第8話 天栖小学校


ACT-8 『天栖小学校』



松任谷先生のアパートで見つかった変死体。

その手には、天栖小学校のアルバムが握られていた。

しかも、私とジュンくん以外の写真には、丸い印がつけられていたのだ。

それはまるで、死んでいった生徒をチェックしていたかのようだった。


(天栖小学校へくるのだ・・・)


私が暗闇で聞いた謎の声。

それは、天栖小学校へ来いと言っていた。

ジュンくんもそこに何かあると感じ、私達は天栖小学校へと向かった。

ここには思い出があった。小学校の六年間を過ごした、幼き日の大事な思い出。

あれから16年ほどが経過していた。うすぼんやりと思い出される記憶には、どこか現実味がなかった。それは、人間の記憶の曖昧さと、毎日の生活に翻弄されている人の儚さなのかもしれない。


とにかく。

私達は、村立天栖小学校の跡地に訪れている。

私達が卒業すると同時に校舎を取り壊し、木造だった校舎の一部分を記念に配ってくれた思い出がある。あの木版はどこにしまっておいただろうか?

もう、それすらも忘れてしまう程の、遠く長い時間の経過があったのだ。


「わぁ、懐かしい!」

「うん、何十年ぶりだろう、ここに来るのは」

そこには、あたりをぐるりと囲むように植えてある樹木が、以前校庭であったことを物語っていた。

うさぎ小屋と鳥小屋の横にあった大きな石が、校庭の真ん中に放置されたままだ。

そして、池があった辺りが少し窪んでいた。

遊具のブランコと大きな樹木。半分地中に埋まった大きなタイヤ。ボール投げの壁の的。

そのどれもが、ここが以前、小学校だった名残を醸し出していた。

「あのブランコ!靴飛ばし競争やってよく木にひっかかったよね!ジュンくん」

「ボクはそんな遊びしなかったな。もっぱら植物や地層に興味があったからね」

「うわぁ、ヤな子供!ジュンくんったら昔からこうだったんですよ」

「あはは、どこにでもひとりはいたな、そういう子。でもその探究心のおかげでエジプト考古学者になれたんだろう?たいしたモンだよ、ジュンくんは」

ジュンくんは、少し照れ笑いをした。

「ねぇ、ジュンくん。ジュンくんが研究していることにはミイラとかの解剖もあるわけ?」

「それはないよ。ミイラが何年経っていたのかぐらいは調べるけどね」

「松任谷先生が死んだのが一ヶ月ほど前だった・・・それは間違いないのかい?学者の目から見て」

「あまりにも若すぎるミイラは逆によくわかりにくいんです。腐敗はたいした事なかったから、脱水症状になっていた可能性があると思いますけど・・」

「さすがは純一さんでありますな!鑑識もそう言っていました!」

「あの、小林さん、ボクにさんづけはよして下さいよ。ボクの方が年下なんだし・・・」

「いえ、自分はまだ25歳なのでありますから、純一さんは先輩であります!」

「えっ?小林さんって25なんですか?私はてっきり・・」

「ボクも・・・」

小林さんも鈴木さんも、やけに老けて見える。それで気が合うのだろうか。

「あ、えっと、とにかく校舎のあった跡に行ってみましょ!」

私はその場を誤魔化すようにして、校舎の跡地へと向かった。


「しかしイイよな、この環境は。まわりは自然に囲まれているし、遊び場所にも不自由しない。こういう所で育った子供はいかにもたくましく育ちそうでイイ」

「そうでありますな。最近の若いヤツときたら、軟弱な男子が多くて困るであります!」

それは小林さんが体育会系すぎるからだろうと心の中で思った。

私とジュンくんは校舎の跡地に立ってみた。

地面は黄色い岩盤が露出し、いかにも地盤が硬そうだった。

「ここにあったんだよね、校舎・・・」

「うん、それは間違いないね・・・」

私達は、校舎のあった場所に沿って歩いてみた。

「ここは確か理科室で・・・」

「その燐は音楽室だったよね?あれ、職員室だったかなぁ?」

「そこはトイレだよ。レイクミ、全然憶えてないね」

「ふーんだ、どうせ私は物覚えが悪いわよ!あ、ここで写真撮ったよね」

校舎の真正面の位置が、両脇に生えているメタセコイヤの木でわかる。

「この大きな木はまだ残っているんだね、すごーい」

私はその大きな木を下から眺める。

「メタセコイヤは恐竜がいた時代からあった植物なんだよ」

「ふ~ん、そんな大昔からあったんだぁ、知らなかったなぁ・・・あ、そういえば、この木って他にもあったよね?」

「ああ、それは・・・あ、えぇと、何だっけかなぁ?忘れちゃったよ、はは」

「わかった、ハゲチョロ山よ!」

ジュンくんの顔が気まずそうな顔に変わる。あっ、しまったと思ったのも後の祭り。

「なんだいれいちゃん、その心臓に悪そうな名前の山は?」

鈴木さんは、薄くなった頭頂部を手で隠しながら言った。

「あ、その、あそこに見える山なんですけど、あそこだけ薄くなっているんで・・その・・」

ジュンくんの指差した方角には、一本の大きな木と、一箇所だけ木々がない山が見えた。

「ほんとであります!まさしくハゲチョロ山ですな!」

小林さんもそれを見て笑いながら言った。私と同じで気が利かない人だった。

鈴木さんは少し不機嫌な顔になったので、私は謝らないとまずいと思った。

