第11話 ダイスの女神は気紛れである

 今日と云う朝も、いつもと変わらぬ他愛ないものだった。村は五月祭の準備に余念がなく、男たちは天の花嫁が通る南櫛灘村に向かう中央道にかけて舗装整備にあたっていた。両村入り乱れての大掛かりな祭りであり、年に何度とない共同作業は煤嶽村観光協会にとって頭痛の種だった。

 予算編成過程に於ける財政所轄部署の担当者、事業課の担当者の間で、毎年この五月祭の是非が論じられる。煤嶽村観光協会は予算見積額調書に観光振興費の名目で計上しているが、数千万単位に及ぶ予算額が果たして適当なのか、煤嶽村観光協会事務部長を務める沙羅悟は、ヒアリングの際、本庁の事務所を所管する事業課の人間と議論を戦わせるのだと云う。

 確かに五月祭は観光客を呼び込むと云うよりも、村全体の豊穣を願って執り行われるものであり、厳かな伝統行事はどこか陰鬱で不合理めいた非日常的な一齣だった。

 それでも毎年ニュースで取り上げられるほど世間では広く認知されていた。天の花嫁に選出された女性は、その年、村を彩る藤棚の紫の如しであり、集まった観光客の喝采を浴びることでいっそう輝きは純度を増して、本来煤嶽村と縁故の醜形さは面を被せたみたく押し黙るのだった。東西から足を運ぶ観光客は両村の大事な収益であり、煤嶽村の物価高は埋め立て地に建てられた世界規模のアミューズメントパークで、夢を見ながら消費される感覚と同種の喜びをつくりだすことに成功した。

 茅堵蕭然とした家々は、この時をもって景観に溶け込み、縄文、弥生時代を彷彿とさせる古の空間を醸成する。藤に後れをとるまいと、山野の草地に生える菖蒲が独自の濃紺色で唄えば、南櫛灘村の狐中と呼称される沼地周辺では、燕子花が哀惜の悲恋歌を奏でていた。

 かかる自然美の外圧は、屹立する木々の梢から漏れ出る光にすら、意味を持たせた。閉鎖的な村の風土が部外者の侵入でもって、天岩戸を押し開くように顔を覗かせた刹那、悪夢は私と私以外の者とを、精緻巧妙に造作された橋で繋ぎ止めようとする。強要する人工的な媒立が結ぶひとつの因果が、運命の歯車を一定の速度から急転させて、ただ災禍の予感を、破滅を、淡く藍の空に滲ませるのだった。

 繊細で脆い者は、この予感めいた暗示に囚われた。

 空に累積する積雲が、日光の支援を受けてまざまざ明暗を際立たせる。日射が地表を敲くと、光の筋を透かして地球大気の化学組成まで視認できそうだった。三笠山に生息する雄のコルリが、色目鮮やかな瑠璃色を背に、倒木上で前奏から雄大に演奏を始めると、風も呼応して山五加木の黄緑色の花を静かに揺らす。

 カシワやトチノキの彼方、朱鷺高等学校へ続く開けた通りに出ると、風雨に曝されて錆びついた、然れど所を得た感じのバス停が見える。脇に杉材を使用した年代物を思わせるベンチがあり、三角波形のトタン屋根は、ペンキが剥がれ落ちて此方も赤黒い錆を発生させていた。

 通学途中、私はここのベンチに腰掛けて、よく休息をとっていた。なんてことはない、一時間に二台しか発車しないバスを、持ち時間を存分に余した棋士がするように、沈思の時間にあてていただけに過ぎなかった。

 どうやら今日は先客が二人あるようだ。

 一人は女子学生であり、端然とベンチに腰掛けて、遠方を見るともなしに眺めていた。表情は冴えず、なにかしら思い煩う問題でも抱えている様子である。目元は潮がこぼれ髪は烏の濡れ羽色であり、校則の間隙を縫うように、眉を細く切り揃える程度の手間を惜しまないところは、女性の嗜みを心得ていた。胸元の結ばれたリボンは赤く、私が結ぶ赤のネクタイと同色であるところは、制服と相俟って私と同校同学年の生徒であるようだ。

