第4話 目星80%の不確実性理論

 中学生の時分、私は学業の修練に飽いて授業を抜け出し、校舎を囲繞している金網を攀じ登り当てもなく逍遥した。背後から沙羅左が尾行しているとは露程も考慮にいれずに。反抗期からの卒爾な行動ではなく、胸奥に堆積した不穏な瞋恚を発散してしまわねばならない課題もあったのだ。近傍に感情の起伏に囚われた者がいると、私は空気が伝染するように内部から興ってくるのだ。まるで火が熾るように、盛んに私を焚き付けるのだ。相手が誰でもと云う訳ではない。全く干渉を受けない方が圧倒的なのだ。彰彰なことだが、万事が万事であったならば身が持たなかったであろう。悪い話ばかりではない。私の精神状態が心火に満たされたならば、奥底から湧き上がってくる活力の幅は尋常ではなかった。数十時間の修文を収めるのに、コンセントレーションの維持は容易くなるのだ。己を見失ってしまう嫌いはあったものの、結果に対して云えば充足の域に達するものだった。遺尿していたのは誤算だったが、家族の者に見咎められなかったのは幸いである。処理に多少の手間はかかったが、超人的な意識の埋没が齎す問題点を除けば、薬物が与えるであろう効能を感受性の観点から獲得した経験は得難いものだった。

 だが、此の状態が継続している様は具合が悪い。忘我の態で校内を彷徨うなど以ての外だ。人や物に八つ当たりできなければ、一心不乱になにか没頭する逃げ道すらない。取るべき選択は一つ、こうして人目を避けて燃え盛る焔が鎮火するのを待つしかなかった。慣れてしまったとはいえ、作業を実行に移すのは骨が折れた。人目を盗んで教室を後にして、なにごともなかったように席に戻る。仮令、教師や同級生たちに見付かる羽目になっても、私を見咎めるような愚行は犯さなかった。私は腫物でありながら、教師たちの思惑でもあったからだ。乾いた打算が、確実に私の心の綻びに届いていたと云うのに。教師たちが希求していた進学校への進学は、蓋し私と坂本だけが可能性だったのだろう。思惑が水泡に帰したとき、私が坂本を指嗾して、朱鷺高等学校への進学を誘因したと勘ぐられたのはこうした経緯があったからに外ならず、坂本の姦譎な執り成しで事なきを得たのは些か不本意ではあった。磊磊落落で如才ない坂本の存在は、折衝の折にどれだけ頼みにしただろう。当時や今も、私が過てば彼が後処理をする。汚れ仕事は坂本の十八番であり、沙羅左の件に関しても例外ではなかった。私たちが角逐していたにも関わらず利害を超えて互いに挺身だったのは、村民性より私淑の心によるものが大きかった。

 南櫛灘村に向かう中央道に出ると、途端、都会風を吹かせた建造物が顔を覗かせた。精一杯背伸びしたが故の不釣り合いな建物群は、村の者たちに云わせれば、顰に倣ってみたものの西施になれなかった醜女そのものだとした。私はMアウトレットパークの一角である、Mアウトレットパーク煤嶽村の窈窕たる表構に心酔した。此れこそが村から町へとする改革の一歩であり、香月村長の信念の象徴だと感嘆した。

 村が町に移行する際、当該都道府県がそれぞれ条例で定める町としての各要件、人口、連坦戸数あるいは連坦率、必要な官公署など、産業別就業人口割合などを具備する必要がある。且つ都道府県知事が都道府県議会の議決を経て、直ちに総務大臣に届け出なければならない。市制施行後にその要件を満たさなくなった市が町や村に、あるいは町制施行後に要件を満たさなくなった町が村に戻ることについても、前述と同様の手続きを踏むことで実施できるが、今まで行われたことはない。市が町村に、または町が村に戻れば、一部の業務を都道府県の管轄に移管することができる。これにより自治体の行政の負担が軽くなるというメリットが見込めるが、一方で業務軽減に応じて地方交付税の交付額が減額されたり、職員の名刺や印刷物の表記変更などに膨大な事務量がかかるなどのデメリットがあるからだ。

 香月村長は煤嶽村を近代化すると云ったスローガンを掲げており、村を都市化していくことで過疎化の波を食い止めて、村に住まう者たちの愛着と歓喜を呼び覚まそうと試みた。前述しているが、人口は右肩上がりに推移しており、今も尚、煤嶽村の人口は顕著な伸びを示している。二十年後の村の総人口は二万二千人を数え、村から町への移行作業が行われている最中でもあった。現首相は脱デフレ・経済再生を基本方針として、経済大国日本の復活を目指している。煤嶽村も同様に経済強化を基本の柱に据え、それを支える地盤として教育システムの強化に取り組んでいる。

