第7話 アイディアは高くても低くても駄目?
祖母の存意は一切の慰藉など無用と云ったところか。私の見舞う行為が、ともすれば意義ある時間の有効的な活用方法も知らない無能のすることだと一蹴されかねなかった。祖母が動けるほどだったら、手にした竹刀でもって私は打擲の憂き目にあっていただろうと推測できる。昨今、体罰が問題視されている中で、昔気質で気丈な祖母は、痛みこそが最良の教訓であると云う哲学を引っ提げていた。子供時分に人権は教育の枷であり、人生に於ける目的が生き残るとする境涯にあるならば、近頃の子供たちを鑑みるに孫の私にはいっそう厳格に接する腹を決めたのだとした。毎日の扱きは、人間を頽廃に陥れる退屈から私を遠ざけた。病弱だった体は習慣になったランニングと食事療法によって日毎夜毎に改善されて行き、鉄錆が取り除かれて真新しい鋼が浮かび上がってきた。健康になると霧が晴れて、世界に媚を売る必要がなくなった。医師であった父が彼是手を尽くしても一向に改善されなかった体は、祖母の恫喝と叱責に触れることで見事壮健ならしめた。
学問の方は国民学校も真面に通学していなかった祖母では収まりが悪く、代わって慶応大学を卒業している父に師事した。父の指導は的確であった。山で遭難した登山家は高い所に迎えと云われているが、見晴の良い場所に出れば現在地を確認することが容易になる。父親である故笹川守は、私の手を取って共に稜線を登って行くことも辞さなかった。眼界が開けると、病弱で遅れていた学力は兆しが見え始め、可能性が頭を擡げた。継続は力なり、我利我利と知識を蓄えていく過程で、気が付くと十歳を数える頃には高校の問題にも正確な解を導き出せるようになっていた。当時、私は純粋に勉強が愉しく興味を駆り立てられた。成績は蚊帳の外にあり、知的好奇心が満たされていく精神的充足に重きをおいていた。
唯、知識が増幅していくに従い、私の中で云い知れない不可解な熱を、頭の中央部に感じるようになった。事の起こりは小学校からの帰宅途中である。教科書を拡げ乍ら歩いていると急に視界がぼやけて千鳥足になり、苗が植えられたばかりの田圃に落ちてしまったことがある。幸い直ぐに村の者に救出されたが、父親の居る診療所まで運ばれて行く途中でも、私の脳内では熱を帯びた蛇がのべく幕なしにのたくる様な有様だった。原因不明の頭痛が数日続き、高熱に浮かされる日々の中で、流石の祖母も此の時ばかりは峻嶮も鳴りを潜めて私を気遣う言葉をかけてきた。一週間が経過して後、様子が芳しくない私を慮って、父は東京都新宿区にある東京女子医科大学病院に連絡を入れた。脳神経外科に名医がおり、その方は父の大学時代の先輩にあたるらしい。脳腫瘍や動脈瘤まで勘考しながら、原因を虱潰しにしていく構えだった。
時間を経ても頭痛が改善されず、感冒薬を服用してもいっかな症状に変化が見られなかったため、最初は細菌による脳膜炎が疑われた。お次は機能性頭痛に行き着いたのだが、事由は原因そのものが不明だったからに他ならない。機能性頭痛と一口に云ったところで、片頭痛や緊張型頭痛亦は群発頭痛など諸々あるのだが、どうやら私は痛みや生活苦だけを危惧するだけに止まらなかったようだ。症候性頭痛の可能性を最後まで捨てきらなかった名医の面目が、癲癇性脳症の一つに分類されるレンノックス・ガストー症候群と云う耳慣れない単語を水面から引き揚げた直後、脳がしゃっくりをしているなどと云い得て妙な例えをしたユーモアのセンスに、私は讃嘆したい面持ちだった。痙攣の比喩にしては申し分なく、病名もはっきりしたおかげで悲嘆に暮れずに済んだのだから。脳波検査の際、棘徐波結合など特徴的な波形が見られたことが決め手になったと聞く。発作は意識が薄らぐ非定型欠神と脱力発作が主だった。
頻度の少ない稀な疾患であり、前兆もなく意識が消失するために、全身が脱力して激しく転倒してしまうので生傷が絶えず、頭の保護に保護帽が必須だった。
