第7話 イベント


ACT7 『イベント』



ピリルルル・・・ピリルルル・・・

その電子音は、更なる不幸を告げる音。

ピリルルル・・・ピリルルル・・・

その電子音は、更なる地獄を告げる音。


私は、馴染みのお客さんに、イベントの通知をしようと思い、携帯を取り出した。

すると、如月さんから5件の着信があった。それに気付いたのは、店を出た後だった。

私は少し嬉しくなって、さっそく如月さんに電話をかけてみた。

「あ、如月さん、セイラです。電話出れなくてごめんなさい」

「・・・・・・・・」

「もしもし?如月さん?」

「う、うぅ・・・・・・」

おかしい。電話先の如月さんの声は、あきらかにおかしかった。

「もしもし!どうしたの?!」

私は、思わず声を上げた。

「香取瀞裸だな・・・」

すると、電話先で、聞き覚えのない声が聞こえた。

「誰、あなた・・・?如月さんはどうしたの!」

私は、少し取り乱し、更に大声を出した。

「落ち着け、香取セイラ・・・如月は無事だ。まぁ、ちょっと痛めつけてやったがな」

「あなた、如月さんに何をしたの?!」

「そう大声あげなさんなって。なぁに、この男がちょっと俺たちの金に手をつけようとしたからな」

「如月さんがお金に手をつけた?・・・一体どういうこと?!」

「ま、それは、この男に直接聞いてくれ。とにかく、こいつの命が惜しかったら指定した場所に来い」

「わ、わかったわ。言うとおりにするから、場所を教えてちょうだい」

「・・・来るな・・セイラ・・・・・・うるせぇ!余計な事ぬかしてんじゃねぇ!ガヅン!」

電話先では、如月さんが殴られる鈍い音がした。

「やめてッ!如月さんにそれ以上酷いことをしないで!」

「へへへ、今から○○港の4番倉庫に来い。そこでこいつを返してやるよ。」

「わかったわ、すぐに向かうわ」

私は電話を切ると、タクシーを呼び止め、指定した場所にすぐさま向かった。

「ちょっと!何トロトロ走ってんのよ!もっと早く走ってちょうだい!」

私は、タクシーの運転手に怒鳴りつけて急がせた。

とにかく早く!・・・身の危険の迫っている如月さんのもとへ、早くいかねば!



そして、私は港についた。タクシーの運転手に1万円を投げつけ、全速力で4番倉庫に向かった。

「はぁ、はぁ!如月さん!どこなの?返事をして!」

パッ!

突然、照明が明るくついた。すると、倉庫の奥に、4~5人の人影が見えた。

そして、その傍らに、手足を縛られてうずくまっている如月さんがいた。

「如月さんッ!」

「おっと待ちな!この男を返して欲しけりゃ、条件がある」

その集団のボス格のような男が言った。

「な、何なの?早く言いなさいよ!」

「こいつは、俺たちの大切な情報源を盗んで、他所に売ろうとしたんだ。その落とし前をつけてもらう」

・・・如月さんの仕事は、堅気ではないと知っていた。

だけど、それは私も同じ事。食うために人を利用しているのは同じことだ。

「で、いくら欲しいの?」

「ほう、ものわかりがいいな。さすが、もとナンバーワンホステスだけはある」

こいつら・・・私のことをそこまで知っているというの・・・?

「だが、今じゃ落ち目らしいな、え?人生楽ありゃ苦ありってか?ぎゃははは!」

私は、大笑いしている男どもを睨み付けた。

「おっと、コワいコワいなぁ。とにかくこの男の盗んだ情報料を返してくれれば、殺しはしねぇよ」

「・・・いくらなの?その金額は・・・」                                                                      

「・・・500万だ・・・」

!!

無理だ。今の私にはそんな金額はない。それに、先日借りた借金300万がそっくり残っているのに。

「あんたに今すぐ払えと言っても無理なことはわかっている。だから、俺の知っている金融会社で借りるんだ。ま、ちいっと利息は高いがな」


話のスジは読めた。

如月さんに盗まれた情報料として、こいつらは、私に借金をさせて取り戻そうとしているのだ。

「・・・よせ、セイラ・・・こいつらの言うことを聞いちゃいけない・・・」

如月さんは、弱った体を起こして言った。

「うるせー!てめぇは黙っていやがれ!」

ドカ!バキッ!

