第6話 増殖する不可解
ACT-6 『増殖する不可解』
「これじゃあ、私の思い出がどんどん死んで行くわ!」
私はベッドに泣き崩れていた。
彼氏の祐二は、殺人未遂および銃刀法違反で指名手配された。
つい先日まで、ふつうに祐二と会ってお酒を飲んで、楽しく会話をしていたのに。
それなのに、今の祐二は私の手の届かないどこかで警察に追われている。
突然の出来事だった。
あの夜、私とジュンくんは、深夜のファミレスで、天栖村での忌まわしい事件について話していた。
事件のことは、一切、祐二に話していない。だから、私と誰か別の男が会っていれば、それを浮気していると疑うのも当然だ。だけど私は、事件のことを祐二には話したくなかった。
たった数日の間、田舎で起こった事件。そして新幹線の中で目の前で死んだ男の事。
そのどちらも、私の普段の日常とはかけ離れているものばかりだ。
だから、それを東京で祐二に話してしまったら、それは完全に実在した事件であることになってしまう。
私は心のどこかで、田舎で起こった事件を、夢か幻かのように記憶を眠らせておきたかったのかもしれない。あまりにもかけ離れた環境で起きた事件を、こちらとは無関係にしておきたかったのだ。
だけど、それも通じない。
彼氏の祐二が犯した罪は現実だ。一晩寝て夢でした、と済まされる事ではない。
私の大切な人が、私を大切に思うあまり、私の大切な思いを壊す結果になってしまった。
あの時の祐二は、憎しみに体を乗っ取られてしまったのだ。
人間だれしもが持つ妬みという感情のせいで、私の祐二は鬼と化してしまった。
もしあれが反対の立場だったら・・・私だって我を忘れて怒るかもしれない。
だから、そんな祐二を全て責めることは私には出来ない。
あらかじめ、田舎での出来事を全て話し、ジュンくんと会うことを話しておくべきだったのだ。
どこかやましい気持ちがあった訳じゃないのに、何故、私は祐二にすべて話しておかなかったのか悔やまれてしょうがない。しかし、いくら悔やんだ所で祐二の罪が消える訳でもない。知らん振りしていれば、スッと消えるものでもないのだ。
悲しみ。
その気持ちを思い出すたびに、私は一生、いつまでも悲しい記憶を持ち続けないといけないのだ。
そしてそれは、思い返すまでには未だ至っておらず、現在も進行し続けている苦しみなのだ。
祐二を救うにはどうしたらいいのか?何か私に出来る事はないか?
さしあたって思いつく事は、祐二の携帯に電話することだけであった。
昨晩から何度電話をかけただろうか?500回、いや1000回ほどかけただろう。
それでも祐二は一度も電話に出てくれなかった。
いつもは寝ぼけた声で、酔っ払った声で、私の所に声を届けてくれた祐二。
それも無くなってしまうのだろうか?そればかりか、祐二との付き合いも途絶えてしまうのだろうか?
そうだ。
強く思う事で、何か奇跡が起こるのかもしれない。
天栖村の事件だって、偶然に偶然が重なっただけならば、もう一回ぐらい偶然が重なってくれても良いではないか。例えば、ファミレスでジュンくんを襲った人物は、実は祐二のクローン人間か何かで、ある組織に利用されて私達を狙っていたとか・・・・
バカ。
何をこんな時にSFの妄想を膨らませているのだろうか、私は。
せめて現実に起こる良いことと言えば、祐二が素直に警察に出頭し、罪を償い、その後の人生で何か人の役にたつ素晴らしい行いをすれば、だれも、けして祐二を責める者はいないハズだ。
例えば、会社を設立して大儲けしたら、それを海外支援団体に寄付したりすれば良い。
それが無理だったら、非営利目的の法人を作り、環境美化やホームレス問題、ニートやフリーター問題、それと役人達の汚職を未然に防ぐようなすごい人物になれば良いのだ。
その他にも、人に感謝されるような事はいっぱいあるはずだ。そうだ、そうすれば祐二の心はきっともとに戻るだろう。楽しかったあの頃にきっと戻れるだろう。
私の考えは突拍子もないバカげた妄想ばかりだった。
だが、藁をもつかみたい気持ちになれば、たとえ確率がゼロに等しくても、それにすがってしまう。
自分の都合の良いように考えてしまうのだ。これが人間の弱さなのだな、と実感した。
ピンポーン
誰かが私の部屋のインターホンを鳴らした。
どうせまたジュンくんだろう。私は無視してベッドに顔をうずめた。
「おーいレイクミ、いるんだろ?開けてくれよ!」
あれからジュンくんは毎日ここにやってきた。私の事を心配してくれてかどうか知らないが、いつも午後の一時にここにやってくる。あれから何日経ったのだろうか?3日?いや一週間?
