第4話 夢の中の結末
ACT-4 『夢の中の結末』
「ここはどこなんだろう?」
「ここには何も見えない」
「ここには何も感じない・・・」
私は真っ白の中にいた。
見渡す限り白で形成された空間に、私はぷかりと浮かんでいた。
目の前が白い霧のようなものに覆われて、視界がおぼつかない。
そして、どうやら私自身の体も真っ白のようだ。
手や足の感覚がなく、どうなっているのかもわからない。
私はもがいてみたが、それでも何も変わらない。
今度は力いっぱい大声をあげようとしたが、声を発する事もできない。
私は訳がわからなくなり、無我夢中でこの空間から脱出しようと精一杯もがいた。
すると、ずっと先にうっすらと黄色い光が、雲の間から差し込んでいるのが見えた。
あそこに行けば何かわかるかもしれない。
私は、その場所に行くことを強く願った。
すると、その場所に自分の体が瞬時に移動したような錯覚を覚えた。
それはとても軽快な移動だった。ニュルッっという感じで、けしてビュンという感じではない。
ゆっくり静かに、それでいて瞬時に素早く動くようだった。
その黄色い光の下には、何か別の空間が見えた。
私は上からそこを覗くと、広い地形と海が見えた。
それはまるで、宇宙空間の少し下から地球をナナメに見下ろしているような感じだった。
不思議だったのは、そこの地上には明らかに人が住んでいる気配があった。
だから、私はその生活を覗いてみたくなり目を凝らしてみた。
すると、一気にズームした視点になり、あるひとりの人間がクローズアップされた。
街中をひとりで、とぼとぼと傘をさして歩いている人影。それは私だった。
容赦なく降り注ぐ雨と、走り去る車から水溜りを引っ掛けられてビショ濡れだった。
濡れた髪をつたる雫、はぁはぁと吐き出される白い息、凍えるような寒さ。
そのどれもが私に敵対しているようだった。
まるでワザと私を苦しめるように、世間が意地悪しているようだった。
私は、「やめて!」と叫んでみるが、その声に耳を貸す者は誰一人いない。
孤独な世界でひとりぼっちで生きているような惨めな存在。それが私。
そして、その世界の私は、その場にうずくまり、涙を流して泣いていた。
それを見た私も悲しくなって涙をこぼして泣いた。
その涙が雨となって流れるたびに、もっともっと悲しくなっていった。
もうやめて・・・もうやめて・・・
私の心の叫びは、とうとうその世界に届くことはなく、ガラガラと崩壊していくのだった。
・・・
・・・・・・
「・・・!・・・・!」
誰だ?誰かが私の事を呼んでいる。
誰だ?こんな虚しくて寂しくてちっぽけな私という存在を呼ぶのは誰だ?
「レイクミ!大丈夫か!」
「・・・ジュンくん・・・」
「よかった、目が覚めたようだね」
「ここは・・どこ?」
私はぼんやりする意識の中で、あたりを見回した。どうやらここは病院らしい。
「なんで私はこんなところにいるの・・?」
そうだ、私はよし子と山小屋へ行ったのだ。
そこでチョロ太にアルバムを見せてもらったが、アルバムには私の写真が切り取られていた。
そして、チョロ太が外に出るのを追っかけようとした時、何かの衝撃が・・・・
「あッ!」
私は思わず叫んでしまった。思い出したのだ。あの時の記憶を。
あの時の、よし子の凄まじい形相。あれは殺意を持った顔だった。
「わたしは・・・よし子に・・・そうだ!よし子はどこ?!どこなのジュンくん!」
私は、ベッドの側にいるジュンくんのシャツを引っ張った。
「とにかく落ち着いて・・・まだ休んでないとだめだよ」
ジュンくんは私をベッドに寝かせようとした。だが、私はゆっくり休んでいる場合ではない。ベッドから跳ね起きて、部屋を飛び出した。
「よし子!どこなのよし子!」
私は大声で叫びながら、病院中の部屋を走り回った。だが、そこによし子はいなかった。
「レイクミ!」
私の後を追いかけてきたジュンくんが、私を呼び止めた。
「ねぇジュンくん!よし子はどこなの?!それにチョロ太は?!ぷぅやんは?!」
私は泣きつくように、ジュンくんに問い質した。
「みんなは・・・もう、ここにはいないんだ・・・」
「ここにはいない?・・・どういうこと?」
私は、あの夜の記憶を手繰ってみた。
「あつつ・・・」
私の脳に激痛が走り、記憶にたどり着くのを拒む。
「思い出せない・・だけど、とても怖かった記憶がある・・・ジュンくん教えて!私は今までどうしていたの?!みんなはどこに行ってしまったの?!」
私は鬼気迫る形相でジュンくんの肩を強く揺すった。
「レイクミ・・・どうやらきみは軽い記憶喪失のようだ。だが、きみには知る権利がある。それは、とても辛い事実を受け止める事になる・・・それでもいいのかい?」
私は無言でうなずいた。ジュンくんも無言でうなずいた。
体の傷はたいしたことなかったので、病院の先生には無理行って退院させてもらった。
そして、ジュンくんの車に乗り込むと、あの山小屋に向かった。
ガタゴト・・ガタゴト・・
舗装されていない砂利道を走る。それにしてもよく揺れる車だ。それに窮屈だ。
「ちょっと我慢してくれよ、この車はフィアット500チンクチェントという車なんだ。中は狭くて非力だが、なかなか味のある車なんだよ」
「ふ~ん」
ジュンくんはどうやら車が好きらしいが、今の私にはそんなことどうでもよかった。
それよりも、一刻も早く事の真相を知りたかったのだ。
「さぁ、ついた。レイクミ、歩けるかい?」
「平気よ・・・あ・・・」
その山小屋の光景に私は確かに見覚えがあった。
小学校の頃、みんなで秘密基地ごっこをした小屋だ。
そして、あの晩、よし子に連れられてきた場所だ。そういえば、あの夜から何日経っているのだろう?私は何日寝ていたのだろうか?
