第2話 同窓会


ACT-2 『同窓会』



何年ぶりであろうか?

この懐かしい感覚を感じたのは。


私は今、10数年ぶりに故郷に戻っていた。

突然、祖母が亡くなったので葬儀を行なうためだ。

それにしても、この田舎ののどかな風景は、東京のめまぐるしい生活で疲れた心を癒してくれる。

見渡す限りの田園風景。

ひんやり乾燥した清涼感のある空気。

青い空と生い茂った山。

無機質で無味無臭だったコンクリートの増産物とは裏腹に、ここには生命が生きているという実感が涌いている。


車通りの少ない道路では、ヘビが轢かれてペッチャンコになっていた。

私は、道路から田んぼのあぜ道へ入り、地面から背丈ほど生えているススキを手で折った。

それを掴んで折り、ビュンビュンと振り回してみた。たったそれだけの幼稚な遊びなのに、なぜか私は楽しくて仕方なかった。なんと言うか、子供の頃の気分が蘇ってくるような、そんな心地よい気持ちになった。


今度は、あぜ道に沿った用水路の中をのぞいてみた。

するとそこには、小さなおたまじゃくしがプカプカと泳いでいた。

昔だったら、ザリガニとかもいたはずなのに、やはり田舎でも少しずつ自然が減っているのだろうか?それは少し寂しい気もするが、それでもやっぱり、ここには自然が溢れかえっている。子供の頃の思い出がいっぱい詰まった、時間の流れを感じない普遍の土地なのだ。


30分ほど散歩し、私は少しお腹が減ってきたので、近くの駄菓子屋へ寄ってみることにした。

塗装が剥げて錆びついた看板を見つけると、がらがらとガラス戸を開けて店内に入る。

薄暗い店内には独特の異臭がした。その匂いは表現しにくいのだが、年寄りの匂いと言えばよいだろうか?だけど、けして嫌な臭いではなく、なんとも安心感のある匂いなのだ。

その店のおばあちゃんはもう死んでいたけど、代わりにおばちゃんが店番をしていた。

だいぶ歳をとっているのか、どこか疲れた表情をしていたが、私が近所の娘だと告げると嬉しそうな顔をしてくれた。

「あ、これ懐かしい」

私はそこで、カレーせんべいと、さくらんぼ餅と、ミニカップのヨーグルトを買った。

衛生管理が厳しく言われている昨今、こんな不衛生なものが堂々と売られているのを見るとさすが田舎だと思う。だって、カレーせんべいなんか誰が汚い手で触ったのかもわからないのに。

そう言えば、着色料で唇がまっ黒になるアイスなんかもあったっけ。

でもまぁ、これが駄菓子の醍醐味だと思う。どこか怪しい雰囲気の食べ物が、子供心に興味を持ち、それを美味しいと感じていたのだろう。

都会で食べる料理は、食材は新鮮で飾り付けも綺麗で美味しいが、ドキドキはしない。

私は、都会の料理と駄菓子を比べるという意味のないことを考えてしまった。


しかし、久しぶりの田舎はやっぱりいい。

10数年育って来た土地の感覚は、自分の一生の価値観になるのだなと痛感した。

東京という都会で暮らしてきた時間は、確かに華やかで楽しかった。しかし、それが自分にとってプラスになってきたのかを考えてみると、それはどうやら、ただの時間の消費でしかなかったのかもしれない。


こちらに帰ってきて、たった数時間。

田舎の良さを実感した反動で、逆に東京の暮らしが嫌になってきた。

それだけ私は、東京の暮らしに行き詰っていたのかもしれない。


さて、そろそろ実家に行かなくてはいけない。

面倒くさい親戚の寄り合いも始まる頃だろう。うちの母は時間にとてもうるさい。

私は少し足早に家にたどり着くと大きな門を開けた。そして石畳の庭園を歩き、玄関の扉をあけた。

実家は大きなお屋敷だった。自分で言うのもなんだが、これだけ大きな家はこの田舎でもなかなか無い。ひょっとしたら村一番のお屋敷かもしれない。一応、何代か続いている由緒ある家らしいのだが、そんなこと、私にとってはどうでも良いことだった。