会社にもどこにも出かけていない私に、ジュンくんは、ポストの中に食べ物の差し入れを持ってきてくれる。だが、食欲のまったくない私は、それをただテーブルの上に無造作に置いておくだけだった。
あれ、そういえばまだ11時だ。ジュンくんにしては不規則な時間に来たものだ。
「レイクミ、ちょっと話の進展があったんだ!開けてくれ!」
私は面倒くさそうに起き上がると、ジャージ姿のままドアを開けた。
「なによ・・?」
私の腫れた顔とぐしゃぐしゃの髪を見て、思わずひきつった顔をするジュンくん。
どうでもいいわ、ジュンくんにこんな姿見られたって何とも思わないんだから。
「ひ、久しぶりにレイクミの顔を見たよ。元気・・なわけないよね?それより重大な事がわかったんだ」
私はジュンくんの顔をじっっと睨んだ。私はジュンくんを恨んでいるのかもしれない。
ジュンくんに非は無いのはわかっている。
だけど、あんな夜更けにいきなりやってくれば、会わずに帰る訳にはいかないだろう。
もし事前にこっちに来るとわかっていれば、それとなく祐二に説明しておけたかもしれない。
ああ、やだな。
私は自分の責任を、ジュンくんのせいにしている。
自分の非を誰かに擦りつけることで自分を正当化しようとしているのだ。
私は少し反省し、ジュンくんに申し訳ないと思った。そして、毎日様子を見に来てくれるジュンくんに感謝しなければいけないと思った。
「あのさ、ごめんね」
「何がだい?」
「なにがって・・その・・もういいわ、何でもない!それより何よ、重大な事って?」
「それがさ、新幹線で死んだ同級生のヌーボーなんだけど、どうやら製薬会社の研究室で働いていたらしいんだ」
「製薬会社の研究室・・・」
「そうさ、何か心当たりないかい?」
「う~ん、お薬の研究をしていたなら・・・自分でいろいろな薬を発明していたとか・・」
「そう、それとか、いろいろな薬を外部に持ち出したりとか、ね」
「あ!まさか!」
「うん、まだ確定じゃないんだけど、仮にぷぅやんがあづみちゃんに飲ませた劇薬を、どこかから入手していたとすると、それは薬局とかでは絶対に売ってないハズなんだ。だから、特別な所から入手する必要があった」
「それがひょっとして、ヌーボーのところからだったって言うの?」
「だから仮にだよ。ヌーボー・・いや、沼田保(ぬまたたもつ)は、天栖小学校の同級生三人がそれぞれ死んだ際に、一度、天栖村に戻っていたそうだ。そこでぷぅやんに薬を渡した可能性はゼロじゃない」
「確かに、その時ついでに睡眠薬ももらったかもしれないわね。でも、よくそこまで調べれたわね?」
「ああ、ここまでの推理は警察だって当然進めているさ。だから、警察のフリをして市役所に電話して、ヌーボーの実家の電話番号を聞いた、そしてヌーボーの家に直接聞けばいいのさ。警察だけど、もう一度確認の為に話してくれってね」
「あったまいいわねー、あんた。でもちょっと悪知恵ね」
「仕方ないさ。正攻法では教えてくれないに決まっているし。ということで、ボクは天栖村に戻って、ヌーボーについて調べてみようと思うんだ」
「調べるって・・・よしなさいよ、もうあの事件に首を突っ込むのは」
「いや、調べる。だってあの事件には偶然では片付けられない事が多すぎるんだ。天栖小学校の同級生がこれだけ不審な死に方をしていれば気にもなるさ」
「・・ふ~ん、そぅ、じゃぁガンバッテ調べてみて。それじゃ」
私はドアを閉めようと、ドアノブの手をかけた。
「おいおい、レイクミは気にならないのかい?よし子ちゃんやぷぅやんがあんな死に方して、それで次はヌーボーだよ?説明つかないことだらけじゃないか。まるで、ボクたち天栖小学校の同級生を、全滅させようとしているみたいじゃないか」
「はいはい、それは気がかりね。でもいいの、私は殺されてもいいのよ。もうどうでもいいって感じ」
「・・・彼氏のことは残念だったとしか言いようがないよ。でも、もっと前向きに考えなきゃ」
「うるさいわね!もとはと言えば、あんたが突然こっちにやって来たせいなのよ!そうしなければ祐二だって・・!」
私はジュンくんに向かって怒鳴りつけた。言ってはいけないタブーを塞いでおくことが出来なかった。
そして、目から涙をこぼすことで、女の最強兵器を発動させてしまった。私はズルい女だ。
「わかったよ・・ボクは村にもどる・・それから、ごめんね・・・」
ジュンくんは、ポケットからくしゃくしゃになったハンカチを私に差し出してくれた。
そして背を向けると、階段をカンカンと下りていった。