「ジュンくん、私はどれだけ眠っていたの?」
「3日になる。あの忌まわしい夜から、きみは3日も眠っていた」
「忌まわしい夜?」
ジュンくんは、あまり自分から真相を喋ろうとしない。何か言い辛い事があるのだろうか。
それならば、私が自ら思い出せば良い。ジュンくんには出来るだけ聞かない事にしよう。
私はその小屋まで山道を登り、小屋の扉を開けた。
ホコリとクモの巣がかかった部屋はとても汚かった。私はひとつ咳払いをした。
「あれ、おかしいな、ここはこんなに汚れていなかった気がするんだけど・・・」
確かに憶えている。あの夜、よし子に連れられて入った時には、こんなにホコリはなかった。
私はどちらかというと綺麗好きなので、こんなにホコリのある部屋に入れば咳込んですぐに気づくのだ。まぁいい、そんな些細な事は後回しにしよう。
私は確かにここでよし子に殴られたのだ。
鉄パイプのようなもので後頭部をガヅンと。なぜ?何故、よし子が私を殴ったのか?
「私はそれから・・・それから・・・そうだ!」
私は突然思い出したかのように小屋の外へ飛び出した。
そして、小屋のある山をもっと上まで駆け上がり、頂上へ向かった。
ここには長い下り坂があり、その先は深い崖になっていた。
「ここだわ・・・」
頂上から崖を見下ろす私の後ろに、ジュンくんがやってきた。
「そう、きみはここで恐ろしい体験をした・・」
私の見渡す景色が暗く闇に包まれていく。夜の光景が見える。あの夜の記憶・・・
「うう!」
私は激しい頭痛を覚え、頭を押さえた。
「大丈夫か?レイクミ!」
「平気・・・それより、ちょっと思い出したわ。あの夜の、よし子に殴られた私は気絶してこの場所へ連れてこられた。そして・・・・」
私の意識が遠くなっていくのがわかる。
頭の中に白い輪と、その周りを回っている2つの光が見える。
(私の記憶は・・・これね。ここから見ることが出来るんだわ)
自分の意識の中を飛び回るような感覚。そして忌まわしい記憶の場所がそこにあるとわかった。私はその場所へだんだんと近づく。するとそこには、あの夜の記憶が挟まっていた。
私はそれを紐解くように、するすると引っ張ってみた。
(回想シーン)
ガヅン!
よし子の振りかぶった鉄パイプが、私の頭部を直撃した。ばたりと倒れる私。
「はぁっ・・はぁっ・・!」
鬼のような形相のよし子が、倒れた私を睨んでいる。
そして、私の体を抱えると、外へ運ぼうとした。よし子ひとりでは重いらしく、しばらくはずるずると私の体を引きずっていた。そのうち、チョロ太がやってきて、よし子とふたりで私の体を担いで運んだ。
そして、よし子が運転してきた車の後席に、気絶した私を押し込むと、頂上へ向かって走り出す。チョロ太が私の腕に何か注射をしている。あれは何だろう?そして、私の口にウイスキーの瓶をあてがって中身を喉に流し込んだ。
あれだけの大量のお酒を飲ませたら酔っ払ってしまうだろう。
頂上に着くと車は止まり、チョロ太が車の荷台から何かを引き摺り下ろした。
それは、ぷぅやんだった。
私と同じように大量のウイスキーを飲まされたらしく、ぐっすりと泥酔していた。
いや、それともさっきの注射を、ぷぅやんにも打ったのだろうか?眠り薬か何か?