「あの、ごめんなさい!ヘゲチョロなのはあの山のことで・・その・・」

ジュンくんは額に手をあて、顔を曇らせた。

「謝られても困るけどね・・・でも、あれだけ山の中なのに、どうしてあそこだけ木がないんだ?何か建物でもあるんじゃないか?」

「さぁ・・先生には、あそこに行ってはいけないっていつも言われてたから・・・ね、ジュンくん」

「ボク、一度だけ行ったことあるよ。有刺鉄線で囲まれていて、犬がワンワン吠えていたから怖くてそれ以上進めなかったけど」

「クサイな・・・有刺鉄線に番犬か・・・ひょっとしたら何か秘密があるかもしれないぞ」

「そうね、行ってみましょう!」

「しかし、あそこへ行くには山道が険しいかと思われます!それに日も落ち始めてきましたし」

「小林の言う通りだな、今日はもう遅いし暗い。明日、ちゃんと準備を整えてからにしよう」

「賛成であります。本官が道具を揃えておくであります!ええと、テントと寝袋と食料と水と・・」

サバイバルかよと思わず私はツッコミたくなった。その時、私の視界に、ある物が飛び込んできた。

「ああっ!」

ハゲチョロ山の方角の、ずっと下の方にある建物の窓から、人影が見えた。

「どうしたんだい、レイクミ?突然声を上げて」

「いま見えたの!あの、白い小屋に誰かがいた・・・」

「あそこはただの物置だろ?誰かがいるなんてことはないよ」

確かにそうだ。あそこの小屋は、昔から工事用の道具なんかが仕舞ってある木造の小屋だ。

人が住んでいるなんて有り得ない。それはわかっている。

「でも!見たんだもん!・・・あれは・・」

私はそこまで言うと口を止めた。今から言うことは、皆をますます混乱させる事になるからだ。

「工事現場の人か誰かが来たんじゃないのか?」

「でも、通って来た道には工事なんてやってませんでしたよ」

「じゃあ誰だって言うんだい?・・それに顔をはっきり見たわけじゃないんだろ?れいちゃん」

私は見た。見てしまった。視力2・0の私が見間違うわけがない。その顔の正体。それは・・・

「あづみ・・だった・・・」

「えぇッ?!」

ジュンくんは声を上げて驚いた。当然だ。

あづみは、私とジュンくんの目の前で血を吐いて死んだのだから。

それが見えたと言う事は、まるで幽霊を見たと言っているようなものだ。

「あづみって、同級生の女の子の事かい?バカな!見間違いだろ?きっとそうさ!」

鈴木さんは、それが見間違いだったと決めつけたいようだ。その気持ちはわかる。

誰だってこんなところで、死んだあづみの幽霊を見たといったら気味悪くなるに決まっている。


(!・・・ゆうれい・・・あづみ・・・)


その時、私の脳裏にある出来事が浮かんできた。

「・・・あ、あのね・・・」

「どうした、レイクミ?」

「わ、わたし、今から変なこというわね・・・」

「何を言っているんだ、れいちゃん!」

「これから言うことが、皆を不安にさせるのはわかっている・・でも、私が覚えている事をそのまま話すわ・・」

「レイクミさん?!どうしたんでありますか!」

私の表情が、いままで見せたどれとも違う表情に変わっていくことに、皆は気づいていた。

「小学校の頃、へんな遊びが流行っていたの・・・それは『幽霊ごっこ』って呼んでいたわ・・」

「幽霊ごっこだって?し、知らないぞボクは!そんな変な遊び!」

「ジュンくんは、今みたいにくだらないって言って仲間に入らなかったから知らないのよ。でも、私はみんなとその『幽霊ごっこ』をして遊んでいたの・・・」

「ちょっと待ってくれ、れいちゃん。きみが今そんな話をしても何も意味がないぞ!」

「そうね、関係ない話かもしれないけど、関係があるかもしれないのよ。だからお願い、聞いて・・」

皆は喉を鳴らして押し黙ってしまった。

「それは、地面に横になって死んだフリをするの。そうすると幽霊になって空中を飛べるようになる遊びよ。もちろん、そんな事出来るハズもないわ。でも、皆がそう言っていたから、私もそれに合わせていただけよ」

「よ、よくある幼稚な遊びだな」

「そうね、でも皆はこう言っていたわ・・・何でれいちゃんは幽霊になれないの?・・・って」

「ゆ、幽霊になれないだって?すると、他の皆は幽霊になれたと言う意味になってしまうぞ?」

「そういう意味だと思うわ。それに、その幽霊に一番上手になれるのが、あづみだって皆が言ってた」

「バカバカしい!この最先端科学の時代に何が幽霊だ。そんなの信じろと言う方がおかしい!」

「でもね、鈴木さん・・・私、一度だけならできたの・・偶然だけど」

「なんだって?!」

「あそこのタイヤの上で遊んでいた時、足を滑らせてしまって地面に頭をぶつけたの。すると、自分の体が下の方に見えて、空をぷかぷか浮かんでいるような錯覚になった・・・それで、ヤバイなと思って、もとに戻るように強く念じたら、気がついたらもとの自分の体に戻っていたのよ」

「俗に言う、幽体離脱?・・・それとも記憶障害か?・・・」

「私は今まで、そんなこと同級生以外の誰にも言ったことなかったわ。だって、信じてくれるハズないし・・でも、今思い返すと、あれは幽霊ごっこと同じ状態だったんじゃないかなって思えるの・・・」


