第3話 PLはKPを困らせる存在ではいけない?

 煤嶽村のインフラ整備が急速に進んだのは、私が三十路の風を感じ始めた頃だ。三位一体改革における地方分権化が進み、自治体は財源確保のために新たな取り組みを模索して奔走した。家屋を低価格で販売したり、家賃の賃下げにも積極的に働きかけたりと、新規の村民確保に躍起となった。裁量権の拡大は地方自治体の責任が増すばかりでなく、煤嶽村のように已むに已まれぬ事情があったにせよ、公共事業に焦点があてられ始めたことは好ましいことだった。ただ、地方交付税は当てになる額ではなく、自主財源から公共事業を賄うとなれば自ずと限界がある。ましてや、煤嶽村のような規模の小さな自治体の財力はたかがしれており、ダム、港湾、道路、通信施設、発電所などの産業基盤はおろか、社会福祉や環境施設の充実となれば、成果のほどは不十分と云わざるを得なかった。

 私が学生時分に、インフラ整備が進んでいなかったと云えば嘘になる。寧ろ、今に比べて充分な資金が確保されており、煤嶽村は第一次成長期を迎えていたと云っても過言ではない。理由は至極明確だ。当時、朱鷺高等学校に田丸博学校長が就任したことが大きかった。田丸博学校長は煤嶽村の村長であった香月史郎氏に、挨拶がてら財源捻出の惨憺を慮って水力発電所の誘致を提案した。朱鷺高等学校の背後に、一際大きく聳える三笠山を源流とする神無月川が煤嶽村の中央を流れており、村の面積の約七十パーセントが森林である。人口は千六百人を数え、六十五歳以上の高齢者が人口比率の四十パーセント以上となっており、煤嶽村は過疎地域に指定されていた。村民税は個人法人合わせて一人当たり平均六万八千円、固定資産税の平均は八万八千円であることから、とても公共事業に乗り出す状況ではなかった。

 そこで田丸博学校長が提案した水力発電所の誘致案は、財政難そのものを大型の固定資産が煤嶽村に所在させるだけで解消されると云うものだった。固定資産税は土地、家屋及び償却資産と固定資産を課税客体として課せられるものである。よって、固定資産税を急増させたければ、特異の固定資産を煤嶽村に誘致したらいいのだ。田丸博学校長は用地交渉に自ら同伴する旨を申し出た。勝算があってのことだろう。私が後に知り得た情報によると、田丸博学校長と東京電力の牧田取締役は旧知の間柄だったと云う。交渉するに当たっても、それなりの配慮がなされることは明白であり、田丸博学校長にとっても根回しなしに自治体に恩を売る好機でもあった。

 香月村長は田丸博学校長の提案を受けて云った。

「お分かりだろうと思いますが、償却資産の課税評価額は取得評価額から毎年その耐用年数に応じた減価率を乗じることによって算出されるため、固定資産税は初年度をピークに年々数パーセントづつ低下していきます。恒久的な年金として期待している訳ではありませんが、増収分は煤嶽村振興発展基金として積み立てる必要があります」

 田丸博学校長は、厳かな表情で香月村長の話に耳を傾けていたが、やがて緩慢に口を開いた。

「そう云った話は誘致が成功してからにしましょう。私が朱鷺高等学校に就任が決まった時から、煤嶽村の状況は見過ごせない事案です。煤嶽村の発展は我が校の成長に必須であり、優秀な生徒を中央に送り出す事態にならぬよう、故郷への愛着を喚起する必要があります。財政難は一刻も早く解消していただき、公共事業に着手できる状態を作り出せねばなりません」

 「ですが、思い切ったことを考え付いたものです。水力発電所の誘致ですか……」

 「どうしても、火力発電では環境破壊の懸念がありますし、原子力発電に到っては放射能漏れの恐れがあります。遅かれ早かれ、再生可能エネルギーに目を向けざるを得ない状況だったのです」

 香月村長の顔色が変わった。

 「この機に乗じて、と云うことですか?」

 田丸博学校長は頷く。

 「どの電力会社も再生可能エネルギーに着目しているし、あわよくば実験も兼ねて設置、運営を目指しています。ただ、理論上は可能でも水力発電は本質未完成であり、設置に関してもダムを建設する以上は景観を損なうことにもなります。完成には後数十年はかかるであろうし、積み上げるべきデータ収集も必要です」

 「実験場を設けさせてあげる代わりに、電力会社から資金を引っ張ろうと云うことですね」

 「三笠山は裾野が広い、村の中央は神無月川まで続いています。発電に欠かせない水の流れる力を利用するという点からも、高低さがある分、落差のあるダムを建設しやすいメリットがあります。水力発電所を設置するには最も適した場所です」