男達に囲まれて、如月さんは芋虫のようになって蹴られた。

「やめてーッ!何でもするからッ!その500万だって、私が借りるからッ!」

「ふふ、そうか。あんたがそう言うんだったら仕方ねぇ。じゃあこの誓約書に名前と印鑑を押しな」

その男の差し出した誓約書に、私は名前を書いて拇印を押した。

「これでこの500万は俺たちのもの、そして払うのはあんただ、セイラさんよ?」

「わ、わかったわ・・・私が命に代えても、必ず払ってみせるわ!」

「さすがシャトーのナンバーワンだな。肝が据わっていやがる。おい、そいつを放してやんな」

如月さんはロープを解かれ、私の前に投げつけられた。

「如月さん!大丈夫?!」

「せ、セイラ・・すまない・・俺がドジ踏んだばっかりに・・・」

「ううん、いいのよ。あなたが無事でいるならそれでいいわ」

「・・・まったく情けないぜ、俺としたことが、とんだドジを・・・」

「いいから、いいから如月さん・・・」

私は、傷ついた如月さんを優しく抱き寄せた。そして、このひとが無事であることに嬉しくて泣いた。


帰りのタクシーで、私は、傷ついた如月さんの手をずっと握り締めていた。

そして、アパートに入ると、傷を消毒して包帯を巻いてやった。

「あつつ・・・」

「大丈夫、如月さん?」

「あいつら、思いっきり蹴りやがって・・・」

私はこの時、如月さんの言葉と表情に、どこか違和感を感じた。

「ん?どうしたんだ、セイラ」

「う、ううん、何でもないわ・・・それより、何でこんな無茶なことをしたの?」

「あいつらの情報を奪えばそれだけ金になる・・・それをセイラに渡したかったんだ・・・」

「わたし・・・の為に?」

「ああ、そうすれば、早く借金も返せるし、手術だってできる・・だから・・」

「如月さんが危険を冒してまですることないわ!お金は私が自分で稼ぐから・・だから!」

私の頬に涙がつたった。何年ぶりだろう、こんなに悲しくて涙を流したのは。

「ゴメン・・セイラ・・・結局、キミには迷惑をかけちまった・・・」

「いいの!いいから・・・もう無茶はしないでね・・・」

「ああ・・・もうしないと約束するよ」

「もう・・・バカ、バカ、如月さんのバカ!・・・・ばか・・・・・」

私は、こみ上げる涙を隠すため、如月さんの胸に顔をうずめた。

如月さんは、そんな私を優しく抱きしめてくれた。

そして、私は如月さんと、濃密な時間を過ごした。

シャトーのイベント、一週間前の夜だった。



借金の額は、800万になってしまった。

とにかく、一ヶ月後の支払日までに、少しでもまとまった金を用意しないといけない。

そして、少しでも利息を減らさなければ、雪だるま式に膨れ上がるのは目に見えている。

シャトーの復帰イベントに賭けるしかない。

それに成功すれば、私の売り上げ数百万は確実だろう。

それから、少しずつ指名客を増やしていけば、半年ぐらいで完済することが出来るだろう。

私は、今までの馴染みのお客さんに、電話で復帰イベントの事を通知しまくった。

だいたいの客は、私がお願いすると返事ひとつで来てくれると言ったが、中には、もう他の女の子に乗り換えている客もいた。まぁ、それは仕方ない。私が店にいなければ、寂しくて他の子を指名するのも仕方ない。

だから、そういう客にはどうするかと言うと、おもいっきりオシャレして、胸と足を露出した服を着て、昼間に会って軽く食事をしてやるのだ。すると、鼻の下をアゴの下まで伸ばして、イベントに来てくれると約束してくれた。卑猥な妄想が、現実になるかもしれない期待感が、客の心を変えるのだ。

手応えとしては、まずまずの人数を確保することが出来た。

それを、高いボトルを入れてくれそうな客をピックアップし、5日間に均等に振り分ける。

そうしないと、売り上げがまばらになってしまうからだ。

一日だけトップになれば良い訳じゃない。5日間全て、売り上げがトップじゃないといけないのだ。

それが、あの憎っくき古代有里を、完膚なきまでに打ち負かす方法なのだ。

私は、ユリを跪かせることばかりを考え、復讐に燃えていた。それが私の原動力なのだ。



そして一週間が経った。いよいよ今夜は、シャトー復帰のイベント日だ。

「そろそろ支度するわね」

ふとんに寝っ転がり、テレビをぼーっと見ている如月さんに言った。

如月さんは、よく私のアパートに泊まっていくようになった。だが、あの事件以来、仕事を辞めさせられ、現在ではプー太郎だ。それは仕方ないとしても、最近の如月さんには覇気がない。