 脇に佇む男子学生は一際背が高く、鼻筋が通って眼光鋭く、金剛力士像を想起させる厳めしい顔つきだった。制服の上からでも分かる精悍な体は、若草の青臭さが香るほどに熱量の迸りが盛んである。どこか落ち着かない仕種は性急さで満ちており、俗世の即物主義を固形にして、口腔で舐め溶かしている厭らしい表情をしていた。二人に共通しているのは、抒情詩人も接近を控えるであろう、俗人の肉の喜びに満ちているところだ。

 興を覚まして恐縮だが、ここで捕捉させていただく。

 煤嶽村に於ける未成年者の性の対応は少し触れていたはずだ。ある一定の年齢に達した女性は村の有力者の元へ預けられて、法律など無視した格好で性の手解きを受ける。これには理由があり、子供たちの情報不足を補うと云う名目があった。

 思春期ともなれば、男女問わず性行為への興味も深くなる。性病の問題や欲望だけに走った性行為がどれだけ危険なのか、知識が不足していれば必然的に事故が起こり得るものだ。レンタルショップもなく、だからと云ってビデオを観賞できたところで、得られる知識は過度に偏ったものになる。実地に安全に知識を吸収できるとすれば、それなりに経験を積んだ者に任せるのが良いとする考えだ。

 まあ、ここまで記したことは大概嘘だと思ってくれて構わない。そんな論が通れば金満家の者は、さぞ世を謳歌できると云うものだ。真実なんて胃のむかつく話が多いが、このことも多分に漏れずである。

 村の有力者共に娘を人身御供として差し出せば、地代や給金を考慮してくれるとしたら大筋も攫みやすいことだろう。更に子を宿せば、姻戚関係になれずとも親族間の繋がりができる。

 子供は分家筋として村で十分な力を手に入れられるし、母親ないし母方の一族までもが発言力を増すとなれば損はないといったところだ。有力者は自身の息子の筆おろしにあてがう場合も多く、妊娠を切っ掛けとして婚姻に辿り着くことも稀ではなかった。

 察しの良い方ならお気づきだと思われるが、朱鷺高等学校の女子中退率が、学年が上がるにつれて上昇している理由はこれも原因のひとつだった。十六歳になれば女性は結婚することが可能なのだから、母子ともに万全を期すため、学校を中退して出産の準備にかかるだけのことだ。

 相手の男性が十八歳に達していない場合は、それを待って婚姻することが普通だが、時にはどこの馬とも知れない身分の卑しい者として扱われることもあった。財産分与の際に生じる法律上の問題もあり、相続税の観点からこればかりは法律から目を背けることが出来なかった。よって人工妊娠中絶という形をとるのだが、中には母性に目覚めた女性が中絶を拒否して、逃亡を企てることまであった。

 こういったことは法律の枠外で行われていることもあって、おおっぴらにできない以上、こういった不始末は身内の裁量ひとつであった。家長を筆頭にこういった家族間での涙ぐましい待遇改善の裏側では、世間様に顔向けできない陰湿で横暴な取引が過去頻繁に発生していたのである。

 そんな中、環境適応能力に優れた者がいることも愉快なことだ。強要された性行為の中から、大量のドーパミンを脳内から放出させることに成功した女性たちだ。肉の喜びに目覚めた女性は、求めに応じる遊女の如く、有力者の家々を転々として、体を提供しながら家族ともども豊かな暮らしをしていた。

 どの時代も三大欲求に根差した商売は需要があるものだ。避妊や性病など何処吹く風であり、毎日の性行為から快感中枢であるA10神経が刺激されて、化学的にはアミンの化合物である、覚醒剤と極めて似通った化学構造をしているドーパミンが大量に放出されるとあっては、中毒にならない方が珍しいのかもしれない。

 私の前でベンチに坐している女性も、そんな性行為に中毒を覚えた一人だった。真壁と並んで校内で噂が絶えない人物だ。彼女の名前は川端真紀である。

 尻軽の蔑称で揶揄されている彼女だったが、授業態度は極めて勤勉であり、あらゆる物事を先陣切って行える推進力があり、性格も明るく男受けすることを除けば、そこいらにいる年頃の女の子である。豊満な乳房は過度のエストロゲンが齎した産物かどうかはおいておくにしても、十六歳にしては随分完成された女性の体をしていた。