運転席にぷぅやん、そして助手席に私が運ばれると、よし子とチョロ太は顔を見合わせた。
その時、私の意識が回復してきた。
「うぅ、ゴホゴホ・・よし子、何をするの・・・」
「あら?気がついたようね、れいちゃん。意外と目覚めるのが早かったわね」
私は、ウイスキーで蒸せた喉の痛みを堪え、助手席から降りようとした。が・・・
(う、動かない、体が言うことをきかないわ!)
「うふふ、動けないはずよ。筋肉弛緩剤を打っておいたからね」
「ぐへへ、今なら何しても抵抗できないってワケだ」
チョロ太がいやらしい目つきで、私の体を舐めるように見ている。
「チョロ太!あんたはそればっかりね!」
よし子がチョロ太に鋭い声を浴びせる。
「ちぇ、わ、わかったよ・・」
チョロ太はしぶしぶ諦めたようだ。
「ど、どうしてこんな事をするの?・・・まさか、あづみを殺したのも・・?」
私は、痺れる体から、なんとか細い声を上げた。
「さぁ、知らないわ。あづみが死んだのは、きっと祟りなのよ」
「た、祟り?」
「そう、この村に古くから伝わる迷信。それが現実に起こったのよ。ただそれだけ・・」
「ただそれだけって・・・よし子!」
「村に変なウワサがたったから丁度良かったわ。そのおかげで、あなたが死んでも天栖村の祟りのせいにできるからね」
私は、身動き取れない体を必死で動かそうとした。
「無駄よ、無駄、無駄。あんたはもう死ぬしかないのよ、死んで当然なのよ」
「なんで私が!私が……何をしたって言うのよッ!」
「ううぅ・・くそ・・・」
その時、運転席に座らされているぷぅやんが目を覚ました。
「こいつ、何でクスリが効かないんだ?!」
チョロ太があわてて注射器を取り出そうとしている。
「待って、もういいわ。一度免疫がついて効きにくくなっているのね。丁度いいから教えてあげるわ、おふたりさんに」
「ううぅ!」
ぷぅやんは、痺れる体を無理やり動かそうともがいている。
「いい?あなた達は私をバカにしたのよ、だから死んで当然なの。わかる?」
得意げな笑みを浮かべるよし子。
「わ、わかる訳ないわ!ずっと・・ずっと友達だと思っていたのに!」
「友達ですって?私はあなたを、今まで一度も友達だと思ったことはないわ」
よし子は吐き捨てるように言った。
「そ、そんな・・・」
私の記憶が走馬灯のように思い出される。
小学校から中学まで、私はよし子と友達だった・・・いつも一緒だった・・・
楽しいこと、悲しいことを、共に同じ時間を過ごしてきた仲なのに・・・それなのに・・・
そういえば、よし子とは、悲しいことを共感してきた思い出が多い事に気づいた。
それは、弱い自分をお互いが慰めるような関係の二人だったのかもしれない。
逆に言えば、よし子を利用して悲しみを紛らわせていたのかもしれない。
それだけの関係?そうなのかしら?そんなに寂しい関係だったのかしら、私達は?
上辺だけは仲良しで、中身は薄っぺらな関係だったのかしら?
「よし子・・わたしは・・わたしは・・・」
私は、哀願するような目でよし子を見た。
「そんな目をしてもダメ。もうこれ以上、あんたに同情するのはイヤなの、面倒くさいの。いっつもあんたは、わたしに助けを求めてきたわ、今のような捨てられた子犬のような目で。それがわたしにはウザかったのよ!レイクミ!」
「!・・・」
そうだったのか。
確かに私は弱かったのかもしれない。辛い事があればすぐよし子に頼っていた。
悲しい事があればすぐよし子の前で泣いていた。それが鬱陶しかったのか。
でも、それでも私たちは信頼し合っていたはず・・・お互いに心を許し合っていたはず。
そんなことで私を殺そうとするなんて・・・
「でもよし子、私たちはずっと友達だったはずよ?」
「ちがうわッ!」
「!!」
「あんたはいつも私の心をグチャグチャにしていたの!あんたは私の心の中に、汚れた泥水を撒き散らしていたのよ!」
「そんな・・・わ、私が何をしたっていうの?!」
「ふぅん、まだシラをきるの?いいわ、教えてあげる、あんたは私の大切な物を奪ったのよ!」
「よし子の大切な物?・・それは何なの?」
「ジュンくんよ!」
「え?!・・・・・・・」
私は、驚きのあまり絶句してしまった。意味がわからない。
よし子の言わんとしている言葉の意味が理解できない。
そもそも、私が、いつジュンくんを奪ったというのだろうか?