なんというか、自分に疲れてしまい、自分以外を批判し始めている。

「俺がうまくいかないのは、世の中のせいなんだ!だから、俺がいくら頑張ってもムダなんだ!」

お酒を毎日たらふく飲み、そんな愚痴をこぼしながら眠りにつく。

今の如月さんには、男としての魅力がなくなっている。でも、それでもいい。

私には、如月さんが側にいてくれるだけで良いのだ。元はと言えば、私を助けるために、如月さんが危ない橋をわたることになったのだ。だから、私が頑張って如月さんを救ってあげなければならない。

「じゃあ、いってきます」

しかし、如月さんは見向きもせず、返事さえしてくれなかった。私は少し寂しくなったが、早く彼を元気付けてやりたかった。その為には、このイベントを成功させるのがまず先決だ。

私は、メイクをしてもらうため、ルーテシア伊藤さんの店に向かった。


「あら、セイラちゃん。今夜はいよいよイベントでしょ~?だったら特別なメイクをしてあげちゃわよ~」

「特別?」

「そうよ、いつもよりも、いっそう美しく見せるためのスペシャルメイクよ~。どう、やってみる?」

「そうね、じゃあお願いするわ」

今夜は決戦の日なのだ。いつもより特別なメイクで勝負するのも悪くない。

出来上がったメイクを見て、私は驚いた。それは確かに、いつもより見栄えのするメイクだったからだ。

「ありがとう、ルーテシアさん!じゃ、いってきます!」

「ふふ、いってらっしゃい。あなたに幸ありあますよ~に・・・うふふ・・・・」

どこか不気味な笑みをする、ルーテシア伊藤。彼の笑いの意図は何なのだろうか?



シャトー開店。

店の前は、いつもよりも豪華絢爛な花束と装飾品で彩られていた。

イベント。

その言葉の持つ特別な響きが、お客の心をくすぐる。

いつもとは違う何かを期待したお客が、まだ時間も早いというのに、わらわらと来店してくる。

私にはそれが、ゴキブリホイホイに誘われているように見えた。

客層は、セイラの復帰イベントだと知らないお客達であった。これで更に、セイラのお客達が来店してきたら、とんでもない人数の客が来ることになる。それを感じ取った店長は、ある程度のところで、新規のお客の入店を断ることにした。


「ふー、やっぱイベント日は特別だな。新規のお客を断るのは気が引けるけど、馴染みのお客さんへの感謝の日でもあるからね」

店長は、万遍の笑みで接客をしていた。これこそ、店長冥利に尽きるのだろう。

それだけ贅沢させてあげたんだから、感謝しなさいよ、店長。私は心の中でそう思った。

「さぁ、みんな、早く席について!お客さんをお待たせしちゃいけないよ!」

店内のスタッフたちも大忙しだ。そして、早くもドンペリのオーダーが入った。お次はビンテージワインのオーダーも入った。どちらも、セイラの馴染みのお客さんだった。

それからも、あちこちのテーブルから、高級なお酒のオーダーが続いた。

たった30分。開店して30分しか経ってないのに、すでに店の売り上げは600万を越えてしまった。

「さすがセイラちゃんだ!この店始まって依頼だよ、こんなに早くてすごい売り上げは!」

店長は狂喜乱舞といった感じだ。


「セイラちゃん、久しぶりだね!今までどこ行ってたんだよー!あ、まさか彼氏と別れたとか?」

「実はそうなんですよー、そのショックを癒すため、山奥の温泉でしばらく暮らしてました」

「それ、うそだろー!本当はどうなの?」

「うふふ、ご想像におまかせします。でも、彼氏がいないのは本当ですよ」

「え、そうなの。じゃ、俺、立候補しちゃおっかなー!」

「ホントですかー?うれしいなー」

「よーし、じゃあ、二人の交際を祝ってドンペリ入れちゃうか!」

「わぁ、やったぁ。ドンペリピンクお願いしまーす!」

こんな調子で、私は売り上げを上げるために精を出した。

やはりいい。久しぶりの接客。

この緩やかな流れの中での緊張感、いかにして相手を喜ばせ、そして謎めかせ、そして期待させる。

やはりバカだ。男というのは。

こんな簡単に単純に、ポンポンとお金を使ってくれるのだから。私はこの調子で、いくつものテーブルをまわり、高級なお酒のオーダーをとった。そして、閉店を過ぎてみれば、私の売り上げは、過去最高額になっていた。