 それだけ栄養価の高い食材を口にできる環境化にいることだけは想像できる。裕福な暮らしの中で、犠牲にしている物がどれだけ大きいかは、大人になってみなければ判断がつかない。私もこの歳になって、やっと村で行われていたことが世間の常識から外れていることを自覚したからだ。環境とはかくも人間を容易くに染め上げるものである。

 川端の脇に佇む男子学生は、南櫛灘村がひとつの国であったならば、生まれながらの王子と云うべき重要人物だった。南櫛灘村で村長を務める新見義輝の嫡子である新見翔太は、誠実で温厚な父親と打って変わって、素行は悪く狡猾で腕っ節だけは大脳新皮質の記憶容量を三倍増しにしたほどだった。始終、喧嘩の種を探し回っており、犬の嗅覚を上回るほどの勘の良さは、どう云う訳だかその手の者を嗅ぎ分けて、即席ラーメンが出来上がるよりも早く行動を起こし、食し終えるまでには鼻歌交じりの凱歌を揚げるのだ。

 彼からのお零れを頂かんと、多くの取り巻きが脇を固めており、どうどう上級生に挑んでいく新見の益荒男っぷりは、安保闘争で反対運動の中心を担った全学連のように、いつまでも湧き上がる泉のように無尽蔵なエネルギーに満ちていた。

 白昼堂々、新見の腕が伸びて川端の乳房を弄り始めた。尻軽、淫乱、売女と蔑む言葉ならいくらでも並び立てることができるが、川端にも選択する権利はある。無抵抗な彼女の疑懼は、おそらく公衆の面前で戯具にされるより、彼の思いが精神を離れて肉体に耽溺している部分であろう。

 いくら肉の喜びを知る女でも、淡い恋に溺死したい願望はあるはずだ。二人は恋人同士なのだろうから、尚更、純白な雪が降り積もるように思い募るのだろうか。後、四五分もすればバスが到着する。制服の上からでも分かる柔らかな脂肪の塊が、潰れて拉げて歪な形を取った。愛情や労りとは距離を置く、盛りのついた猪のようだ。

 私と川端の視線が絡みあう。彼女の憂いを含んだ瞳の奥に、私の琴線に触れる何かがあった。不特定多数の男と体を重ねてきた川端が、ここにきて打って変わって手弱女のように振る舞う背景には、相応の理由があるのかもしれない。蹂躙される痛みは肉体を超えて内奥まで枝葉が伸びているのが分かる。川端の痛みは細部に亘って走っていた。

 「まざって……くれませんか……?」

 川端の懇願する言葉が、私の耳朶に届いた。

 理性や常識を逸した新見の行動は、尋常一様とはかけ離れた獣然とした本能に根差していた。

 「お前も好きものだよな? 見ず知らずの男に犯されると燃え上がるくちか!」

 新見は川端の頤を掴み、自身の方へ顔を向けさせた。二人の唇が荒々しく重なり合い、蛞蝓の様な舌が口腔で激しく展開された。卑猥な唾液音が兎角私の神経に障った。

 それでも川端の視線は、絶えず私を捕捉している。頻りになにかを訴えかける眼差しは、観察眼を試されているようでもあった。

 二人の唇が離れる折、唾液が糸を引いた。蜘蛛糸のように粘っこく、そうそう二人の

関係が途絶えたりしないことを、それとなく暗示しているかのようだ。

 川端のむせ返るような呼吸音は、この二人の行為が甘い営みの中にだけ調和されていない、失意と叱責を多分に孕んだひとつの命題を作り上げていた。難問に匹敵する川端の心意は汲み取り難く、絶望は三笠山の峰をむこう成層圏を超えて、遙か宇宙彼方まで続いていた。

 送られてくる視線は雄弁に語っているはずだ。川端から発せられた言葉は、漆塗りの陶器の上から金箔を張り付けろと云うことではない。本意は陶器その物が元来の仕様とは異なるが故、戸惑い失望して補填を促す意味で催促に及んだと見る方が妥当だ。獣に犯されるくらいなら、いっそのこと見ず知らずの人間でもいいから、丁重に扱って欲しいのだろう。

 天地無用、コワレモノ、上積み厳禁、段ボール箱に明記されている言葉が頭に浮かんでは消えた。一々川端の思いを汲んでいたら、性行為もままならないだろうなと私は考えながら、それでも喫緊の問題を処理しなければいけないようだ。