「・・・・・・ぐすん」
私は鼻水をすするとそれを喉に流し込んだ。久しぶりにとった塩分のようで、ちょっぴり美味しかった。
ジュンくんに渡されたハンカチで涙を拭こうとしたが、あまりにも汚いので拭くのをやめた。
私だって一連の事件はおかしなことだらけだと思うわよ。
天栖小学校の同級生が、次々に死んでいけば気になるに決まっている。
でも、それを調べるのは私の役目じゃない。警察の役目だ。
それに、祐二のことが気になってそれどころじゃない。まずは、祐二の事をなんとかするのが先決だ。
私はベッドに倒れこみ天井を見上げた。すると、ジュンくんの事が頭に浮かんできた。
「それほど悪いヤツじゃなかったな・・・ただ、極度の鈍感だったわね・・・」
私は、テーブルの上に置いたハンカチに目をやった。
「けっこう優しいとこあるじゃない・・・」
その時、ハンカチの間に、折り畳まれた紙切れがはさまっているのに気がついた。
私はそれを何気なく開いてみた。すると・・・そこには驚くべき事が書いてあった。
「なによ、コレ?!」
私は急いで外に出るとジュンくんを追っかけた。だが、ジュンくんの姿はどこにも見えない。
ここから駅までは遠くはない。きっと駅に向かったはずだ。私は裸足のまま駅へ向かって走った。
「なんで!・・なんでジュンくんがこの名前を!」
駅の入り口付近には姿は見えない。もう電車に乗ってしまったのだろうか?
私はホームを駆け上がった。すると、そこにはジュンくんの姿があった。
「まって!私も行く!あなたについていくわー!」
ホームで電車を待つ乗客がいてもなんのその。私は駅中に響きわたるほどの大声をあげて叫んだ。
ジャージ姿にボサボサの髪、おまけに裸足。この姿で男に叫ぶ女を見て、まわりの人はどういうシチェーションを思い浮かべるだろうか?それはさしずめ、『捨てられた女』だろう。
だが、そんなことはどうでも良い。だって、私もジュンくんと、絶対一緒に天栖村へ帰らなければいけないと思ったのだから。何故なら、ジュンくんのポケットから出てきた紙切れにはこう書かれていた。
阿久津祐二
それは祐二の旧姓であった。誰も知らないハズの名前。
すべてが偶然の重なりだったと思う気持ち、だがそれも、もう通じなくなってしまった。
こうして私とジュンくんは、奇妙なこの事件の真実を探るべく、行動を共にするのだった。
そして。
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
ここは電車の中。いま、鉄橋の上を渡っているので、電車が激しく揺れる。
「ふたたび天栖村か・・・」
よし子たちの事件があってから、まだ十日ほどしかたっていない。
祖母の葬式も、あの事件があった後なので出席していない。なんだか帰り辛い。
いやな事件から逃れようと、飛び出すようにして村を出て行った私を、あの家は迎えてくれるだろうか?
「ジュンくん教えて。このメモに書かれている名前は何?これも事件に関係するの?」
「あれ?どこでそれを・・・あっ、それポケットに入れておいたんだった。さっきハンカチと一緒に・・・」
「大事なものなんでしょ?もう、ジュンくんってば、おっちょこちょいなんだから」
「あはは、ごめん」
「で、何なの?コレは」
「うん・・実はそれ、ぷぅやんが書いた小説の中に登場する人物なんだ。ほら、これなんだけど」
ジュンくんは、ぷぅやんが書いた小説の原稿用紙をバッグから取り出した。
「その小説って……何であんたが持っているのよ?」
「あの事件の時、崖へ向かって車が走って行く時、風に舞って落ちたんだ。全部は回収できなかったけどね。それにアルバムも拾ってきたんだ」
私は思い出した。私とぷぅやんが縛られ、よし子とチョロ太が乗り込んだ車は、崖に向かって落下していったのだ。あの時の記憶を思い出すと、背筋が凍る気分になる。私はよく生きていたものだ。
「ちょっとそれ見せてよ」
「え?それはちょっと・・やめておいたほうがいいよ。これは女の子にはキツ過ぎるから・・」
ジュンくんの困った顔から、どんな卑猥な内容なのか推測できた。
そうだった、これは、ぷぅやんが私に対しての想いを小説化したものだった。
当然、本人の性的欲求も文章化されているのだろう。
「じゃ、じゃあいいわ。それで、その中に阿久津祐二の名前が書かれているのね?」
「うん、この小説はノンフィクションなんだ。それも、天栖小学校の同級生みんなが登場している。だから、みんな実在する人物で、オリジナルキャラクターは登場しないはずなんだ」