「レイクミ、あんた、小学校の頃、ジュンくんと一緒に山の天辺の大木を見に行った事があったわね?」
それは昔、ジュンくんと一緒に山で遭難した時の事か。その思い出なら鮮明に覚えている。
「・・・あるわ」
私は、よし子の顔を見据えて言ってやった。それが悪いことだと微塵も思っていないからだ。
「あの時、ジュンくんは私を誘ったのよ。だけど、あんたが出しゃばってこう言ったのよ。『よし子ちゃんには危険だから、私とジュンくんで行ってきてあげる、大木がどうなっていたか後で教えてあげる』ってね」
・・・思い出した。
確かに私はそんな事を言った覚えがある。だけどそれは、か弱いよし子を気遣ってのことなのだ。けして、よし子から楽しみを奪った訳じゃない。
・・・そうじゃないけど、幼いよし子の子供心にはどう映っていたのか・・・
「思い出した?それだけじゃないのよ。あんたは今まで何度も何度もわたしから楽しみを奪っていったわ。だから、あんたが東京へ出てった時はどんなに嬉しかったか!」
そう言えば、私が東京の高校に入学する際、よし子だけ見送りに来てくれなかった・・・
あれは別れるのが辛いからだとばかり、勝手に思い込んでいた・・・
そうじゃなかったのね・・・私と別れられて嬉しかったのね・・・
「あはは!これでわかった?レイクミ、あんたはずっと私に恨まれていたのよ!それをご丁寧に手紙なんてよこしてくるなんて!わたしはそれを全部引き裂いてやったわ!」
「そんな、ひどい・・」
「酷くないわ!やっと私の前から消えてくれたと思っていたのに、また私の心を傷つけようとしてきたのだから!だけど私は誓ったの・・・いつか、いつかあんたに復讐してやる。それだけを目標に私は生きてきたの。それが遂に適う時がきたのよ!」
「ふ、復讐ですって?そんなことしても虚しいだけだわ!目を覚まして!よし子!」
「今更何を・・ぷぅやんの家にみんな集まった時も、あんたは男の気を引こうと、私より出しゃばっていたわね!それが許せない!」
「気を引こうなんてそんな!」
「あんたの着てきた服装は何?足を強調してなんてふしだらな格好!」
「あ、あんなの普通だよ?都会にいればみんな着てるし・・・」
「うるさい!黙れ!もうどんな言い訳をしても許さないわ、あんたには死をもって償ってもらうから!」
「こんな事したって、誰かに見つかるわ!警察にだって捕まってしまうわ!」
「それは大丈夫よ。アリバイはちゃんとあるから。チョロ太、説明してやって」
今まで、私とよし子の言い合いを傍観していたチョロ太が口を開いた。
「う、うん・・俺とよし子はぷぅやんの家で集まっていることになっているんだ。それでぷぅやんがレイクミをこの場所に誘った。俺達はそれを知らずに辺りを探している・・」
「そ、そんなのがアリバイ?第一、ぷぅやんが私を誘う動機がないわ」
「あるんだな、それが。あの切り取られたアルバムって誰のだと思う?」
チョロ太はいやらしい顔でニヤニヤ笑いながら、ぷぅやんの顔を見た。
「や、やめろ!・・言うな!」
ぷぅやんは、麻痺した口で必死に叫んだ。
「アルバム?あのアルバムと何が関係あるってのよ?」
「ぐふふ、あのアルバムはこいつのなんだ」
チョロ太はぷぅやんの頭をペチペチと叩いた。
「それが何よ?!ぷぅやんのアルバムなのに何で私の写真が切り取られ・・・あ!」
私はひとつだけ気がついた。私にもそんな思い出があった。
写真を切り取る。それは好意を持った相手の写真を切り取って、特別に保管していた事。
「こいつさぁ、レイクミの事が好きだったんだよ、今でもさぁ!あははは!笑っちゃうよね!あはははは!」
ぷぅやんは顔を真っ赤にしてうつむいていた。耳から頭の先まで真っ赤だった。
チョロ太は、ぷぅやんのポケットからサイフを出してそれを広げた。そこには確かに、小学校の時の私の写真が挟まっていた。そして、この前みんなで撮った写真も、私だけ拡大してあった。
「ほら、これがその写真さ!いいか、ぷぅやんはレイクミが好きだった。それで数日だけ帰郷したレイクミに思いを打ち明けようとこの場所に誘った。もちろん自分の車でだ」
そうか・・
よし子が乗ってきたあの商用車のワンボックスは、ぷぅやんの家の車だったのか。
ぷぅやんが、私を迎えに来たアリバイの為の車なのだ。おそらく、よし子の車は別の場所にあるのだろう。そして、チョロ太とよし子で私達を捜しているという筋書きなのだろう。
「小学校の同級生と感動の対面!そして告白!ところが結果は桜散る!思いつめた男は女と一緒にむりやり自殺を図った・・・ってストーリーはどうだろうねぇ?」
「ふん、そんなの三流小説にもなりゃしないわよ!」
「お褒めの言葉ありがとう。でも俺って小説家志望じゃないんでね、こいつみたいにさ」
「?・・・どういう意味?」」