 余談だが、此の村に住まう者で英語を話せない者が一人としていないと云う事実に目を向けてみるとしよう。村独特の方言に混ざって、いかにもネイティブな発音で英語を話す老人たちが多いことに驚愕する。無論、子供たちとて国際化の波を受けて英語は習得科目であり、外国人教師たちに師事して着実に我が物としていた。煤嶽村へ新規に移住してくる中に、教育上の理由を挙げてくる者がいる。自治体の助成金が、教育と社会福祉に向けられていることに好感を持ってのことだ。蓋し、移住の条件に成人前の者を除く二十歳以上の者に、英語研修を最低半年は受けてもらうと云った条件が付加されている。任意ではあったが、外国人移住者が二割強を占めているための配慮だ。研修は無償であり、小・中・高で雇われている外国人講師ALT=assistant language teacherのボランティアで執り行われている。後々、移民政策の先取りとしてマスメディアに取り上げられることになるのだが、煤嶽村は積極的に外国人たちの受け皿になっていながら、犯罪率の低さ、景観の美を称讃する声は止まない。Youtubeで村の様子が動画配信されている中に、楽しげに花見に興じる外国人が、帰り際に塵の後処理をしている様子が映っていた。動画を撮影している若者の問い掛けに、一人の外国人が語っている。

 「煤嶽村はおらあの第二の故郷さ。故郷はおっかのずなものだ。感謝と慈悲を持って接するのは当然のこと。この歳になって、猿のずに尻を林檎にして歩きたくはねえからね」

 興醒めなのだが此の外国人、流暢な日本語を話すくせに妙な訛りが多くて聞き辛いことこの上なかった。まるでカナダ訛りの英語である。

 Mアウトレットパーク煤嶽村は、平日だと云うのに多くの人で犇めき合っていた。八十台は駐車可能とされる立体駐車場は七割方占められている。Mアウトレットパーク煤嶽村の建物は全て平屋建てであり、大阪府大阪市鶴見区に開業されたTはなぽーとブロッサムの半年後に建設された。二〇〇八年四月一日からMアウトレットパーク+地域名称で統一されるのだが、一九九五年当時から、此の建物はMアウトレットパーク煤嶽村と妙名されている。云わば水力発電所同様、実験を兼ねたアウトレットモールであり、村は森を切り開けば無駄に広い敷地面積を有するだけあって、交通の便を克服できればM不動産にとっては宝物庫だ。過疎化の波に抗えない村の現況を余所に、外部から客足を伸ばしていける目論見が戦略上確かにあった。都市部からアクセス可能なラインは、電車、新幹線の他、東京から車を乗り入れれば中央自動車道で八王子ICを経由するか、亦は関越自動車道で練馬ICを経由することになる。往復となるとそれなりの時間を有するが、その問題点はクリア可能だった。村に格安のホテルを建設することで、日帰りを強制しないシステム作りが成された。此処までの着眼点は良かったのだが、本来の課題は客にあらず働く従業員にあったのだ。当然の如く、ここで働く以上は近場に居を構える必要がある。精々、職場から離れた場所に住むにしても、一時間程度を移動時間としたいのが本音だった。態々、辺鄙な処に持って来て、疲弊した体を休める場所までが、予想だにしない片田舎だとしたら目も当てられない。休日を利用して都心に出るにしても一仕事だ。数ヶ月単位の単身赴任ならいざ知らず、会社に骨を埋めてやろうという気概まで削がれては本末転倒だ。この壁にぶち当たり、複数の企業は勤労の本質を見直す切っ掛けができた。所得の増加と有給休暇の強制取得である。増えた所得は都心に向かず、住めば都ではないが見知った煤嶽村の各々が通ずる位置に、自然と落ちていくこととなった。

 店舗数は五十店舗以上はあるだろうか。亭午の時間帯もあってフードコートは家族連れで賑わっている。普段なら餓さにかまけて血糖値の上昇に努めていたはずが、私は払拭しきれないでいる情念の渦が人目を避けて自ら死角になる場所を求めて徘徊した。Mアウトレットパーク煤嶽村を概観してから裏手に回り、建物を支える数本の太い支柱の内、南西の柱が駐車場からも死角となっていたので、身を潜めるに最適だった。折悪しく、私が柱で息を殺して異質の想念が咲き乱れるに任せていると、脇を疾走する黒い塊が視界の隅に入った。真黒な体毛に覆われた有機体は猫である。不吉な予兆を孕んでやしないだろうか。私を認めるなり立ち止まると、牙を剝き出して敵意を露にする。毛を逆立て威嚇する矮小な勇者は、虎や獅子にだって所構わずの有様であっただろう。私は黒猫と図らずも同質の感情を抱いていたためか、シンクロニシティが生み出す怒りの助長に歯止めが利かなくなっていった。彼の生き物は捕食対象であり、私は食物連鎖の頂点に存在する捕食者だ。唐突ではあったが、黒猫を殺して喰らいたいと云う真摯な欲求が心を侵食した。

