第11話 突鎖
十一章 『突鎖』
今なんと言った?
みそのクンの口から出た、まさかの言葉、『アップルちゃん』
一体どういう事なのだ?何故、みそのクンがアップルちゃんの名前を?
そして、破られたドアの向こうに立っているのは、まさしくアップルちゃん本人であった。
白いタキシードに白い帽子、口にくわえた葉巻。そして手にしているのは、なんと機関銃であった。
硝煙が立つ銃口の先に、ふっと息を吹きかけ、ニヤリと笑うアップルちゃん。
その姿はまさにギャングを彷彿とさせた。
カッコイイ・・・
こんな状況で、なんともふざけた感想だが、私はそう思ってしまった。
「アップルちゃん!」
「ようシュウちゃん、どうでぇこのカッコ?決まってるかい?」
アップルちゃんは、私の前まで近づいて、自分の格好を自慢げに見せびらかした。
「ああ!さ、最高にかっこいいよ!」
突然現れたヒーローに、私は武者震いするほどシビれた。
「ホントはもうちょっと早くこれたんだが、ギリギリで登場した方が盛り上がると思ってな」
どうにも憎らしい演出をするなと私は思った。
あれ?だが待てよ・・・
さっき私がアップルちゃんに電話した時は通じなかったのに、何故、私がここにいてピンチを迎えているのがわかったのだろうか?
私は不思議な顔つきでアップルちゃんの方を見た。
すると、アップルちゃんの口元から金歯がピカリと光る。
「ははは、何でここに来たのかって顔してるな、シュウちゃん。それはあのお嬢さんに聞いてみな」
え・・・?やっぱり・・・さっき、みそのクンの言った言葉は聞き間違いではなかったのだ。
みそのクンはアップルちゃんの事を知っている・・・そしてアップルちゃんもまたしかり。
だがどうして?普通の社会人であるみそのクンが、普通の社会人とは住む世界の違うアップルちゃんを知っているのだろうか?だって、機関銃を持っている社会人などいるはずもないのだから。
そこに接点などあろうはずもない。私はみそのクンに、その理由を尋ねてみようとした。
「き、貴様!な、何者だッ!」
その時、しばらく驚いたまま固まっていた課長が叫んだ。
あまりにもそのセリフを言うタイミングが遅すぎて、逆に課長が滑稽に見えた。
だが、それも仕方ない事だ。
だって街中で、機関銃を持って入店する客など誰ひとりとしていないのだから。
あ、いや、客というのは不適切か。とにかく、突然の出来事で驚いた課長達は、やっと自分達の置かれている立場が逆転している事に気付いたようだった。
「お、おい!なんとかしろ!おまえ、それでも本物のヤクザか!」
課長は、立ちすくんだまま何も出来ない大男に向かって叫んだ。やはり、この大男はヤクザだったようだ。
だが大男は、アップルちゃんの顔を凝視したまま動けない。
そればかりか、大男の顔から油汗が大量ににじみ出ているのがわかった。
・・あたりまえだ。いくらアップルちゃんが老人とはいえ、機関銃を持った相手に警戒しないはずがない。
いくらヤクザの度胸が据わっているとしても、それは無理のない話だ。
「い、いけない・・・そ、そんなもんをここに持ち込んだら・・・い、いけない」!
ヤクザの大男は、意外にも優しい口調で言葉を発した。
大きな体からは、なんとも想像のつき難い優しい声だった。
「ほほう、あんたは優しそうじゃのう。だがそれで、よくヤクザなんぞやってられるのぉ、ふぉふぉ!」
アップルちゃんは、大男に向かって指をクイクイと招き、小馬鹿にした態度で挑発した。
「うう・・!お、オラをナメるんじゃねぇぞ!お、オラ・・オラは強いんだぞ!う、うおォオっ!」
アップルちゃんに向かって突進する大男。あの巨体で体当たりされたら危険だ!
ガガガガガッ!
アップルちゃんの機関銃から火が吹き、大男の右腕が半分吹き飛んだ。
「うっぎゃあああぁぁぁッ!!」
ちぎれた右腕から血しぶきが飛び、原型を留めない肉片が、私の足元にベチャリと散乱した。
悶絶しながら床に倒れこむ大男。目をあさっての方向に向けながら、絶叫をひたすら続ける。
「おんや、おんや!ヤクザのくせにそれっくらいで声だすなや。うるっせぇなぁ・・・」
ガポァ!