私は広い玄関に並べられている革靴を見た。その様子から察すると、かなりの数の親戚が集まったようだ。当然か。これだけ親戚の数も多いのだから、祖母の死によって集まる人の数も多いということだ。私はしかたなく家に上がり、祖母の遺体がある部屋へ向かった。

加齢臭で溺れそうな空間には、祖母のまわりを囲むようにして、叔父さんや叔母さんが話をしていた。

「れいちゃん、遅いじゃないの。叔父さんたちは先に来てくれたのよ」

私は、母のおどおどした顔を横目に、親戚に適当に挨拶してそこに座った。

親戚の叔父さん叔母さんが、まとわりつくようにうるさく話しかけてくる。

その内容は、東京の暮らしはどうとか、仕事はどうとか、結婚はどうとか、そんな月並みな事しか聞いてこない。私は、いい加減うんざりしてきたので、お茶を出そうと御勝手に向かおうと立ち上がった。

「れいちゃん、まだお話の途中でしょ?」

また母が、私を苛立たせる。

「お茶菓子あったでしょ?なんだかお腹が減っちゃったのよ」

私はそれほど空腹ではなかったけど、この場を去る言い訳を言ってみた。

「ああ、もうこんな時間か、そろそろおいとまするかな」

「まぁ、ゆっくりしてって下さいな、あの子も叔父さんと久しぶりに会って、いろいろ話したがってますから」

(だれがよ!)

私は頭のなかで突っ込んだ。

母は、叔父さんと叔母さんを玄関まで見送ると、丁寧にしつこいくらい挨拶をしていた。

相変わらずな母の低姿勢ぶりに私はあきれていた。

だが、まぁそれも仕方ないか。お父さんの実家はそれなりの名家だから、面倒臭い付き合いが多いのもうなずける。祖母の葬式も、それなりに豪勢に行なわれるだろう。そういった深い付き合いが多いのは、田舎で唯一好きではない部分だ。

私はそんな家柄の家に嫁ぎたくないから、彼氏の祐二との結婚を躊躇しているのかもしれない。

ふと、祐二の顔が思い浮かんできた。帰郷する事は祐二に言っていなかった。

たかが葬式の為に、二日ほどいなくなるだけだから言う必要もないだろう。

葬式なんてちゃっちゃと終わらせて早く東京に帰ろう。

そして、祐二との旅行をどこにするか一緒に決めよう。

前に行ったツアー旅行では食事がイマイチだったので、今度はツアーはやめるつもりだ。

それが一番オトクな気がするのだ。ツアーは安くて楽チンな反面、金額に見合った満足度がとても薄い。もうだまされないぞ!某旅行会社め!


「れいちゃん、義兄さん達が来てくださったわよ、こっちいらっしゃい」

またか。お父さんの兄弟は六人もいるので、親戚の数が多くてたいへんだ。

私がしぶしぶ居間へ向かおうとしたその時、台所のテーブルの上に不審なハガキをみつけた。

それを見た私はハッとして驚いた。


「レイクミニ コッチニモドッテコイト デンワシロ」


私はそのハガキを持って、大声で母に尋ねた。

「ねぇ、お母さんお母さん!このハガキなによ?!」

「なんですか、義兄さん達の前で・・・ハガキ?あぁ、だれかのイタズラでしょ」


イタズラ・・・

確かにこれはイタズラだ。しかも性質の悪いイタズラ。

しかし、それだけで終わらせるにはどうしても納得いかない。この文面は、東京の私のアパートに届いた物と似ている。

こんな偶然があるのか?しかも私に戻って来いとはどういう意味なのだろう?

アパートに届いたハガキとこのハガキの文面からは、私が田舎に帰って欲しいようだ。

そして、もし帰らないととんでもない事がおこる・・・そう書いてあるように思える。

一体こんなイタズラをするのは誰だろう?