 私の提案するトレードオフに新見が応じるか否かは判らないが、この二人も勉強会に参加するメンバーである以上、学力向上もとい試験の点数をなにより気にしているはずだ。点数を保証してやる代わりに、問題行動を自粛するよう提案した場合、新見が乗っかってくる可能性は零ではない。犬に待てを教えるのは面倒ではあったが、躾は最初が肝心だ。我慢することの有用性は、身を持って体験した方が早い。

 にしても、坂本と云う男は再三に亘って述べているように、なんとも抜け目のない人間であろう。同学年の主要な人間を調べ上げて、内に取り込むことでいち早く自身の立ち位置を確立しようとしているのだ。私や沙羅は兎も角として、真壁、川端、新見、倉越の四名はこの狭い両村の間で絶えず噂になっていた。噂の内容は良し悪しあるものの、新見を取り込むことに成功すれば、企業のバックボーンに暴力団がつくようなものである。ひとつ数万円もする注連飾りを購入せずとも、背後をちらつかせるだけで火の粉が振り払われるのなら安いものだ。

 勉強会と称して私もいつの間にか取り込まれるような恰好になったが、坂本の狙いが分かった上で、ここはひとつその術策の後押しをしてやるくらいわけなかった。私にとっても損はなく、今後のことを考慮すれば、預金に相応の利息がついて戻ってくる計算だ。尻馬に乗っかったようで面白くないが、目前に金が落ちていれば誰だって拾うものだろう。

 後はどれだけ旨く遣れるかだが、口下手な私が新見を絆すとなれば、話術よりは損得を分かり易く計れるようにしてやることだ。チンパンジーに算術を説いたところで二階から目薬かもしれないが、あの三白眼から察するに、この男は欲深く人の道理から大きく逸脱した人物だと判断がついた。

 果たせるかな、新見は川端を路肩に突き飛ばしてから、高圧的な態度で私の眼前に迫ってきた。虹彩の部分が小さく、白目の部分が左右及ぶ下方に面積が多い三白眼は、それだけで常人離れした感がある。三白眼の人間が揃いも揃ってこうであると云うのではないが、私の主観はどうにも一物あるような様子で、ただならぬ犯罪臭がそこかしこから漂ってくるのだった。

 犯罪生物学の創始者であり精神科医でもあるチェザーレ・ロンブローゾは、犯罪人の身体的特徴として、斜視のほかにこの三白眼も挙げていた。いまでは犯罪人説は完全に否定されているが、ロンブローゾの説く言外の意味はなんとなく把握できる。要するに嫌な予感がするのだ。

 差し迫った危険の渦中にありながらも、私は悠長に護身術でも身に付けておくべきだったと猛省していた。塚原卜伝のように無手勝流が通らないのは世の習わしである。切り付けられたら、相手に道理を説いたところで事態は悪化の一途をたどるだけだ。ペンは剣よりも強しなどと、戯けたことをほざくブルワー・リットンは蚊帳の外として、さて、男根の大きさと筋肉の膨張具合が男の全てだと妄信している新見に、私は前頭葉、頭頂葉、後頭葉、側頭葉、海馬を総動員して、原爆に対する抑止力は世論ではなく原爆そのものだと示せなければ負けである。

 「俺の体からアドレナリンの臭いがするか?」

 私は数十年来の友人に接するように問うだ。

 「なんだって?」

 新見は虚を突かれたらしく、歩幅が狭まりやがて歩みが止まった。まだ若干の距離があるのは有り難かった。距離を詰められたら、即命取りとなる。幼少の頃から祖母に鍛えられたと云っても、場数の違う人間相手に油断できるほど楽観視してはいない。あの丸太を思わせる二の腕は、相当の腕力で締め上げてくるだろう。

 「そもそも、アドレナリンとノルアドレナリンの違いがよく分からないんだ」

 私は姿勢を崩して、できるだけリラックスしている風を装って見せた。

 「アドレナリンは、脳の視床下部が危険を察知すると、その指令が交感神経を経て副腎に伝わり、副腎髄質から分泌される物質なんだと。神無月公立図書館に入り浸っている時に、脳関連の書物を漁って覚えたんだ。一方、ノルアドレナリンは脳内と交感神経の末端から分泌されて、主に脳の働きに影響を与えているらしい」