「あまり症状が酷い場合は、脳梁の裁断手術も念頭においているからね」
医師は現実的な選択肢の一つを口にしたに過ぎないのだろう。祖母は不謹慎な冗談と受け止めたらしい。口角泡を飛ばして医師に食って掛かる姿に、父が何回にも亘って諌める面倒を強いられていた。祖母が私のために感情を露にしてくれたことに対して、素直に喜ばしく思われた。子供ながら感激のあまり、涙を滂沱せずにいられなかったのである。両親からの愛は云うに及ばず、普段から厳格であった祖母からここまで思われていると知った私は、自身におかれた症状の重さなど物の数ではなかった。なんとかしてこの病いを克服してやらねばと息巻いたほどである。いまではレンノックス・ガストー症候群に最も適しているとされるルフィナミドと云う薬剤が、二〇一三年三月に日本で承認されている。一九九〇年代当時はルフィナミドは存在せず、バルプロ酸ナトリウムを経口投与していた。協和発酵キリン株式会社からは商品名をデパケン、興和株式会社からは商品名をセレニカとして発売されている。GABA(γ-アミノ酪酸)トランスアミナーゼを阻害することにより抑制性シナプスにおけるGABA量を増加させ、薬理作用を発現するとされている。
薬を服用しながら発作を抑えていくのだが、治療を開始して数年はカタプレキシー患者同様、突如意識が喪失して頽れ転倒してしまうことがあった。レンノックス・ガストー症候群は重篤な脳機能障害と発達の停止・退行を来す希少難治てんかんに分類されているが、家族が最も恐れたのは私に齎されるであろう、その後遺症の類だ。幸いなことに、天運がこの身にはあった。私は不可知論の立場をとっているので、神の存在も大いなる力とやらも立証などできないが、確かに奇跡はあったのだ。勿論、他者の尽力が大きかったのは云うまでもない。目立った後遺症もなく、薬で寛解状態を維持するのは容易かった。時間の経過に伴い薬の量も減っていき、恐れていた発作もすっかり影を潜めた。とうとう医師からは服用義務を解かれるまでになったが、それでも手放す勇断に至らなかったのは、寛解から完治までの僅かな道のりに確固とした確信が見いだせなかったからだ。確信を持てるまでいつになるか知れないが、完治までは私の一握りの決断に委ねられている。その間、周囲の者は父親の死に胸を痛めているであろう私の精神面を考慮して、口煩く薬の副作用の危険性を説くような愚かな真似は控えてくれた。医師も無理に薬を止めるよう進言はせず、成り行きに任せていく腹積もりのようだ。沙羅は口を開けば薬を止めるよう慫慂してくるのだが、私が発作で昏倒するようなことがあっても、いつでも隣にいて介抱する準備はできているとするのが云い分のようだ。信用していないのではないが、私は他力を内に招じ入れる度量に欠けていた。腹を満たすように、軟な精神に誇りと云う滋養が必要だったのである。私の精神と誇りが決して交わることがないことは承知済みだった。水とも液体とも区別がつかない超臨界水同様、臨界点に達した二つの非物質が連続変化を伴い、常染色体優性遺伝によって触発されるハンチントン病の不随意運動のように、私を無明長夜の檻に誘うのだ。永遠不変の地獄沼地に嵌まり込み、もがけばもがくほどに沈没していく悪循環……。
国立がん研究センター中央病院に到着し、受付で祖母の見舞いに来た旨を伝えると、病状の悪化に伴い面会謝絶を云い渡された。元より想定できたことなので、私はただ負債を払うつもりはなかった。休日なので時間は十二分にある。担当の大森医師を捉まえて、現状を把握しておくに越したことはなかった。再度受付に行き、大森医師を呼び出してもらうことにした。程なくして彼は姿を現した。寝癖が酷く、無精髭も散々だったが、物臭な態の中にちらつく穎敏は出色の才が窺えた。事実、難解な食道がんの手術を受け持って、通常手術による死亡率三パーセントを一パーセント以下まで抑えた功績は高く評価されていると云う。研修医の時代から非小細胞肺がんの根治手術に携わり、外科手術の腕を磨いてきたらしい。本人から直接聞いた話では、大手医療製造メーカーに特注で造らせた外科手術用シミュレーターの代金を、二十年後のいま出世払いしているところは同僚から笑い種になっているとのことだ。