チョロ太は、ぷぅやんの頭をまたもペチペチ叩きながら、束になった原稿用紙を取り出した。
「や、やめろーッ!」
ぷぅやんが絶叫した。
「これ読んでみる?これこいつが書いた官能小説だよ。それもどう見たってレイクミとの恋愛が書かれてるんだよ。しかも実名だよ。あはは!」
私は背筋が凍りつき、思わずぷぅやんの顔を見てしまった。
申し訳なさと恥ずかしさで顔をくちゃくちゃにしているぷぅやん。
「こりゃ間違いなく傑作だよ!あっはっは!こいつ、なに想像しながらこれ書いたんだよ?オナ」
「チョロ太、そこまでにしときな!」
「わ、わかったよ・・・」
チョロ太を睨むよし子。どうやらチョロ太は、よし子に何か弱みを握られているようだ。
「これでわかったでしょ。私とチョロ太のアリバイと、ぷぅやんがあんたと無理心中しようとした動機が。こんな小説見せられて告白したら、誰でも死にたくなるわ」
ぷぅやんは、恥ずかしさの極限を越え、涙まで流していた。
「あとな、ぷぅやんの家の仕事はいま大赤字なんだ。このご時世に大工なんて儲からないからね。だから、金持ちのレイクミと結婚し、養子にでもなれば少しは援助してくれるだろうな、こんなに金に困ってたんだから」
チョロ太は、ぷぅやんの脇にあるバッグから札束を出した。五百・・いや八百万ほどあるだろうか?こんな大金が何故ここに・・?
「本当はもっとあったんだぜ。だけどそれは俺の取り分で、借金に使わせてもらう」
「なんであんたがこんな大金を・・・そういえば・・・よし子、あんた農郷の経理だったわね?それにチョロ太、あんたも農郷で集金係だったと聞いたような・・・」
「そうさ、俺が借金返済の為に、集金の金をチョロまかしていたのがよし子にバレたのさ。でも、よし子は黙っている条件として今回の計画を持ちかけてきた。しかも、更に経理を誤魔化して金を作ってくれた。だから俺とよし子は同罪なのさ」
「そ、そんな騙したお金で借金を返しても、いずれバレるわよ!」
「借金を一気に返せば怪しまれるだろうね。だけど、利息を払いつつ、少しずつ一定の金額を払っていけば、真面目に俺が返したことを疑うやつはいないさ。それにもし、集金から金を誤魔化していた事がバレても、誰かに脅されていたとすれば・・・どうかな?」
「そ……そんなバカなことが……」
「ついでに言うと、俺もぷぅやんが昔っから大嫌いだったのさ。俺のことイジめてパシリにしやがって! 絶対にゆるさねぇぞ! 死んで償え!」
そうだったのね・・・
金の弱みを握られたチョロ太と、それを利用し、私に復讐しようとするよし子。
それに、ぷぅやんにイジメられていたチョロ太もまた復讐を果たせる。
これで二人の利害は一致した。
仕事がうまくいかないぷぅやんは金に困り、よし子とチョロ太を脅して金を得ていた。
そして、私に好意を持ち告白に失敗すれば、やけになって心中しようとも思うだろう。
それだけの理由付けとなる材料はいくらでもある。それがアルバムや小説なのか。
これで罪は全てぷぅやんに擦り付けられ、よし子の復讐も同時に果たせる。
さらに、村の祟りが噂されているならば、この村の人々は気味悪がって調べようとしないだろう。
「こんな・・こんな事までして!あなた達はそれで満足なのッ?!」
「うふふ・・・」
「笑ってないで答えてよ!私はあんた達とずっと友達のつもりでいたのにッ!」
私は虚しくなった心をいっぱいにし、張り叫ぶように声を出した。
「そう、それよ!」
「え?」
よし子は嬉しそうにニンマリと笑った。
「その悲痛な叫びをわたしも味わったのよ。この瞬間、わたしの復讐は始まるの!あはははっ!」
もうダメだ。よし子の目は正気の沙汰ではない。完全に我を見失っている。
チョロ太もおそらくダメだろう。借金という罠に蝕まれた心が腐敗しているのだ。
人の奥底に眠る本能、いや、欲の嫌らしさとは、こういうものなのだろう。
私は、これらの欲の前に完全に屈服するしかなかった。
どうあがいても、これらの欲に打ち勝つ術が見当たらなかったのだ。
力が正義だと誰かが言ったが、正義とは勝った力の事を言うのではないか。
どんなに捻くれた思想でも、究極まで高まった欲望には全てを飲み込む力がある。
私は観念した。
私の人生の結末は、人間の悪戯を満足させる為に、いま終わりを迎えようとしていた。
ぷぅやんは完全に諦めているようだ。
涙を流しながら、「レイクミ、ごめんな・・ごめんな・・」と呟いている。
考えてみれば、これだけ私に好意を持ってくれた相手と一緒ならば、たとえ死んでもそれは虚しい死ではないかもしれない。たったひとりで死ぬよりはマシかもしれない。
そう、たったひとり・・・あづみのようにたったひとりではない・・・
あづみ・・・・・
私はあづみのことをふと思い出した。
そう言えば、あづみの死因は何なのだろう?