アップルちゃんは、黒くテカテカと光る革靴を、勢い良く大男の口にガボリと突っ込ませた。
「うごおッ!うう・・!」
口内に、容赦なく革靴を挿入された大男は、声を出せないまま涙を流して苦しんでいた。
「ははは、泣き虫はさっさとおねんねしてな。よっと!」
アップルちゃんは、手にした機関銃の角を、大男の首筋に振り下ろした。
「ごがぁッ?!」
延髄を強打された大男は、そのまま白目を向いて失神してしまった。それとも死んでしまったのか?
「やれやれ、だらしのない男だのぉ」
アップルちゃんの一連の動き。私はそれを目の当たりにして見たが、なんというか全てが洗練された動きに見えた。それは喧嘩百戦錬磨を思わせる、無駄と躊躇のない、スマートな動きであった。
それが、ひとりの人間の身体を破壊する行為であっても、そこに美学が感じられた。
私はその動きにしばらく見とれてしまい、それに気付いたアップルちゃんはこう言った。
「どうでぇ、シュウちゃん、キマったかい?」
私は思わず、無言のままコクコクと何回もうなずいた。
それは、子供の頃からあこがれていた、変身ヒーローを見るような、または野球のスーパープレイヤーを見るような、そんな眼差しに似ていた。
窮地に陥っていた私にとっては、店内で機関銃をぶっ放そうが、腕をむしろうが、革靴を口に突っ込もうが、どんなに酷い悪役を演じても、私の目には正義以外の何者でもなく映った。
課長はあまりにも壮絶な状況に、腰が抜けてしまいへたり込んでしまったようだ。
「こっちの男も情けねぇヤロウだな。じゃぁコイツで、と・・・・」
アップルちゃんは、タキシードの中から、鎖のようなものをジャラリと取り出した。
それはチェーンのように太くはなかったが、いかにも丈夫そうな鎖だった。
なんというか、『その類の専用』というか、縛る事に重点を置いたような鎖だった。
アップルちゃんは、怯える課長をそれでグルグルと縛ると、課長の背中を蹴って無造作に転がした。
「ひえぇ!命だけはお助けを!」
時代劇でよく聞くセリフを叫び、課長は命乞いを始めた。
なんとも時代錯誤なセリフではあるが、今の状況ではこれ以上なく適していた。
だがアップルちゃんは、その言葉に耳を貸すこともなかった。
横たわっている課長の顔に足をグリリと乗せ、腰に手を当て、満足そうな笑みでニッコリと笑った。
「今度騒いだら、こいつの弾丸を喰らわせたるぜ?」
アップルちゃんは、課長の口に、機関銃の銃口を突っ込んだ。課長は恐怖のあまり、失禁してしまった。
「これでやっと、私の復讐も終わるわ・・・」
カタン・・・
今まで、ずっとカウンターに座っていたみそのクンが、ゆっくりイスから立ち上がった。
「ふ、復讐だって?・・・みそのクン、い、今なんて・・・?」
私には信じられなかった。あの、純粋で清らかなみそのクンが、『復讐』という言葉を使ったことを。
そして、疑問は尽きない。
何故、みそのクンは課長の誘いに乗ったのか?
何故、アップルちゃんがここに来るのを知っていたのか?
「みそのクン・・・教えてくれ。きみが何故、ここに来たのか。そして、何故アップルちゃんを知っていたのかを・・・・」
出口のドアの前で、みそのクンは立ち止まった。そして振り返る事もなくこう言った。
「・・・教えません。だって、河合さんにも、まだ復讐がすんでないですから・・・」
みそのクンは、怯えきって震える課長を横目に、鼻でクスリと笑うと、そのままボロボロになったドアを開けて去っていった。
呆然。
・・・というか、意味がわからない。私に対しての復讐?
何を?いつ?誰に?