 断りを入れておくが、私は精神病質者ではない。共感性が他者と比べて著しいばかりで、虚言癖や良心の異常欠如が見られるとも思われなかった。希死念慮に苛まれているのでもなく、寧ろ衝迫に突き動かされているのだとすれば、同級生の高田麗光が良い例だろう。瞳に狂気を宿し言動は不可解、特定のイデオロギーに固執して扇動する様はアジテーターそのものだった。潮が満ちるみたいに突如激情に駆られたと思えば、理由のない死の傾倒へと耽溺する。双極性障害に酷似した症状は、殊に私の精神と符合するかの如く影響力を行使した。中てられるとは云い得て妙であるが、どうか浅陋な高田麗光と同等に扱うのだけは止めてもらいたい。諄い様だが、私は決して病んでいるわけではないのだ。高田麗光との強いシンパシーは性質そのものが類似しているのであって、私と彼の有り方や本質とは全く別種のものだと云いたかったのだ。

 私は膂力の許す限り黒猫を蹴り飛ばした。眇眇たる捕食対象は、物云わず壁に叩き付けられて身動ぎ一つしない。此のまま放擲しても構わなかったのだが、私はそれを許さなかった。完膚なきまでに執拗且つ凄惨な攻撃を加え続けた。私は止めを刺さんと黒猫を鷲掴み、頭の隅では既に息絶えていると理解しつつも、地面に勢いよく叩き付けた。

 「真向! 笹川真向!」

 我に返った時、視界の隅に映っていたのは、顔を紅潮させて有らん限りの声を振り絞る沙羅左の姿だった。寸刻脳裏に過ったのは、見られたと云う羞恥心よりも、何故此処に沙羅左がいるのかと云う率直な疑問である。沙羅は両膝に手を付き、肩を上下させて息を整えると、顔を上げて転がっている真黒な肉塊を顎で示した。彼女の額から汗が滴り落ち、頬を伝って地に垂れた。爽やかさは微塵もなく、まるで灰汁の強い根菜の煮汁だった。

 「器物損壊よ。此れ、首輪がついているわ。誰かの所有物で間違いないわね」

 私は沙羅の言葉で、ようやくそれが飼い猫だと気付かされた。まだまだ冷静な頭でいられなかったが、意識は少しづつ覚醒に向かっている。地面に転がっている黒猫の躯が誰の物だって、私は不可解な感情に留意するものではなかった。他者が抱く疑問は多々あれど、私はそれについて言葉を濁すよりない。激情の果てに殺人を犯す可能性について考察したところで、世界体系が複雑である以上、未来は予測不能なのだ。スーパーコンピュータを駆使して演算に取り組んだところで、初期値の値に僅かな違いが見られたら、算出される結果は大きな違いとなって表れる。此れを初期値鋭敏性と云う。カオス理論を語る上で、初期値の正確性は最重要事項だ。天気を予測するにしても、現在の東京の気温が三十度だとして、初期値に数字を入れると一週間後の東京の天気予報は晴れになる。次に三十・一度の値を用いて計算すると、明日の天気予報は雨に変わる。少しでも初期値が変われば、結果は大きく異なってしまうのだ。それに初期値を完璧に計測する術は人間の中にはない。目前の木材にすら、正確な長さを測定する際、拡大、測定を試みても観測に終わりはないのだ。一・五四〇六二九七八四七六二八……。完璧に測れない初期値の誤差が、観測に著しい影響を与えるばかりか、結果を大きく捻じ曲げるのだ。人間は物理現象を完全に解明したとて、初期値を完璧に計測できないので、未来を予測することはできない。故に私の未来も計測不能なのだ。此れが結論である。

