その10 シズネ、怯える

 《死霊術》によって生み出された巨大な亡霊兵士。

 その、遥か後方の断崖にて。


「バカな、バカな、バカな、バカな、バカな!」


 シズネ・キミシロがヒステリックに叫んでいる。


「ありえんありえんありえん!」


 ぼさぼさの頭を掻き毟りながら。


 今。

 彼女が目にしているものは。

 “異端”そのものであった。

 あってはならない光景であった。


「私は、私は、私は、……! 最強のはずや! 無敵のはずや!」


 それがこの世界のルール。

 揺るぎないはずのルール。


(なぜか?)


 それは自分が、”神”に認められた存在であるためで。


「どうして……どうしてお前みたいなのが存在するんやッ!」


 だが違った。

 自分は無敵ではなかった。


 少なくとも、目の前に存在する人型のロボットよりは、――弱い。


「こんなコトが、こんなコトが、こんなコトが……ッ!」


――常人の、数百倍の経験点効率。

――常人では決して手に入らない固有のスキル。

――それを貴様に授けよう。


 ここに最初に来た時、“神”は確かにそう言っていたはず。


 努力もした。幼いころから。

 両親は、事故で早々に死んでしまったが。

 父の書斎から、……《死霊術》の禁書を見つけて。

 内容を……読んで。読んで。読んで、読んで。

 暗記するほどに読んで。


(なんで私、ここにいるんやっけ?)


 曖昧な理由だった。

 静かに暮らしていても良かった。

 だが、……シズネは退屈を持て余していたのだ。


 十年、二十年。

 三十年経って。

 外に出よう、と思った。

 意味のあることをしよう、と。


 最初は、“冒険者ギルド”のクエストを受けることから。

 世のため人のために働いて。

 たくさんの人に感謝されて。

 前世と変わらず、……人付き合いは苦手だったが。


――シズネさま! ありがとう!

――シズネさま! いつも感謝しています!

――シズネさま! 今日はこんな悩みが……。


 名声。信頼。畏怖。

 豊かな生活。

 悪くない気分だった。


――最近、オークが畑を荒らすんです!

――オークのやつら、態度が悪くて……。顔も醜いし、臭いし……。

――お願いします! シズネさまっ! やつら、とっちめてやってください!


 ただ、……なんとなく。

 力を手に入れたから、それを意味のあることに使いたいと思った。

 果たしてそれは、悪いことだったのだろうか。

 果たしてそれは、罰を受けるようなことだったのだろうか。

 そうは思えない。自分は本当に……たくさんの人から感謝されていて。


「な、なななななな、なんなんや……! なんなんや!」


 あのロボットは。

 何かの冗談のような。

 まるで……前世で観た、アニメの世界からやってきたみたいな。


 その指先から放たれる猛烈な勢いの火炎により、シズネの全魔力を注ぎ込んだ“がしゃどくろ”が、みるみる焼きつくされていく。


「しかもあれ、《一式火系魔法チャッカマン》やないか……ッ! 舐め腐りよってからに!」


 本来なら、”がしゃどくろ”一体で城一つ落とすのも難しくないはず。

 それなのに。

 いま、シズネが目にしているのは、何よりも頼りにしていた従僕が、最弱の《火系魔法》に苦しんている姿だった。


『ぎぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいああああ!』


 やがて、魔法で攻撃するのも面倒になってきたらしく、ロボットが”がしゃどくろ”の頭部に突撃をかける。

 ミスリル銀を上回る強度の頭蓋が破砕される様を、シズネはなすすべもなく眺めているしかなかった。


「ちくしょう……ちくしょう……!」


 轟音と共に“がしゃどくろ”が崩れていく。

 そして、


「――ひっ!」


 目の前に、ロボットがゆっくりと着地した。


「くそっ……!」


 反撃しようにも、魔力切れを起こしている。

 もはや、シズネを護る死霊は存在しない。


(戦うにしても、護身用の短剣を使うしか……)