私は開いた口が塞がらなかった。
よりによって、みそのクンの口にした言葉の意味は、はたして真意なのか冗談なのかも判別つかなかったからだ。
私はアップルちゃんに、助けを求めるような顔をした。だが、アップルちゃんは、首の後ろに手をまわし、いかにも言い辛そうな表情をして困っていた。
アップルちゃんの表情から、かなりの訳ありなのだと感じた私は、あえてそれ以上聞くのをやめた。
「さ、飲みにでもいくか、シュウちゃん」
「で、でも、この場はどうするんだい?それにこんな事をして大丈夫なのかな・・・」
私は、店内の散散たる状況を見回した。
いくら私が監禁されていたとしても、相手の腕を機関銃で打ち砕いて良い道理はない。
今は失神しているのか死んでいるのかわからない状態だが、もし生きているとすれば、出血多量で死ぬのは目に見えている。早く病院に連れていかなければ。
「大丈夫、大丈夫~♪」
アップルちゃんは、のん気に機関銃を肩に掛けながら言った。そしてそのまま店の外へ出た。
私もアップルちゃんを追いかけるように店の外へ出た。すると、道路の脇には黒い高級車が一台止まっていた。それは日本でも数台しか走ってないという、とてつもなく高額な高級車だった。
そしてその横には、黒いスーツを着た、いかにもガラの悪そうな男が2人立っていた。
「さぁ、乗ってくれよ、シュウちゃん」
なんと、アップルちゃんは、その車に乗れと言ってきた。
この車の持ち主がアップルちゃんということだろうか?
アップルちゃんが先に車にドカリと乗り込んだ。そして手でクイクイと手招きしてきた。
私は恐る恐る、その高級車に乗り込んだ。
バタム!
重厚な音でドアが閉まると、車内はピシャッとした不思議な静寂に包まれた。
これが高級車特有の室内かと、私は始めての経験で驚いた。
車を所持したことのない私でも、タクシーなどの乗用車とこの車の作りが、雲泥の差ほどあるのだとすぐにわかった。
運転席にも黒いスーツの男が座っていた。差し詰め、この男が運転手なのだろう。
「店ん中の男な、アイツをあの場所につれていけや。あとはテキトーにまかせるわ」
アップルちゃんが、黒いスーツの男にぞんざいに命令した。
「あ、アップルちゃん、あの場所っていったい・・・課長をどうするつもり・・・」
「なぁ~に、シュウちゃんは心配せんでもええよ。別に命とろうって話じゃないから」
「で、でも・・・」
私はそう言い掛けてやめた。これ以上は、もう私の常識の範囲外なのだと思ったからだ。
正直、課長は憎らしい男だが、あんなに怯えてしまって少し可哀相に感じた。
「はは、シュウちゃんはやさしいのぉ。でもワシは、シュウちゃんのそういうとこが好きじゃ!」
「あ、ありがとう・・・アップルちゃん」
私は少し苦笑いした。
「さて!みんなも待っている事だから、早く飲みに行こう!ワシはこの日を楽しみにしていたんじゃよ!ほほほ!」
アップルちゃんは、子供のようにはしゃいで喜んでいた。何がそんなに嬉しいのだろうか?
ひょっとして、この私と会うのを楽しみにしていてくれたのか?
現に、アップルちゃんと会うのも、一ヶ月ぶりだ。
いや、そうではないだろう。たぶん、仕事か何かが忙しくて、飲みに出かける時間もなかったのだろう。
それで、今日ひと仕事終えて、やっと飲む時間が出来たのが嬉しいのだろう。
ひと仕事・・・
それにしても、こんな立派な高級車を運転させている、アップルちゃんとは何者なのだろうか?
機関銃をブッ放し、人を半殺しにして脅すのが仕事・・・なのか・・・?
私の額から、冷や汗が垂れた。
さっきの店でのヤクザにも、微塵も怯む事無く、微塵も容赦する事無く、機関銃を乱射した。
そんな事をしたら、警察に逮捕されるのがこの日本での当然の法律だ。
それはアメリカでもどこの国でも同じだろう。それなのに、あれだけハデに騒ぎを起こしても、警察どころかヤジウマさえ集まってこない・・・ということは、このアップルちゃんという老人、ケチなヤクザよりも、日本のお上である警察よりも権力を持っているということだろうか?
バカな・・・漫画じゃあるまいし、そんな世界があるはずがない。
警察よりも権力をもった一般人などいるわけがない!
・・・しかし、それではこの状況を、一体どうやって説明できるのだ?