「天栖小学校の同級生とは関係ないキャラなんじゃないの?」
「いや、この小説には、天栖小学校の同級生しか登場していない。実在する人物を登場させる事で、リアル感を高めているのだと思うよ。だってそのための小説だから」
「そのため?その為ってどういうことよ?」
ジュンくんは顔を赤らめて黙ってしまったので、私はだいたいの想像がついた。
だってもう28歳なのだから、男子の性欲がどんなものかは分かるつもりだ。
「だ、だからつまり、この小説に登場する、阿久津祐二とは、実在する人物じゃないかと思ってね」
「でも・・私はそんな人が小学校の同級生だった記憶なんてないわよ」
「ボクだってないさ。でも、何か関係があった人物だと思うんだ。だから調べてみる価値はあると思う。それに、サオちゃんにも会う必要があるかもしれない」
サオちゃん・・・
天栖小学校の同級生で、私達以外で生存している女の子。11人中、たった3人の生き残り。
病弱で入院しがちだったから、あまり友達として接した覚えがなかった。
そういえば、いまどうしているのだろうか?中学でも入院を繰り返していたと聞いたが・・・
「そうね。久しぶりに会ってみるのもいいわね。彼女が今、どうしているか知りたいし」
「ところでレイクミ。こういう言い方は気分が悪いと思うけど、きみは何か隠しているね?」
ドキリ。
鋭い。ジュンくんは、私が阿久津祐二の名前に、極度に反応しているのを見抜いている。
それはそうだろう。天栖村に一緒にいくのを拒んだのに、それが一変したのだから。
だけど私は、心の中で恐れていた。
彼氏の祐二と、ぷぅやんの書いた小説に出てきた人物、阿久津祐二と何か関係があるのではないかと言う事に。でも、これ以上、ジュンくんには黙っていられない。
「あのね、実は・・・・」
「いいよ、言わなくて」
「え?でも・・」
「きみが思っている事が、事件に関係したら言ってくれればいい。そうでなければ無理して言う必要はないよ」
「・・・うん、わかった」
私は、心の中でジュンくんの優しさにお礼を言った。ありがとう、と。
「とりあえず、天栖村に戻ってみよう。それからいろいろ考えればいいさ。今は少し疲れたから休もう」
ジュンくんはそう言うと、腕を組んで目を閉じた。
考えてみれば、祐二が指名手配されてから、ジュンくんは毎日、私の所に差し入れをしてくれた。
そして、事件に関係あることを色々と調査してくれていたのだ。ジュンくんには感謝しないといけない。
「ジュンくん、いろいろ疲れたでしょう?何か飲み物でも買ってきてあげようか?」
「あ、いいよ。ぼく毎日ジュース飲んでたから糖分取りすぎちゃったんだ」
「何で毎日ジュースなんか飲んでたの?」
「いやぁ、アキハバラってところにあるメイドカフェに入り浸っちゃってね。ヤバいくらいにハマっちゃってさ!おかげで借りたお金も全部使っちゃったよ。まいったなぁ、あはは!」
「あっ、そ・・・」
一瞬でも、ジュンくんに感謝した自分がバカだった。
そして数時間後。ここは天栖村。
新幹線と電車とバスを乗り継いで、5時間ほどかかった。相変わらずここは田舎だ。
実家に戻って顔を出そうと思ったが、祖母の葬式以来、母親とはケンカ状態だったのでやめた。
しかも、付き合っていた祐二が指名手配されているなんてとても言えない。
もし、それが村人に知れ渡れば、私まで凶悪犯だと思われてしまうのが田舎の怖いところだ。
暇人の年寄りには、噂話を与えてはいけないなと心底思う。
そういう訳で、わずか数日でまた戻って来たのはどこか引け目があったので、帽子を深々とかぶって、私の正体がバレないようにしていた。
ジュンくんは車を取りにいこうと自分の家に向かった。
「こちらがレイクミ。川西の大きな家の」
「ああ、高見沢さんとこのれいちゃんね、まぁ、大きくなって」
「あ、ど、どうも・・・」
ところがジュンくんは、そんなことおかまいなしに、自分の母親に私を紹介している。
ジュンくんの両親は母親しかおらず、農業をしながら生活しているそうだ。
帰る際も、大根の干したのやら、サトイモやらを、ビニール袋いっぱいに入れて持たせてくれた。
(う~ん、気持ちは嬉しいんだけどねぇ・・)
野菜を頂けるのは大変有難い事だが、要らない物を要らないと言えないのが辛いところだ。
そんなサトイモでいっぱいになったビニール袋をジュンくんの車に乗せ、私達はヌーボーの家に行ってみることにした。
「相変わらず狭い車ねぇ」
「それがいいんだよ。わからないかなぁレイクミには」