皆は黙ってしまった。

当たり前か。こんな突拍子もない話、誰も信じてくれるわけがない。

「れいちゃん、やっぱりきみをここに連れて来るんじゃなかった。きみは疲れているんだ、さぁ、帰ろう」

「でも、ここには間違いなく何か秘密があるのよ・・だから、あづみがそれを教えてくれたんだわ・・」

「れいちゃん!きみは今パニックになっているだけだ!だから、見えもしない物が見えてしまうんだ!」

「ちがうわ!あづみが呼んでいるのよ・・いかなきゃ・・・」

私は、フラリと歩き始めた。

「待て!それ以上は行かせないぞ!捕まえろ、小林!」

鈴木さんと小林さんは、私の手を掴んで行かせないようにした。

「はなしてッ!お願いよッ!」

「レイクミっ!」

突然、ジュンくんが怒鳴った。

「なによ、ジュンくんも私を止めるっていうの?」

「レイクミは、あそこに何かを感じたって言うんだな?」

私はジュンくんの目を強く見詰め、無言でうなずいた。

「わかったよ、レイクミ・・・鈴木さん、小林さんもその手を放してやってください。レイクミは今までに不思議な体験をしてきました。だからこそ、何かが掴めかけてきているのかもしれません」

「ジュンくん!きみまでこんな話を信じるというのかね?あそこに、あづみという女の幽霊がいるとでもいうのか?!」

「それはレイクミ本人にしか感じられない感覚・・・第六感と言っていいかもしれません。だから、それに賭けてみようと思うんです・・・行こう、レイクミ」

ジュンくんは、私の手を引っ張って、山のふもとの小屋へ向かって歩き出した。

「ば、バカヤロウ!もう勝手にしろッ!」

鈴木さんは、怒って地面を蹴りつけた。

私もジュンくんも、鈴木さんの方を振り向かず、そのまま小屋へ向かって歩いていった。


私の手を引っ張ってくれるジュンくん。その時のジュンの横画が、どこかたくましく見えた。

私は嬉しかった。あんな突拍子もない話を信じてくれたジュンくんに。

だけど、今からは気を引き締めていかなければならない。

私の見たあづみが本物の幽霊だったのなら、どうやって対応すればいいのだろうか?

ひょっとして、私に何かを伝えようとしているのだろうか?

松任谷先生のアパートの前で、闇の中で聞こえた声はあづみだったのだろうか?

とにかく。

それは、あの小屋へ行けば何かわかる。それだけは確信できたのだった。


「レイクミ・・・」

「なぁに、ジュンくん」

「これから起こることは、ボクらの想像を超えたことになりそうだ」

「うん、それは私も感じる。でも、よく理論的なジュンくんが、私の話を信じてくれたわね?」

「すべてを信じたワケじゃないけど・・確認してみる価値はあると思ってね」

「ふぅん、エジプト考古学者の血がさわぐってヤツ?」

「エッジプトにも、未だ解明されてない謎はいっぱいあるさ。ミイラの保存方法や、ピラミッドの建築方法、果てはピラミッドパワーなんてものまであるからね。ひょっとしたら霊体とは、人体の排泄物か何かの類かもしれないし」

「排泄物?汗とか?」

「そう、オシッコとかね」

「やだ、キタナイ」

私とジュンくんは、うふふと笑った。幽霊の正体が排泄物とはジュンくんらしい見解だ。

でも、今の話で少し気が楽になったのも事実。ジュンくんに感謝、カナ?


そうこう話しているうちに私とジュンくんは、山のふもとの白い小屋に到着した。

「ここね・・・近くでみるとさらに薄気味悪いわね・・・」

日も落ちて辺りはすでに薄暗くなり、ヒンヤリ冷え込んできた。

そう思うのは寒さのせいだろうか?それともここの雰囲気のせいだろうか?

「懐中電灯で照らしてみよう」

ジュンくんは鞄の中から、小型の懐中電灯を取り出した。本当に何でも入っている便利な鞄だ。

「何か見える?」

私はジュンくんの背中に隠れ、そこからそっと覗いた。

「言いだしっぺはレイクミなんだから、しっかり中を見なきゃだめだよ」

「それはそうだけど・・・怖いんだもん・・・もし何かが見えちゃったら・・・」

「レイクミは既に見たんだろ?あづみちゃんの幽霊を」

そうだ。私はさっき、あづみらしき人影をこの目でしっかりと見たのだ。

それに、もしあづみの幽霊だったら少しだけ会ってみたい気もした。

「ここからじゃ機材が邪魔でよく見えないな。中に入ってみよう」

「えっ、入るの?・・・そう、だよね・・・」

ジュンくんが先頭になって小屋に入ろうと、ドアの取っ手に手をかざした。


ギギギ・・・・ギィ


きしんだ音が部屋に響いた。

どうして古くなったドアというのは、こんなにも不気味な音がするのだろうか?

どうせなら、もっと華やかな音がしてくれれば、怖さも紛れるのに。

ジュンくんは、部屋の中を懐中電灯で照らしまわった。

小屋の中には、工事用の立て看板と工具、それに木材などがぞんざいに置いてあった。

狭い小屋なので、室内全部を見渡すのはわずか数秒とかからなかった。

「いない・・誰も・・」

その結果が良かったのか悪かったのかは分からないが、とにかく小屋の中には誰もいなかった。

私達は顔を見合わせて外に出ようとした。

「おーい!ジュンくん!」

すると、小屋の外から声がした。鈴木さんの声だった。そして小屋の窓から、山のふもとから上がってくる光が見えた。どうやら、鈴木さんが私達を心配して見に来てくれたらしい。

頼もしい助っ人の参上に、私は嬉しくなって小屋の外へ飛び出した。

すると、小屋の横の暗闇に、すでに鈴木さんが到着しているようだった。

ずいぶん早く走ってきたのだなと思い、私はその人影に声を掛けようとした。その瞬間・・・!