私は、アップルちゃんの顔を横目でちらりと見た。
「シュウちゃん・・・言いたいことはわかるが、今は何も聞かないでくれや・・」
「あ、う、うん・・・」
アップルちゃんには、私の考えはお見通しのようだ。
それに聞かれたくない訳もあるようだし、私もこれ以上、詮索するのはやめよう。
今夜、アップルちゃんが来てくれなかったら、私は大変な事件に巻き込まれていたのだから。
それを助けてくれたアップルちゃんに、今は素直に感謝しよう。
「アップルちゃん、さっきは助けてくれてありがとう」
「なぁに、困った時はお互い様じゃ。はは、照れくさいのぉ」
アップルちゃんは、頭に手を当てて照れくさそうにした。この気さくなところが、人間味があって私は好きだ。
特にいばらず、特に見返りを求めず、友人感覚で接してくれるアップルちゃんは、私にとって大事な人間だと思った。
仕事上の付き合いでは、なかなか親身になって物事を打ち明けられる人間はそうはいない。
アップルちゃんとは、出会ってからわずかな期間でしかないが、そんな事は関係ない。
自分にとって会話しやすく、一緒にいやすく、困った時には助けてくれる。それでいて損得を求めない。
これが本当の、『友情』ではないかと思う。
今の私のまわりには、そんな友人はひとりもいない。
全てが、自分にとって都合の良し悪しで付き合っているだけである。
会社の上下関係という複雑な派閥争いの中で、相手と気が合ったからと言って、その人が自分にとってマイナスになれば関わりたくないものである。
虚しいかな、それが会社の人間関係。
そこに、『何故?』という疑問を持っても、それが『当然』だから仕方がない。
友達を作りたくて会社に行っている訳ではない、金を稼ぎに会社に行っているのだから・・・
キキィー・・・
多少、乱暴な運転であったが、アップルちゃんは何も言わなかった。
それはそうか、機関銃を乱射するほどの人間には、これくらい豪快な運転の方が楽しいのだろう。
アップルちゃんの性格は、たぶんそうなのだろうと思った。そしていつものバーに到着した。
「よっしゃぁ!今夜は飲むぞぉ!」
アップルちゃんは飲む気まんまんのご様子だ。スキップをしながら、軽い足取りで店のドアを開ける。
「よう、お待たせっ!」
私も店内に入ると、いつものように、たったひとつだけのテーブルに、誰かが座っていた。
そこにいたのは朱雀江さんだけだった・・・松下はいないようだ。
「やっとお集まりのようね。レディーを待たせるなんてヒドイわよ、河合さん?」
朱雀江さんは、ビシッとしたスーツ姿に、サングラスをかけていた。いつもながら格好の良い女性だ。
「あ、い、いや・・・すいません・・・」
別に待ち合わせをした訳ではないのだが、私は反射的に謝ってしまった。
「ははは!とにかく酒だ!酒もってこいや!」
アップルちゃんが指をパチンと鳴らすと、口髭のマスターが、高そうな酒をボトルで持ってきた。
それを私のグラスにトクトクと注いでくれた。氷も何も入れないストレートだ。
この酒は、アルコール度数が強いわりに、飲み口が非常にまろやかだ。
何というか、甘くてトロリとした液体であり、やさしい舌触りなのだ。
それに、安酒のように、むせるようなくどさが微塵も感じられないのが特徴だ。
私も、アップルちゃんオススメのこの飲み方が気に入っていた。
この酒は、氷も水も一切入れずに、そのままを口に含むのが一番美味しい飲み方だと思った。
これを水で薄めてしまえば、酒の風味を殺してしまう。
安酒しか飲んだ事のない私でも、この酒がいかに高級なのかはわかる。
「じゃ、カンパーイぃ!」
キャリン♪ グラスとグラス同士が共鳴し、小気味良い音を奏でる。
こくこくとした液体が喉を潤す。頭のてっぺんが透明化したような清涼感が突き抜ける。
「ぷはぁ、ウマい!」
私は、思わずそう声を出してしまった。
それを見たアップルちゃんは、ニコニコとしながら酒をついでくれた。
そして、アップルちゃんがグラスを空にすると、今度は、私がアップルちゃんに酒を注いでやった。
アップルちゃんは、それを嬉しそうに見ながら、グラスを口にグイと運んだ。
「うふぅ!ホント、うまいのぉ!」
