第10話 友人の有無はクゥトルフTRPGにとって死活問題

 坂本に強く肩を揺すられたことで、私の埋没した意識が覚醒された。夢と現が旁魄していく過程で、屋上の真下に映るポプラの揺動が、私の心の有り様だ。記憶の暁闇は可視放射の介在を拒み、私も決してその後を追うまいとした。回顧してはならない秘匿があるような気がして、入り口に足を踏み入れたら最後、二度と帰還できないだろうとする勘が働いた。君子危うきに近寄らず、安易な現実に身を投じて可能な限り逃避したが失敗した。田丸博と坂本正一の姿を目視できたことで、私はいま此処にいる世界が全てだと認識できた。ただ、世界がうろ覚えに近い感覚が生じて、天と地が距離感をめぐって必要以上に鬩ぎあっていた。終末期が私に飛来する。小刻みな時間の断片が少しずつ不透明になっていき、∞になろうとして誤った独創性を発揮している。先端が丸みを帯びた9という数字は8ではなく、削げて反転して♭になった。6ではなかったのが気にはなったものの、9が♭であって6ではないのは、当初の∞と矛盾していない。∞は半音下がるのだから……。父の話をしたことで、私が著しく心を乱してしまったのだと、田丸学校長は思い違いしている様子だった。態々、両者の喰い違いを指摘する労は省略させていただいた。

 父の死は、私以上に村に住む人々にしこりを残す結果となった。父の死の切っ掛けとなったのは、煤嶽村と南櫛灘村の和解に用いられるはずだった合併話が原因である。私からしても良案とは云い難い愚策を、弄するにしてもあまりに児戯に等しいものであった。和解を模索して一計を案じたのは河野氏であり、なぜ、今更になって南櫛灘村と交流を再開しようと思いたったのか理解に苦しむ。それが合併と云う極論をとれば尚更であり、村民の根深な憎悪を精密に修正できていない段階では、火に油を注ぐことになるが真理と云うものだろう。村民たちにとって合併は寝耳に水であり、色々と根も葉もない噂が立ち込めてきて、やがては背後にきな臭い動きを感じ取りはじめた。

 話の続きをする前に、手元に資料があるので目を通して見る。元々、煤嶽村と南櫛灘村は一つの村として存在していたらしい。それが両村に分断していまに至るのは、当時、村の中央に幹線道路を設けることで、事実上の解体分割がなされたからである。一九六七年に法的に成立して、煤嶽村南方から二分されたことで、南櫛灘村と妙名された。解体分割された理由は、田丸学校長の口から偶然語られることになる。中学生の時分に知り得た情報なのだが、あまりに衝撃的だったので、大人になった時分に内容以上に記憶に残っていたほどだ。自ら調査して村の実態に迫るに辺り、閉鎖された世界は独自の文化を形成するとともに、倫理や道徳から著しくかけ離れていくものだと云う認識に至った。

 余談だった、話を戻そう。程なくして、法定合併評議会が設置された。構成員は煤嶽村の村長である河野史郎氏、南櫛灘村の村長である新見義輝氏、地元出身の議会議員、学識経験者で占められていた。その中に、父である故笹川守の姿もあった。河野氏に乞われて出席したのだが、この頃には煤嶽村の重鎮として、なくてはならない人物となっていた。近況を知らせるべく村の者達が、頼まれてもいないのに足蹴く診療所に顔を見せるようになっていた。父もこの生活に慣れてくると、自分を慕ってくれる村民たちに気を許していた。昔からの知り合いであるかのように旧交を温めている、そんなふうにも受け止められた。年配の者が父の幼少の話をしていたので、私の洞察もそう的外れではなかったようだ。どのような経緯で村の者は父を知っていたのか、母や祖母から聞かず終いになってしまった。が、聞き込み調査の末、父が煤嶽村の出身者であり、此処で育って慶応大学に進学するために十八歳の時分に上京したのだと知った。

 「私は君の父親と面識があるんだ」

 田丸学校長は感慨深く口にした。

 「父をですか?」

 「いや、正確には君の母親と云った方が適切だね」

 「どういうことですか?」

 「笹川美佐子さんは、私の教え子なんだよ」

 「えっ?」

 私は意外な言葉に驚いた。

 「いまは廃校になった中学校で、最後の一年間クラス担任したのが私だった。平塚らいてうさんの生き様に強い憧れを抱いていてね。此れからの時代、女性はかくあるべしと云う信念を抱いていた――」