「お疲れさま、さすがセイラさんですわね」

化粧室の鏡の後ろで、タオルを持ったミドリが立っていた。私はそのタオルを受け取った。

「ありがとう、ミドリさん」

「どうやら初日は無事に終わったようね」

「無事・・・?どういうことかしら、ミドリさん?」

相馬ミドリ・・・相変わらずトゲのある物の言い方をする女だ。

「これは好意で言ってあげているのよ、いい、ユリに気をつけなさい」

「ユリ?何を言っているの。今夜の売り上げは、桁違いで私のトップだったわ」

「そうですわね・・・だけどあの子は、たった三日でトップの売り上げを出したのよ」

それは、ミドリが不甲斐無いからだと言おうとしたが、言い合いになるのも面倒臭いので止めた。

「ありがたく聞いておくわ。でも私は負けない・・・絶対に負けられないのよ!」

私はタオルをミドリの肩に掛けると、化粧室を後にした。


セイラの去った後を見詰めるミドリ。

「セイラ・・私はあの子をずっと見ていましたわ・・・すでにあの子は、あなたの客すらも奪っていますのよ・・」

意味深なミドリの言葉は、はたしてそれは真実なのだろうか?



イベント2日目。

これもセイラは順調に売り上げを出し、連続トップであった。


そしてイベント3日目。

ついに変調が起きた。ユリの売り上げが、グングンと上がってきているのだった。

それにも増して驚きなのが、イベント初日に来てくれたセイラの客が、ユリを指名していたのだった。

そして、着実に、新規のお客を増やしていった。

「ドンペリはいりますよー」

しかも、ユリを指名した客は、高級酒のオーダーを次々に入れていった。


セイラは動揺した。不測の事態に。

「私が渾身の接客をしたというのに、それでもお客はユリを選んだっていうの?それに、たった一度、たった数分、ユリがヘルプでついただけで、あの子を気に入ってしまったというの?ありえない!こんなバカなことはありえないわ!」

それに、今日に限って、約束したお客が店に来ない。この日のセイラの指名は、まだ一本もなかった。

セイラは電話やメールで連絡をするが、お客には誰も繋がらない。

「こんなバカな・・・これは何かの間違いよ・・・ユリの目の前で、格の違いを見せ付けてやるハズだったのに・・・それなのに、それなのに・・・・」


指名のない私は、ヘルプにつかされるしかなかった。スタッフもそれを少し忍びないと思っていたようだ。私がついた席は、5人ほどの団体のお客だった。そこで指名されていたのはユリとモモであり、指名した客は、以前に私を指名し、おとといのイベント初日にも私を指名していた客だった。

その客は、少し気まずそうな顔をしていたが、私との視線を避け、ユリの手を握ってニコニコしていた。

屈辱である。よりによって、この席のヘルプにつかされるとは・・・

もうひとりのヘルプには、ミドリがついていた。ミドリの顔はかなり強張っていた。やはり、ミドリにとっても屈辱なのだろう。まだ入って間もない後輩のヘルプとは、それだけ胸糞悪いのである。


「モモちゃんと私は、ガッコでも仲がいいんだもんね~」

「うん、そうだもんねー、ユリちゃん」

私は水割りを作りながら、あまりにも幼稚な会話に呆れ、米神に血管が浮き出てしまった。

「私とセイラさんは、この店で働く前から知り合いなの。とっても仲がいいんだよ~、ね、セイラさん」

ユリが、私に話題をふってきた。

冗談じゃないわ!私はあなたを憎んでいるのに、それなのに仲が良いですって?!

この女・・・ただの天然なのか、それとも全て計算してやっているのか・・・どちらにしても、私に返答しづらい会話だ。しかし、ここはお客の手前、場を壊さないようにしなくてはならない。

「そうね、ユリちゃんと私は仲良しだもんね。でも、どちらかというとライバルかな?」

「そうそう、マドンナたちのライバルだもんね~」

「ユリちゃん、それを言うなら、マドンナたちのララバイでしょ!」

「わはは!懐かしー!」

どうやらお客には受けたようだ。それにしても、ツッコミ役を私にさせるとはいい度胸じゃないの。

ただの天然ではなく、頭の回転も少しは利きそうね。よぉし、どれだけのものか試してやる!