「お待たせしました。今日はお見舞いですか? だとしたら、悪いことをしましたね」
大森医師は私の傍まで来ると、頭を掻きながら軽く会釈した。私も会釈を返してから、祖母の様態を詳しく聞くために、場所を変えて話をすることにした。一階フロア右奥にあるカフェは、平日は午前七時から、土日は午前八時から開店している。午前十時までモーニングメニューが用意されていた。隣はコンビニエンスストアもあり、襁褓や杖など院内ならではの品揃えだ。十九階まで足を伸ばせば理容店や美容院もあってか、身嗜みを整えるだけなら造作もなかった。私たちがカフェに入店すると、人影はまばらだった。アメリカンコーヒーを注文して、丸テーブルに向かい合って座ると、大森医師は大きく深呼吸した後、私に深刻な表情をして見せた。物云いも奥歯に物が挟まったものであり、それだけでも祖母の様態が想像でき、余命幾許もないことを示唆していた。
「うん……まあ……大方、貴方の考えている通りだと思います。いまや癌の転移も方々に及んでおりますし、抗癌剤の投与も躊躇われるほどです。云い難いことなのですが、その……」
「分かっています」
私は大森医師を遮って云った。毛頭、皆まで云わせる気はない。死の宣告など聞くに堪えなかったし、私はただ、覚悟を決めてしまいたかっただけなのだ。
「後、どれほどの時間が残されていますか?」
「私は余命宣告はしないことにしているのです。人の命は神のみぞ知る領域です。我々が推し量れるものでもありません。最善は尽くします。決して諦めたりせず、御祖母様にとってより良い治療を継続していきますから」
抗癌剤の投与も躊躇われるほどなのに、今後の治療のなにに期待できるのだろうか。大森医師の無責任とも思える発言に、反発したい気持ちで一杯だった。寸前のところで押し留められたのは、私を落胆させないための配慮であるのが理解されたからだ。闇夜の中では木端に点火した言葉の灯りすら貴重な効果を発揮してくれる。蜉蝣のように短命でも、刹那の灯りは不思議と抽象的余韻に満ちていた。 大森医師が仕立てる言葉の誂えが、徐々に私を軟化させた。平静を得た私は、改めて祖母の延命治療について訊ねてみた。
「延命治療と云っても、これ以上体に負担はかけられません。御祖母様の苦痛を取り除く治療が優先されます」
「いまは出来得る限り苦痛を取り除いて上げて下さい」
大森医師は両の眼を固く閉じた。
「人の生は思うに任せないものです。なにを成し遂げるにせよ、命あっての物種ですから。貴方も体に充分過ぎるほどに留意することです。体が資本とは良く云ったものですね。それはそうと、貴方の持病は問題ないのですか?」
「ええ、いまのところは問題ありません。此処のところは意識を失うと云う事もないですし、頭痛に悩まされる心配も減りました」
「レンノックス・ガストー症候群は症例が極めて少ないのです。そのため、薬剤の開発に二の足を踏む企業も多いことは間違いありません。確かに需要がないため利益は見込めませんから。ですが、一度発病してしまえば、薬を手放すことは容易ではないのです。癲癇は薬で治ることはありませんが、根治には寛解状態を維持する必要があります。子供の場合、薬を服用せずとも完治する癲癇もありますが、大人の場合は此れに該当しません。貴方は寛解しているようだから、このまま順調にいけば完治までそう遠い道のりではありません。実は癲癇が自然に治る仕組みは未だ分かっていないのです。寛解が続けば薬を止めても発作の症状が出てこなくなると云うことは知られています。現代医学の力をもってしても、脳内のメカニズムを理解するのは難しいところですね。人体とは真に不思議なものです」