 文武両道で冷静沈着、時折見せる母のひらめきや発想力は、田丸学校長の度胆を抜くことがあったと云う。日本は高度経済成長期の只中、九歳で東京オリンピック、一五歳で大阪万博を体験した母は、日本が西ドイツを抜いて国内総生産第二位になったことで、経済的ピークに達したとみたようだった。岩戸景気の終焉は東京オリンピックの前に決着はついていたが、体感で語る分、若干誤差があったのだろう。銀行よさようなら、証券よこんにちわ、と云うフレーズが流行ったものだが、そんな大手証券会社は軒並み赤字、政府が戦後初めて赤字国債の発行を敢行したお蔭で、なんとか昭和恐慌の再来を未然に防ぐことができた。

 「ただ、美佐子さん曰く、日本は必ず経済的に息詰まるだろうと推測していた」

 急激な経済発展と比例して伸びる給与所得と人口増加。余剰資金は証券から不動産神話に流れていき、やがて暴発した人口の加齢が大きな社会保障費となって圧し掛かってくるはずだと、母は十五歳の時分に田丸学校長の授業で長広舌を揮ったとされる。圧迫された生活は人口の粛清に繋がり、少子化問題が表面に浮き彫りになる頃には、担保にしている不動産の暴落がとっくに始まっている可能性が高いと主張した。此れから景気は最大の見せ場がやってきて、その反動から大きな痛手を蒙るだろうとした。

 私は田丸学校長の話を聞くに及び、何故斯様な話をしているのか、皆目見当がつかなかった。話の切り出しは、父と面識があるとする話だったはずだが。脇で聞いていた坂本も要領を得ていない様子だ。

 その云い分は然りと、田丸学校長はひとつ頷いて続けた。

 「岩戸景気終焉の煽りは、なにも中央だけの問題ではなかった。ここ煤嶽村も第一次産業で、主に林業だが、生まれた資金は有価証券の購入に回されていたんだよ。村は木材加工の会社が多く、その殆どが合資合名会社の類だった。こう云ってはなんだが、当時の村は教育水準が低かった。証券会社のホールセールの勧誘が及ぶと、規模の小さな会社の、それも有って無い様な余剰資金など、あっという間に底をつくものだ。村は二年後から来るいざなみ景気を待つことが困難な状況だった」

 坂本の顔が見る見る蒼褪めた。逸早く田丸学校長の心意を汲みとったらしく、一度舌打ちしてから胸糞悪いなあと連呼した。

 「相次ぐ倒産の影響は、村全体に波及した。貧困に喘ぐ村民たちは、所得の低下を埋め合わせるため、彼の云う胸糞悪い所業に及んだ」

 田丸学校長は表情を硬くして唇を震わせた。

 「口減らしだ……!」

 私の体中に文字通り衝撃が走った。口減らしだって? この男はなにを云っているのだろうか。

 田丸学校長の言葉が、容赦ない追撃を開始する。

 「兄弟姉妹の多いところは、跡取りだけを残して村の南に置き去りにされた。少しの食糧と共にね。無論、老人たちも棄老の憂き目にあっていたのだが、私はその行為が公然と行われていたことに愕然としたんだ。まるで悪夢を見せられているかのようであり、一教職員だった末梢的な私では、この悪行を止める術がなかった。村の中央に幹線道路が設けられたのも、外部の者に悟られないよう、村を二分したのだと錯覚させるためだった。新見は若くして南櫛灘村の疑似村長になり、目くらましの役割を押し付けられた。彼は少数の者と村の南へ移り住み、法的に解体分割を成立させてから、南櫛灘村の村長としていまの状態まで発展させた。捨てられてくる子供たちを受け入れて、棄老された者を保護し、そうして彼は人生の大半を弱者救済の時間にあてていたよ。親友として、私は新見をとても尊敬しているんだ」

 逆様言など忌むべきもののはずなのに、それを親自ら行為に及ぶなど、正気の沙汰ではない。奉公や養子に出すなら納得もいくが、田丸学校長の口振りから察するに、産業廃棄物として処理されていたと云うことになる。

 「この時代この日本で、口減らしが行われていたなんて俄かには信じられません。法治国家であるはずの日本で、そのような反人道的行為が行われていたなんて、とてもではないけど信じ難いのが現状です」

 「無理もない。が、美佐子さんも口減らしの被害者だとしたら、君は今一度、私の話を検討してみなくてはいけなくなるだろう」

 人間性の不実が覆い尽くす私の内奥は、近親者の不幸を取り込んで、やがて平穏を乱しながら体内を流動した。他言できなかった母親の憂戚が悲涙の絶唱を奏で、私の耳朶を焼きつつ生得的解発機構に基づいて、リリーサーと云うべき言葉の誘因が、事の信憑性より大きく私の遺伝子レベルから触発された。