「レイクミ!よせっ!」


突如、ジュンくんが大声を上げたので、私は振り返った。

「どうしたのジュンくん?そんな大声だしてビックリするじゃな・・・・・・」

私はその瞬間、どうしてジュンくんが大声を上げたのか理解した。

ひきつった顔のジュンくんの見据えた先には、先ほどの人影。しかも、それは鈴木さんではなかった。


「あ、あづみ!・・・」


私は驚きを通り越して、どうやって驚いてよいのか判断がつかなかった。

とにかく、そのくらい驚いたのだ。それもそのはず。

死んだあづみが、そこに白い衣装をまとって現れたのだから。

さっきは、遠くの小屋の窓から見えただけなので、いささか信憑性はなかった。だが、今度はちがう。私とジュンくんの前に、しかもこんなに近くにハッキリ現れたのだから。

しかし、ハッキリ見えるが、あづみの足元がボンヤリしていたのは、噂に聞く幽霊の姿そのものだった。

そして、ふもとから上がってきた鈴木さんもそれを目撃してしまったようだ。

ライトをこちらに向け、何か叫んでいた。

それが何を言っているのかは、混乱した私には聞こえなかったが。


「逃げろ!れいちゃん!」

どうやらそう叫んでいる鈴木さんは、私のもとへ駆け上がってきた。

その声に、一瞬だけ視線を外した私。すると、さっきまでいたあづみの幽霊は消えていた。

私もジュンくんも鈴木さんも、そして少し遅れて来た小林さんも、みんな、自分の目を疑っていた。

いや、単純にそれを信じたくなかったのだろう。

「俺は見たぞ!さっきのは本当に!」

「ボクも見ました・・・たしかにあれはあづみちゃんだった・・・」

「本官もハッキリではありませんが、たしかに白装束を着た髪の長い人影をみました!」

私を入れて4人。その4人すべてが、同時に同じ幻覚を見たというのは考えられない。

それとも、私が先に見たという話が、先入観として人間の視覚を狂わせてしまったのだろうか?

「あっ!」

小林さんはいきなり指を刺した。その方向、山の上に向かって人影が歩いているのが見えた。

そして、立ち止まり、こちらを振り向いた。間違いない。あれは確かにあづみだ。

「お、追うのよ!」

言葉よりも体が先に動いた私は、あづみの後を追いかけながら叫んだ。

それにつられ、ジュンくんと小林さんも後を追う。鈴木さんは少し躊躇していたが、すぐに追いかけてきた。


あづみの幽霊は、ゆっくり歩いているように見えるのに、走って追いかける私達よりも速かった。

それだけでも、あづみが人間離れしていることが一目瞭然でわかる。

とにかく、このまま見失わないように、私達は息を切らすのも忘れて山道を追いかけた。

「ぜぇっ!ぜぇっ!」

しかし、かけっこが苦手で運動不足、おまけに20代後半という条件では、すぐにバテてしまうのも当然だ。そこへいくと小林さんは、さすがに体育会系だけはある。すぐに私の側まで追いついて来た。

だが、幽霊という正体不明の物体に、できるだけ近づきたくないのか、それ以上あづみの幽霊と距離を縮めるのを戸惑っていた。

「小林さん!私を担いで!」

「ええっ!・・しかし・・」

その言葉に躊躇していた小林さんではあったが、場合が場合なだけに覚悟を決めてくれたようだ。

「し、しつれいしますッ!レイクミさん!」

小林さんは顔を赤らめながら私を担ぎ上げた。女性に対して、相当純粋な小林さんだった。

「もっと早く!」

私は多少ムチャな命令を小林さんに下した。

でも、小林さんはそれに答えるかのように速度をアップさせた。

みるみるうちに、あづみの幽霊との距離は縮まっていき、あと5メートルほどまで追い詰めた。

白いモヤが私の顔を撫でてゆく。霧が相当濃くなり、視界が悪くなってきた。

そして、地面の湿った枯葉が、小林さんが走るのをモタつかせているようだ。

あづみは後ろを振り返り、完全に反対の姿勢のまま歩いていた。

それは歩くというよりも、浮かんでいるという表現の方が正しかった。

そして、にやりとこちらに微笑んだ。

「ぞおっ!」

小林さんの心情が伝わってくるほど、それは不気味な笑いだった。

(あづみは、明らかに私を招いている・・・一体どこへ連れていこうとしているの・・?)