大森医師とは祖母が入院した当時の付き合いであり、私のこともなにかと世話を焼いてくれた。持病の癲癇のことも話をしており、専門外ではあったもののセカンドオピニオンの役も進んで引き受けてくれている。ふと、私は怒りのシンクロニシティからくる精神的昂揚感について、大森医師の見解を聞いてみたい衝動を覚えた。この様な不可解なことが、医学的見地から有り得ることなのかどうなのか。相手の感情が、就中、憤りの念が色彩を帯びて感じられるのである。暗緑色に類似する色彩は、私の精神によく符合した。大体に於いて人の感情は、明度の強いものが多い。突発的に生じる怒りの感情は、私の目には色も鮮やかな赤を基調として映り、明滅を繰り返すことで歩行者信号のように警鐘を促すのである。然し乍ら、そう云った大多数の人間が行使する力は、私の持つ感応力の網目に引っかかることもなく、噴霧されたスプレーのように飛散していくのだ。此れに該当しない者は、奇警な感情の収縮を見た。圧縮された負の精神がダークグリーンの球体を模し、私の外側から減り込むように体内に浸食してくるのだ。程なくすると私の内側にある数多の感情が、玉子を攪拌したかのような一つの黄色い液状と化し、体内を目まぐるしく行きかったかと思えば、自我を喪失した気狂い道化師のように、焦点定まらぬまま粗暴な振舞いに出るのだった。
意識の昂揚は確かな結果に導いてくれる可能性もあるが、制御できるならば越したことはない。暴発する恐れもあるし、なににも増して自制心を失う恐怖は計り知れないものがある。気が付いたらどうかしていた、などとする未来があってはならないのだ。常に自身の思考と行動が、道を切り開いていくものだと信じ続けられなければならない。因果はそれに従属していなければならず、能動的であればこそ人間性を保っていけるものではないだろうか。前述が前提としてあれば、精神の起伏から起こる子供じみた思考の飛躍も許容できると云うものだ。世界が人間一人一人の想像から創造されているとする論理も、思考が媒介としてあれば空気清浄機もとあるメーカーが製造した物であると錯覚できる。精神の均衡は一本の糸でもいいので括り付けておく必要があった。
「他者の怒りが、脳の神経回路になんらかの影響を与えていることは否めません」
大森医師は腕を組んでから続けた。
「貴方は共感性が強いのかもしれません。必要以上に周囲の空気を感じ取る行為が心に負荷をかけており、ニューロンとニューロンを繋ぐシナプスに走るパルスが不可解な放電を起こしているのかもしれません。まぁ、専門外なのでめったなことは云えませんが。あくまで仮設ですが、心的負担を考慮する必要がありそうですね。此れが癲癇の一種でなければシナスタジアの可能性もありますので。不安なら、一度脳のMRI検査を受けてみた方がいいかもしれません」
「シナスタジア?」
「共感覚と云い直した方がよろしいですね。通常の感覚では得られない特殊な知覚現象のことを指します。文字や数字に色を感じたり、ある形に味を覚えたりと云ったものです。ただ、他者の感情に色を感じると云うのは、かなり特殊な例かもしれません。その中でも怒りの感情だけに感応して、暗緑色にだけ不可解な感化力があるのですから」
私は頷いた。
「同期する理由が見当たりません。そう云った感情の持ち主は稀ですが、日が悪い時は四~五人にあたってしまうこともあります」
「四~五人って、それでは貴方が参ってしまうでしょう」
「そうなれば一日の記憶は断片的なものになってしまいます。どこでなにをやらかしているかなんてあやふやなままですし、下手を打てば犯罪に手を染めているかもしれません。どうにか制御する方法があれば、大森先生に教えていただきたいのです」
眉間に皺を寄せつつ、大森医師は難しそうな顔をした。
「結論から云えば、我々医師には不可能です」
「何故ですか!」
私は期待を裏切られた衝動から、つい語気を荒げてしまった。