 「そんな……母は一度も……一度も……そんなこと……」

 絶望が私を謙虚にするどころか、極端なまでに憶病へと促した。咽喉は旱魃した土地さながら深刻な水量不足に陥り、波立つ心は不穏当な刃となって内側から切りつけてきて、血とも涙とも似つかない悲劇の結露が滴った。

 最も近しい身内の労苦が、私を得も云われぬ悲哀で満たした。その折、私の眼前に映ったのは、暗緑色の球体だった。この暗緑色の球体を目の当たりにした時は、決まって怒りの感情に囚われた者に中てられなければいけないと相場が決まっていた。だが、私はいま暗緑色の球体を目の当たりにしているのだ。

 斯様な事態に収拾をつけられるとすれば、この暗緑色の球体を自らに取り込んで昇華してしまわなければならない。紅紫玉と違い暗緑色の球体は、抽象的概念は微塵もなく、ただひたすらに私の魂から殺伐と問責するのだ。

 私は間違ってやしないだろうか。涅槃とは程遠い他者への見解は、私を甚く我儘にも頑固にもすれば、独り善がりが過ぎ、田丸学校長に対して敬意が損なわれた卑しい怠慢の放逐だけが残った。

 彼は尊敬する人物に値しない。怒りと云う感情の檻に住まう衆人以外に形容できなかった。暗緑色の球体が証左であり、彼の大火の源泉がおしなべて人間性の不実にある以上、殊更、理智を期する訳にはいかない。炯眼は対岸の彼方へ帰して後、不図、私の心も亦、田丸博と云う男のそれと同義であることに気付かされた。

 誤算であったが、快活にもなれた。私は理解されたと感じた。暗緑色の球体が私の胸に減り込むと同時に、激情が生じる。それも一過性のものだ。代わってあまねく精神を満たしてくるのは、落涙するほどに永世な憐憫だった。

 「……聞かせて下さい。母の過去を」

 私は覚悟を決めた。

 坂本の右手が私の左肩に置かれた。彼の気質は私と硬貨の裏表であったが、こうした些細な気遣いは、今回ばかり有り難かった。坂本はてっきり振り解かれるものと思っていたのだろう。意外の感が表情に表れていたが、私は黙って首を振るばかりだった。十二分に勇気を貰った私は、再度田丸学校長に向き直り、話をしてほしい旨を訴えた。

 「いいのかい?」

 坂本は私に耳打ちをする。

 「僕たちはまだ子供なんだ。なにも辛い話を聞かなくてはいけない立場にないはずさ。知らなくてもいいことは知らなくていい。お母様が話をしなかったのは、君自身が辛苦と無縁であってほしいとする慈悲の心だ。ただでさえお父様を亡くして傷心の身、心に膿や汚濁を抱え込むのは自殺行為に等しい」

 「構わない。心に備蓄する物は、いついかなる時も真実だけでいい」

 私はきっぱり云い放った。迷いはない。

 「君と云う奴は……もう、勝手にしたまえ」

 坂本は苦笑を浮かべて、私から距離を取った。

 屋上から見渡せる血を想起させる残照が空に残り、私の背後から強烈な光を浴びせてくる。視界を奪われるほどの光は、私の覚悟を後押しするかのように、繊細且つ流麗な響きを持って迫ってきた。

 見守る田丸学校長の形貌には影が差し、常に彼の傍らには後悔と苦渋が、まるで呪詛の連環で繋ぎ止められているかのような節があった。奇妙なことだがこの紳士然とした男には、そう云った闇の一部が渦巻いており、始終閉塞された世界に揺蕩っている様子だった。

 風がおぼつかない。湿気を多分に含んだそれは、咎めを受けてある種の秩序を伴い私の髪を撫でた。田畑の肥やしに使われる牛糞の悪臭が混ざっていたものの、嗅ぎなれてしまったが故の鈍感な慣れが生じていた。

 日々の生活が中央と、否、世界から大きく隔離されている。煤嶽村は文明から少なからず後退しており、文明人であらんとするよりも、むしろ原始的生活に立ち返らんとする者が多数派だった。

 文明機器に触れるより、泥にまみれ痩せ細ばった傷だらけの手は、鍬や鋤を好んで持ち入って、要らぬ労力と時間を割いては充足を覚えるのだ。仕事とは効率や成果だけでなく、人間としての本質に準ずる行動によって成長するのだとした。

