第3話 生きる糧
ACT3 『生きる糧』
痒い臭い、お腹が減った。
痒い臭い、お腹が減った。
痒い臭い、お腹が減った。
私はこの言葉を何度つぶやいただろうか?
たぶん一万回・・・いやその一万倍くらい?
とにかく私の頭の中にあるのは、『痒い』と『臭い』と『お腹が減った』という言葉だけである。
一日の食事は、わずかなおかゆのようなどろどろした液体。
ギリギリ一日分の体力を維持できる、最低限の栄養。
そして排尿は、その場で垂れ流し。
だって仕方ない。トイレなんてここにはないのだから。
コンクリートの冷たい床で覆われたこの部屋には、ほとんど明かりが差し込まない。
鉄の鎖に繋がれて両手両足の自由も一切なく、目隠しとさるぐつわのような拘束具。
そのさるぐつわには穴が開いているので、そこから食事のおかゆもどきを必死に吸い込む。
吸い込んだ際に、目の前に垂れ流した排尿の臭みも一緒に吸ってしまい、ゴホゴホとむせる。
栄養失調か皮膚病か何かで、体中がかぶれて痒くてたまらない。
だが掻きたくても、手足の自由が利かないのでそれも無理だ。
痒くて痒くて痒くて気が狂いそうになる。
わずか数センチの許容範囲さえあれば掻けるのにそれが出来ない。
このもどかしさは言葉では言い表せないぐらいに辛い事だった。
おまけにそのかぶれは、顔にまで及び、たまに膿のようなものがしたたり落ちるのがわかる。
そして風邪か何かで、全身の間接が痛くて頭が重い・・・どうやら熱もあるようだ。
倍の重力が体にかかったような重圧感と虚脱感。
こみ上げてくる胃液が、噴水のように口鼻から噴出し、液体だけの吐しゃ物を、その冷たい床にぶちまける。ツンとした異臭が鼻を刺激して痛い。そしてさらに気持ち悪くなる。
いつまでも続く闇と無音に気が狂いそうになり、舌を噛んで自殺しようにも、さるぐつわがそれを阻む。
何度も何度も声を上げて叫び続けてみたが、それが全く結果の期待できない行為だと気付くと、それも止めた。
殺して!いっそ殺して!
そう思った時期も何度かあったが、目の前のおかゆもどきをすする度に、私の細胞は必死に生きようと活動を開始してしまうのだ。所詮、人の意思など、最低限の栄養を摂取する前に、いとも簡単に断絶されてしまう。
生きたいのだけど死にたい。
死にたいのだけど生きてしまう。
ギリギリの感覚を保とうと必死で堪え、そのギリギリでいとも簡単に欲に覆されてしまう。
意思の矛盾を何度も超えていくうちに、精神の奥に根付いた根本の、欲の心理を知らされた。
プライドや恥などという感情は、この狭い世界には無意味である。
そんな言葉を適用できる物事が、ここには一切存在しないのである。
だってそれは、人と『接触』することが前提で成り立っているのだから。
そうだ・・・
こうなったら餓死すればいいのだ。
舌を噛んで自殺できないのだったら、生命活動の元を断てばよいのである。
この空間に、食事のおかゆもどきが運ばれるのは一度きり。
だいたいのカンで、それが一日に一度だと思うので、それを7回ほど行えばよいわけか。
私はとりあえずそれを、3回ほど我慢することにした。
次第に体の自由が利かなくなり、関節が痺れ、体を動かすのが億劫になってきた。
なるほど。これが餓死寸前の体調なワケだ。
それにしても腹が減って、本当にお腹と背中がくっつきそうで痛い。
思考回路は低下しているハズなのに、気がつけば食べることばかりが頭にうかぶ。
これはまだ、私の肉体が、生きるために必死でもがいている証拠なのだ。
私は、目の前におかゆもどきがあると思うと、それに飛びついてしまいそうになるので、足でお椀の食器を蹴飛ばした。
これでいい。これでもう少しだけ日が経てば、私は安らかに死んでいける。
そして、この苦痛ともおさらばできるのだ。
・・・・・・・・・
もうここに監禁されて何日経ったのかは全くわからない。
自分の髪の毛が肩から背中に長く伸びていることから、半年以上は経っているようだ。
私の意識はほとんどなく、眠りから醒めると空腹で意識がモウロウとする事の繰り返しだった。
しかし。
生命の過剰なまでの執念は、私を死に追いやることを拒んだ。
気がつけば、私は自分の排泄したものを口に含んでいたのだ。
生きたいという意志は、生命活動を維持する為に、とりあえず口の中に物を入れるという行為を無意識に行なってしまったのだ。
口に物を入れるのは何日ぶりだろうか?