「非可逆性の共感覚者は非共感覚者にあらず、だからです。元来、共感覚を有する者は、非共感覚者と違って先天的なものなのです。非共感覚者が頑張って努力しても共感覚者になれないように、逆も亦しかりと云うことです。そもそも論ではありませんが、共感覚者は非共感覚者と違って、ある病から発病してそうなってしまった訳ではないのですから」
私は愕然とした。大森医師の見解はおそらく正しいものと思われる。共感覚者は他者にないそれを有しているからであり、治療することも感応力を自力でもって押し止めることも不可能なのだ。なぜならそれと云う代名詞が全てであり、それがあるからこその共感覚者なのだから。
「懈怠している訳ではないのです」
大森医師は続けた。
「西洋医学は悪いと思われる部位を遠隔で見定めて、切り捨て縫い合わせるだけのものですから。常人に備わっていないクオリアに、直接メスは入れられません。よって、科学的アプローチは皆無と云ってもいいでしょう」
「人だけでないのです。場合によっては、動物でも似たような感情に支配されることがあります」
「そんな……」
私の言葉に大森医師は耳を疑った様子だった。波長が合えば、無残に殺戮に及んでしまった黒猫の一件のように、感情の蜷局に囚われてしまい、私の意識は最果ての向こう側へ半ば拉致される格好となる。いかせん、人間だから猫だからと云うものでもないらしい。あの厭らしい負の感情は、すかりと私を解放してくれそうもなかった。
「その、暗緑色の球体なる感情を目にした時、そこから意識を逸らすことはできないのですか? まあ、貴方を見ていれば自ずと知れようと云うものですが」
意識を逸らすことが難しいのではない。逸らすことができないのだ。此れには大きな隔たりがある。いくら頑張ったところで、大森医師から有効的な打開策は生まれてこないようだ。祖母の見舞いも叶わない以上、油を売っていても仕方ないと云う結論に達した。私は適当なところで話を切り上げて、大森医師に礼を述べてカフェを後にした。
時間は午前十時にならんとしている。一旦帰宅してから沙羅を呼び出して、勉強会の一件を問いただしてやろうと思い立った。どうして、沙羅は勉強会に参加する旨を私に伏せていたのだろう。サプライズ演出のために、坂本から口止めでもされていたのか。否、それでは、沙羅が黙っている理由にはならない。何故なら、真壁の口から勉強会の参加メンバーを紹介されているからだ。サプライズ演出のために実行されたのであれば、当然のごとく二人で口裏を合わせていると考えるのが自然の流れである。沙羅がなんらかの逡巡から、私に時が来るまで黙っていようとしたとしか思われない。しかし、いままで失念していたが、話しそびれてしたったと云うことはないだろうか。これにも疑問符がつく。同じ組である真壁と沙羅は、毎日のように顔を合わせているのだから、この手の話はいくらでもするであろうし、忘却の彼方に追いやられるには、あまりに情報の反復が過ぎるのではないだろうか。反復学習の成果は、今更検証するには及ばない。
ゴールデンウィークに初顔合わせの面々で勉強会を催すのである。私たち学生にとってはイベントであるし、ただ、勉強会で終わらないであろうことは、想像に難くない。親睦を深めようなどと云いだす輩は必ずいる者だ。いつの間にか目的がすり替えられていて、気が付いたら親睦会がメインになっている可能性も考えられた。どれだけ、おおなおおなに試験対策ができるか、メンバーには質の高い要求をする羽目になるだろう。フォーカス・オブ・アテンションではないが、一点集中することを意識レベルでやってもらうことになる。ついで入力された学習内容に対する早期のレスポンスを見る。レスポンス率の強弱で習得範囲の基準を見定めて、最終日までに出題範囲を押さえる。付き合いの浅い人間に対しては、案外機械的な見方の方が適している場合が多いものだ
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