その7 オオガミ、葛藤する

【二ノ月 八日|(くもり)】

 異世界生活、三日目。

 早朝。


 俺はというと、ローズミストの国境付近で、ぼんやり横になっていた。

 さーて、どうしたもんかなー、……とか思いながらな。


――守護神、か。


 言い方は遠回しだが、要するにそれ、「自分たちのために戦ってほしい」っていうアレだろ?

 悪いが、そーいうのゴメンなんだよなあ。

 俺って、血とか内臓を見るの苦手なタチでさ。


 そりゃあ、……「やれ」って言われて、どうしてもできないことじゃあない。

 でもできれば、そういうのとは無縁に生きていきたい。

 ゴーレムとか、ああいう無機物っぽいやつなら戦ってやってもいいんだが。


『……むう』


 正直、その時の俺には、かなりの葛藤が生まれていた。

 ハムスターを「グシャッ」と握りつぶして、それで何かを得たとして。

 それで、……本当に俺は幸せになれるのか? ってな。


『………………ぐぐぐぐぐ。ぐむむむむむ……………』


 かなり思索に時間をかけたつもりだったが、どうにも結論はでなかった。

 まあ、俺の中にあるモヤモヤは、言葉にすりゃ矛盾だらけのことなんだろう。

 それでもその、「言葉にできない何か」が、自分にとってとても大切なことだと思えたんだ。


 ぼんやりと曇った空を眺めていると、


「お疲れ様です」


 と、獣人の娘が現れる。

 見ると、メイド服に着替えたモエだった。


『どうかしたか?』

「少々、話をしに」


 すると俺は、「勉強しなさい」って母親に言われた高校生みたいに、ごろりと寝返りをうつ。


『……気分じゃないんだが』


 俺の胸の内は、昨日の愚かな行いに対する悔いでいっぱいだった。

 要するにあれが、ちょっとしたデモンストレーションになっちまった訳だ。

 俺っていうが持つ力の、な。


「オオガミさま、――」


 モエが何か言う前に、先手を打つ。


『悪いが、殺しの手伝いはできない』

「……ふむ。そうですか」


 あるいは責められるかとも思ったが、獣人の娘は冷静だった。


「では、オークの側につく、と?」

『オーク?』

「最近、ローズミスト付近に移動してきた勢力で、――あらくれ者の集まりだと聞いております」


 エルフにオーク、か。

 なるほど、テンプレな敵対関係だな。


『いーや。そういうつもりはない』


 どちらが善で、どちらが悪か。

 そうした判断を下せるほど偉くなったつもりはなかった。争いごとがあるってことはつまり、どっちの側にも主義主張と、――正義があるってことだからな。


「それを聞いて安心しました。あなたと戦うのは骨が折れそうですから」


 モエは、それで十分に情報を集めた、とばかりに俺に背を向け、すたすたとローズミストの方角へ消えていく。

 その背中はどこか、寂しげだ。


『……ぐぬ』


 なんとなくそれだけで、「自分は間違ったことをしている」って気分になるから不思議である。可愛いって卑怯だよな。まったく。


『おい……っ』


 気づけば俺は、モエに声をかけていた。


「なにか?」


 少女は、ぴんとケモノ耳を立ててこちらに振り向く。


『俺は、殺しが苦手だ。自分の手が血に汚れるなんて、考えただけでぞっとする。……けど、だ。それ以外の手伝いなら、やってやれないこともない』

「できれば、具体的に」

『血がでない生き物。……例えばゴーレムの退治とか。荷物運びとか』


 我ながら、半端な心構えだと思う。

 だが、それが精一杯の譲歩だった。

 俺が、……友達にしてやれる、限度いっぱい。


 するとモエは、くすりと笑って、


「本当に……貴方はお優しい方です」


 そう言って、再び背を向ける。

 今度の背中は、――どうやら、寂しげではない。

 スカートの裾からぴょこんと飛び出したしっぽが、左右にゆらゆら揺れてるからな。



 モエが去り、また数時間ほど、空の風景を眺めて暇を潰していると。


「よっす!」


 今度は、ロゼッタがひょっこりと顔を出した。


『おう』

「ちょーしどう?」

『普通……だと思う』

「ならよし」


 少女は、まるで当然の権利のように俺の膝上に乗って、


「昨日はゴメンねー? 急に変なこと頼んじゃって」

『こっちこそすまんな。お前たちの期待に応えてやれそうにない』

「いやいやいやいや。手伝ってくれるだけで十分よ。オオガミがどう考えてるかわかんないけど、通りがかっただけの国を手助けしようだなんて、フツー思わないからさ」


 そういってくれると、肩の荷が降りた気分だが。


「でさー。さっきモエに聞いたんだけどさー。オオガミって、『ゴーレムは倒しても良い』んだよね?」

『ああ、……たしか、そう言ったな』

「でさー。相互理解のため、オオガミ的にどのへんのラインがアウトなのか、確認しておきたくて」

『ふむ』


 確かにそれは、お互い了承しておくべきことだと思う。

 俺も俺で、この世界にどういう生き物がいるのか知りたいし。


「じゃ、とりあえずあたしから」

『?』

「だから、あたし。――オオガミはあたしを殺せる?」


 俺は少しだけ驚いて、


『殺せないに決まってるだろ』

「そっかー」


 ロゼッタは、少しだけ安心したように微笑む。


『っていうか俺、そのレベルで信用なかったの?』

「あたしは心配してなかったんだけど、一応ね。アリスのやつがずいぶん気にしてたみたいだから」


 まあ、家族のことだからな。心配もするか。


「それに、ほら。――あなたって、異世界からやってきた転生者で、しかも人型ロボットじゃない? 他人からどう思われるか、もう少し神経質になったほうがいいかも。……ねえ、気づいてる? 昨晩、あなたがここに寝そべってから、ローズミスト周辺の魔物が一斉にいなくなってるんだから」