しかし、もう少しで追いつきそうな距離まできた時、あづみは更なるスピードで私達の前からフッと消えてしまった。

「どっ、どこ?!どこへ行ったの?」

あたりを見回す私。小林さんは、恐怖に震えながら、目を瞑ってガムシャラに走っていた。

「あっ!と、止まって小林さん!」

「あ、え?・・・」

私の突然の掛け声に、小林さんは頭で理解するのに一瞬遅れた。

「止まれぇッ!小林!」

私は更に大きな声を上げた。それに驚いて、小林さんは急ブレーキをかけて止まった。


ザザザ・・・ガラガラ・・・


小林さんが止まった場所。その一歩先の霧の隙間から見える景色は崖だった。

私は崖の下の沢を見て、喉をごくりと鳴らした。もし、あのまま止まっていなかったら、あのまま崖下へ落下していただろう。

(これはあづみの罠なの?私達を誘い込んで、ここから落とそうとしたの?ねぇ、あづみ・・)

「レイクミさん!あそこ!」

小林さんが声を出したのであたりを見回すと、有刺鉄線の向こうにあづみが見えた。

「あづみ・・この先に、何かがあるのね?」

私は、小林さんが抱えてくれた腕から降りた。するとあづみは、その先へと消えていってしまった。

少し遅れて、ジュンくんと鈴木さんが到着した。

「はぁっ!はあっ!・・・あづみちゃんの幽霊は・・・どこだい?!」

私は、有刺鉄線の向こうを指差した。すると、ジュンくんの顔が強張った。

「やはりここか・・どうやらボク達は、これ以上先に進まなければならなくなったようだ・・・」

皆は黙ったまま、有刺鉄線の先を見据えている。

「わたし、行くわ」

私は有刺鉄線の前まで歩み寄ると、その下を潜ろうとして屈んだ。

しかし、ビッシリ張り巡らされた有刺鉄線は、簡単に潜れそうになかった。

「これはもっと土を掘る必要があるね」

私の横に、ジュンくんも屈み込んだ。私達は顔を見合わせて、枯葉をどかして土を掘り始めた。

「これは切断した方が早いであります!」

私達が顔を上げると、ペンチを持った小林さんが立っていた。

バチン!バチン!と、手際よく有刺鉄線を切断していく小林さん。そして、人が通れる位のスペースを確保することが出来た。

私を先頭に、ジュンくんと小林さんは有刺鉄線を潜った。

「あ~ッ!もう!ここまできたら覚悟決めるしかねぇか!ヤケクソだぁ!」

腕まくりした鈴木さんも、私達の後からついてきた。


まだ今日知り合ったばっかりなのに。

天栖小学校の秘密を調べるために、恐い思いをしてまで協力してくれる仲間。

それはとても有難い事だった。普通だったら、何の得にもならない事に、首を突っ込む者などいない。

ましてや、幽霊の後を追って、危険な場所へ進もうなどとは思わないだろう。

だけど、この人たちは違う。自分の危険を犯してまで、私達を助けてくれるのだ。

そこには損得など存在しないのだろう。

たったひとつの輪が、ひとつの事に向かっていく様は、なんと輝かしくも勇気が奮い立つものなのだろうか。彼らにはそれを教えてもらった気がする。

そして私達は、もしかして後戻り出来ない状況へと、自ら歩を進めているのかもしれない。


「お、おい、ジュンくん!そういえばキミ、昔ここに来た時に番犬がいたと言ってたじゃないか。もしかしたらドーベルマンとか襲ってくるかもしれないぞ?」

「はい、その危険性はあります・・・だけど、番犬がいるということは、今もその番犬ににエサをあげている者が存在する事になります・・つまりそれは、何かを隠しているということです」

「そりゃそうだけどよ・・おい、小林!もし犬が襲ってきたらおまえに任せたぞ!」

「はぁ、犬が1匹2匹ならなんとかなるかもしれませんが、複数だとちょっと自信がないであります。それに相手が幽霊だったら、一体どうやって戦えばよいのでしょうか?」

「お、俺に聞いても知るか!」

「大丈夫よ、小林さんなら。モチロン私も守ってくれるわよね?」

私は小林さんに、ぱちりとウインクをした。

「あ、は・・はい!了解であります!命に代えてもお守りしますでありますっ!」

「おいおい、俺たちゃどうすんだよ~・・なぁ、ジュンくんは何か護身術とか習ってないのかい?」

「いいえ、全然。ボクは体を鍛えるよりも脳を鍛える方を優先してきましたから」

「ああ、そうだろうね・・・はぁ~、自分の身は自分で守るしかないか・・・」

よりいっそう不安顔になった鈴木さんだった。


サク・・サク・・サク・・・


恐る恐る。一歩一歩。

私達は、湿った枯葉を踏みしめながら進んでいった。

山の中の、なんともいえない臭いが漂ってくる。すると・・・

そこには、また有刺鉄線があった。

「なんだよ、またかよ。二重にしてあるとはなかなか厳重だな」

小林さんがペンチで、バチンと有刺鉄線を切断する。そして私達は、また歩を進めた。

サク・・・・サク・・・・サク・・・・

だんだん山道の傾斜がキツくなってきたので、歩くスピードが落ちてきている。すると・・・

「まただ!おいおい、いいかげんにしてくれよ!」

そこにはなんと、三重目の有刺鉄線が張ってあった。こんなに厳重に警戒するなんて、一体この先には何があるのだろうか?

小林さんがペンチを取り出して、それを切断しようとした時、ジュンくんが口を開いた。

「ちょっと待ってください。何かおかしいと思いませんか?」

「何がだい?何がおかしいんだ」

「ええ、なんと言うか、この有刺鉄線の張り方が気になるんです」

「有刺鉄線の張り方?」

「そうです。一度目の有刺鉄線に比べて、二度目は針と針の間がかなり狭くビッチリと張り巡らせてありました」

「たしかにそうでありましたな・・しかし、これはどちらかというと・・」

「そう、それが三度目になれば、更に厳重になる筈なのに、これは少し手抜きをしたような張り方に見える。言い換えれば、これを張った人の意思が浮き出ているように思えるんです」