アップルちゃんも、万遍の笑みを浮かべながら酒を飲む。金歯がキラリと光る。
「いいわね・・男のヒトって」
それを見ていた朱雀江さんが、ワインを上品に飲みながら言った。
「ははは!男っていうのはこういうもんじゃ!なぁシュウちゃん?」
「ああ、そうだね。いいものだね、男って!」
私は心底本音でそう思った。今の時間、今の雰囲気、そして、友と酒を交わす瞬間がたまらなく嬉しい。
私は酒を何杯も飲み、そして何杯もアップルちゃんのグラスに注いだ。
その行為がなんとも心地よかった。普段、会社でする接待とは全く違う感覚だった。
接待では、取引先の先方にお世辞やおべっかを使いながらの飲みだった。
取引き先を楽しませ、気分良くさせるのが当然の勤め。それが仕事における、『接待』なのだ。
だから、当然、自分にとっては楽しくもなんともないお酒なのだ。
それを、さも楽しそうにつくり笑顔で終始いなければならない辛さがある。
行きたくもないカラオケスナックで騒音もどきの歌を聞かされ、歌いたくない歌を歌わされたりする。
行きたくもないフィリピンパブで、フィリピーナと飲まなければならない時もある。
臭い香水を浴びながら、カタコトの日本語に合わせて楽しそうに笑わなければならない時もある。
そんな『嫌な行為』を、我慢することが接待であり、それが仕事であった。
だが今は違う。知り合って間もない相手であろうが、お互いが気持ちの良い空間を共有できる事こそが喜びなのだ。私は、アップルちゃんと知り合う事が出来て、本当に良かったと思う。
「河合さんは、すっかりアップルちゃんと仲良しね」
「そうだろ、そうだろ、羨ましいだろ!ははは!」
アップルちゃんは、すっかり上機嫌だった。顔を真っ赤にしながら、グイグイと酒を流し込んでいた。
「河合さんもお酒好きだし、アップルちゃんとはウマが合うみたいね」
「ははは!そりゃそうじゃ、ワシらはもう恋人以上の関係なんじゃからな!シュウちゃん!」
「あ・・そ、そうだね。あはは」
私は引きつった笑いをした。だが、恋人同士という言葉には、多少わだかまりを感じた。
「なんじゃその顔は?ワシと恋人だとイヤだってのかい?」
「い、いや、そんなことはないよ」
アップルちゃんがめずらしく私に絡んできた。私は少し焦り返答に困った。
私にとっては、アップルちゃんは良い飲み仲間であるのは確かだ。
だが、しかし、得体の知れない部分もあるのも確か。
そこを私は知りたいのだが、聞きたくても聞くに聞けないのが我ながら情けない。
「そういえば覚えているかしら、河合さん?」
そこにタイミングよく、朱雀江さんが話しに割って入ってくれた。
「え?何ですか?」
「この前のハナシ。社長になる気はないかって話よ」
「あ・・!」
突然切り出された話に、私の胸がドクンと脈打つのを感じた。
ずっと気になっていた話だっただけに、思わず詳細を聞き出さずにはいられなかった。
「そ、それってどういう意味なんですか?よりによって、私みたいなサラリーマンが社長だなんて・・・」
アップルちゃんは、私を横目に見ながらグラスを傾ける。
朱雀江さんは、少し黙ったまま、ワイングラスをテーブルに置いた。
「ここからは真面目なハナシよ?いいかしら、河合さん?」
朱雀江さんの表情がキリリとしたのがわかる。
いいかげんな態度で話を聞くのは失礼に値するので、私も姿勢を正してネクタイを締めなおした。
「うふっ、そんなにカタくならなくてもいいのよ。話は簡単、あなたにある会社の社長になって欲しいの」
「!・・・・・・・・」
私は、次の言葉に詰まってしまった。「はい、いいですよ」と簡単に答えることなど出来ない。
だって、能力の乏しい、しがないサラリーマンの私が、会社の社長だなんてとても想像できないからだ。
「ふふ、返答に困っているようね?まぁ、それは仕方ないわ」
「はぁ、す、すいません・・・」
「よく聞いて、河合さん。世の中にゴマンといる『社長』という人間は、どういう人種なのかおわかり?」
「・・社長という人種・・・・」
「この世の中には、会社の数だけ社長がいるわ。でも、その8割はダメな人間なのよ」
「え?」
8割がダメな人間だって?・・・社長をやっているのに、何故ダメな人間なのだろうか?