 それが家族に害を為し、口減らしなどと云う反社会的行動に結びついていることを考えもしないで……。

 田丸学校長が、ゆっくりとした歩調で私たちに近付いてきた。立ち止まると、両目を固く閉じて物思いに耽るかのように顔を上に向けた。時間を逆行する時分に人がする、世の常識なる認識への誤謬を悟り、今から過去へそして亦現実へ、一頻りの人生への回帰が、聡明な男の口調を僅かに鈍らせていた。

 「美佐子さんを発見した時は、それはもう、居た堪れないほどに憔悴しきっていたよ」

 彼の目には、過去の遺物がまざまざと見えているはずだった。当時の母の姿見が鮮明な色彩を帯び、私たちに説明するより早く動的な映像となって、後ろ向きの感情を想念として携えながら進んでいる。口が重いのは、目にしている映像があまりに凄惨であるからだろう。説明する言葉が、より説得性を欠くためだ。

 時に言葉は無力になる。荒れ果てた想念は波が強く、継ぎ目をほぼ視認できないほど盛んだ。本来は沈黙こそが答えであるが故、言葉を費やせば費やすほど目的地から遠ざかり、果ては道なき道の狭間で立ち往生してしまう。元来た道を引き返そうにも、荒蕪地である以上、殊はそう単純ではない。

 私は逸る気持ちを宥めて、彼が自ら啓蒙主義の原点に立ち返ってくれることを願った。他者との垣根を越えた先が相互理解であり、真実を伝えることは教育者の良心から生まれ出ずる。忌避することなく伝えるべきことを伝えることで、子供たちがこれからぶつかるであろう壁を乗り越えていける強さを得るのだ。

 「幼かった美佐子さんは、トラックの荷台に乗せられてね……」

 田丸学校長の声音に力はなかったが、私たちが聞き取れないほどではなかった。私も坂本も沈黙と云う形で先を促す。

 「南櫛灘村に連れていかれると、外灯もない暗い森の奥地に取り残された。年の瀬も押し迫った十二月中旬、冬の夜は凍てつく寒さだったと云っていたよ。あの子は心細さと空腹から涙が止まらなかったらしい」

 私の生来の想像力が、田丸学校長の拙い言葉を翻訳して、微細な映像を作り上げる。暗緑色の球体が齎す悲哀の感情が、心を急き立て拍車を掛けた。

 彼の心が私の中で燻って同化する。見えてきたのは、体表に無数の傷を受けた幼き母の姿だった。

 私の胸を強い思念が穿ってくる。母の中で困惑と私怨が、絡まりあった糸のように交差していた。捨てられた事由は明白だ。役割を果たさない者はこの村にいらない。煤嶽村では、女の務めはひとつである。

 石女は穀潰しと揶揄されて、女だてらに男と混ざって野心を滾らせたりすれば、母のような者は激しい折檻の末、こうして御役目御免を云い渡される。女三界に家なしとは今日では死語に近いが、子を孕み産み落とす役割は、いつの世も女性だけが担ってきたのだ。

 「あゝ……しみる……」

 母は目隠しされて、四股を麻縄できつく縛り付けられた状態で、トラックの荷台に積み込まれた。時に猿轡は鬱陶しく、これからのことを考えると、身の毛がよだつ思いだった。

 この先、自分の未来は絶望しかない。連れていかれる場所は母には大体見当がついた。南櫛灘村にある、別名姥捨て山と呼ばれている高嶺の森だ。

 あの暗い森の奥地に運び込まれて、犬や猫と同様に置き去りにされるのだ。せめて四股に結ばれている縄を解いて欲しい。目隠しや猿轡も取り除ければ幸いだ。この自由を獲得できなければ、寒風吹きすさぶ冬空の元、紛ごう方なき死地へ赴くことになるだろう。

 高嶺の森には人骨が散乱していると云う噂だった。友人が亦ひとり亦ひとり消息を絶って行ったのは、森の中で寒さや空腹に耐え兼ねて力尽き、生息している獣に意識を保ったまま体中を貪り尽くされたからだ。自分も亦、友人のように抵抗することも叶わず、獣たちの血肉の一部になってしまのだろうか。

 嫌だ! 

 嫌だ! 