フィアット500とかいうオモチャみたいな車に乗せられ、砂利道をガトゴトと20分ほど走った。
「こんな山奥だったのね、ヌーボーの家って」
「ああ、そうみたいだね。ここは村のなかでもかなり外れの方だね」
「よくこんな遠くから、小学校まで歩いて来ていたわね!」
「でも、たしかヌーボーって走るの速かったよね。毎日足腰鍛えられていたのかもしれないね。そう考えると、悪い状況も考えようによっては良い事に変えることが出来るんだねぇ」
ジュンくんは、悟りきった口調で言ったので、私は、(何を言ってんのかしら)と思った。
そうこうしているうちに、一軒の家が見えた。あそこがヌーボーの家なのだろう。
家の畑の横に車を止めて、ジュンくんはエンジンを切った。
「なんでここで停まるの?もうちょっと近くまで行けるわよ?」
「いや、道に水溜りがあるから車が汚れてしまう。ここから歩いていこう」
ここからヌーボーの家まで30メートルくらいあるのに、ジュンくんは車が汚れるのを嫌って遠くに停めた。車が道を走れば汚れて当然なのに、よほど車を大事にしているのが伺えた。
「ちょっと先に降りていてよ」
私は、車から降りたジュンくんの後を、水溜りを避けながら歩いた。道沿いにある畑からは、大根が顔を出していた。
「ねぇ、ヌーボーの家ではお葬式やったのかしら?」
「うちの母にそれとなく聞いてみたけど、特に変わった事はなかったらしい。こんな狭い村だから、葬式でもやれば村全体に知れ渡るだろう」
「そうね、ということは、親もヌーボーが死んだの知らないのかしら?」
「それはないさ。だって、警察が身元を調べて家に電話しただろうからね」
「それもそうね・・でも、お葬式もできないなんて、なんだかかわいそう・・」
「場合が場合だからね。息子が変死したって言い辛いだろ、この田舎じゃ」
「それもそうね」
私はまたしても、田舎の面倒くささと嫌らしさを実感した。
「ごめんくださーい・・・ごめんくださーい!・・・」
「出てこないわね。いないのかしら?」
「そうかもしれないけど、誰とも顔を合わせたくないのかも」
それはそうだ。自分の息子が新幹線の中で死んでいたなんて聞いたら、親だったらショックで塞ぎ込んでしまってもおかしくはない。あまり無理に会うのは迷惑だろう。さて、どうしたものか。
「ちょ、ちょっとあんた!何してるのよ!」
「何してるって・・ちょっとお邪魔させてもらうだけだよ?」
なんとジュンくんは、入り口を開けて、勝手に家の中に入り込んでしまった。
「やめなさいよ!家の人にみつかったらどうするの!」
私はジュンくんの後から家に入り、小声で言った。
「みつかったらそれで丁度いいんじゃない?だってヌーボーの親に会うのが目的だから」
以外と大胆な行動に私は慌てた。
東京で勝手に人の家に入ったら、それは住居不法侵入で逮捕されてしまう。
都会生活の長い私には理解できない行動だった。
「すいませーん!誰かいませんか?小学校の同級生のものですが!」
・・・・シーン
誰も出てこない。やはり誰もいないのだろうか。
玄関から土間と台所が直接繋がっている。そして田舎特有の変な臭いが鼻を突く。
やぶけた障子と、散らかった部屋。あまり裕福でない様が伺える。いかにも昔の人の家だ。
それにしても、この家の作りは粗末なものだ。未だに、こんな家で生活している人がいるとは、都会の人には到底想像できないだろう。
ザザザ・・・
その時、家の裏の方から何かの音が聞こえてきた。
「あっちだ!」
ジュンくんは、勝手場に勝手に入り、裏口から外へ出た。
「誰もいないぞ・・・今の音は何だ?」
「ジュンくん!あそこ!」
私の指差した先には、何か人影のようなものが走っていった。どうやら、ジュンくんの車を見ていたらしく。私が叫ぶとその人影は慌てて逃げていった。
「追うぞ!レイクミ!」
「えっ?ちょっと・・!」
ジュンくんが走り出したので、私もそれにつられて走り出した。だが、その人影はすでになく、どこか木の茂みにでも隠れてしまったようだ。ジュンくんは、自分の車のまわりをぐるっと調べていた。
「特に何かされた跡はないな。誰だったんだろう?」
「知らないわよ・・ねぇ、もうやめましょうよ、なんだか怖いわ・・それにこの家には誰もいなかったし・・」
「正確には、誰もいなかったわけじゃないけどね。さっきの人影は確かにボクたちから逃げたんだ」
「まさかヌーボーの両親だって事?じゃあ何で逃げたのよ?逃げる必要なんてないのに」