私は考えた。東京の私のアパートと、実家の住所を知っている者。

うちの母とお父さんしか考えられない。それとも、誰かが母に聞いたのかも・・・


「お母さん、だれかが私の東京の住所を聞きに来た?」

「何を言っているの、そんな事よりここに座って挨拶なさい」

「いいから!答えてよ、お母さん!」

私はすごい剣幕で母に問い詰めた。

「もう、この子ったら・・・う~ん、いなかったわよ、そんな人は」

「・・・そう」

「あっ!そういえばひとりいたわ」

「えっ?!だれ?誰なの?!」

「ほら、小学校の時の同級生、なんて言ったかしら、ホラ」

「だれなのよ、思い出して!」

「え~と、ホラ、顔は思い出すんだけどねぇ、名前がなかなか・・・ほら、あのこ」

「ホラホラ言ってたってわからないわ!もう!」

私は痺れを切らせて、小学校のアルバムを部屋から持ってこようとした。しかし、私の部屋にあったアルバムがなくなっていた。

「お母さん、私の小学校の時のアルバムどこ?」

「ああ、あれね。お母さん間違えて捨てちゃったわ、ごめんね、れいちゃん」

「捨てた!?もう、何てことしてくれるのよ!」

「だって、前に電話した時、部屋の入り口にある雑誌は捨てていいって言ったじゃない」

「あれは雑誌じゃないわ!もう、バカなんだから、お母さんは!」

「こらこら、親にバカなんて言うもんじゃないぞ」

そう言ったのは、父の2番目の弟である幸助おじさんであった。

名前は少し抜けた感じだが、自分で会社を経営していて、ちょっと紳士で男前なオジサンであった。

「だって、お母さんが小学校のアルバム捨てちゃったって言うのよ!・・・もういいわ、だったら誰が私の住所を聞きに来たのか思い出してよ」

「なかなか思い出せないわよ、だってもう五年ほど前だから・・・あれ、もっと前かしら?」

「五年?・・・」

私の住所を聞きに来た者は、五年も前に来たのか。

それならば、何故、いまになってそんなハガキを送ってきたのだろうか?