「ジュンくん、だから何だって言うんだい?ひょっとしたら、三度目は疲れて面倒になり、無意識に手抜きになってしまったんじゃないか?」

「いえ、ここまで厳重にしておいて、それは有り得ません。これはフェイクだと思うんです」

「フェイク・・罠ってこと?」

「そう。これは有刺鉄線を三度作る事によって、更に先に何かがあると思わせる罠なんです」

「だけど、もしそうだとしたら、これより先には何もないってことなのかい?」

「はい、おそらく」

「バカな、今まで我々が歩いて来た道には、何もなかったじゃないか」

「・・・いいえ、私、少し感じたの・・」

私がそう口を開くと皆が私の方を振り返った。

「思い過ごしかもしれないから言わなかったけど、今来た途中に、違和感を感じる場所があったわ・・」

「よし、そこだ。言ってみよう」

ジュンくんは、私の肩を軽くポンと叩いた。私達はその場所へと引き返す事にした。

鈴木さんは納得いかない顔をしていたが、小林さんと顔を見合わせ、私達の後をついてきた。

「あ、ここ・・ここに何かを感じるわ・・・ここにひっかかる何かがあるわ」

「ここって・・・何もないじゃないか?」

「いえ、ここを見て下さい。明らかに枯葉の集まり具合が違う。何者かが任意に枯葉を被せた跡です」

「もしかしてここを掘るのかい?・・・うむ、男三人でも大変そうだな」

「ね、小林さん。お願いできるかしら?」

私は小林さんの腕を握ってお願いした。

「りょ、了解であ、ありますッ!お任せ下さい!」

小林さんは、そういうが早いか、携帯用のスコップでみるみる掘り始めた。


「お、おいジュンくん・・・れいちゃんって、小林をうまく使うようになってないか?」

「はぁ、まぁそんな感じに見えますね。あのくらいの歳になると、そういう術も出来てくるんじゃないですか?」

「はは、そうだな。女は怖しってヤツか」

ジュンくんと鈴木さんは、何やら私に聞こえないように小声で話していた。

「ん?何、ジュンくん達」

「あ、い、いやなんでもないよ。さって!頑張って掘るぞお!」

何かを誤魔化すように、ジュンくんと小林さんは、そそくさと掘り始めた。そして5分ほどして・・・

「何か鉄板のようなものがあります!」

そこには、私の感じた通り、何かが埋まっていたのだった。

男の人達は、鉄板のまわりの土もどかして、その鉄板の取っ手を引っ張ってみた。すると。

「な、中に穴があるぞ!」

なんと、鉄板の下には、大人がやっと通れるくらいの穴が開いていた。小林さんは、ライターに火をつけて中を照らし始めた。

「なんでランプがあるのに、わざわざライターを使うの?」

「あれは、中の空気があるか確かめているんだ。一酸化炭素中毒になったら死んじゃうんだよ」

「えぇ、そうなんだ。知らなかったわ」

こういう時、さすが男の人は頼りになると思った。


小林さんは酸素を確認し、コクンとうなずいた。さて・・・これから一体どうしたものか?

やはり、ここは中に入って確認すべきなのだろう。当然だ、その為にここまで来たのだから。

「まさか、山の中で、こんな穴の中に入るとは思わなかったな」

「ボクだってそうですよ・・・あれ?中は意外と広いですね」

ジュンくんの後に続いて、私はハシゴを降りた。なるほど、確かにそこは広い空間であった。

これで間違いなく、ここは人為的に作られた空間になる。だとすると、必ずここに何か意味があるはずだ。

「ひょっとしてホームレスでも住んでいたりしてな・・へへ」

「鈴木さん、驚かさないでくださいよ。それならどうやってあの鉄板のフタを閉めたんですか?」

「冗談だよ、ジュンくん。そうムキになるなよ」

「こんな時に冗談言わないでくださいよ、全く」

確かに冗談を言っている場合でもないが、冗談でも言っていないと場の雰囲気に飲み込まれそうだった。その穴の中は、コンクリートで部屋のように区切られ、壁からはところどころヒビが入っていた。

そのヒビから水が染み出していた。室内の空気は湿気があってカビ臭く、ひんやりと冷たかった。

「ここは何かの倉庫なのか?それとも空襲から身を守る防空壕かもしれないぞ」

「いえ、これは倉庫や防空壕ではないと思いますよ。本棚に机に書類。まるで何かの実験でもしていた跡のようですよ」

「実験って何の実験なのよ?」

「そんなの分からないよ。でも、こんな穴の中の隔離された場所でしか出来ない事・・・そんな実験じゃないかな」

ここでしか出来ない実験・・・想像しただけでますます不気味な場所に思えてきた。

「これは何だろう・・・注射針のようだ」

ジュンくんは床から何かを拾い上げた。

「戦後で生活に疲れた人が、ヒロポンとかを注射してたんじゃないか?」

「どうですかね・・でも、ここに書類の日付が書かれいる。え~と……」

「私達が小学校を卒業した年だわ・・もっと新しい日付のはないの?」

「うん、ここにはこれ以上新しい日付はないな・・とすると、ここは天栖小学校が廃校になるまで機能していた場所ということになるな」

「ふぅむ、よし、もっと探してみよう。何か手掛かりがあるかもしれん」

私達は、小型のペンライトをそれぞれ渡され、部屋を隈なく調べ始めた。


(小学校を卒業するまで機能していた研究所・・・

ここは、天栖小学校とも何か関係があったのかもしれない・・・

それはなにかしら?もしかしたら、あづみは私をここに呼び寄せたかったのかもしれない・・・)


私は心の中でぶつぶつと考え事をしていた。

ジュンくんと小林さんは燐の部屋へと移り、私と鈴木さんがこの部屋を調べていた。その時・・・

もそっ

腰を落として屈んでいた私のお尻に、何か触れた感触がした。私は急いで振り返った。

しかし、何もいない。気のせいだと思いながらまた辺りを調べる。すると・・・

もにゅ

今度は、私の胸に何かが当たった。今度は間違いない。確かな感触だった。

バッ

私は驚いて立ち上がってしまった。しかし、今度も周りには誰もいない。

鈴木さんとは距離が離れているし、ジュンくんと小林さんは燐の部屋だ。

もしかしたら、何か小動物でもいるのかもしれない。

(いやだなぁ・・・)

私がそう思った次の瞬間!