「知らないよ。とにかくここにいても仕方ない。逃げた人影が出てくる訳じゃないし。場所を移そう」
バタン・・・
私とジュンくんは、ふたたび車に乗り込んだ。
ブルルル・・ジュンくんはキーをまわしエンジンをかけた。
「さっ、いくよレイクミ」
「・・・ちょっと待って・・・」
「どうしたの?」
「さっきあんた、車のカギかけた?」
「どういうこと?ちゃんとかけたさ。だから今もカギを開けてから乗っただろ。ボクはそういうとこはちゃんとしてるからね」
「だったらコレはなによ!」
「これって・・!!」
助手席のダッシュボードの上には、ハガキくらいの大きさの紙が置かれ、こう書かれていた。
『コレイジョウ シラベルノハヤメロ サモナイト シヌコトニナル』
「これは!いつの間に?確かにボクは車のカギをかけて外に出た・・ということは、あの怪しい人影は、あの短時間に車のカギを開けてまた閉めたことになる・・・そんなバカな・・・ありえない・・」
「だ、だったらコレはどうしてここにあるの?窓のスキマから入れたっていうの?!」
「それもありえない。窓もちゃんと閉めてあったし、どこかから入れるスキマなんてないはずだ!」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
私もジュンくんも言葉を失くしてしまった。
とにかく、ここにいるのは気味が悪いのでさっさと移動した。
車で移動している際、車内は静かだった。
「誰かが私達の行動を監視しているのよ・・・ヌーボーの家から離れた所に車を停めたのに、それで家の人の誰かが気づいて外に出たなんて考えにくいわ」
「たしかに、あの短時間で車のカギをあけてまた閉めるなんて芸当は、一流のドロボウにだって難しいだろう。でも実際にそれは起こったんだ。必ず方法があったはずだ」
「そんなこと無理よ。魔法使いでもいるっていうの?」
「いや、ひとつだけ考えられることがある」
「何よ?」
「いや、やめておこう。それはあまりにも可能性が低いからね」
「なんだってのよ・・・・」
私は、言いかけた途中でやめたジュンくんの言葉が気になった。
(まてよ・・・)
私の頭の中に、ある考えが浮かんだ。
もし・・もしもよ?もし、あのハガキを置いたのがジュンくんだったとしたら・・・
そういえば、車から降りる際、先に降りたのは私だ。一瞬で助手席にハガキを置く事ぐらいなら出来る。でも、車のところに見えた、あの怪しい人影が何かしたと考えるほうが可能性はある。
でも、仮説としたらこうも考えられる。ジュンくんは私の味方だと完全に信用しても良いのだろうか?
よし子達が崖から車を落とそうとした時、やけにタイミングよく登場した。
それに今回、私がこの村に帰るきっかけは、ジュンくんのポケットから出てきたメモを見たからだ。
あのメモに書かれている、阿久津祐二の名前をワザと見せたとしたらどうだろうか?・・・
ひょっとしたら、今の現状は、全てジュンくんの都合の良いように事が運ばれているのかもしれない。
それにあの怪しい人影だって、もしかしてジュンくんの仲間かもしれない。
私をひと気のいない所に誘い出して殺そうとしているのかも・・・
ヌーボーの話だって、ジュンくんが調べたと聞かされただけで、でっちあげのウソかもしれない。
私は隣にいるジュンくんの顔をチラリと見た。
どこか抜けたさえない顔をしているが、頭の回転だけは速いようだ。
もしかして、天栖村同級生殺害の計画は、全てこの男の仕組んだ計画だとしたら・・・
まさか、いくらなんでもそれはないだろう。
いけない・・・私ったら、あまりにも現実離れした事件を連続して目の当たりにし過ぎて、人を疑うことに馴れてしまったようだ。こんな私を殺して何かメリットがあるわけがない。
私は反省して頭をコツンと叩いた。
「ん?どしたの、レイクミ?」
「ううん、なんでもない。ところで今からどこへ行くの?」
「・・・・・・」
「ねぇ、どこよ?教えてよ」
「・・・・・・」
「ちょっとどうしたの?ねぇ!」
しかし、ジュンくんは返事をしない。私はジュンくんの肩をボンと叩いた。
すると、こちらを見るジュンくんの目つきが鋭く変わっていくのがわかった。
そして額からは、脂汗のようなものが光って見えた。
「ついに来てしまったか・・・うう・・・」
「やだ、やめてよ、へんな芝居するのは・・・ちょっとやめてったら!」
「はぁ、はぁ・・・いまからあるところへ行かせてもらう・・イヤとは言わせないぞ!」
「ど、どうしたのよ?!おかしいわよ、ジュンくん!」
キーッ!