 母の恐怖が私に伝染する。絶望はやがて生きたいと願う生存本能に帰した。心拍数が跳ね上がっていくのが分かる。

 私の心臓も、母の鼓動に同調して駆ける。呼気が乱れ、汗が止まらない。

 只ならぬ様子に、坂本が私の傍までやってきた。

 「おい、どうしたのだ!」

 坂本が背後から私を力強く揺すった。

 駄目だ。ここで完全に意識を戻したら、母の身に起きた惨事を知ることが出来ない。私は知らなければならなかった。

 慈母の身の上に起こった悲劇を通じて、煤嶽村に蔓延する悪しき風習を打破するのだ。復讐の代行など律儀なことだが、相手が相手なだけに捨て置くべきではない。一旦芽生えた感情は、あらゆる理由も正当化した。殺意すら内側の正義を主張する悖理からの目覚めだ。

 もし、命と云う掛け替えのない物に取って代わって、経済活動に生ずる安価な代替品が市場に出回るならば、殺人は肯定されるであろう。命の価値は乏しくなり、人が煙草をのむように安易に消費されていくからだ。

 それが資本主義であり、建物を増築するように、貨幣があれば命の数が鼠算式に増えるなど空中に楼閣を建てる様な話だが、可能ならば人命など救助するに及ばない。

 人権があり、命を尊ぶ背景には愛や正義以上に、それがこの世で代えの利かない、誰もがたったひとつしか与えられない物だからだ。富める者も貧しき者も、貨幣価値が一切及ばない、ましてや代替品が増産される見込みがない物は、命の他になにがあるだろうか……?

 私はそれを奪ってやろうと云うのだ。これを真偽に照査された正義と云わずになんとする。命の対価に貨幣が遠く及ばないのであれば、等価な物は云わずもがなだ。煤嶽村に住まう者たちは、代償を支払わなければならないのである。

 「心配など、いらぬ気遣いだ。少しばかり、気が動転しただけさ」

 私は坂本を制してから後、再び母の記憶深くに潜っていく。今度ばかりはリリーサーはいらなかった。

 トラックの走行する音が夜陰のしじまに響いた。荷台から伝わる振動は縦に小刻みな揺れを伴い、愈々道なき道に入っていく。

 虎鶫のうら淋しい鳴き声は、母の鎮魂を唄っているかのようであり、生きながら行われる生前葬は、息が続く限り苦しみが持続する生き埋めとの共鳴をなした。

 これらは逕庭することなく融合して、体から徐々に水分が抜け落ちていく錯覚が生じ、母は体が即身成仏にでもなったかのような幻覚を見た。

 雲間から覗く月が妖しく揺れる。目隠しされた母の目に見えていないものが、過去の意識を通じて私の目には確認できた。月は薄い靄がかかり、月光は凄惨な現場を映し込まんとして、おぼろげな鈍い光を放つだけだった。

 高嶺の森から東、狐中と呼ばれる小さな沼地がある。一頻りの強い雨を溜め込んだだけの覚束ない水溜りのような沼だったが、獣たちの大事な水分補給地となっていた。

 片耳を麺麭を千切るように失った野犬が一匹、渇きを癒すために沼の畔に佇んでいる。遠方から響く狼のような遠吠えは、仲間が危険を察知して報せを送ってよこしたものか。人間の介入を拒む轟は、まだ高嶺の森にすら到達していない母の恐怖を煽った。

 世界とおしなべて自分は確執しているのだと、母は諦観の中で失望した。お蔭で恐怖心は薄れてきたが、あからさまに命に対する執着心が薄れていくのが分かった。抵抗の際に光明が見いだせるなら兎も角、希望はなく妙案も浮かんでこないこの状況で、方角も土地勘も働かなければ、自分は雛壇の雛人形ほどの価値もない。

 あれはあれで見られるだけで良いのだ。一年の内、僅か数日だけの美だが、それだけで存在を許された。ただ押し黙り、所定の場所に坐して、時間が過ぎれば暗室に篭って永い眠りに入る。

 野心は寝入ることを許さない。母は上京して、教養を身に付けたかった。学歴を付けて、社会の歯車として積極的に経済活動に従事しかったのだ。原点はマルクス主義を乗り越えることにあった。

 母が十歳にしてマルクス経済学に興味を持った背景は、煤嶽村に住まうプロレタリアートが一部のブルジョワジーに搾取されていることを直感的に理解したことにある。煤嶽村で生産されているあらゆる商品価値は、生産に投下された労働によって価格基準を明確化していた。アダム・スミスの国富論に記載されている等価労働価値説が基礎として据えられている煤嶽村の経済状況は亦、アダム・スミスが説く資本家や地主の登場によって、賃金や利益や地代を考慮に入れた支配労働価値説を無視した形で行われている。

 從って、リカードがスミスの等価労働価値説を踏襲して、支配労働価値説を退けたように、ある労働者が生産性が二倍増しになったとしても、労働者が所定の賃金から二倍増しにならないのであるから、これに該当することはないとした。