ボケツッコミの絶対的能力は、私の方が上だと思い知らせてあげるわ!



漫才



「セイラさんってお笑いの世界のほうが似合っているみたいですね」

モモが、万遍の嫌味がこもった笑顔で言った。

私は、悔しくて悔しくて、うっかりグラスを落としてしまった。

ガチャン!

しまった。店内の空気が一瞬止まった。

「あらら、セイラさん、お客さんの顔に見とれちゃったみたいー」

モモの、嫌味満載のフォロー。だが、実際これで私は救われた。店内にドッとした笑いが起き、もとの空気に戻ったのだから。昔、私がしてやったフォローを、まさかこの小娘にしてやられるとは。

屈辱を越えた殺意が芽生えた。この女、いまここで殺してやろうか。

しかし、ここでパージフレア(粛清の炎)を使うわけにはいかない。せっかくのイベントが台無しになってしまう・・・でもすでに、このイベントに意味があるだろうか?このままでは、私の売り上げトップはありえない。

だったら、もうこんな事をしていてもしょうがないのではないか・・?

セイラの頭の中に、真っ黒な暗雲がモクモクと渦巻いていた。そしてそれが、分散して激しく弾けた。

ガタンッ!

セイラは立ち上がり、ユリのいるテーブルに思いっきり足を乗せた。

「ちょっとあんた!いいかげんにしなさいよ!」

ユリと、テーブルにいた客は、目を真ん丸くして驚いた。

「え・・・な、なんですか、セイラさん・・・」

「ふん!そんな困った顔したってムダよ!あんたがどんな手口でお客を奪ったか、だいたい想像がつくわ!あんたはお客と寝たのね?!そうよ、そうに決まっているわ!じゃなけりゃ・・・!」

それを見兼ねた客が口を挟んだ。この客は、以前、セイラを指名していた客だった。

「ちょ、ちょっとセイラちゃん!いくらなんでも、それはユリちゃんに失礼じゃないか!」

「よく言うわ!あんたみたいなエロオヤジがいるから、体を売ってまで指名をとる女が出てくるのよ!」

「な、なんだと!ワシはユリちゃんの直向なところを気にいったんだぞ!体の関係なんかないわい!それにワシを侮辱した発言は失礼にもほどがある!店長を呼べ!店長を!」

「そうだぞ、いくら何でも今のは言いすぎだ!取り消せ、セイラ!」 「ユリちゃんにも謝れ!」

同じテーブルにいた客も、私を寄って集って非難する。


店内は騒然だった。

今までセイラを指名していたお客は、全てユリの味方についていた。

今までセイラを可愛がり、イヤラシイ目で見ていたお客は、手の平を返し、セイラを敵視していた。

敵と味方の狭間とは、なんと脆いのだろうか?たった一言のすれ違いが、幾重の隙間を生む。

所詮、人の心は変わるもの。時間という流れの中で、それは虚しくも顕著に現れてしまった。


バシャン!

突如、私の顔に水が掛けられた。

「何するのッ!」

私が振り返ると、グラスで水を掛けたのはミドリだった。

「セイラさん、今のあなたはこの場所に不似合いだわ。頭を冷やしなさい」

「何言ってるの!ミドリさんだってわかるでしょ?!このユリがどんな汚い手を使ったか・・!」

「・・・負けたのは、あなたなのよ・・・」

「!!」

この一言が、私の怒りを静めた。容赦ない現実を突きつけられ、私の意識は呆然となった。

店長に、無理やり頭を下げさせられ、謝らされた。

そして、スタッフに腕を引っ張られ、店の奥へと連れていかれた。

ふと振り返ると、何故かミドリまでが頭を下げているように見えた。



「ちょっとここで頭冷やしていて」

スタッフの配慮で、セイラはその席を変えられ、隔離された別の席に座らされた。

ソファーに腰を下ろす彼女は、惨めな負け犬のようだった。

セイラのお客は途絶えた。もう誰も彼女を指名する客はいなかった。

かつてのこの店の女王も、今では、生きる気力を失ったスラム街の乞食のようだった。

惨め。目からこぼれ落ちるのは、涙ではなくプライド。

惨め。肩に圧し掛かるのは、重圧でなく敗北感。

胸に刺さった錆びたくさびが、息をすることさえ苦痛にさせる。


(はぁっ、はぁっ・・・どうして・・・どうして私は負けたの・・・)