そして不覚にも、私は自分の排泄物を美味いと思ってしまった。
その虚しさで、涙を流そうと思ったが、いっこうに涙が出ない。
その時、私の中で何かがプツンと切れ、決意したのだ。
ここまで醜い行為をしてしまったのなら、どんな事があっても生き延びてやろうと。
ここに閉じ込めた犯人に、私の受けた苦痛と屈辱を、倍以上味わせてやろうと。
私は口の中を強く噛み、肉を喰いちぎった。
そこから血がボタボタと垂れてきたので、それをゴクゴクと飲んだ。
肉を食いちぎった痛みより、飲んだ血の美味しさが勝った。
こんなにも『血』というものは美味しいものだったのか?
その美味しさが、生きる執念へと繋がった。
それ以来、私はくじけそうになると、口の中の肉を喰いちぎり、血を飲んで元気を取り戻した。
とある朝。
それが何故、朝だとわかったかというと、眠りから覚めると、わずかに日の光が刺しているのが目隠しの隙間から見えたからだ。しばらくぶりの朝を実感しただけで、私の体は喜びに包まれていくのがわかった。
「とれた!」
私はしばらくぶりに大声を出してしまった。
なんと、私の体の自由を奪っていた鉄の鎖が外れているではないか!
いったいどうしたことだと言うのか?まだ私は夢でも見ているのだろうか?
しかし、その瞬間、私は地獄のような苦痛を受けることになる。
「ぎゃあああーーッ!」
あまりの痛みで私の意識は消え、そこから記憶が途切れた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「そういえばさ、あの子、あれ、何て言ったっけ?」
更衣室の化粧台の前で、ファンデーションをブ厚く塗っている女がポツリと言った。
「あの子?ひょっとしてウチにいたセイラって子?」
その隣にいた女が、真っ赤な口紅を塗りたくりながら話にからむ。
「そうそう、そのセイラなんだけど、店のナンバーワンだったのに、何で辞めちゃったのかしら?」
「さぁ~ね~、トップの世界ってのはいろいろシガラミありそうだから。誰かの恨みでも買ったんじゃないの~?」
皮肉っぽくはき捨てるような言葉。それを聞いて、ピクリと反応するひとりの女。
「さぁさぁ!くだらないお喋りはやめて、早く仕度を済ませてよ!そろそろお客の来る時間よ!」
いまではこの店のナンバーワンであるホステス、『相馬 ミドリ (そうまみどり)』が大声を出す。
「な~に、ミドリったらチーママ気取りなのかしら?」
「いくら指名が多いからって、私たちに命令する権利なんてないのにね」
小声で文句をいうホステスを、ミドリはキッと睨みつけた。
「あ~ら、どこかで負け犬の遠吠えが聞こえるわぁ!この世界は実力次第ってことをわかってらっしゃらない人がいるみたいですわねぇ!」
ミドリは露骨に、全員に聞こえるように大声で言った。
ほとんどのホステスはミドリに従っているので、その少数の2人はたじろいだ。
「ちょ、ちょっとミドリ!それってどういうことよ!」
嫌味に腹を立てたホステスがミドリに食いかかる。それに対して、余裕の笑みで言葉を返すミドリ。
「そのまんまの意味よ。あなた達のような売れないホステスは、この店にはいらないわ。さっさと荷物まとめて出ていったらどうかしら?」
「な、なんですってー!いくらあなたが売れてるからって、そこまで言う権利はないわ!」
「そ、そうよ!それにあなたっていろいろ噂されてるのよ!セイラを追い出したのは、ミドリじゃないかって・・・!」
ピキ・・・
その言葉を聞いた瞬間、ミドリの顔が激しく強張った。
ホステスもつい言い過ぎたと思い、それ以上は黙ってしまった。
シーン・・・・
なんとも後味の悪い雰囲気の中を、ミドリは無言でフロアーへツカツカと向かった。
(・・・セイラさん・・・今迄の人生で、私のプライドを唯一へし折った女・・・)
ミドリの目には、嫉妬の炎が燃え盛っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・・まぶしい・・・」
気がつけば私は、見知らぬ病院の集中治療室にいた。
そして全身を包帯に包まれ、ベッドに横たわり、点滴を受けていた。
「・・・生きて・・・いたんだ・・・」
そう実感したのは、個室に移され、窓の外の木に止まる小鳥を見た時だった。
看護士の話だと、人里離れた山奥で、かなり衰弱した状態で発見されたそうだ。
発見したのは、近くの民家に住む老人。男。
その老人が私を見てまず思ったこと。「死んでいる・・・」そう思ったそうだ。
両手両足を鉄の鎖で縛られ、裸体のままぞんざいに捨ててあったそうだ。
監禁されてから約一年の月日が経っていた。
だが、私は生きていた。どんな姿であれ、私の生命の鼓動は継続しているのだ。
まずはしっかり療養しなければ。
私の生きることへの執着心は、体を日増しにみるみると回復させていった。
そして一ヵ月後、全身の包帯を取ることが出来た。
風呂に入り、その代わり果てたおのれの肉体を見て、私はカミソリを手首にあてた。
その瞬間、真っ赤なしぶきで石鹸が赤く染まる。私は鏡に対して、何度も頭突きを喰らわせた。
それをたまたま発見した看護士に止められ、一命をとりとめる。
無理もないでしょう?