 だが、リカードは等価労働価値説を支えきれなかった。等価労働価値説においては、賃金が上昇してもただ利潤の低下が生ずるだけで、商品の価格に影響を及ぼすことはないとしていた。しかし、投下資本に占める賃金の比率が社会の平均以上だとすれば、賃金の上昇は生産費用を圧迫する。常に一定の利潤を満たそうとすると、単純に考えても商品の価格は上げざるを得ない。等価労働量に関係なく、商品の価格は変動するのだ。

 問題は、利潤のあらわれが剰余価値にあることを、母が気が付いてしまったことにある。例えば貿易の観点で考えれば、自動車一台を生産する労働量が日本で十時間足らずのところを、後進国が生産すれば完成までに百時間を要すると仮定した場合、十時間と百時間で十倍の不等な労働量が交換されたと云う問題だ。流通過程に於いてどんなに不等価交換が行われても、社会全体の価値総額は常に等価であるから、利潤が商品の売買差益で生じるとするのは早計だと母は思った。

 前者を特別な剰余価値とするなら、本来の剰余価値は、商品の価値を超えて行われる必要労働時間だ。資本は生み出された労働力商品の価値額に対して賃金を支払うが、労働者が生み出した剰余価値に対して対価を支払っていない。それ故、資本家は労働者に不払い労働を強いて不当に搾取していることになるのだ。

 弱り目に祟り目ではないが、煤嶽村は更に固定相場を採用していた。あらゆる物の真の価格、すなわち、どんな物でも人がそれを獲得しようとするにあたって本当に費やすものは、それを獲得するための労苦と骨折りであるとし、商品の生産に投下された労働によって価値を規定したのだ。

 労働とは人間にとって神聖不可侵なもので、それによって生み出された労働力商品は、ある種の信仰を伴っているため、天候不順による需要と供給のバランスが崩れたからと云って、価格が変動するのは可笑しいとする思想が幅を利かせていた。更に労働力商品は尊い労働から生産されるため、社会平均以上の価格で店頭に並んでいたのである。

 これは、煤嶽村が他方に対して鎖国していることに他ならない。颱風によって他県に労働商品が出荷されることはあっても、他県から通常価格で商品が入荷されることはない。これは経済活動にとって痛恨事だ。神聖な労働から生まれていない商品を店頭に並べるなど言語道断と云う訳である。

 それもこれも、煤嶽村に数人しかいない権威ある人物たちの思惑があった。商品を通常価値より高値に設定しておけば、安易だが商品売買に於ける差益分が増すからだ。得た利益を設備投資に回し労働力の質そのものを下げてしまえば、必要労働時間が減って総労働時間の観点からも、必要労働時間と剰余労働時間の和がそれなので、相対的に剰余労働時間が増える計算だ。敢えてそれをしないのは、労働者の労働力に対する姿勢を変えさせないための処置なのだろう。神聖不可侵とは言葉ではなく、心に根付かせた枷である。

 十歳の少女にとって、自力で考えられることはここまでだった。ここから先は専門書を紐解くか、専門家の講義を受けなければ経済学は修め切れない。当時、煤嶽村には神無月公立図書館はなく、年端もいかない少女が一人他県に渡って専門書を繰ってくることなど及びもつかない。

 ましてや野心を悟られたら事だった。遅かれ早かれ周知のこととなるが、その時分には自身もある程度自由に行動できるようになっているはずだ。

 そのはずだった。

 魔が差したのは、一通の手紙によるものだ。

 抑制が利かない好奇心を満足させるために、母は担任教師だった福鞆教諭を尋ねて職員室に向かった。目的は大学時代に経済学を専攻していた福鞆教諭に、剰余価値における煤嶽村労働者たちが不当搾取されている問題を訴えるためだった。

 母が剰余価値と云う言葉を知らなくても意味するところは同じだ。福鞆教諭もさぞ驚愕されたと思われる。たかだか十歳になったばかりの女の子が、マルクス経済学の重要な側面に自身の思考で辿り着いたのだから。

 小学校の図書室に資本論は置いていない。ましてや、思想を形成するに足る蔵書はなかったはずだと、福鞆教諭は考えたはずだ。むしろ、誰にでも優しくしようとか、努力することの大切さだとか、そのような情操教育に長けた本が置かれているはずだった。

 煤嶽村全体で云えることは、外部からの情報は子供たちに悪影響を及ぼすとして、極力目に止まらないよう配慮されている。前にも述べたように、どの家庭も新聞購読しておらず、テレビにしても情報番組は惣掟において視聴制限するよう規制されていた。