誰かが私に抱きついてきた。そして、私の口に舌を入れてきたのだ。

(うぐっ!・・)

私は驚きと戸惑いで、声を上げるのも忘れてしまった。

(誰?だれなの?!)

普通だったら、そこで大声を上げて叫ぶのが当然だろう。しかし、この中にいる人間は限られている。

ジュンくん、鈴木さん、小林さんの三人だ。まさか、この中の誰かが、私に突然こんな卑猥な事をしたというの?

「ひひひ・・・いい体してやがんなぁ・・・」

私の耳元でささやいている声。それは鈴木さんの声だった。

私は驚いた。まさか、この状況で、こんな事をしてくる人だとは思ってなかったからだ。

「この女となんとか仲良くなりてぇもんだぜ・・その為にわざわざ危険を冒してこんな所まで来たんだからな・・・」

(いやぁっ!)

私は逃げるようにして燐の部屋へ移った。

「どうしたのレイクミ?そんなに慌てた顔をして。ネズミでもいたの?」

ジュンくんが私の慌てぶりを見てそう言った。

私は動揺してしまい、今、鈴木さんにされた事を言えなかった。

鈴木さんは、何事もなかったように部屋を調べるフリをしていた。

「どうしたんだい、れいちゃん?ボーッとしちゃって?」

私の視線に気づいた鈴木さんは、わざとらしくシラを切っていた。私は急に、鈴木さんが怖くなり、小林さんの燐に移動した。小林さんは、何も言わずに部屋を調べていた。

「うーん、この女はどうやら本官にホレているようでありますなぁ・・・でも本官は、やっぱり小学生以下じゃないと興奮しないであります。早く家に帰って、ネットで幼女のエロ画像でも落とすであります・・・」

(!!)

バダダッ

私は小林さんの言葉を聞いて、恐ろしくなって壁際に逃げた。

「ど、どうしたでありますか、レイクミさん?何を怖がって・・・」

「さ、さわらないで!この変態ッ!」

「ひ、ひどいでありますなぁ、本官は何もしていないであります!」

「どうした小林?れいちゃんもどうしたんだい?」

すると、鈴木さんと小林さんが、私のところに歩み寄ってきた。

「いやッ!来ないで!この痴漢!変態!」

「何を言っているんだ、れいちゃん!俺は何もしていないぞ?」

「うそッ!さっき私に抱きついてキスしたじゃない!体も触ったじゃない!」

「な、何言って・・俺はさっきからあそこで調べていたんだ!キミの側に寄ってはいない!」

「ほ、本官だって、横にはいましたけど、何もしていません!神に誓って!」

「そうだぜ・・俺達は何もしていないぜ・・・はぁはぁ・・・」

「そうであります・・まったくの無実であります・・・うへへ・・・」

「はぁ・・・はぁ・・・だからこっちにおいでよ・・・」

「うへへ・・・そうすればもっと気持ちよくなるであります・・・」

「はぁ・・はぁ・・うへへへへ・・・・さぁ早くこっちに・・・」

この男達の目は完全にイッてしまっている。これはヤバイ。とても危険だ!


「きゃあぁッ!!」

ハッ

あれ?さっきまで私を襲おうとしていた鈴木さんと小林さんがいない。

「どうしたんだい?大声だして」

同じ部屋にいた鈴木さんが心配そうな顔をしている。

「何かあったんですか?」

燐の部屋にいたジュンくんと小林さんもやってきた。

「う、ううん・・・な、なんでもないよ・・・」

「じゃぁなんで大声出したんだい?」

「あ、あの、それは・・・ゴキブリが・・いたから・・なの・・・」

「なーんだ、そうだったんだ。驚かさないでくれよ」

ジュンくんと小林さんは燐の部屋へ戻っていった。それにしても、さっきのは何だったのだろうか?

幻覚?それとも夢でも見ていたというの?それにしてはリアルな感触だった。

(いやだ・・私ったら何であんなことを・・・)

あまりにも卑猥なその内容に、私は赤面するほど恥ずかしくなった。


パッ


その瞬間、私のまわりはすべて闇になった。

もともと暗い室内だったが、今度は完全に真っ暗。漆黒の闇。

これは・・・前にも起きた事がある・・・

そうだわ・・・松任谷先生のアパートへ行った時と同じ現象だわ・・・

あの時は、誰かの声が聞こえたんだわ。

あれ?私の体が下に見える。あれ?私の体が浮かんでいる。

これではまるで、幽霊ごっこの状態になってしまったようだ。


(あそぼ・・・れいちゃん・・・)


これは・・この声は、私が以前聞いた声だ。この声はどこかで聞き憶えがある・・・

そう、あづみだ。これはあづみの声なんだ。小学生の時に聞いた、あづみの可愛い声。

大人になったあづみは、どこか寂しげな声だったが、いま聞こえたのは子供の時の声だ。

「あづみなの?ねぇ、そうなんでしょ、あづみ」

(うん・・そうよ・・・だからあそぼ・・・)

ポウ・・・

すると目の前に、子供の頃のあづみが現れた。白い着物を着た髪の長い女の子だ。

しかし何故、私の目の前に現れたあづみは、子供の頃のあづみなのだろうか?