やはり、チョロ太とよし子が仕組んだ殺人なのか?
あの晩、ぷぅやんとチョロ太がケンカしている隙に、よし子があづみの飲み物に毒を入れた。
そうすれば、あづみを殺す事が出来ただろう。
でも何故?
よし子があづみを殺す理由がわからない。
私を殺す計画を知られた為?でも、それだけであづみを殺すかしら?
そんな危険な事までして、怪しまれる殺人をするのかしら?
あの時、あづみの吐き出した血を浴びてパニックになった私だが、よし子とチョロ太の驚いた顔だけは覚えている。あれは本当に演技なのだろうか?
人は、あそこまで完璧に演技が出来るものだろうか?
でももういい、それはもうどうでもいい。
私は今から殺されるのだから、もうどうでもいい・・・
「さぁ、ここから車が落ちれば命は助からないわ。最後に、何か言い残す事はある?」
私は夜空を見上げ目をつぶった。そして考えた。
そうだ、東京にいる彼氏の祐二はどうしているだろうか?私が死んだら悲しむだろうか?
そして、残してきた仕事の跡継ぎは誰がやるのだろうか?後輩に任せられるだろうか?
「あ!・・・」
私の口から思わず出た言葉がそれだった。
「なに?何を言いたいのかなー、れいちゃん?うふふ」
私は何かを言い残したくて声を出したのではない。車のルームミラーに映る人物を見て声を出したのだ。
「もうやめなよ、みんな・・・」
そこには、月の光に照らされ、悲しい顔をしたジュンくんが立っていた。
「じゅ、ジュンくん!・・・・」
チョロ太も驚いていたが、よし子はもっと驚いていた。
「お、おまえ、隣町に行っていたんじゃ・・・」
「ごめんよ、あれはアリバイだったんだ」
「あ、アリバイって・・・まさかジュンくんもグルになって・・・」
「いや、ちがうよレイクミ。亡者に取り付かれた犯人が、殺人を実行する為のアリバイさ」
「な、なにぃ、アリバイだって?」
「そうさ、犯人は最初からわかっていたよ。さぁレイクミとぷぅやんを放してあげなよ」
「ち、ちがう!これは、その・・そうだ、ただの冗談さ!ちょっとしたお遊びなんだ」
チョロ太はしどろもどろになり、必死で言い訳をしていた。
私とぷぅやんに、これだけの事をしておいて、それを冗談だと済ませるのか。
ジュンくんは、よし子とチョロ太を睨み付けた。
「あづみちゃんを殺したのも君だ、チョロ太」
「う・・!な、何をバカな!しょ、証拠がないぞ!証拠を、み、見せろ!」
チョロ太は、アタフタとうろたえていた。
「あの晩、ボクが遅れてぷぅやんの家に来た時からおかしかったんだ」
「な、なんでだよ?!何もおかしなことはないぜ!」
「いや、ボクが遅れてきた事自体がおかしいんだ」
「??・・・そ、それのどこがおかしいってんだよ?!」
「ぼくはルーズだが時間には正確だ。チョロ太から連絡のあった時間ピッタリに到着した。だがすでに皆は集まっていた。ということは、集合時間よりも皆が早くきたか、ボクの集合時間だけ遅らせて知らせたかのどちらかだ」
「うぐ・・・そ、それは俺が時間を間違えて教えただけだ!何も関係ない!」
「うん、確かに関係ないな。じゃあ、それは置いておこう。それよりも、チョロ太とぷぅやんがケンカしたね?あれは何故だい?」
ジュンくんの突拍子も無い質問にチョロ太は眉をひそめた。
「な、なぜって、ただケンカしただけだ!そんなのに理由なんかない!」
「そうかな?もし、あのケンカが、チョロ太とぷぅやんが仕組んでワザとしていたとしたら・・」
「わ、ワザとだって?バカな!」
「いや、言い換えれば、座っている席の位置をワザと変えようとしていたら、かな?」
「!・・・い、言っている意味がわからないぞ!」
チョロ太の返答も当然だ。私にも何を言っているのか意味がわからない。
ジュンくんは、半歩だけ近づいてこう言った。
「あの時、ぷぅやんとチョロ太の後ろに栓を開けていないビール瓶が並べてあり、そこに空いたビンが並べてあった。でもどこか不自然だった・・・そう、意外と整頓されていたんだ。ただの空き瓶にしてはね」
「じゅ、ジュンくん、それがどうしたって言うの?」
よし子が声を少し震わせて言った。
「普通だったら、そうだなぁ、ビールをお酌するのは、どちらかと言えば女性が率先してくれる。でも、実際にビールを注いでくれた回数は、ぷぅやんとチョロ太が圧倒的に多かった。それは何故か?」
「そ、それは、たまたまビールが、俺とぷぅやんの近くにあっただけだ!」
「それは違う。ぷぅやんとチョロ太の後ろにビールを置いて、女性が率先してお酌するのを妨げていたからさ。つまり、あづみちゃんとレイクミにお酌させたくないワケがあった・・・」
言っている意味がわからない。
ジュンくんは、はたして何を言わんとしているのだろうか。
それよりも、早く私のロープをほどいて助けて欲しい。
彼は本当に味方なのだろうか?それとも?