車は急ブレーキをかけ、そこに停車してしまった。あたりはひと気のない茂みに囲まれている。
まさか!私の思ったと通り、ジュンくんは私を罠にかけていたとでも言うのか?
「いやあ!」
バン!
私は急いでドアを開けると、車から降りて逃げ出した。
「どこへ行くんだ!?」
ジュンくんも車から降り、鬼のような形相でこちらに迫ってきた。
「きゃあ! 助けて!」
すると、ジュンくんは私を追い抜いて、茂みの中に向かって一目散に走っていった。
「あれ?・・・おーい、ジュンくん・・・?」
しかし、ジュンくんからの返答はない。呆気に取られて呆然としている私に、しばらくして声がした。
「ごめんレイクミー!そこからティッシュ投げてくれない?どうやら実家で食べた干しイモがあたったらしい・・」
「へ・・・・そ、そうだったの、下痢だったのね・・・」
ジュンくんの腹痛が消える頃、私のジュンくんへの疑いも消えていた。
そして。車はふたたび走り出す。
「ふーっ、一時はどうなることかと思ったよ」
サッパリした顔のジュンくんが言った。
「それはこっちのセリフよ!もう!いいかげんにしてよ!」
「悪かったよ、そんなに怒らなくてもいいだろ。さっ次に行こう」
「どこへ?」
「市役所さ。今はあまりひと気のない所に居ない方が良い気がするんだ」
確かにあの不審な人影、それに身の危険もある。私もそれは思ったので無言でうなずいた。
「あ、でも、その前に警察に行った方がよくない?このハガキを見せた方が」
「そんなもの見せてもどうにもならないよ、田舎の警察がどうこうしてくれるなんて考えない方がいい」
それはそうか。あのよし子の事件も、祟りだと言って調査を進めようとしていないからだ。
村の数少ない若者が、それも同級生が立て続けに死んでいけば、祟りか何かと思う人もいるだろう。
特にこの田舎では、科学的な事よりミステリアスな事が信じられてしまうことが信じられない。
とにかく、村での噂は確実に広まっているだろう。だけどそれを、表で口にする者はあまりいない。
「市役所に行くには理由があるんだ。そこでサオちゃんの住所を調べるんだ。病気で入退院を繰り返した彼女は、今はもう村に住んでいないだろうからね」
「でも、そんな事調べられるの?」
「う~ん、ほかの土地へ移る際に、転出届を出しているかもしれないし、それに誰か知っている人もいるかもしれない」
「そうね、それはありえるかも。行きましょう」
私達は、村から少し遠出して、町の市役所へと向かった。
その時。私達は気づいてなかった。一台の不審な車が、私達の後をつけていることを。
「よし、市役所に着いたよ」
「中学の時、ここを出て行く時以来だから久しぶりだわ」
「ボクだってそうさ。市役所なんて滅多に来たことないよ」
「そう言えば、あんた、税金ちゃんと払っているの?海外にいる間の分はどうなってるの?」
「何だよ突然、年金のこと?さぁ、ボクは年金に興味ないからね。あれは法が改正しない限り破綻するのは目に見えているから払う気なんてさらさらないよ」
「ダメじゃない!そうじゃなくって、今の私達がお年寄りの分を助けているのよ」
「今ですら危ない橋が、あと30年も持ち堪えられると思う?ま、人それぞれだと思うけど」
「う・・それはそうだけど・・」
私はジュンくんに言われると、自信がなくなってしまった。本当にもらえるのだろうか?年金は?
「あのー、すいません。ちょっとお尋ねしたいことがありまして」
ジュンくんは、市民課の窓口へ声をかけた。まわりには老人しかいなかった。
「どういったご用件でしょう?」
奥にいた職員の男の人がこちらに気づいたようだ。あからさまに面倒くさそうな顔をしている。
「土地家屋の名寄帳を取りたいんですけど・・・」
「そうですか、ご住所はどちら?」
「ええと、天栖村の下本家、○○番地の、桜井と申しますが」
「はいはい、少々お待ち下さい……うーん? ありませんねぇ、本当にその番地で合ってますか?」
「なら桜井で調べて下さい。近辺では桜井は一軒しかありませんから」
桜井という苗字は、桜井さおり、サオちゃんのことだ。それにしても名寄帳って何だろう?