 「なにが云いたい? 俺は獲物を横取りされるのがなにより不快なだけだ」

 私は声を出して笑った。

 「誰だってそうだろう? 俺たち男にとって、女なんて遊ぶ道具だ。取り上げられたら、血液だって沸騰しかねないものな」

 「分かっているじぁねえか」

 新見も下卑た笑いで応えてきた。

 いまさら男尊女卑もないが、後で川端に謝罪する羽目になるのは否めない。後、どれくらいでバスが到着するだろうか。まさか、公衆の面前で暴力に訴える様なことはしないだろう。新見も一応朱鷺高等学校の入学試験を掻い潜ってきているのだし、ここで私の読みが外れるなんてことは想像したくない。しがない田舎の県立高校に、まさか裏金が動いているとは思われないし、それなりの物は有しているはずだ。両村に限って云えば、新見翔太は血統書付きのサラブレッドなのだから。

 「まあ、聞けよ」

 私は更に姿勢を崩して続けた。

 「アドレナリンもノルアドレナリンも、命の危険もしくは、不安、恐怖、怒り、過度の集中力を要するときに分泌されるホルモンらしい。相違点はアドレナリンは体内を廻って各臓器に興奮系のシグナルを送るのに対し、ノルアドレナリンは神経伝達物質として思考や意識を活性化する役割を担っている。厳密にはアドレナリンも血管を通じて脳内を循環するし、ノルアドレナリンも体内を廻っているため、書物では違いがあまり強調されていないんだ。そのため交感神経と副交感神経の違いだと誤解してしまいがちだが、正しくはアドレナリンもノルアドレナリンも交感神経の伝達物質なんだと」

 路肩に突き飛ばされていた川端が、緩慢な動作で身を起して制服のスカートについた汚れを払っている。私と視線が合うと、微かに口元を綻ばせて一度頷いた。先ほどの言は気にしていませんと云う意思表示なのだろうか。どちらにせよ、川端と言葉を交わしている暇はなさそうだし、事実確認は自身の身の安全を確保してからだ。

 「さて、ここでお前に問いたい。何故アドレナリンは体内用で、ノルアドレナリンは脳内亦は神経用なのかと云うことだ」

 新見は不遜な態度でせせら笑い、眼光鋭く私を睥睨した。

 「俺が知っているのは、精々アドレナリンがマンモスから身を守るためのものだってことだ」

 「それは用途だ。俺が訊ねているのは組成の仕組みだよ」

 そう云いつつ、私は新見を刮目してみる気になった。眼前の男は、肉体的な強靭さが、慧敏さと必ずしも相反しないこと、庇の下にできた影のように取り扱われていないことを、言動の奥底から、池面の波紋に揺れる月を覗き見るがごとく窺い知れた。

 この時分、私に生まれた直感にも似た感覚は終生忘れないだろう。感動とは程遠くありながら、不快感とは亦別の、同じ人間であって太陽と月のように役割が違う者が、理解することにより得られる、細やかな未完成への気配りであった。

 新見の横暴さは、自身から切望されて引き起こされているのではない。暴力を介して訴えかけてくるのは、自傷に類する自虐的精神と、ある種の劣等感に苛まれて懊悩している様が朧げに伝わってきた。

 「お前がそれを知ってどうなるってものでもない。この社会は搾取する側とされる側の、二者択一だからな。勝ち続けていなければ、いつかは社会の片隅で息を吸うのもやっと云う生活を強いられるだけだ」

 「話が飛躍し過ぎているし、論点もずれている。社会を語るには、俺たちは若さを余しているぞ。それにあんたは南櫛灘村の村長の息子だろう。怯えて卑屈になるには、随分恵まれすぎてやしないか?」

「俺が怯えているだって? もう一度、云ってみろ!」

 新見は怒りのあまり肩を震わせ、頬を紅潮させている。自尊心の上に置かれた紛い物の自信に僅かな瑕疵が生じた。これが布石に為るか否かは、私の迅速な対応一つで決する以上、進捗状況を推し量っている猶予はない。

 「お前如きと丁々発止遣り合うつもりはないさ。養豚場の豚を見る様な目で悪いが、いまのあんたはそれがお似合いだ。力を持たない者に、抑制の利かない暴力で従わせようとしていること自体、お前の弱さを如実に表している。この邂逅を有り難く思えよ。今日から自身を顧みる機会が与えられるのだからな」

