもの料亭だ」

「はい」

しばらく車を走らせる。今夜はばかに星が綺麗に見える。少し肌寒かったが、私は車の窓を開けた。

乾燥した風が顔につっぱって心地よい。いい夜になりそうだ。

「どうした、二ノ宮?」

ルームミラー越しに、二ノ宮が私の顔をちらちらと見てきた。

「いえ、あの・・本当に良かったです」

「何がだ?」

「差し出がましいでしょうが、ちょっと前までの社長は、どこかお疲れでいらっしゃいました。でも今の社長は、とっても良いお顔をしていらっしゃいます」

「そうか・・やっぱり顔に出るものだな・・・心配させてしまってすまんな」

「いえ、そんな。もったいないお言葉です」

「ははは、大袈裟だな、おまえは」

「いえ、本当です。今の私がいるのもすべて社長のおかげですから」

「そんな事はないさ、実際、おまえはよくやってくれている」

「ありがとうございます。私は、どんな形であっても社長に恩を返して差し上げたいのです。私に出来る事であれば何でもするつもりです」

「そうか・・ありがとう、二ノ宮」

「いえ・・」

「変わった。いや、変われたんだな、おまえも」

「・・・は、はい・・おかげ様で・・あ、ありがとうございます・・・」

「良かったな、二ノ宮」

「よして下さい、社長・・・でないと、わたしは・・わたしは・・・」

ルームミラー越しに、二ノ宮の目は涙で潤んでいた。

数ヶ月前までは、自分の運命を呪い、全てを他人のせいにして腐敗していた心。

それが今では、清らかで純真な心に変わりつつあるのを、私は実感していた。

自分の部下、いや弟子のような存在。その人間が成長していく様を見るのは、どこか嬉しいものだ。

人は変われるものだ。気持ち次第でいくらでも変われるのだ。

(本当に良かったな、二ノ宮・・・)