 「このことは、決して他言してはいけないよ」

 母の訴えを耳にした福鞆教諭は、過失を承認し難いのか、表情は霞みで覆われて影が辷った。憂いが観念を補強して、益々依怙地となり、明晰が屑鉄へと変貌したかに思われた。眉間には幾重にも皺が寄り、潔癖の上になにかが塗装されている。絶対的価値観が理解を妨げており、彼がいかにも生真面目で倫理を重んじる側の人間であることが知れた。是非を論ずる際の恒常的な役割がそれで、受容できればひととなりからも、福鞆教諭は母の嫌悪の枠外にあった。真摯な生き様が含む拙速な結論は、余人の接心に茫漠とした叱責を孕んでおり、擦れ違いの予兆が危険な残り香となって母を打った。

 「私、間違ったの?」

 福鞆教諭は無言で母の手を取ると、職員室から連れ出して、校舎裏手にある中庭に向かった。道すがら母の心意が汲み取り難かったのか、福鞆教諭は筋論を通す遣り方で頭押さえにかかった。

 当然の如く、母に反発したい欲求が生まれたはずだ。概念そのものに誤りあったのだろうか。福鞆教諭の反応を窺う限り、どうやらロジカルそのものよりも、得られた結論から導き出されるであろう、村全体に及ぼす波及効果が懸念材料になっていると思われた。

 中庭には一年生が育てている朝顔の鉢植えが複数あった。排水溝の脇で、雌に頭部を食い千切られた雄の蟷螂に、大量の数の蟻が群がっている。蟷螂の体を巣に持ち帰る蟻の行動が資本蓄積に相当するとした思考は、ロマンチシズムを欠いたおよそ子供らしからぬ現実主義的回帰だった。

 小さな小さな足が、無慈悲に蟷螂であったろう残骸を踏み躙った。少女の意図に即座に焦点があてられる。福鞆教諭は行為の残酷さより別の、早熟過ぎる感性に危険な思想を垣間見たようだ。

 「美佐子ちゃんは、煤嶽村のルールが独裁制を帯びているように感じているのかな?」

 母の瞳に、掴み難い退屈が闖入した。

 「それは班長に一任しているのではなくて、学級長が幅を利かせていると云うことですか?」

 「なるほど……語彙も豊富ということか」

 「ここでは必要な物を必要な時に必要な分だけ得る様にしているわ。私は一見無駄だと思われる蓄積に、だいぶ頭がいかれちゃってるのね。お天道様に恥じぬよう、一所懸命に働いていらっしゃる方々が、気付かず奪われている頑張りが、徒労になっているのを見ると、とっても嘔気を感じるの。分かって?」

 「うん……まあ……そうだね」

 「私は方言が嫌い。絵本が嫌い。この両手に溢れるくらいの水が欲しいの。でも、奪ってはいけないわ」

 福鞆教諭の顔が蒼白となった。齢四十を超えた男の顔は、深く法令線が刻まれており、油で照り輝いている。いまだ教育に対する情熱を失っておらず、時を経るにつれて益々隆盛となっていった。働き盛りの男が発する加齢臭とて、母にとっては好感の対象でしかなかった。

 彼の態度がぞんざいであったことだけが残念であったものの、問答無用で話を打ち切ろうと云う訳でもない。一応、聞く耳はある様子だった。

 「君が云うところの搾取にあたるのは、物質的なものなのか、それとも労働者の精神的なにかなのか。全て奪われていると考えるのは、浅薄な判断だと思うよ。労働から得られるものは、生産物や富だけではないからね。例えば掛け値なしの充足とか-―」

 「精神論も、スピリチュアルな話も、非科学的な話も、つまらない男の中から一つでも良い処を探そうと努力しているみたいだわ。グループの輪の中心にいた人物を無暗に動かせば、纏まっていた結束は霧散して取り返しがつかなくなるわよ」

 「私が論点をずらそうと躍起になって見えるかい?」

 苦笑する福鞆教諭が、なににも増して可愛らしく母には映った。

 「搾取に付随する言葉が連想できないほどいかれているのは、お父さんだけにしてもらいたいの。皆が皆馬鹿だなんて、それこそ始終高井鶴で酩酊している下男の仕事だわ」

 「生意気だね」

 「私は可愛いわ。それが証拠に、福鞆先生の経済論を聞きたくてうずうずしているもの。私はもっともっと知らなくてはいけないわ。出来れば進学したいのだけど、両親が諸手を挙げて……とならないのは語るまでもない。これぞ語るに落ちる、私の野心もだだもれね。私に恥ずかしい告白をさせたのだから、先生も胸襟を開いてくださらなければ不公平だわ」