「そういえば貴代さん、小学校といえば、ちょっと変な話を聞いたんだが・・・」

幸助おじさんが母に尋ねる。

「やめてくださいな、他愛もない噂話ですわ」

「そ、そうか、すまん・・」

珍しく母が強気な口調をしている。

「なーに、何の話なの?」

「いいの、れいちゃんは。大人の話よ」

「何よ、私だってもう大人なのよ」

「いい歳して結婚もしてないじゃない。それより早くいいひと見つけなさい」

私は母の言葉に少しムッときた。そこまで言うなら、彼氏の祐二に結婚迫られていると教えてあげようかしら。でもそうしたら、今度連れてきなさいって言うに決まってる。

私はグッとこらえた。

「れいちゃん!幸助おじさんが帰るわよ、お見送りしてあげなさい」

「え?もう帰るんだ。ねぇさっきの話って何?」

「う、うん、また明日の通夜にくるよ。ところで兄さんはどこに?」

「それが、その・・」


母が言い辛そうにしている。そりゃそうだ。連絡が取れないのは何となく分かっていた。

父は、実家であるこの家にはたまにしか帰ってこない。

居場所はもうひとりの女のところ。いや、その他大勢の女のところだろう。

父は大の女好きで、沢山の愛人がいた。でも、結婚したのは母だけであった。

近所付き合いが上手な母の性格を、便利だと感じただけだろう。

若くして未亡人になった母ひとりでは、子供の私を育てるのは大変な事だというのは解る。

だから、お金持ちである父と再婚し、金銭的に頼っているのも仕方のない事だとは思う。

私はそんな家庭環境が嫌で、中学を卒業すると、無理を言って東京の高校に入学した。

それを父が丁度良いと思ったかどうかは知らないが、とにかく私は父が好きではなかった。

そして、父も私を好きではなかったかもしれない。


「まったくしょうがないな、兄さんは。よし、なんとか連絡してみるよ」

「すいません・・お手数おかけします・・・」

「いや、悪いのは兄さんだし謝ることはない。それじゃ」

母は、幸助おじさんが見えなくなるまで頭を下げていた。

私はそれを見て、腹立たしくて座布団をポンと蹴っ飛ばした。


それにしても、あの謎のハガキが気になる。それと幸助おじさんの話の事も。

このままでは、気味が悪いし後味も悪い。

「そうだ!よし子のところに行ってみよう!」

よし子というのは私の小学校からの幼馴染だ。

最近は連絡を取ってなかったから会うのは久しぶりだ。そこでアルバムも借りてくればよい。

そうすればそれを母に見せて、誰が私の住所を聞きにきたのかが分かる。

よし子はたしか農郷に勤めていたんだっけ。農郷とは、農業郷土生産組合の略だ。

それならもうすぐ5時になるので帰宅する頃だろう。

私は自転車に乗って、よし子の家に行ってみようとした。その時・・・


ジリリリリン!

家の電話が鳴った。


「れいちゃん、出てくれる?」

「いやよ、お母さん出てよ」

どうせ葬儀に関係する電話だろうから、私は面倒だと思って出るのを拒んだ。

「もう、お母さん忙しいのよ・・・はい、もしもし」

お客は帰って別に忙しくはないのに、母はいつも忙しそうにしているのだ。

わざと忙しいフリをして、自分は遊んでいるのではないとアピールしているのだ。

それは父の負い目のようにも感じる。私は靴を履くと玄関を開けようとした。

「れいちゃん電話よ!よし子ちゃんから」


え?!

なんという偶然であろうか。私が今からよし子の家に行こうとしていたら、向こうから電話がかかってくるなんて。しかも、私が東京から帰ってきた事を何で知っているのだろうか?

「もしもし・・よし子?」

私はおっかなびっくり電話に出てみた。

「あ、れいちゃん、おばさんに聞いたら丁度帰ってるっていうからびっくりしたわよ」

びっくりしたのはこっちの方である。

「でも、何で・・なんで私が帰ってきてると思ったの?」

「おばあさんが亡くなったって聞いたからよ。お葬式になれば、れいちゃんも帰ってくるハズでしょ」

ああそうか、それは道理だ。

それにしても、田舎のネットワークというのは光回線よりも伝達速度が速い。いったいどこで聞いたのだろうか?それが田舎の恐ろしさでもある。

「あのさ、よし子の家に小学校の時のアルバムない?貸して欲しいんだけど」

「え?う、うん、あるけど・・・でも何に使うの?」

私の住所を聞きに来たのが誰か調べるとは、ちょっと言い辛かった。

「ちょっと、ね。お母さんに見せたいの。ね、いいでしょ、貸してよ」

「う~ん・・・あ、そ、そう言えば、私なくしちゃったんだ。ごめんね」

(いま、あるって言ったのに……)