 う。

 マジか。

 言われてみれば、さっきから動物一匹通りがからないなあとは思っていたが。


「じゃ、つぎね」


 そう言ってロゼッタはポケットから手帳と鉛筆を取り出し、ちゃかちゃかと絵を描いてみせる。

 思いの外、精密な筆致で描かれたそれは、見覚えのあるゼリー状の生命体だ。


「これ、スライムって言うんだけど」

『……微妙なラインで来たな』

「ちなみに、斬っても血は出ない系の生物よ」


 俺はカツカツとこめかみのあたりを人差し指で叩いて、


『どうだろう。すまん、相対してみないとわからん』

「ほうほう……」


 そして彼女は、また別の絵を描く。

 出来上がった絵は、巨大な樹に、取ってつけたみたいな顔がついている、謎の生き物。


「これ、瘴気に当てられた樹が魔物化したもので、ひとくい大樹っていうヤツなんだけど、……どうよ?」

『それ、ぶった斬ったら断面どうなってる?』

「普通の樹と一緒」

『なんか、悪いこととかするのか?』

「通りがかった動物をクッキーつまむみたいに食べまくるけど」

『だったら……倒せるかもしれん。あくまで、知り合いに危害が及びそうな時だけだが』


 その後も、しばらくインタビューは続いた。


「あばれブタ。……ブタに角生えただけなんだけど。肉食よ」

『ちょっと無理かな』

「マタンゴ。……でっかいキノコの化物ね」

『……ギリギリOK』

「青羽根ゴキブリ。……そのまんま、青い羽根のゴキブリ。デカイので1メートルくらいのやつ」

『殺してもいいが、そもそも関わりたくないな、それ』

「キラーブッシュ。……草の集合体みたいなやつ。ゴーレムと同じで、コア潰せば倒せるよ」

『……ゴーレムと同じなら、なんとかなるか』

「イビルフラワー。……うねうね動く花。近づいた人をつるのムチでビシビシやるの。ちなみに甘い蜜を出すわ」

『……邪魔するなら、潰してもいいかな』


 なるほど、客観的にどのへんのラインまでなら戦いたくないかを考えるのは、良い頭の体操になる。

 そして、……考えれば考えるほど、「時と場合による」ということがわかってきた。


「ドラゴン族……は、聞くだけ野暮ね。じゃ、殺人機械系はどうかな? 古代人が残したゴーレムの親戚なんだけど。仕掛けが複雑なところ、機兵魔人あなたの親戚といえるかも」

『倒せるよ。意志がないやつならな』

「ナルホド。要するに、そこがラインなのね。――ある程度の知能が存在していて、赤色の血が流れていないこと」

『言葉にするとアレだが、要するにそういうことかも知れんな――』


 と、まあ。

 そんなふうに。

 議論は、永遠に続くように思われた。

 だが、ある時点でロゼッタは、「おっけー、いろいろわかった」と、手帳を閉じる。


『もういいのか?』

「うん。時間をとらせて悪かったわね、長々と」

『いいや』


 むしろ、この世界に多様な生き物が存在することが知れて、興味深い気分でいっぱいだ。


「で。こっからが本題なんだけど」


 そして、――ロゼッタは隠し球を放るような口調で、訊ねる。


「ねえ、オオガミ」

『なんだ?』

「これからちょっと、連れて行ってもらいたい場所があるんだ」

『……どこへ?』

「オークの集落」


 金髪碧眼の美しい娘は、俺を見上げながら言う。


『……行って、どうする?』

「和平を申し出るわ」


 俺は、膝の上のロゼッタの顔を覗きこんだ。冗談を言っているふうではない。


『だが、勝算はあるのか? 俺は自殺行為に手を貸すつもりはないぜ』

「もちろん、ある。無駄足にはさせない」


 ロゼッタは、ふふんと自信ありげに笑みを浮かべた。


『なら、別に構わんけども』

「ほんと?」

『だが俺にできるのは、君を送り届けることだけだ。……オークと戦うことはできないぜ』


 『虎の威を借る狐』の『虎』役を演じてやるくらいのことはしてやろう。

 だが、その程度で敵が引き下がるとは思えない。


「オークと戦うつもりはないわ。戦うのは、もっと別のものの予定」

『?』

「……っていうか、オオガミさあ」

『なんだ』

「どうやら、ちょっとした行き違いがあるみたいだけれど。……そもそも、あたしがなんで機兵魔人を探してたか、わからないかな?」

『……知らん。ロマンとか?』

「ぶっちゃけ、それもある」


 少女は率直だった。


「でも、一番は……みんなが笑っていられる未来を築くことだから。エルフも……オークもね」

『……ふむ』


 ずいぶんと耳に心地いいフレーズだ。

 あるいはそれは、――くだらない綺麗事なのかもしれない。

 だが、


『聞こうじゃないか。いったい何をするつもりだ?』


 その時の俺は、そうした綺麗事を求めていたのだろう。


「それはね、――」

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