だって、鏡に映る私の全身には、醜い火傷のようなただれた跡が残っていたのだから。
そしてそれは、女の命ともいうべき顔にまで、しっかりビッシリと刻まれていたのだから。
それにしても私は本当に女なのだろうか?
女・・女性というのは、もっとふくよかで丸みを帯びた体型をしているものだ。
それなのに私ときたら、鎖骨とアバラ骨がクッキリと浮き出て、手足も骨とスジだけになっていた。
これは女ではない。かろうじて生き長らえているだけの、人間というただの生命体だ。
それに全身の火傷の跡。これでは被爆者か何かと勘違いされてもおかしくはない。
以上の理由をもって、私がカミソリを手首にあてた理由とさせてもらう。
あの冷たい暗闇に監禁され、やっとのことで解放されたというのに。大事な命をせっかく拾ったというのに。私はそれを全て否定するかの如く、自分の命を絶とうとしてしまった。
絶望という感情を、これでもかというほど味わってきたのに。それなのに、またもドン底の絶望を味わわなければばならないのだろうか?
「生きていれば良いことがあるよ」
なんて言っているヤツがいたら、迷わずブン殴っているところだ。
既に私は、『人の幸せ』というカテゴリーから、完全に除外されてしまったのだ。
仕事がない。お金がない。モテない。イジメられる。
そんなことが、どうしようもなくクダラナイ問題に思えてきてしまうほどの絶望感が私を襲う。
この先の人生で、希望といえる要素が一切みつからないのだ。ありえないのだ。
もう私の『女』としての人生は終わった。
だったら、『女』として生きられない私の人生に、何か意味があるのだろうか?いや、ない。
死ぬまで続く闇の中で、真っ黒なスモークを吸い込んでむせる自分がいるだけだ。
死なせて。いっそ死なせて。
無気力で虚脱な脱力。それ以来、私はベッドから動こうとはしなかった。
さらに一ヶ月後。
悲観しきった私のもとに、ひとりの男性が尋ねてきた。
身寄りのない私を、見舞ってくれる知人などひとりもいないはずなのに。
その男性とは、以前勤めていたお店の店長であった。
『如月拓哉 (きさらぎ たくや)』
それは、唯一私が体を許した男の人・・・
私の顔が、久しぶりに紅潮するのがわかった。
それと同時に、絶対に自分の醜い顔を見せられなかった。
私は、ベッドの側に佇む如月さんに背を向け、ふとんで顔を隠していた。
「セイラ・・・探したよ・・・」
しかし、その言葉を素直に受け入れる事ができず、返す言葉も見つからない私。
「店で聞いたよ。突然行方不明になったって・・・だから俺は心配でキミのことを捜したんだ。それでやっとキミを見つけた・・・」
私は泣いてしまった。
こんな姿になってしまい、何の価値もない女を捜してくれた事の嬉しさで。ボロボロとこぼれ落ちる涙が、熱く頬をつたる。
人間の感情というのは、これほどまでに脆いものだったのか。
我慢すればするほど、意思に反するかのように涙腺がほろほろと緩んでいく。
「とにかくこれで安心したよ。セイラ、また来るから・・・あ、それとこれ俺の連絡先だから」
バタン。
個室のドアが閉まると同時に、私はドアに向かって走った。
そして、廊下を歩いていく、その人の後ろ姿をじっと見詰めた。
ああ、あの背中だ。あの背中が私に会いに来てくれた。そして私に優しい言葉をかけてくれたのだ。
こんな姿になった私に・・・・だが、私はあの人にこの顔を見せてはいない。
結局、一言も話せなかったけど、あの人の優しさは相変わらずだった。
もし、この顔を見たのなら、あの人はさっきと同じ優しい言葉をかけてくれただろうか?