 福鞆教諭は大仰に溜息を吐いた。彼の複雑な顔はせから生じる暗示は、不安の釈明に依存しており、絨毯についた染みのように不快だった。適度に緩和させてやる必要があるか、母は徒に模索した。対手の緩和から得られる和議が、最良の政なのか感覚の上では示されなかったが、後一押しすれば折れることは判断がつく。いみじくも話法の槍手で戦況は一変し、そうこうしている内に、母の胸中は片時も退屈している暇はないなとほくそ笑んだ。

 「君の胸の内に止めていられるなら、一人紹介してあげられる男がいる。一緒に赤門をくぐって管を巻いた仲さ。私の後輩なのだが、これがなかなかに一筋縄ではいかない奴でね。美佐子ちゃんに良い影響があるかどうかは疑問符がつくが、これも人生勉強だと思えばなにごとも無駄はないだろう」

 母は満面の笑みを浮かべると、両手を打ち鳴らした。

 「まあ、素敵! その方も福鞆先生同様、経済学に精通していらっしゃるの?」

 「仮にも卒業できたのだがら、それなりには熟すだろう。頭は切れるが、なにせ喰えない男でね。行き成り会って師事を乞うても、門前払いが関の山だろう。難題を吹っ掛けられて、頬っ被りしながら這う這うの体で逃げ出さんことを祈るよ」

 そう云うと、福鞆教諭は手帳を取り出して住所と氏名を達筆な字で記し、一枚破って母に手渡した。紙には田丸博と書かれており、東京の住所が続いていた。

 「私もこの村に住んでいる関係上、君に彼是と話をしてあげられる立場にはいないんだ。それは分かって欲しい。教員でありながら自分可愛さから、生徒の学問に対する情熱を理解していないなどと思わないでくれよ」

 二度三度と、母は力強く頷いた。貰った紙を後生大事に胸ポケットに仕舞い、顔を上げて福鞆教諭の目を確と見据えた。

 「田丸の奴もこの村の出身だが、いまは東京におるし文通するにしてもなんら差し支えないだろう。ただし、手紙は郵便局で直接受け取ることだ。そして、このことを内密にしてもらえるよう計らうことを忘れずに。それが出来ないなら、ただちに野心を捨てて女としての生を全うすることだ。この村で皆が望む生き方をしていれば、少なくとも一生を波乱に富んだものにしなくてすむ」

 そこまで云ってから、福鞆教諭は財布から一万円札を取り出して母の手に握らせた。

 「切手代も馬鹿にならんさ。後は田丸の奴にせびってくれたまえよ。私も給料前で台所は火の車なんだからね」

 「なんだか私、福鞆先生にご迷惑をおかけしてしまったみたいね」

 「今更だな。生意気な子供の好奇心を満足させるのは容易じゃない」

 母は貰った一万円札を穴が開くほど見つめた。聖徳太子の肖像が裏の鳳凰と相俟って、格式高い芸術の凝集だった。色彩を帯びていないのが品良く映り、透かしの法隆寺夢殿は見えるか見えないかのところで鬩ぎ合っている。まるで心象の風景が一部具現化しつつあるかのようであり、寸前のところで煌めきは失せ、ゆるやかに失速していく過程を得て、法隆寺夢殿は気高い拒絶の夢幻と化した。

 ここにも断絶があるのだと、私は畏怖した。一枚の紙切れが衣擦れの音のように些細なことであったとしても、感受性の強い母にとっては、その音が齎す呻き、紙切れが働きかけるあだびとへの揣摩が、そのまま日常性を瓦解させて世界から隔てるのだ。

 母は孤独だった。理解されないことに焦燥感はなかったはずだ。進化を拒んだ末路が停滞だけに止まらず、生末が退化から頽廃まで疾走していく様が分かっていながら、なにも出来ずに茫然と眺めているだけに終わるのが、ただただ歯痒かったのだろう。

 数名の権力者が無教養の労働者から搾取していること、それ自体がトロンプ・ルイユの本領である錯覚のようなものであり、騙されていながらそれと気付かず生活している煤嶽村の村民たちが哀れだった。母の抱く危惧が伝わらないだけにとどまらず、危険視されることの窮屈さは、年齢にそぐわない慢性的な疲労感として残った。

 その母の疲弊を癒してくれたのが、田丸博と云う人物だった。

 母は両親が寝静まるのを待ってから、連絡帳に徒然なる侭に自身の考えを綴っていく。兄と違って女である母に自室を与えられる訳でもなく、灯りに乏しい居間のテーブルで鉛筆を走らせることは手探りの作業だった。縦しんば闇に目が慣れ始めた頃には、鶏鳴が早起きである老害共の螺子巻に勉め、翻って母は数時間の甘美な微睡に落ちる。

 ……夢の中に於いても、野心の河川は堰を切ったかのように氾濫し、いつしか一つの信念として定着した。

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