 それも、人間社会では飛び抜けた使い手として知られていた。

 ナイフ一本でドラゴンを仕留めたこともある。

 でも何故だろう。

 目の前の怪物に、……まるで勝てる気がしないのは。


 無力に立ちすくむこと、数秒。


 がしゃん、と、ロボットの胸のハッチが開き、一人の少女が現れた。

 知っている。

 エルフ族、――要するに、亜人種の娘だ。

 この世界において、亜人の地位は低い。

 人間社会にいては、奴隷かならず者商売でしか居場所がないほどに。


 それはつまり。

 自分は、……人間以下の存在に敗けた、ということで。

 シズネの誇りは、大いに傷ついた。


「はろー♪」


 気軽に片手を上げるエルフ。


「お前、お前、お前、お前……」


 胃の腑から湧き出る憎悪を口から吐き出しつつ。

 だが、恐怖のあまり、足腰は完全に役立たなくなっている。


「……な。なんなんや……」


 思えば。

 この数十年で、何かに怯えることなんてなかったかもしれない。


 この世界に転生して。

 ”神”と出会い。

 最強の力を授かって。

 《死霊術》を覚えて。


 いまシズネは、死に対する恐怖を完全に克服している。

 老いもない。

 傷つくこともない。

 そんな、安穏とした生活の、ちょっとした刺激。

 それが今回の、”テンドウ地方遠征”クエストだったはずで。


(それなのに、……私はなんで、こんな恐ろしい目に遭っているんだ?)


 わからなかった。

 わけが、わからなかった。


「そんじゃー悪いけど、死んでもらうわ」


 エルフの娘が、剣を抜く。


 逃げなければ……。

 どうにかして、逃げなければ。

 その一心で、地を這いずりながら。


『待て、ロゼッタ』


 助け舟を出したのは、恐怖の対象たる、人型ロボットそのものであった。


『もう勝負はついてる。殺すまでもない』

「……ダメよ。そもそも、このテンドウ地方に侵入したヒト族は死罪だって盟約で決まってるの。こいつは、ヒト族の法においても、あたしたちの法においても、逸脱者なんだ」


 人型ロボットは、……いかにも人間らしい仕草で首を横にふる。


『だがこいつ、まだ子供じゃないか』

「違う! 見た目に惑わされちゃだめ! 死霊術師は自分の見た目を自由に変えるっていうから……」


 事実だった。

 シズネは、前世では幼くして死んでいる。

 その時のことを忘れないため、ある時、自分の中の成長を止めたのだ。


 人型ロボットは、『やれやれ』と肩をすくめながら、シズネの傍らで膝をつき、その身体を掴む。


「――ッ! ――ッ! は、はなせ!」


 もがいたが、恐ろしい力で締め付けられて、とても抵抗できたものではない。


『ほら。完全に無力だ。……これで十分じゃないか?』

「オオガミはわかってないの! そういう問題じゃないのよ。この世界じゃあね、たった一人の強力な術士が、世界の理をひっくり返すことだってある。……あたしだって積極的に殺しがしたい訳じゃないけど、こういうヤツは、殺せる時に殺さなきゃいけないのよ」

『だったらその時は、俺が責任をもってこいつを止めるよ』


 どういう訳か。

 ”オオガミ”と呼ばれたそのロボットは、シズネに情けをかけるつもりらしい。


 世界最強であると、それまで信じて疑いもしなかった女。シズネ・キミシロを。

 屈辱だった。

 許せなかった。


(必ず! 必ず報いを受けさせる……!)


 その瞬間だった。

 彼女が、最後の手段を行使することに決めたのは。


「――オオガミィ!」


 シズネは、あらん限りにどす黒い声を上げる。


「そして、……ロゼッタ! 忘れん。ぜったい、忘れへんぞ!」

「……しまっ!」


 エルフの娘の表情が驚愕に歪む中、シズネはロボットの手の中で、……予め用意していた起爆装置をオンにした。

 そして、もはや永遠に使わないと信じていた魔法、――《九式死霊術デス・ルーラ》を起動。


「殺す! お前らいずれきっと、殺したるからな!」


 胸の中で、自らの肉を焼きつくす焔が爆裂する。


 世界が暗転した。

 それは、以前にも経験した”死”と同質の感覚で。

 生と死の間にいながらも、シズネの思考は止まらない。


(あいつ! あのロボット! 《翻訳言語バベル・ワード》を使っていたが、確かにニホンゴを使っていた! 名前も日本人っぽかった!)


 で、あれば。

 ヤツもまた、異世界転生者ということか。


 シズネは笑っていた。


 刺激のない人生。ぬるま湯に浸かったような日常。

 むしろシズネは、救われた気分で。

 あの二人は、――久方ぶりに、心の底から獲物なのだ。

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