 香月村長は感服したと云うように頭を下げた。

 「恐れ入りました。大変な情報網をお持ちのようだ」

 「誘致が成功すれば莫大な税収入を、村民の負担なしに獲得できる。振興発展基金も宜しいですが、私は第二矢を企業の誘致に絞り込みたいのです」

 「と、云いますと?」

 「課税評価額が毎年減少するダムや発電所などの償却資産からの税収とは異なり、企業が転出せず且つ利益を出し続ける限り、安定した財源が確保できます」

 「成程、所在企業の設備投資によっては、亦、固定資産税も増収される仕組みですか」

 「察しが早くて助かります。工場が建てば煤嶽村に新たな雇用も創出されます。問題があるとすれば、誘致した企業が風邪を引けば此方側は肺炎になると云う一点だけです」

 二人がこうした遣り取りをしたかどうかは私の想像だが、大体において本筋から遺脱していない筈だ。誘致の話は着々と纏まって、煤嶽ダムに湛水が行われ、私が朱鷺高等学校に入学する六年前の十二月二十日に営業運転が開始された。地方税法三百五十九条によれば、固定資産税の賦課期日は当該年度の初日の属する年の一月一日とするとあった。この規定により、十二月中に水力発電所が運営できなければ固定資産税の課税対象とならず、増収が一年先送りになってしまう。私が役場に行って聞いた話では、年末が近付いていたので翌年度の税収動向を懸念して、予算を二通り用意していたほどだったと云う。資料によると、煤嶽村にダム、水力発電所などが誘致されてからの固定資産税の総額は二十五億円にも上っている。前年度の固定資産税額が約五千五百万円であることから、殆どが水力発電所関連の増収だった。

 資金の潤沢は発展の一助となり、商業施設の開発を促した。隣村の南櫛灘村に向かう中央道は、M不動産やM地所の建物が並んだ。テナントも多数に上り、こうした優良企業が軒を連ねる意味は大きかった。人口も右肩上がりに推移しており、二人が画策した目論見は概ね順調に遂行された。なにより雇用の安定が村全体の経済を安定させた。林業による第一次産業が主流だった煤嶽村の現況を、複数の企業が集約されるところから生じる貨幣と人の動きでもって、村になかった新たな雇用を促した。SEジャパン、Wグループ、マツモトKも流れに乗じた。それでも開発は局所集中であり、煤嶽村全体を見渡せば依然手付かずの侭の処も多く、生活水準が飛躍的に向上することはなかった。不必要な森林伐採に拠る開発は村民の反駁も大きいのだ。開発は煤嶽村西方に偏っていった。

 此れにより、今まで連帯意識で臨んでいた南櫛灘村との共存共栄の形は必然的に薄れて行き、やがて両村は資金格差の現状から深い溝ができ、時を待たずして関係が断たれていくこととなる。そんな折、危機感を持った香月村長は南櫛灘村の村長である新見義輝氏に、アミューズメントパークの誘致を立案、誘致した企業の開業資金を負担する名目で、資金の半分を出資する旨を申し出た。然し乍ら、田丸博学校長の二番煎もあってか中途で頓挫した。騒音と塵の問題を解決する術を見出せなかったと云うのは建前であり、実質は両村の自治体が資金面で折り合いがつかなかったためだ。香月村長は兎も角として、煤嶽村の村民たちは南櫛灘村の者たちにあまり良い感情を抱いていなかった。それは南櫛灘村の村民たちも同様である。旨趣は追々していくこととするが、今は割愛させていただく。此処で云えることは、形はどうであれ兄弟仲は決して良好ではなかったと云うことだ。

 片や朱鷺高等学校の学校長である田丸博は、拓かれつつある煤嶽村にある程度は満足していたのだろう。急速な発展ばかりが、正しい訳ではないのだ。村民の生活が一夜にして様変わりするなどと、そのような妄想を抱くのは子供の見る夢である。舗装されていない獣道、錆び付いたバス停の標識、未だ点在する藁葺き屋根の家が煤嶽村に住まう村民たちの意思なのだと、倫理の授業中に田丸博が自ら教鞭をとって語っていた。私は過去を想起するにあたり、田丸博と云う男の深層心理に触れた気がした。

 精神科医の真似事が狂言回しの役目ではないことは自覚している。傾聴してくれる者に、物語の洞察を助勢する一臂の力であれば良いのだ。私が進行役など烏滸がましい限りだが、今更代役も期待できまい。寧ろ、私が適任なのだろう。実際、その場に居て肌で空気を感じたのだから。照り付ける不祥な陽光の傲慢さ、乾いた空気の執拗な白々しさ、私は煤嶽村に吹く余所余所しい阿りの風が嫌いだった。共存と伝統を振り翳す退化した老害共の保身が、なにより私の気に食わなかった。今だ青臭く未成熟な私の虚勢心は、昔から成長の兆しすら見られない。能動的であればこそ人は前を向いていられるのであり、革新に触れるたびに生の愉悦に傾倒していけるものだと盲信していたからである。私の生来の気性が気性なだけに、雑輩たちが遠巻きに見やり扱いに倦ねていた。私は神童と持て囃された驕肆の産物であり、煢煢となっていったのも得心が行く。鶏群の一鶴であるなどと矜持に溺れ、人の心を察して思い遣るより小馬鹿回しに明け暮れて、爾来、対応に難儀する賢しい子供と云う認識を持たれるに至った。

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