不覚にも、私の涙腺も少しばかり緩んでしまったようだ。



料亭の前に到着すると、入り口の前に誰かが立っていた。

「あれ、どうしたよ河合?そんな高級車に乗っちゃって」

それはなんと山根だった。まずいところを見られてしまった。

「あ!いや、これはその・・たまたま知り合いに乗せてもらったんだよ。な、なぁ二ノ宮さん?」

「あ、そ、そうですね・・じゃなくてそうだな!」

「ふ~ん、そっか。どちらかというと、そちらの人はお抱え運転手に見えるがな」

「ば、バカ!失礼なこと言うなよ、この人は、しゃ、社長さんなんだから!」

「そうなのか?それは失礼」

「いえいえ、どういたしまして・・じゃなくて、まぁいいよ!じゃ、じゃあな河合!」

そう言って二ノ宮の車は、そうそうと走り出していった。

まさか店の前で山根と会うとは思わなかったな。今度からタクシーでこなければ・・・

そんなこんなで多少のトラブルもあったが、料亭に入った私と山根は、いつものように酒を酌み交わした。

「なかなかいい店だなぁ、どこで知ったんだよ?」

「いやぁ、アップルちゃ・・じゃなくて、接待の時にたまたま連れてきてもらったんだよ、ははは」

「アップル茶?なんだそりゃ?ま、いいや。とにかく俺もこの店が気にいったよ。今度、女房でも連れてくるか」

「ひとみちゃ・・いや、奥さんは元気か?」

「ああ、まぁな。でも最近はうまくいってないんだよ。いわゆる倦怠期ってヤツかな、ヤバイかも」

「な、何言ってんだよ、山根!うちだってそうだよ、もうほとんど別居状態だよ!」

「そうか、お互い大変だな」

奥さんの事を話す山根はどこか寂しげだった。

いや、私も同じように寂しげだった。だが私よりも、どこかもっと奥深い悩みのように思えた。


山根の奥さんを、私は知っている。

高校時代、山根と付き合っていた女性が今の奥さんだ。

『柊日登美(ひいらぎ ひとみ)』

名字が一文字で、名前が三文字なのが特徴だった。

ひとみちゃんは綺麗で美人なのだが、男性の友人の付き合いが広かった。

まぁ、美人の特権ってヤツだ。

山根は嫉妬深いので、それをかなり気にして悩んでいた。

「俺という彼氏がいるのに、他の男とも遊んでいるのは、はたして浮気なのだろうか?」

「肉体関係さえなければ、何をしてもいいのだろうか?俺はそれが納得できない!」

「あいつが他の男と遊んでも、俺は絶対にあいつ以外の女とは遊ばない!」

山根はよくそんなグチをこぼしていた。山根はそれほどまでに真面目で純粋な人間だった。

しかし、それが災いしてか、どうやら今もその性格は変わってないようだ。

たぶん私にはわかる。

今でも山根は、奥さんのそんな性格を、心のどこかで嫉妬しているのだ。

いくら美人な女を奥さんにしたところで、羨ましがられるのは一緒に歩いている時ぐらいだ。

その一瞬の優越感を得るために、ずっと自分を押し殺し、悩みながら葛藤していかないといけない。

そう思うと、男と女の恋愛とは何であろうか。その答えが出ないまま、ただ悩んでいくしかないのか。

私は、自分の妻には何の恋愛感情も抱いていない。出来れば視界にすら入れたくないほどだ。

だが山根は、今でも奥さんを愛しているのだろう。恋女房を持った男の性。

さっきの切なげで淋しげな山根の態度で、それがわかった。

それでも、奥さんを幸せにしてあげたい一心で、一生懸命仕事をして支店長になれたのだろう。

そんな山根の性格を、私は痛いほどわかっていた。


山根の心の闇は、一生晴れることはない・・・

あまりにもいいヤツすぎる性格が、彼を苦しめる。

私は高校時代、一度だけ、ひとみちゃんとデートをしたことがある。もちろん山根には内緒だった。

ひとみちゃんが私に関心を見せたのは、ほんの気まぐれなのはわかっていた。

だが、私だってひとりの男だ。キレイな女性を連れて歩いてみたい。

私はその願望を抑えきれず、友人を裏切ってしまったのだ。

そして私の童貞は、彼女によって奪われた。それもささいな気まぐれだったのだろう。

私は後悔に苛まれた。親友の彼女と寝たという現実に。

その後、私とひとみちゃんがデートしたことを山根は知ったが、怒ることなくこう言った。

「またか、しょうがないな。ははは・・」


その時の淋しげな顔は、さっきの山根と全く同じだった。

だが、彼女と寝たことは、山根は知らないだろう。

私は、もう今までのように、臆病者でいるわけにはいかないのだ。

大切な友人関係をこれからも築いていくには、それを謝罪せねばならないのだ。

高校時代の罪を、いまさら償おうとするのは虫のよい話かもしれない。

だが、このまま黙って隠し通すことの方が、さらに罪が深くなるだろう。

隠し事をウソで貫き通せば、確かに誰も傷つきはしないだろう。だがそれは、偽りの平和でしかない。

真実をさらけ出し、困難を乗り越えたところに、人の本来の心というものが形成されていくのだと思う。

私は、山根に本当の事を言おうと決意した。


「山根、あのな・・・実はおまえに謝らないといけない事があるんだ・・・」

「どうしたよ、あらたまって?」

「じ、実は・・・その・・・ひとみ、いや奥さんのことで・・・」

私は山根の顔をじっと見た。

今の私は、捨てられた子犬のような寂しい目をしているのだろう。

山根の目の色がキュッと変わったのがわかる。察しのいい山根は、私がこれからどんな事をいうのかわかっているようだった。そして、ふんと鼻息をひとつするとビールを一気に飲み干した。

「わかってるって!」

「え?」

「今日はサイフ忘れたから、オゴってくれって言うんだろ?どうだ当たりだろ、河合!」

山根はそう言って、私の肩に手をポンと置いた。そしてそのまま、私の顔を見てニッコリ笑った。

「・・・山根・・・」

私はそれ以上、声が出なかった。

山根は全てを理解していたのだろう。それなのに、ワザとこんなウソを言ってくれたのだ。

私の目から涙がこぼれた。こんな良いヤツを親友に持てたことにうれしくて泣けた。

山根はニッコリ笑ったまま、私のグラスにビールを注いでくれた。



今、私は駅のホームにいる。

山根が反対方面の電車に乗るので、私も電車で帰ることにした。

空の星が一段ときれいに見える。

それは、私の心が晴れやかになった証拠だろう。

あれから店を何件かハシゴして、私も山根も気持ちよく酔っ払った。

友人とは良いものだ。過ちを許してくれる親友とは本当に良いものだ。

そう素直に思える自分が心地良かった。

私は、反対側のホームの山根を見た。すると山根もにっこりと微笑み返してくれた。

これからもずっと続いていく親友関係。

それは、どんな宝物よりも貴重なのかもしれない。

金よりも、女よりも、貴重な存在なのだ。


しかし、突然、山根の体がぐんにゃりと霞んで見えた。私は驚いて目を擦った。

これはどうしたことだろう?何故あれが見えるのだ?

これは間違いない!私が以前、電車の中で見たモヤだ!

あの時は、妻に離婚を言われ、精神が激しく乱れていたから見えたモヤなのだ。

それなのに、今の正常な精神状態で、あれが見えるはずがない!

あれは以前の私の心の闇なのだ!私はあれを取り払うことが出来たのだ!

だからもう、見えることなどない筈なのだ・・それなのに何故だ?!何故また見える?!


そこに、貨物列車がやってきた。

私は気がつかなかった。山根の後ろに、不審な人物がいることを。

その不審な人物に、山根は背中を押され、そして列車に轢かれた。


私はそれを、何もできずに見ているしかなかった。

大切な親友が、この世からいなくなる瞬間だった。

そして、私は知らなかった。

そこに、あの少女の姿があったことを・・・

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