私は恐怖で震えていた。今まで、絶対的な自信を持って生きてきた私に、出来ないこと、負けることなどなにひとつなかった。

だが、あの古代有里を前に、どんな衝撃でも傷つかなかった私の心の水晶は、もろくもガラス細工のように砕け散ってしまった。

怖い・・・私は怖くてたまらない。もう何をしてもうまくいかない気がするし、どんなことも悪い方に向かう気がする。死神の鎌がこちらに向けられる。幸運が逃げ、悪運に取り付かれたイメージが、頭の中からこびりついて離れない。

私は、はっきり解った。怖くて震えたのではない。プライドを失ってしまった疎外感に震えていたのだ。

「・・・うう・・・ぅあ・・あ、あぁ・・・・!」

咽び泣きたい気持ちを必死に堪えたが、喉の奥から悲痛な声が漏れてしまう。



「惨敗だな・・・」

その時、私の横に誰かが座ってきた。

「お客さん、ちょっとお待ち下さい。ただいま席をつくりますので・・」

「いや、ここでいい」

スタッフが客を移動させようとするが、その客は、自分で勝手に水割りを作り出して飲み始めた。

「ぷはぁ~!やっぱり一流の店で飲む酒はウマイ、どこか味が違うな!」

「あ、あなた・・・」

見覚えのあるその顔。それは、私を取り調べした、あの時の刑事だった。

「久しぶり・・・でもないか、香取セイラ」

「何故、あなたがここに・・・それに、よくこの店に来るだけのお金があったわね」

「少々無理をした。と言っても、さらに借金が増えたに過ぎないが・・・そう、おまえのように、な」

「!!・・・あなた・・・なんで知っているの?私が借金していることを・・・」

「その特殊メイクもたいしたものだな。火傷の跡が全然わからないな」

「!・・そこまで知っているの?!」

「ああ、そんなの調べるのは簡単だ。だって俺は刑事だからな」

その刑事は、二杯目の水割りを勝手に作り、またグビリと勢いよく飲んだ。

「ふぃ!利くなぁ!やっぱ美味い酒だ」

「・・・一体何しにきたの・・・女の子を指名しにきたワケじゃなさそうだけど」

「おいおい、これでも俺はセイラを指名したんだぜ?今日は一本も入ってないんだろ、指名」

「う・・・」

私は言葉に詰まってしまい、それ以上言い返せなかった。

刑事は、タバコをポケットから取り出したので、私はライターで火をつけようとした。

「ふっ、プライドの高いおまえが、この俺に火をつけてくれるなんてな」

「それはあなたがお客さんだからよ、だから当然よ」

ライターを差し出す私の腕が震えている。まだ私は、ユリに負けた悔しさに動揺しているようだ。

それを刑事に悟られないよう、私は強引に心を落ち着かせた。

刑事は私の差出したライターで、タバコに火をつけ、煙をふぅっと吐き出した。

鼻から漏れる煙が、この男の下品さを現していた。その様は、どこか貧乏臭い吸い方だった。

職業柄、どこか落ち着きがないような、そんな吸い方だった。

「古代有里・・・・」

「!・・・」

刑事の口にした言葉に、私は激しく反応した。

「ヤツは大学なんかに通っちゃいない・・・学費が足りないからこの店で働いているというのもウソだ」

「・・・・・ど、どういうことなの、それは?!」

私は、少し取り乱し気味に声を出した。

「まぁ落ち着け・・・おかしいと思わないか、セイラ。いくらユリの人気が出てきたといっても、おまえの指名客が突然いなくなるなんて」

「そ、それはそうだけど・・・」

私だっておかしいと思う。でもそれは、ユリに負けた言い訳のようで、あまり口に出したくなかった。

「それに、今日来るはずだった客とも連絡がつかない・・・どうだ、ちがうか?」

「!・・・そのとおりよ・・・なぜ、あなたがそれを・・・」

「もしそれが、すべてユリの仕組んだワナだったとしたら・・・どうする?」

「そ、そんなバカな!いくらあの女でも、そんなことが出来るハズないわ!」

私はテーブルに手を叩き付けた。刑事はグラスに水を注ぐと、私に差し出した。

それを私は、コクリとひとくち飲んだ。

「まぁ、店の客を取ることは出来ても、おまえと指名客との連絡を絶つことは不可能・・・だが・・・」