私は、今までそんな事を考えたことはなかった。
社長というのは、偉くて、いばって、金持ちのイメージがあったので、ダメな人間というイメージはなかった。
社長というのは、生まれながらに仕事の才に長け、人を引っ張っていくリーダー的素質がある人だと私は思っていたからだ。
「会社の社長というのは、一番に利益を考えないといけないものよ。でも、お金だけに執着してしまった人間は、それ以下でしかないわ」
「は、はぁ・・・」
私は、朱雀江さんの言葉の意味が全然理解できなかった。
「さて河合さん、あなだったら、お金だけに執着してしまうのかしら?」
「え、う、う~ん・・・」
仕事をしてお金を稼ぐのは当然だ。だが、全ての物事よりもお金が大事だとは思わない。
「どうも私には、ピンとこない質問です」
私は、頭を掻きながら、頼りない返事をしてしまった。
「うふふ、河合さんらしわね。まぁとにかくそういう事で、お願いね」
「はぁ・・・え?!」
「え?じゃ困るのよ、あなたはこれから社長になるんだから」
「ちょ、ちょっと待って下さい。こんな頼りない私が、本当に会社の社長になって大丈夫なんですか?」
「それなら大丈夫よ。河合さんには社長の素質があるもの」
私に?社長の素質?・・・いままでそんなことを想像したこともなかった。
それに、社長になる素質とは、一体何なのだろう?
「とにかくここで考えても仕方ないわ。まぁ、心配なのはわかるから、とりあえず、今の会社はそのまま続けてもらっても結構よ。仕事は、夜の7時から3時間ほどでいいから」
「たった3時間でいいんですか?どんな仕事内容なんですか?」
「ん~そうね・・・口でいちいち説明するよりも、実際にやってみればわかるわ」
そんな、いい加減な・・・私は、朱雀江さんの話に、少し疑いを持ってしまった。
夜の3時間だけの社長なんて聞いたこともない。それではまるで、アルバイト感覚ではないか。
「うふふ、心配そうな顔してるわね、河合さん」
「そりゃそうですよ。何の仕事かもわからないし、たった3時間の仕事で会社が成り立つのか・・・」
「今、河合さんは、たった3時間っておっしゃったわね。じゃあ、あなたの時給はいまいくら?」
「え?時給?・・・いちおう月給なんですけど・・・」
「そうじゃなくて、一ヶ月の給料を1時間単位で計算したら、おいくらぐらいになるのかしら?」
「えっと、ボーナスを入れた年収を12ヶ月で割って、それをを20日で割って・・・さらに8時間で割る・・・あ、残業時間も入れないといけないな・・・ええと・・・あれ?」
私は固まってしまった。
今までこんな計算はしたことがなかったが、思いの他、自分の時給が安い事に気付いたのだった。
「あえて金額は言わなくてけっこうよ。じゃあ社長になって時給が1万円に上がったらどうかしら?」
「一万円?!日給じゃなくて、時給が一万円?そんな夢のような話があるんですか?」
私は、時給一万円という言葉に興奮した。
それはそうだ。一万円という金額は、私にとっては一ヶ月分のお小遣いなのだから。
「やり方によってはもっと稼げるけど、河合さんには、とりあえずそこら辺りの利益を目指して欲しいわ」
「・・・・で、でも、会社を作るのだってタダじゃないでしょう?沢山のお金がかかるんじゃないですか?」
「会社の定款と謄本を作って、それを法務局に持っていくだけよ。設立資金だって、一時的に銀行に口座作って預けて、証明さえ取れればすぐに降ろしちゃえばいいの。あとは印紙代払って、法人税を年に一回、所得税を年二回払えばいいだけよ」
朱雀江さんは、あっさりと簡潔に説明してくれたが、私には、どれも初めての経験で不安が積もる。
「細かいことは、全部私に任せてくれればいいわ。それよりも、河合さんには足りない部分があるわ」
「た、足りない部分・・・」
そりゃそうだろう、しがないサラリーマンの私が社長になるには、足りないところだらけだ。
足りない部分どころか、ほぼ100%抜け落ちている部分なのだろう。