 相当のストレスが新見に圧し掛かっているのは、私の肌身にも感じられる。針で執拗に刺激されているかのようであり、私もここにきて愈々アドレナリンの世話になる時だと腹を括った。

 それにしたって、後半は随分と芝居がかった台詞じゃないか。いまどき、こんな旧石器時代の演出家がいるとも思えないが、朱鷺高等学校の演劇部が部費を削られている理由は、私のような大根がいるからではなく、脚本、演出担当に失態があるのではないだろうか。

 そう云えば演劇部に高田麗光が入部したことを坂本が口にしていた。彼については先に少しだけ触れた。ここでそれ以上触れる気はない。ああいったトリックスターは存在しているだけで不愉快な気分にさせられるからだ。仔細を語らずとも、時折顔を見せては場を引っ掻き回していくのだし、いずれは知れることになる。

 諄い様だが、私のような狂言回しは、ただ物語の進行を理解し易くする手助けをし、時に語り部を担うだけのことだ。唐突に始まった私の語りも、耳を傾けてくれる者がいなければ始まらないのだ。仮に聴衆がいなくとも、私は一方的に語り続ける羽目になるのだろうが。と云うのは、弔いに必要なのは死者の霊魂を鎮めるのではなく、生者の心の整理に費やす時が重要なのだから。

 こうしていたって、この経験も扁桃核が記憶しておくように指令を出すのだろうな、と私は自嘲した。脳は情動に関する情報を記憶に刻み付ける機能がある。いまわの際では遅すぎるため、緊急事態に体に攻撃、逃避反応を命じるシステムが、同時にその状況を記憶する。私の経験記憶を生かす意味でも、この場を巧みに遣り過ごさなければならないのだが、どうやら例の球体は私の退路を塞ぐ形で、思考の大半を奪っていく。

 仁王像が具現化された新見の形相は憤怒に満ちており、触れたら忽ちのうちに火災旋風に巻き込まれるのではないかと危惧された。最早、バスの到着は待っていられない。煤嶽村の村民性は、揃いも揃って気が長い分、時間に於ける正確性を希求するなど、臍で茶を沸かすようなものである。

 眼前にちらつく球体が、私にどれだけ権勢を振るうかは相性如何によるものの、出来得ることなら牢名主の役目は御免だ。

 球体には紋様一つ無く、紅紫色が映える様は、さながら人の流す血を凝固させたかのようで悍ましい。コスタリカで発見された花崗閃緑岩の石球と同様、限りなく真球に近い造りは、私の共感覚をしてオーパーツの神秘性に富み、神々しいまでの輝きを放っている。

 私だけが捉えられる感情の振り幅が、怒りと云う一点に集約していることを、形而上的に捕捉することは何ら意味を持たない。見えるから認めるだけであり、人の感情を推し量る過程で、ピアノを弾く際、譜面が無いと弾けない訳ではないが、有れば便利であるというだけだ。

 他者との同調に対する利点と欠点は、私自身が服用している癲癇薬の副作用に類すると考えている。欠点だけに着目していれば、意識の迷妄は道理であり、故に道徳的観念から逸脱してしまう。

 ただ、母の過去を垣間見た際、私は誓ったはずではないか。復讐代行を務める上げることにより、煤嶽村に蔓延る悪しき風習を打破するのだと。人命の略奪は大義名分によって免償が与えられる。

 聖地エルサレム奪還の折、セルジューク朝の圧迫に苦しんだ東ローマ帝国皇帝アレクシオス一世コムネノスの依頼により、一〇九五年にローマ教皇ウルバヌス二世がキリスト教徒に対し、イスラーム教徒に対する軍事行動を呼びかけ、参加者には免償が与えられると宣言した。

 私はクリスチャンではないが、十字軍の騎士そのものなのだ。正義の鉄槌は下されるべきであり、一時の道徳を冒涜する結果が、道徳そのものを高みにまで押し上げ、崇高なまでに美しい真理に到達する。能動的であればこそ、村の安寧秩序が保たれるのだ。恒久な平和は行動理念の賜物であって、齎される神からの祝福は千年王国であり、そこへ至れるのは悔い改めを実行した者だけだ。