 「首輪が付いていれば、どうだったっけ?」

 「親告罪、飼い主の告訴が必要になるわね」

 沙羅は額の煮汁を手の甲で拭い、私に生気のない視線をくれた。口調は淡々と、声質は無機質な機械音だった。

 「ところで、なんでお前がここにいるんだ? 尾行なんて結構な趣味じゃないか」

 「授業を抜け出して、此処で油を売っている人の台詞ではないわね。動愛法罰則って知っているかしら?」

 私は首を振った。法律には疎いが、なんとなく察することはできた。

 「動物愛護法は親告罪と違って、告訴がなくとも罪に問え亦、所有者がいない動物も含めて護る法律よ。確か懲役一年以下、亦は罰則金は百万円以下だったかしら?」

 動物愛護法は平成二十五年九月に法改正があり、懲役二年以下、亦は罰則金二百万円以下に変更になっている。

 「相変わらず、嫌な記憶力だな。自負しているんだろう? 瞬間映像記憶のこと」

 沙羅は息絶えて間もない黒猫を大事そうに抱え上げた。繁々と見つめる眼差しは、どうかすると探求心の強い子供のような輝きがある。裏に表に丹念に観察すると、終いは鼻を近付けて死臭を嗅ぐ真似事までしてみせた。

 「玉響、春を感じてしまいました」

 そう云うが早いが、沙羅は満足した子供がするように、無造作に玩具を放り投げた。再び地に落ちた黒猫は、力なく腹這いになり舌を覗かせた。三味線ができるわね、などと独り言ちる。不覚にも、邪気のない子供みたいに振る舞う沙羅の魅力が、私に神阿多都比を連想させた。沙羅左は取り立てて美人ではなかったが、人の感情を揺さぶることを得手として、他人の好感を掻き立てることに成功した。教師受けも良く、言動は溌剌さを欠いているが勤勉さを高く評価されている。就中、数学の成績は私でも舌を巻くほどであり、国語を除く成績は常に上位であった。彼女の周囲を取り巻く状況は極めて良好である。沙羅は難があった読解力の向上に努めんと、毎日のように図書室に入り浸っていたところで、私を無理やり同胞に引き込んだ。私も私で普段は他人に干渉されることを良しとしなかったが、一度でも心の障壁に風穴を開けられると、極度に脆いと云う事実が露呈した。お節介とやらに従順で、この時ばかりは私の頑なな独りよがりも、他者の桎梏を取り除いてやりたいとする仁恕の精神構造に作り替えられるのだ。此処で沙羅は戦利品を獲得した。相変わらず読解力は可能性を見いだせなかったが、語彙は豊富となり識字能力が向上した。担任教師に促されて中学二年生で商工会議所主催漢字能力検定一級の資格を取得したが、進学にも就職にも然したる意味がない勲章は関心の対象外であった。文盲ではないのだから、学べば誰でもできる大道芸の一種だとした。私は坂本の後塵を拝していた英語の、主にリーディングに努めた。コンフォートゾーンを遺脱しないよう、勉強は放課後の二時間を目安としてストレスに対処した。帰宅した後も継続して取り組めた背景は、沙羅が隣で適度に知識欲を刺激してライバル役を買って出てくれたからだ。

 「この後、どうするのかしら?」

 私に問い掛け乍ら、沙羅は黒猫を足で壁際まで追いやっていた。視界に留めておくには、あまりに雅に欠けて情緒に訴えかけてくるからであろう。沙羅は髪をツインテールに纏めて、流行り始めたルーズソックスを履き、制服のスカートは極端なまでに短くしていた。セックスアピールの手段としては陳腐であったから、沈黙の螺旋が敷かれて、同調圧力に屈したとみるのが妥当だ。

 「此の儘、帰ろうと思う。鞄を持って来てくれないか?」

 沙羅は渋面を浮かべた。

 「内申点に響くと思う。私の思考は先生に盗聴されているから、拡声器で村全体に放送されてしまうわ」

 「付き合いたくないなら別に構わないさ。俺が裁かれない理由、分かってないわけないだろう?」

 沙羅は眉間に皺を寄せて、両の目を閉じつつ何度か頷いた。

 「贖宥状が二枚発行されていることは知っているわ。真向と坂本君にね」

 私は天を仰いだ。生憎と曇天だったが、今の心境を忠実に反映しているようで滑稽だった。沙羅が私と坂本について嫉視していないのは明白なのだが、贖宥状という云い回しになんの含みもなかったなどと、悪足掻きが過ぎた弁明はしまい。沙羅は学問を等閑に付すようなことはせず、真摯な姿勢で短所を補い奮励した。中学二年生の期末考査では、私や坂本に次ぐ上位三名の仲間入りを果たし、学生たちが己がじしなさねばならぬ一般教養の習得成功を示して見せた。更に上を求められるのは必至なのだが、私たち同様、朱鷺高等学校への進学を打ち明けた時分、強く慰留されたと聞く。地元で最も偏差値の高い県立高校に進学することが落ち度なのかどうか甚だ疑問だった。私立高校と違って法外な寄付金や授業料を請求されないのだから、無理を押して中央の進学校へ行くメリットがあるのかどうなのか、私みたいな浅慮ではとても計れそうにない。朱鷺高等学校の教育と、開成高等学校や灘高等学校のような進学校の教育にどの程度差が出てくるのか、結果三年後にどのような開きが出てくるのか、納得した説明があってもよいのではないだろうか。個人面談ではそこいらが漠然としており、鮮少な情報から割り出せたことは朱鷺高等学校に対しての不明瞭な噂についてだ。