「朱雀江さん、ど、どんな勉強をすればいいんですか?経営学とかですか?それとも帝王学とか・・・」
「うふふ!河合さんったら面白いのね。そんな知識、勉強する必要まったくないし、何の役にも立たないわ」
「じゃ、じゃぁ、何を・・・」
「そうね、とりあえず明日の夜に、私のマンションに来てくれればいいわ。いいでしょ、アップルちゃん?」
「ええよ。サユりんの好きなようにしたらええ」
今まで黙って聞いていたアップルちゃんが口を開いた。
サユりん・・・初めて聞いたが、どうやらアップルちゃんは、朱雀江さゆりをそう呼んでいるらしい。
「じゃあ、後で地図を渡すわね」
朱雀江さんは、サングラス越しにウインクした。まだ呆然としている私。
「さっ、今夜は河合さんの社長を就任してお祝いしましょ!」
「お、ええね。じゃぁ、シュウちゃんの前途を祈って、カンパーイ!」
「ふふ、カンパーイ!」
「どうも、あ、ありがとう・・・・」
私はどうにも腑に落ちなかった。
はたしてこんな簡単に、社長になるなどと約束してしまって良いのだろうか?
そんな簡単になれるものだろうか、社長とは。
それでも、これから起こる予測もつかない出来事に、私自信、何かを期待していたのは確かだった。
アップルちゃんと朱雀江さん。世間一般的には普通ではないこの2人だったら、そんな私の欲求を満たしてくれるのではないか?そんなふうに思えてしまった。
2人が私を祝福してくれるのは嬉しかった。だから私もついつい酒が進んでしまう。
美味しい酒とは、けして酒の銘柄ではないことを実感した。
楽しい時間と楽しい友人がいれば、どんなに安い酒だって、高級酒に変わるものなのだ。
いつまでも、こんな時間と関係が続けばいいと、私は心底そう思った。
そして次の日の朝。
私は昨晩の出来事を思い返しながら出勤すると、課長の机の上には何か置かれていた。
それは花瓶であり、そこには菊の花が生けてあった。
私は声を失った。
それから朝の会議で、昨夜、課長がビルの屋上から飛び降り自殺をしたと聞かされた。
嘘だ!
課長にビルから飛び降りる度胸なんてない。いくら追い詰められた状況だとしてもありえない。
あの男は、姑息な手段しかとれない、臆病な男なのだ。そんな男が自殺なんてするわけない。
あの男の野心は、膨張して膨れあがって暴発寸前なのだ。いや、すでに爆発していた。
だからけして、自分で自分を殺すことなど絶対にしないだろう。
這いつくばってでも、他人を引きずり落としてでも、欲に執着して生きていくハズだから。
だから、これはきっと、誰かに自殺に見せかけて殺されたのだ・・・
一体誰が?・・・私の脳裏にある人物が浮かんできたが、私はそれを払いのけた。
昼休み、私はみそのクンを会社の屋上に呼んだ。
「こんなところに突然呼んで・・その、すまない、みそのクン」
「いえ、それより何の用なんですか、河合さん」
「あの、何と言ったらよいのか・・・課長は、その残念だったね・・・でも」
「河合さんのまどろっこしさにはウンザリです」
「え?」
「あなたのような人が、何故あの人に気に入られたのかわからない。そして、それが悔しい・・」
「な、何の事・・何を言っているんだ、みそのクン?」
「まぁいいです、私は復讐を果たすことが出来ましたから。それで満足です、じゃ」
「待ってくれ!キミは一体どうしてしまったんだ!今のキミの心は荒んでいる。今までのように、清楚で純潔な・・・そんなみそのクンに戻ってくれ!」
「戻る?河合さんって女を見る目がないんですね」
「な・・・」
「私はもとからそんな女ではないですから。河合さんが、勝手にイメージを作っているだけだわ」
「違う!そうじゃない、キミは捨て鉢になっているだけなんだ!無理をして自分を偽っているだけなんだ!」
「・・・・・・・・甘いヒト」
「ちょ、な、何をするんだみそのクン!やめろ!」
「ふふ、私はここから飛び降りることは怖くも何ともないんですよ」
「やめるんだッ!」