ジュンくんは、また半歩近づいて話を続けた。
「そうすることで残りのビールの数をコントロールしていたのさ。ところが、あづみちゃんとレイクミが一緒にトイレに行った時、何かが崩れた」
「崩れた?」
「そう、席順さ。最初から予定していた席順が変わってしまったのさ。最初、ボクをワザと遅れて到着させて、仕組んだ席順どうりに座らせた。そしておそらく、次にあづみちゃんが到着し、そしてよし子ちゃんとレイクミが時間をずらして到着した。そうする事によって席順をコントロールしていたんだ。写真を撮る為に移動させたのも、ビール瓶からさらに遠ざける為だった。ところが、あづみちゃんが帰ろうとして、ビール瓶を片付けようとしたから、さぁ大変」
「何を言っているんだ!もうだまれ!」
しかし、チョロ太の言うことを無視してジュンくんは喋り続ける。
「こうなったら何とかして席順を一旦リセットさせなければならない。そこでワザとケンカして場を荒らし、皆の席を立たせた。その合図をしたのがチョロ太だ。恐らくあづみちゃんが帰ろうとしたのを焦り、機転を利かせたのだと思う」
「・・・・」
チョロ太はもう何も言えなくなっていた。
「それから座り直して最後の乾杯。カラのグラスに、眠り薬入りのビールを三等分して注ぎ分けるのは簡単だったろう。何故なら、ボクとレイクミとあづみちゃんが隣同士で並ぶよう仕向けられたからだ。一本のビールを三人で分ければ丁度良い分量になる。それで睡眠薬を飲んで眠ってしまった僕達に目的を果たした後は、何食わぬ顔で寝たフリをする。そう、ストーブの一酸化炭素中毒か何かだと言えば・・」
「もうやめて!」
突然、よし子が叫んだ。
「確かにあの晩、私とチョロ太とぷぅやんは、グルになって計画したわ。ジュンくんの言う通りよ。でもね、あづみが死んだのは知らないわ!あれは祟りなのよ!私たち、天栖小学校の生徒全員が死んでゆく祟りなのよ!」
「それは俺がやった・・・」
そう言い出したのはぷぅやんだった。
「な、なんで・・」
「俺があの時、ワザとケンカをして全てのグラスを倒した。そして最後の乾杯の際にプラスチックのグラスを配り直したのは俺だ。俺があづみのグラスの底に薬を塗っておいた」
「そのグラスには、アルコールと混ざる事で証拠が残らない劇薬が塗ってあったと思う。そういう成分の薬がある事を、ボクがちゃんと調べてきたから間違いないよ」
「どうして・・・ぷぅやん?あんなに優しかったあづみなのに・・・」
私は悲しい目でぷぅやんを見た。ぷぅやんは涙をすすりながら言った。
「・・あいつのオヤジは、町でセキズイハウスの代理店をやっていた。今話題の耐震住宅を、しかも格安で。それが最近、この村でも流行りだして・・そんな商売されたらうちの大工はたまったもんじゃねぇ!首くくれって言っているようなもんだぜ!」
「そ、そんなつまらない理由であづみを殺したっていうの?!ぷぅやん!」
「仕方ねぇだろ!そうすれば・・あづみが死ねば祟りだと騒がれる。そんな娘が祟られたヤツの売る家なんか誰も買わねぇだろ!・・・だけどよ、それをこいつらが裏切ったのさ・・俺もドジふんじまったぜ・・」
ぷぅやんは、よし子とチョロ太の方を睨んだ。
「裏切ったですって?それにあづみを殺したのを仕事のせいにしちゃって・・あんたはあづみに弱みを握られていたのよ。私とチョロ太を使って、農郷のお金を横領させていた首謀者はあんたでしょ!ぷぅやん!この女の前だからってカッコつけないでよ!」
「そうだ!さんざん俺らをこき使いやがって!このブタ野朗!」
「バカヤロウ!チョロ太が借金して困っていたんで知恵貸してやったんだぞ!」
「横領させといて何が知恵を貸しただよ!てめぇが俺の言うこと聞かないと横領をバラすって言ったからだぞ!だから、よし子とツルんで、てめぇとレイクミを心中自殺に見せかけようとしたんだよ!そうすれば、もし横領の足が俺についた時でも、てめぇのせいに出来るからな!」
「そうよ、マヌケなあんたの責任にして死んでくれれば、全て丸く収まるのよ!」
「てめぇ、よし子!てめぇだって、レイクミに復讐できればいくらでも金くれるって言っただろ!それにジュンの体を好きにしたかったんだろ?!てめぇも同罪だ!」
「ち、ちがう・・わたしはそんなことしない!・・わたしは・・・」
よし子は、それ以上言えずに黙ってしまった。
三人でいがみ合う様は、ただ虚しく見えた。
欲望とは、ここまで人を変えてしまうのだろうか?