「そ、そう、残念」

「あ、れいちゃん、今夜空いてる?久しぶりに小学校のみんなで会う約束しているの。来ない?」

小学校の同級生と会う?それは願ったり叶ったりだ。

もしかしたら、あのハガキの糸口がつかめるかもしれない。

私はひとつ返事でOKすると、約束の場所と時間を聞いた。

すると、よし子が私を車で迎えに来てくれると言った。夜に自転車で暗い夜道を走るのはちょっと怖かったので、よし子に迎えに来てもらうことにした。


しばらくして夕方になり、よし子が家に着いた。

会うのは8年ぶりくらいなので、私は少しだけ緊張した。そこには、昔の面影のままのよし子がいた。

「れいちゃん、ひさしぶりー!」

「ひさしぶりだね、よし子」

よし子はすごく嬉しそうに、私の手を握って再会を祝福してくれた。それがとても嬉しかった。

東京の友達付き合いはどこか疲れるので、私はあまり友達と遊んだりはしなかった。

だからこうして、年と距離を距てても会える友達がいることが嬉しかった。

私はよし子の車に乗り込み、バッグを後ろの席に置こうとした。

「あ、後ろ散らかってるから足元に置いといて」

「うん、そうする。それにしてもいいなぁ、よし子車買ったんだね」

「そうよー、こっちじゃ車ないと生活できないから、高校卒業してすぐに買ったよ。実はこれ、先月買い換えたばかりの新車なんだ」

「そうなんだ、私、あっちじゃ毎日電車通勤よ、もうまいっちゃう」

「噂に聞く通勤ラッシュってやつ?こっちじゃありえない光景だよね。すごい人だらけなんだろうね、東京って。私はそっちで暮らすの無理そうだよ」

「でもね、オシャレで美味しいお店も多いのよ」

「あ、いいなー、それ聞いたら行きたくなっちゃった!」

「あはは、よし子ったら」

「うふふ」

「あははは」

私はよし子との会話が面白くて大笑いした。こんな笑いは久しぶりだなと思った。

その時・・・


キキーッ!

突然、よし子の車が急ブレーキをかけた。

「どうしたの、よし子!」

「あ、う、うん、どうやら道を間違えちゃったみたい・・」

私は、暗い夜道の霧の先の道路を見てハッとした。

なんとその先には道がなく、崖になっていたのだ。ここから落ちたら無事では済まないだろう。

「ごめん、ちょっと話しに夢中になっていたから・・・」

それにしても危ないところだった。これからは、よし子が運転に集中してくれるよう、話しかけるのを控えたほうが良さそうだと思った。

田舎の山道というのは、車で走るとこれほど危険だとは知らなかった。

ちょっと霧が出ただけで、一瞬の余所見が命取りになる。

東京の電車で移動していた私にとっては、移動の際の危機感は持ち合わせていなかった。

そこから少し話を控えながら、よし子と私の乗った車は目的地に向かっていった。


「ところで、今からどこへ行くの?」

「ぷぅやんの家よ、憶えてる?」

「あー!ぷぅやん!憶えてるよ、なつかしー!」

ぷぅやんというのは、小学校の同級生のあだ名だ。太っている男の子なのでそう呼ばれていた。家はたしか、大工さんだった記憶がある。

それから5分ほどして、私たちはぷぅやんの家についた。なるほど、大工だけあって立派な家に住んでいるなと思った。

家の玄関を開けると、そこには大人になって落ち着いたぷぅやんがいた。

「よう、よし子、それにレイクミか!まぁ上がれや!」

それにしても、小学校の頃のイメージが残っていたので、その成長ぶりに驚いた。

でもそれは当然か、だって私達はもう28歳になるのだから。

それから二階に上がり、ストーブで温まった部屋に招待されると、そこには懐かしい面々が揃っていた。

「あづみ!チョロ太!」

「よう、レイクミ!ひさしぶりだなぁ!」

しっとりした美人のあづみと、チョロチョロと世話しないチョロ太がそこにいた。

私はその懐かしさのあまり感激した。まさか、こんな懐かしい面々と会えるとは思ってもいなかったからだ。私にとって実家は、どこか居場所のない場所だったので、友人と再会できたのは嬉しさも一入だ。


それからしばらくは、みんなで懐かしい思い出話に花が咲いた。

「なぁ、久しぶりにみんな揃ったところで酒でも飲もうぜ!」

「え・・でも・・」

奥ゆかしいあづみはお酒を飲むのをためらった。

「あづみはジュースにしたら?」

私はそう助け舟を入れた。実は、私もお酒を飲みたかったのだ。

「それじゃ、カンパーイ!」

お酒が入ったせいもあり、会話もさらに盛り上がった。

そして、だんだん酔がまわってきた頃、私はトイレに行こうと席を立った。

よろよろと千鳥足で廊下の先のトイレを目指す。

途中、廊下が暗かったので、私はうっかり段差につまずいてしまった。

「きゃっ!」

そこに、何者かの腕が、転びそうになった私の体を支えてくれた。

「おっと、大丈夫?」

「え?誰なの?」

廊下から明るい居間へ行く間、私はその暖かい手で支えられていた。

顔が逆光でよく見えなかったが、その顔つきは確かに憶えている顔だった。

「やぁ!遅くなってごめん!」

「遅いぞ、ジュン!」

じゅん・・・ジュン・・・ああ!思い出した!