「今の河合さんには、私がここから飛び降りる気持ちを理解することが出来ないでしょ?それだけ、私とあなたの考え方には違いがあるんです。わかったような事は言わないで下さい」
「・・・・・・・・」
「復讐を果たした私に、これからの人生の意味はないんです。生きても死んでもどちらでもいい。ただ、あの人にだけは捨てられたくはない」
「あ、あの人・・・」
「あなたもよく知っている人よ」
「私が知っている・・・それはまさか、アップルちゃんなのか?」
「・・・私は・・・男には興味がないの・・・」
私は電車に揺られていた。
現実を素直に受け入れられない私は、全ての物事が虚空であると思うしかなかった。
理解できないことを理解しようとすればするほど、理解のできない理解に気付く。
それは、人という単純な生物から生成される複雑な思念。
息。脈動。絶対的な疎外感。
私は、ただ、私という存在感を忘れるしか術がなかった。
だから、私は電車に揺られているのだった。
夜10時。
私はいま、朱雀江さゆりさんのマンションに向かっている。
そして、エレベーターの中で、昼休みの屋上での、みそのクンとの会話を思い出していた。
一体どういうことなんだ。もう考えれば考えるほど、訳がわからなくなる。
だが、それももうすぐ解決するかもしれない。朱雀江さゆりさんに会えば。
ひとつのあり得ない考えが、もし現実であるならば・・・
私は、ある一室のドアの前に立ち、チャイムを鳴らした。
「よく来てくれたわね、河合さん、どうぞお上がりになって」
ガチャリ・・
私は、恐る恐るドアを開けた。そして玄関を開けた直後の感想。
豪華な佇まいだ・・・
「ちょっと、ちらかってますけど」
そして部屋を見渡した感想。
煌びやかな照明や美術品、どこがちらかっているんだ・・・
都心の一等地なので部屋数こそ少ないが、それでもここには凝縮された絢爛があった。
「さ、さ、どうぞこちらへ」
私は招かれるまま、部屋の奥へと向かった。そして、少しだけ風変わりなドアを開けた。
そこは暗い部屋で、何かツンとするニオイがたちこめていた。
「明かりをつけるわよ、いいわね?」
今の朱雀江さんの言葉の口調は、私に放たれたものではなかった。誰か他にいるのだろうか?
「返事はどうしたの?みその!」
!!・・・なんだって?!この部屋にみそのクンがいるというのか?
朱雀江さんとみそのクンは、どういった関係なのだろうか?
ということは、みそのクンの言った『あのヒト』とは朱雀江さんのことなのか?
「つ・・つけないで・・・」
「今なんて言ったの、よく聞こえなかったわ」
「や、やっぱり・・つ、つけないで下さい・・・」
朱雀江さんとみそのクンが、何の会話をしているのか、さっぱりわからない。
「あなたはその姿を、河合さんに見て欲しいのでしょ、違う?」
「あ、い、イヤ・・・やめて・・・お願いします・・・うぅ・・・」
みそのクンの声は、咽び泣く子犬のように、か細い声だった。
それは苦しくて切なそうに聞こえるのに、どこか憂いのある息づかいだった。
おかしい、この空間はおかしい。
何かどうしようもなく、いけない場に来てしまったと私は直感した。
「さぁ、明かりをつけるわよ!いいわね?いくわよ!」
「ああっ!ダメぇ・・やめて!やめて!」
「ほらほら、そんな事言ってもムダよ!その恥ずかしい姿を、河合さんに暴露しなさいッ!」
朱雀江さんの声のトーンが、物凄い勢いで上がっていくのがわかる。
みそのクンが、嫌がれば嫌がるほど、朱雀江さんは嬉しそうだ。
「ほらッ!もうつけるわよ!それッ!」
「いやいやいや!やめてぇ~っ!」
パッ
裸
鎖
私の眼球を通し、脳に届いてきた最初の情報がそれだった。
そこには、全裸のまま、体中を鎖で巻かれたみそのクンがいた。
ドクン
私の中で眠っていた熱い感情が、今、とてつもないスピードで込み上げてきたのだった。
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