「さぁ、ジュンよ!これでわかっただろう?俺達三人はお互いに弱みを握られ、こんなに無様に汚れて腐りきってしまったんだ!・・・そして殺したいほど憎み合っているんだ!」
「どうして・・・どうしてそうなってしまったのよッ!」
私は悲しくなって叫んだ。
「ふん!こうなってしまって何が悪い!俺だって好きでこうなったワケじゃねぇんだ!なるべくしてこうなっちまったんだ!それをわかってくれ!」
「そ、そんな・・・勝手だよ・・・そんなことであづみが死んでいったって言うの?・・」
「・・・・・・わかった」
ジュンくんは、小声でそう呟いた。
「それはわかった。だから、せめて罪を償ってほしい・・・」
「・・・やっぱわからねぇか・・・田舎を出てったヤツに俺たちの気持ちは・・・」
「うん、それをわかってしまったら、ボクも人でなくなるからね」
「・・・・・・」
しばし、沈黙が流れた。
バンッ!
急に車のドアが閉まる音がした。後部座席に乗り込んだのはよし子だった。
「何をしているんだ、よし子ちゃん?!さぁ降りるんだ!そして警察に行こう!今ならまだ間に合う!」
ブルルッ!
突如、ワンボックス車のエンジンが掛かった。
チョロ太が小柄な体で、運転席にいるぷぅやんの間に割り込んでいた。
ガアッ!
そして、車は急発進した。
ジュンくんは、とっさに後部席の空いている窓にしがみついた。
「よせっ!よすんだ!あの頃のよし子ちゃんに戻るんだ!」
手を差し伸べようとするジュンくん。よし子の目から涙がこぼれる。
「ありがとう、ジュンくん・・・でも、もう遅いの・・ごめんね・・・」
バダン!
よし子が後部座席のドアを開けた。そのはずみでジュンくんは振り落とされた。
「やめろー!やめるんだぁーッ!」
谷底に向かって加速していくワンボックス車。
その時、私自身がどんな気持ちで、どんな事を考えていたのか記憶にない。
ただあるのは、真っ逆さまに落ちていく風景と、全身を打つ強い衝撃だけだった。
そこで、私の記憶は途絶えていた・・・・
(回想シーン終わり)
私とジュンくんは、その崖の前に立ち、黙って下を覗いていた。
数十メートルある崖の下には、未だに白いワンボックス車の残骸が残っていた。
「きみは・・それできみは、奇跡的に崖の途中の枝に引っ掛かっていたんだよ・・・」
「そうだったの・・・ねぇ、聞いていい?よし子達はどうなったの?」
「・・・・・・・・・・・ぷぅやんとチョロ太は即死だった」
「・・・よし子は?」
「瀕死の重傷だったけど、今朝亡くなった・・・」
「そう・・・」
ジュンくんは振り返ると、無言で山を下り始めようと歩き出した。
「でもね、よし子ちゃんはこう言っていたよ・・・」
「なんて?」
「これは祟りだって・・・天栖小学校の・・祟りだって・・・・」
ジュンくんの声は、震えるような小声になっていった。
よし子の残した最後の言葉。ジュンくんはよし子に犯した罪を償って欲しかったのだろう。
よし子の残した不吉な言葉、それは本当に祟りなのだろうか?
それはわからない。今となっては誰にもわからない。
私はジュンくんの後を追って山を下りようとした。そして、途中で振り向き朝日を見上げ、よし子の顔を思い出してみると、そこには笑顔のよし子が思い出されるのだった。
霞んでゆく景色をぬぐいながら、私は田舎を後にした。
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