数週間前、天栖村で再会した時のように、大人の格好で現れてくれないのだろうか?

「ねぇ、あづみ、何でそんな格好をしているの?ここで何をしているの?」

(あそんでいるんだよ・・だってわたし・・ずっとここであそんでたんだもん・・)

「ずっと?・・うそよ。あなたは隣町の高校を出て、実家から会社へ通っていたじゃない」

(ううん・・しらない・・ずっとここであそんでいたよ・・ほんとだよ)

「そんな・・・じゃあ言うわ、あなたは数週間前に毒を飲まされて死んだのよ」

(うそ!・・あたしは死んでなんかいないよ・・れいちゃんのうそつき!)

ゴォウッ!

突如、突風が吹いた。その風で目を開けていられなくなる程の勢いだった。

「うそじゃないわ、あづみ!あなたは確かに死んだのよ!だから教えて!ここにはどんな秘密が隠されているの?!」

(しらない!・・わたしなんにもしらないよぉ!・・)

ゴオォウッ!

またもや突風が吹いた。そして、その風がやむと、今度はそこに、大人の姿のあづみがいた。

「あづみ!わかってくれたんだね?ねぇ、私は何をしたらいいの?教えて、あづみ!」

(あははは・・・れいちゃん泣きそうな顔してるよ・・・そんな顔しないであそぼ・・・)

「あづみ!あなたは大人の記憶をなくしてしまったの?私との記憶もなくしてしまったの?!」

(わたしはずっとここであそんでいたのよ・・・だからしらない・・なにもしらないもん・・・)

大人の姿になったあづみだが、中身はどうやら子供のままらしい。

「あづみ!教えてちょうだい!あなたは本当に幽霊なの?!」

(じゃあれいちゃん・・わたしと一緒におねんねしてくれる?・・・わたしとってもさみしかったの・・・)

「おねんね?どう言うこと?」

(じゃあ・・やくそくだよ・・れいちゃん・・・)

「あ!ちょっとあづみ!」

あづみは、そう言うと私の前から姿を消した。その瞬間、私は暗闇から元に戻った。


(・・・まただわ・・・あづみは、いったい、私に何を伝えようとしていたの?・・・たしか、おねんねって言っていたわね・・・)

「おうぃ!みんなこっちに来てくれ!」

その時、ジュンくんの叫ぶ声が聞こえた。私は我に返り、ジュンくんのいる部屋へと向かった。


「あ、これは何なの?」

そこには、ちいさな棺のような物があった。それは、子供ぐらいなら入りそうな棺だった。

「ま、まさか、そこに死体が入っているんじゃないだろうな?・・・」

鈴木さんは引きつった顔をしている。

「とにかく、開けてみます・・」

「やめて、ジュンくん!もし、誰かがそこに眠っていたら可哀相よ!」

「たしかに、かわいそうかもしれない。でも、ボクたちはそれを調べなきゃいけないんだ!」

ジュンくんは、勢いよく棺のフタを開けた。するとそこには・・・

「うわあっ!」

「きゃあ!」

そこには、一体の小さなミイラが入っていたのだった。


ゴゴゴ・・・ゴゴゴゴ・・・・・


「ちょっと待て!今なにか音が聞こえたぞ!」

「た、たしかに聞こえたであります!なにか地響きのような!」

「じゅ、ジュンくん!はやくフタを閉めて!あづみがきっと怒っているのよ!」

「あづみちゃんが?・・何をバカなことを・・・」

「ほんとなんだから!私はさっきあづみと話をしたのよ!」

「おちつけレイクミ!それはきっと幻覚だ!これはただの地震にきまっている!」

「じ、地震でも何でも、ここにいるのは危険だ!みんな非難するぞ!」

鈴木さんの掛け声とともに、私達は出口に向かって走り出した。だがしかし、ジュンくんだけは、その場に留まって何か考え事をしていた。

「ジュンくん、何をしているの!早く逃げなきゃ!」

私はさっきの部屋に戻り、ジュンくんの腕を引っ張った。

「何しているのよ!早くしないと危ないわよ!」

「待ってくれ!もうちょっとで何かが解りそうな気がするんだ!」

「バカ!今はそれどころじゃ・・きゃあぁッ!」


ドドドド!ガラガラッ!・・・ズシャーン!


地底の奥底から、地鳴りのような轟音が体にぶつかってくる。

今までに経験したことのないような、人間の領域をとうに超えた自然の力。

それを垣間見た私は、自分がとても小さくて、無力で、儚い存在だと知った。

私は、薄れゆく意識の中で、あづみの事を思い出した。

ひょっとしたらあの棺には、あづみが眠っていたのではないだろうか?

そして、棺を開けた事であづみが怒った・・・しかし、何故あづみは子供のまま死んでいたのだろうか?

私とジュンくんの目の前で死んだあづみは誰だったのだろうか?・・・

全ては謎のまま、私は意識を失いそうになった。その時、誰かの声が聞こえたような気がした。


(あづみが眠っているのを起こそうとしたからだよ・・・れいちゃん・・・)

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