そう思うと、私はたまらなく不安になった。
カーテン越しに見える古い枯れ木が、私の醜い顔とシンクロしていく。
いまにも枯れ落ちてしまいそうな葉っぱが、ひと吹きの風にビュウと飛ばされていく。
このままではいけない。こんな顔ではもうあの人に会えない。
そう激しく思った私は、この顔をなんとか元通りに治そうと決意した。
「そうよ!手術をすればいいんだわ!」
何故、今までそんな簡単な事を思いつかなかったのか!
今の医学であれば、こんな火傷のひとつやふたつなど治療することは容易いだろう。
刺青やタトゥーだって、レーザーか何かでキレイに治せると聞いたことがある。
私の心に希望の光が溢れ始めた。
そうだ。それには当然お金がかかってくる・・・・・そういえば、私の住んでいたマンションや預金口座はどうなっているのだろうか?当然そのまま残っているハズだと思う。あれだけ溜め込んだ金額があれば、手術のひとつやふたつ大丈夫だろうと思っていた。
しかし、私の嫌な予感は当たってしまった。
半ば強引に退院し、自分のマンションへ行ってみたが、そこは既に他の人のものになっていた。
管理人にいくら理由を言っても、「警察にでもいってくれ!」と首を横に振られるばかりだった。
そればかりか、私のこの醜い顔を、腐った魚でも見るような目で疎ましく扱われた。
以前は、私の体をジロジロと嫌らしい目で見ていたクセに。この落差は何であろうか。
口座から家賃が落ちていないのならば、通帳はどうなっているのだろうか?
私は次に、銀行へ行って事情を説明してみることにした。
しかし、一年間監禁されたと説明しても、マンションの管理人と同じリアクションをされるばかりだった。
通帳か身分証明書がなければ、口座の照会が出来ないと拒否された。
私は被害者なのに、この対応はなんだと激怒してやった。
しかし、銀行内にいる一般人達は、まるで私のことを気の違った哀れな人間のような目で見てくる。
なんなのだ!その目はなんなのだ!
私がおまえらに何かしたのか!私が悪い事でもしたというのか!
私は何も悪さをしていないし、むしろ被害者なんだぞ!
それなのに、何故おまえらは私をそんな目で見てくるのだ!
私は周囲の目に耐えられなくなり、銀行を飛び出した。
もう怒った!裁判だ!訴えてやる!
見た目だけで差別した扱いに対して、銀行員とそこにいた一般人全員を訴えてやる!
費用なんていくらかかっても構わない!私には何千万という預金があるのだから!
それには、まずは警察だ!
私はタクシーを呼びとめ、後席に乗り込むと、近くの警察に行けと運転手に乱暴に言い放った。
「・・・ちょっとアンタ、金持ってるの?」
「金?そんものはいくらでも持っているわ!安月給の人達と比べないでちょうだい!」
「そうじゃなくて、今持っているかって聞いているんだよ」
「・・・今は・・・ないわ」
そうであった。半ば強引に病院を退院して来た私の所持金は、一円すら持っていなかったのだった。
そればかりか、ホームレスでも着ないような粗末な服装が、私に貧乏人のレッテルを貼り付けていた。
「バカヤロー!おとといきやがれ!この妖怪女!」
私はタクシーの後席から、引きずり出されるようにして降ろされてしまった。
アスファルトの道路にひざまずく私の前を、タクシーが走り去ってゆく。
何なのだ?このひどい扱いは?
たかが、たかが金がないというだけで、私はこんなにも惨めな扱いを受けなければならないのか?
そして、顔が醜いというだけで、こんなにも世の男どもの対応は冷たいのか?
金がない!醜い顔!
たったそれだけで、世間は私にそっぽを向けてしまうものなのか?!