刑事は、タバコを吸い終わると、それを灰皿に無造作に擦りつけた。

私は、刑事の次の言葉を、固唾を飲んで待った。

「もし他に、誰か他の人間と協力していたとしたら・・・」

協力?ユリ以外に、私から客を取ろうとした人物がいるというの?・・・それはまさか、モモ・・・

いや、あの女には、それだけの事は出来ないだろう。なんというか、直感だが、あの女にはそこまでの行動力と狡猾さはない。ただ私に恨みを晴らしたくて、ユリと組んでいるような気がする。

「それは一体誰なの?・・・ミドリ・・・いや、違う・・あの子は全力で私に勝たないと気がすまない性格をしている。だから、汚い手は使わないはず・・・じゃぁ、誰が・・・」

私は頭の中で、知っている人間をぐるぐると犯人に当てはめてみた。

しかし、ユリ以外に、それらしき人物は浮かんでこない。

「わかったわ!私を拉致したグラサンパーマ!・・あの男、どこまで私を苦しめれば気がすむの!」

「おまえを拉致した男か・・・確かにその男は、おまえに何かしらの恨みを持っていると言っていい。だが、今回、おまえをはめたのはこの男だ」

刑事は、テーブルの上に写真を放り投げた。それは、如月さんを拉致したグループのひとりだった。

「こいつが!・・こいつなのね!」

「そいつじゃない・・・そいつと繋がっていた男の写真があるんだ」

テーブルのその写真の裏には、もう一枚写真が重なっていた。

なんと!

その写真は、如月さんだった。

「・・・これって、どういうこと?・・・如月さんは、この男に拉致されたのよ?」

「詳細は不明だが、ひとつ言えること・・・それは、古代有里と手を組み、おまえを落とし入れようとしたのは、おまえの良く知っている人物、『如月卓司 (きさらぎたくじ)』だ・・・」

「うそッ!そんなバカな!あなたは私を騙そうとしているわね!」

「考えてもみろ、香取セイラ!俺がおまえを騙すために、わざわざ高い金払って、ここまで来たってのか?そこにどんなメリットが存在する?」

「そ、それは・・・それは、あなたが私を捕まえれなかったから・・それで恨んで腹癒せに・・」

「恨んでいるから、そんなセコイ作戦を立て、おまえを動揺させようとしたと言うのか?そんな回りくどい事は、俺の性に合わん」

「やめてッ!如月さんがそんなことするハズがない!」

「事実を受け入れろッ!香取セイラ!」

刑事は、私の腕を強く握ってきた。

「ちがう!如月さんは私のために優しくしてくれた・・・私のために傷ついたのよ・・・」

「おまえともあろう者が、やけにセンチメンタルになったものだな。それこそが、全て如月の作戦だったとも知らずに」

「やめてやめてッ!如月さんの悪口を言うのはやめて!・・・そうだ、ユリに聞けば全部わかるわ!」

「よせ!今の状態で、古代有里が本当の事を言う訳がない。益々おまえの立場が悪くなるだけだ」

「うぅ・・!」

確かにこの刑事の言う通りだ。今、ユリに問い埋めても、本当の事を言う訳はない。

あの、純情キャラで誤魔化され、私がますます悪者になるだけだ。

「俺はうそを言ってないよ・・・疑うのなら、如月卓司に聞いてみればいい・・・素直に言うとは思えんが」

「そんなハズはないッ!ぜったいにッ!!」

私はすぐさま店を飛び出すと、如月さんのいる自分のアパートへと向かった。

どこかで誰かが、私を落とし入れようとしている。その鎖はゆっくりと確実に私を締め付ける。

私の身に最近起こった奇妙な事件・・・それは不可解であり、私を確実に追い詰めていくのだった。



そして店が終わり、今夜の売り上げが発表された。

トップはユリ、そして2番にはモモ、3番はミドリだった。

・・・セイラの指名はゼロ。売り上げもゼロ。

五日連続トップであることが、セイラの出した条件だった。

この瞬間、セイラはこの業界を去ることになった。

そして、セイラのホステス復帰は、たった三日で幕を閉じることになった。


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