「やっぱりないですね、その村にはそんな家は」
「どうしたよ?」
すると、奥からもうひとりのヒマそうにしている男の職員がやってきた。
「天栖村の桜井って知ってっか?」
「桜井・・そう言えば聞いたことがあるな・・何年か前に引っ越した家だろ、ほれ、たしか娘さんが病気がちで・・」
「ああ、そう言えばいたっけな。親父さんが公務員だったからよく覚えてるわ。でも桜井さん家は、天栖村の白池だぞ」
「すいません、実はウソついてました。その桜井さんの娘さんと、ボクは同級生なんです。それで、現在どうしているのか気になって・・・どうもすいませんでした」
「う~ん、そうか、それなら仕方ないが、そういうウソはもうやめてくれよ」
「はい、すいません。でもどこにいるのかどうしても知りたくて・・あの、この彼女も同級生なんですけど、とっても心配しているんです。よく見て下さい、最近は心配しすぎて悩みっぱなしなんです」
「あー、そういえば疲れた顔してるねぇ。そういう事情なら特別に教えてあげてもいいけどね」
「あのね、あんたら・・・」
私は、米神がヒクヒクするのを押さえた。
「桜井さんは家はもう天栖村にはないよ」
「じゃぁどこに?」
「あのね、ここだけの話だけどね・・・」
職員の男の人は、顔を近づけて小声で話し出した。
「桜井さんはのお父さんはね、実は学校の先生をやっていたのよ、天栖小学校で」
「え?」
私とジュンくんは顔を見合わせた。
「それでさ、天栖小学校が廃校になった年に、桜井先生が自殺しちゃったのよ」
「ど、どうしてですか?!」
「それがさぁ、あまり詳しくは知らないんだけどね、なんでも、自分の娘さんがさ、おかしくなっちゃったんだよ、精神的にさ。それで看病しても治らないから、ついには先生自身もおかしくなっちゃったみたいだね。ま、今で言う鬱病みたいなもんかな?」
「サオちゃんが?・・・でも卒業式にはちゃんといましたよ」
「う~ん、ま、たまに良くなった時だけ学校行かしてたらしいけどね。とにかく、そんなこんなで家中がおかしくなって、遂には引っ越していったんだけどね。あそこのお母さんも大変だったみたいよ」
「そうだったんですか・・・何も知らなかったなぁ」
「ま、無理もないさ。そういう事はひた隠しにするのが村の人だからね」
私はそれを聞いて納得した。
「今はどこに住んでいるかご存知ないですか?」
「う~ん、そこまでは知らないなぁ」
「そうですか・・それとついでにもうひとつお聞きしたいのですが、天栖小学校の当時の資料ってどこかにないでしょうか?」
「う~ん、それなら図書館をあたってみたらどうだろうかね。当時としては珍しい分校だからね。何か記事とか資料とか残してあるかもしれないね」
「わかりました。どうもありがとうございました!」
「それとさ・・・」
受付の男の人は、さらに小声でジュンくんに耳打ちしてきた。
「何を調べているか知らないが、あんたただの同級生じゃないだろ?いや、俺にはわかる。あんたは新聞記者か探偵だろ?俺さぁ、そういうの大好きなんだ。何かあったらまた来なよ。わかることだったら何でも教えてあげるからさ」
「あ、はい、ありがとうございます」
「実はさ、お役所仕事もヒマでしょうがないのよ、な」
職員の男の人は、私達にウインクをした。
(お願いですから、しっかり仕事をして下さい) 私は心のなかでそう思った。
それから私達は市役所を出た。
「意外と話のわかる人で助かったね」
「そうね、でもあれはどちらかというと、ただの暇潰し程度に思えるけど。いいのかしら、あれで?」
「さぁ、そんなもんじゃない?お役所仕事って。さぁ、図書館に行ってみようよ」
「でも、図書館ってどこにあるのかわかるの?」
「そこに案内の地図があるね、ええと・・・ここから車でちょっとか」
図書館に移動しようと、ジュンくんと私は駐車場の車のところまでやってきた。
ドズン。
先に車に乗り込んだ私の耳に、何かニブイ音が聞こえた。
「何してるのジュンくん、早く乗んさいよ」
しかし返事はなく、その場に倒れ込むジュンくん。
え?血?
アスファルトには赤い斑点ができていた。
私は慌てて車を降りると、外には黒いコートに身を包んだ祐二の姿があった。
「ゆっ、祐二?!なぜあなたがこんなところに?!」
「はぁっ!はぁっ!」
突然の出来事を理解できずに混乱する私。
だがそこに、ナイフで刺されたジュンくんが、地面に倒れる事だけはハッキリと理解できた。
こんな田舎にまで、なぜ祐二は追ってきたのか?
まさか、ヌーボーの家に現れた不審な人影も祐二だったのだろうか?
そしてその目的は何?
全てが意味不明なまま、祐二はニヤリと笑いながら、私の前から去っていったのだった。
そして私は確信した。ぷぅやんの小説の中に登場した男、阿久津祐二。
私の彼氏だった祐二は、天栖小学校同級生と何かしら関係があるのだと。
こうして私の思い出は、どんどん死んでゆくのだった。
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