「もう、あったまきたわ!」
私は、タクシー乗り場の列に割り込み、運転手に怒鳴った。
「さっさと私を警察につれてってちょうだい!いますぐによ!」
運転手は、私の顔を見て顔を強張らせた。そこにタクシー待ちのサラリーマンが、私の肩を掴む。
「ちょっと何してんだよ!順番に並べよ!」
私は振り返ると、そのサラリーマンにこう言ってやった。
「ハン!安月給でコキ使われている働きアリの分際で、私に意見するなんて百年早いわ!」
「な、なんだと、この野郎!」
「私はあんた達と違って、何百倍も稼げるのよ!それに男どもを何度も幸せにしてあげたのに、それなのにタクシー如きで文句を言われる筋合いはないわ!この虫ケラどもがッ!」
この言葉を聞いたタクシー待ちの人々や、運転手が一斉に私の方を睨んだ。
「何よ、その目は?私が何か間違った事でも言っているっていうの!私はあなた達と違って、愚痴を言ってるだけの負け犬じゃないわ!自分の知恵と肉体を使ってだれよりも稼いできたのよ!」
すると周囲の目は、ますます私に対して鋭い視線で睨んできた。
その目は、恨みと憎しみと嫉妬の混じった汚い目であった。
私があまりにも本当の事を言ったので、誰もが反論出来ず、ただ私を羨んで睨むしかないのね。
あなた達には、そんな醜態がお似合いなのよ。ただそうするしかないのよ!
グイッ!
突然、後ろから私の髪の毛が掴まれた。
「おい女。てめぇみたいなブスが、なに調子こいてんだよ?おまえが俺より稼ぐだと?うそをつけ!」
バシッ!
私は、タクシーの列の中に思いっきり突き飛ばされ、ぶつかった男に怒鳴られる。
「俺はなぁ、いくら安月給でこき使われても、タクシー待ちぐらいちゃんとしているんだぜ!」
ドンッ!
「そうだぜ!俺なんか就職が決まらなくイライラしてんのによぉ!」
ゲシッ!
スーツを着た学生が、私の腰を思いっきり蹴り飛ばす。
「私なんか離婚してひとりで子供を育てているのよ!それなのにえらそうな事言わないで頂戴!」
バシン!
子育てに疲れきった若い女が、私の頬をひっぱたいた。
「ワシなんか、この歳でリストラされたんだぞ!それでも頑張っているんだぞぉ!ちきしょー!」
バグン!
今度はハゲたオヤジに鞄で殴られた。
その次は、子汚い浮浪者のような老人。
その次は、厚化粧のOL女。
その次は、毛も生え揃ってないような中学生。
その次は、強制送還されそうな外国人。
その次は、体臭の臭そうな太ったオタク。
その次は、宗教にハマっていそうな虚弱な男。
その次は、不倫に疲れた公務員のような女。
その次は、生真面目そうなサラリーマンに胸を揉まれた。
私は、タクシー待ちの行列の人々に、もみくちゃにされた。
殴られ、蹴られ、罵声を浴びせられ、叩かれ、髪を引っ張られ、ツバを吐きかけられた。
私も思いっきり抵抗をした。ツメを立て、顔面を引き裂いてやった。
しかし、群集効果によって気が立った連中は、私にわらわらと次々に押し寄せる。
現代社会の積もり積もった鬱憤が、爆発して暴力となって具現化されたのだ。
狂気が狂気を生み、増大してやがて殺気となった。
その様は、人間の浅ましさを浮き彫りにしているようであった。
私は嫌いだ!こんな醜くて陳腐な人間が嫌いだ!
人の狂気の念が、この空間を狂わせた。
ドス黒く濁った魂を持つ愚かな人間には、己を抑制し崇高な楽園へと誘う能力はない。
すでにこの人種には救いようがないし、救うべく存在でもない。
こんな野蛮な人種は全ていなくなってしまえばいい。
だったら消してしまえばいい。そうだ、今すぐに消してやろう。
跡形もなく消え去ってしまうがいい。
こいつら全員殺してやる!
私は、薄らいでゆく意識の中でそう思った。
その瞬間、私の中で何かが芽生えるような感覚がした。
そしてこの場は、粛正の炎に包まれたのであった。
ゴウゴウとうねるように燃え盛る炎の中で、私は、苦しみにもがきながら死んで行く人の顔を見て笑っていた。
「あはは!そうよッ!おまえら全員死んでしまえッ!!」
粛清の炎は、赤く赤く燃えていった。
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