 今だから披瀝するのだが、個人面談、三者面談終了後、私たち三人の待遇は見るからに悪くなった。精々腫物に触る扱いが、すっかり鼻摘み者だ。他にも朱鷺高等学校へ進学意思を明示した生徒たちは、教師たちからあからさまな冷遇を受けた。沙羅も多分に漏れず、豹変した教師たちの態度に不信感を拭えなかった。推察するまでもなく朱鷺高等学校へ進学することは、学校側にとってなんらかの不利益を齎すのだろう。肝心な不利益とはなんなのか、事由については些かの論もない。どうやら真相はその噂とやらに隠されているようだった。私が進学意思を表明した朱鷺高等学校の情報は先方が開示してくれた。朱鷺高等学校へ直接連絡を入れた際、事務員から代わって田丸博学校長自らが、私に学校見学を提案してくれた。オープンキャンパスの日程は既に公開されていたのだが、学校にはその旨を知らせる情報は張り出されていなかった。隠蔽工作が行われたのか、偶々学校に情報が伝わっていなかったのか、勘ぐっても仕方がなかったので学校見学の日程を指定の用紙に記入して提出した。受理されたが、職員室の空気は水を打ったように静かだった。

 学年で主席を占める私の進路希望先が広がり始めると、予想外であったのか他の生徒たちが色めき出した。確かに地元で有数の県立高校ではあったが、傲慢な云い方を許してもらえれば、私の力を持ってすれば奨学金制度を利用してでも都会の進学校へ通学できるはずだった。実際、奨学金制度の話は担任から持ち掛けられたのだが、私は取り付く島もなく断りを入れた。上京しようと云う野心は、時期尚早と判断したのだ。家庭の経済力も考慮した。父親は三年前に他界して、母親は多感だった私の陶冶を一身に背負うことになった。村の良い処は、そうした弱者を捨て置く習慣がなかったところだ。煤嶽村の子供たちは村民全員で育てる暗黙の了解があった。母親は村の者に世話されて、簡易郵便局の職員として採用された。お蔭で贅沢しなければ生活に困窮することもなかった。然して娯楽があるわけでもなく、否が応でも勉強で時間を潰すよりほかない環境下ではあったが。私が云うのもなんなのだが、こうした捻くれた性格も、村民たちは扱いに難儀していたが、一定の理解は示してくれていたと思う。家庭環境から難しい年頃の子供がいると云う証明問題は、共通の解である愛と云う模範で証明された。私は坂本と沙羅を連れ、図書室を利用しながら不明瞭な噂について、それぞれが見聞きした情報を交換しあった。共通していたのは、朱鷺高等学校に在籍していた学生たちの思想が、大きく様変わりしていった事実についてだ。

 日本人の多くはモダンリベラリズムに傾倒しており、自由を重んじ社会的公正を志向する思想体系に異議を唱える者は少ない。朱鷺高等学校の生徒たちも、モダンリベラリズムを自身の思想に掲げている者が多かった。思想が述べる自由とは、内奥の真実と外的世界の変化を通して、調和ある自己と平和を構築していくことにある。根源は自己にあり、自我にはない。自由が最も必要な要素は、他者の存在であり関係にある。他者への働きかけによって自己の変革を促す。それがモダンリベラリズムの生き方だとした。モダンリベラリズムは奔放な振る舞いを指すのではない。自身の思う侭に行動することである。自由であると云うのは、内面の思いが大切なのだ。思いとはなにか、その根本はどこに帰属するのか。思いの大本は思いの対象になければならない。対象の働きかけは、自己の内面が反映されたものである。と同時に、その働きかけが自己の思いに反映されるからだ。反して勝手気儘に振る舞うことは、他者の思いが全く反映されていない。故に傍若無人な振る舞いは、自由とは真逆の姿勢をとっているため対極に位置する行動である。自己の心情が向く対象者に察しや思いやりが皆無であれば自由は成立しない。そのため、モダンリベラリズムの定義は愛なのだと云うべきだろう。その模範と云うべき生徒たちが、ある日を境に奇行に走るようになり、中には攻撃的な人格になって周囲の者に危害を加えた事例が発生した。

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