 だが、私は許さない。懺悔は何の意味も持たない。何故なら、祈るだけなら誰でもできるからだ。贖罪に到達し得ない心理が、真理足り得るわけがないのだ。

 愚鈍で滑稽な村民たちが、悔い改める機会を逸してしまうことは気の毒である。馬鹿も過ぎれば可愛く見えてもくるが、だからこそ魂の救済が必要なのだ。クルセイダーの一員として、煤嶽村の村民たちを隠世へ導き入れ、深き業の淵から解放してやらねばならない。それが私の宿命であり、終生違わぬ誓とした。

 「武勇伝と云う奴は、どうにも誇張される嫌いがあるよな。喧嘩なれした者なら、相手と対峙しただけで力量を見抜くと云うじゃないか。それがどうだ? どこぞの御曹司は闇雲に熱量を放出するだけで、抑制を利かす理性も働かないときた。そうせざるを得ないなにかに突き動かされているようにも感じられる。お前、なにかコンプレックスでも抱えているな?」

 刹那、新見から怒りの石膏が剥がれ落ちて、内側から羞恥心と罪悪感が綯交ぜになって醗酵された懊悩が抽出された。

 「俺がやったんじゃない!」

 取り乱した新見に乱暴に肩を掴まれた私は、不覚にも痛みに顔を歪めてしまった。見咎められる恐れはなさそうだが、この無様は体は下手に核心をついてしまったがために引き起こされた想定外の結果だ。

 相手の気勢が削がれたことを単純に喜ぶべくもない。やはり、この男は危険だ。私は猛禽の類を相手にしているのではない。人間と対峙して、これに対処しているだけなのだ。

 「落ち着けよ……ここは告解をする場所じゃない。いまは罪数を指折っている時ではないぞ。どうしたって云うんだ?」

 「こ、殺してない。俺はなにもやってない!」

 新見の顔色は傍目にも悪く、額からは脂汗が滲み出ていた。殺害を否定する背景には、なにかしら類似する状況を経験して、それを他人に指摘亦は疑われたためにする行為だ。とするならば、彼はなんらかの殺害に関与したか、それとも目撃したかによって不利益を被っていると云うことになる。このまま探りを入れてもいっかな構わないのだが、藪をつついて蛇を出す結果になれば、自身の身の上にも災厄が降りかかってくるかもしれない。触らぬ神に祟りなしとも云うし、ここは新見を正気付かせて、この場をやり過ごすことが得策だろう。

 そんな思案に開けてくれていると、川端が音もなく私の傍までやってきた。まるで気配を感じさせない足取りは、猫を想起させる忍び足だった。

 「翔太さん、その話はもう終わったことです。貴方は何も見ていないし何もやっていない。訴追する検事役はここにおりません」

 川端は私に一瞥くれてから新見に振り返って続けた。

 「ましてや、貴方を捕縛する過程で、少年法はおろか警察官すら見当たりません。これで満足できないのなら、一様に記憶の改ざんをする必要が生じます。その必要がありますか? ここにおられる方は翔太さんの過去は知らないし、態々打ち明け話に興じるような暇もないはずです。バスの到着も間近、寝言は涅槃で歌ってなさい」

 二人の関係は新見がイニシアティブをとっているものと考えていたが、どうやらそう単純な繋がりではないようだ。

 新見の背中を優しく擦る川端の表情は、先ほどの淫行の過程で見せた違和感を増長させるものだった。あの憂いを含んだ眼差しは一体何を意味していたのだろうか。この張子の虎も同然の新見の体たらくは今更として、私の興味の対象は大きく川端真紀に傾いていった。

 「バスが到着したようです」

 川端が私に言うともなしに呟いた。

 舗装が行き届いていない路面を、バスが車体を上下しながら迫ってくる。到着予定時刻を八分超過してもどこ吹く風である。停留所で停車して、後方のドアが喧しい音を立てて開いた。

 「額の汗は拭ってやれよ。真夏の日差しを言い訳にするには早計だ」

 「何も訊ねられないのですね?」

 「言い訳がしたいなら車内でどうぞ。俺はもう少し、お前らと面を突合せないといけないらしいからな」

 私は先に整理券を抜き取って、車内後方の長い椅子に腰を下ろした。遅れて新見と川端も私の長椅子に陣取る。どうやら長期戦を望んでいるようだった。

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