ジュンくんだ!小学校の同級生のひとり、背が小さくて気弱で泣き虫の本間純一だ。

「おいっ、その手はなんだよ?ジュン!」

「え?・・・ああ、これ?レイクミがさっきコケそうになったんだよ」

「だからっていつまでも手を握ってんじゃねぇぞ!このスケベ!」

ぷぅやんとチョロ太は、私の手を握っているジュンくんを冷やかした。

私は急いでジュンくんの手を振り払った。

「ちがうって、ねぇ、レイクミ?」

「そ、そうよ、私がトイレ行くとき転びそうになっちゃったから・・・」

「トイレ行く時?ああ、じゃあまだオシッコしてなかったんだね、早く行っておいでよ」

私は、その無神経な言葉に赤面した。レディに向かってオシッコしてこいとは何事だ!

「もう、失礼ね!ちがうわよ、お化粧を直そうとしただけなんだから!」

「あ、そうなの、オシッコじゃないのか」

カーッ。私の顔はますます赤面していった。


そうだ、思い出した。ジュンくんは昔から場の空気を読めないヤツだった。

それでいてどこか変わっていた。

お化粧を直すというのはウソだったが、人前でオシッコをしに行くというのが恥ずかしくなり、我慢してそこに座った。

ジュンくんが私の隣に座って酒をがぶがぶと飲んでいた。

飲むペースも早いが酔うのも早かった。

そして、よりによって、私のグラスにどんどんビールを注いできたのだ。

(私はオシッコをガマンしてるってのにドバドバ注がないでよ!この鈍感男!)

私は心のなかで叫んだ。しかし、トイレを我慢していたのがバレると嫌なので、注がれたビールをぐびぐびと飲んだ。

「おー!いけるねぇ、レイクミ!さ、ぱあっと行こう!」

ジュンくんがどんどんビールを注いでくるので、私の我慢も限界になってきた。

「れいちゃん、ちょっと外行かない?」

そう言ってくれたのはあづみだった。あづみは私を部屋の外に連れ出した。

そして、「早くトイレ行ってきなよ」と言ってくれた。あづみは私の気持ちを察してくれたのだ。

そうなのだ、あづみは昔から人を思いやる優しい性格だった。

それは今になっても変わらなかったので、トイレから出た後、嬉しくなってお礼を言った。

「ありがとね、あづみ。それにしても、ほんっとにジュンくんったら鈍感なんだから!絶対に女にモテないタイプだよね!」

「ふふ、そうでもないと思うよ」

「え?」

「あ、なんでもないわ。さ、部屋にもどりましょ」

「う、うん」

その時、私の脳裏にある思い出が浮かんできた。

なんというか、子供の頃の感覚、時と場所が再現されたような・・・

これはデジャヴー現象というやつなのか。

私は以前、どこかでこうしてあづみに助けられた記憶がある。

・・・どこだ?この感覚はいつの思い出だろうか?思い出せない・・・

「どうしたのれいちゃん?」

「あ、ううん、なんでもない」


それからまた部屋にもどり、再会の宴は続いた。

「おーい、せっかくみんな集まったんだから、写真でも撮らねぇか?」

そう言い出したのはぷぅやんだった。

「あ、いいね、さんせーい!」

ぷぅやんがデジカメを持ってきたので、私達は写真に写るように並んだ。

「あはは、ぷぅやん、手が震えてるよ」

私はぷぅやんを茶化した。

「だ、大丈夫だよ。じゃあ、いくぞ・・・はい、バターぁ!」

パシャ!

「なんだよ、それ」

「ふふ、つまんなーい」

「今度は俺も入れて撮ってくれよ」

ぷぅやんは私の横に移動すると、デジカメをチョロ太に渡し、2枚目の写真を撮った。

「あー!ボク目を閉じちゃってるよ!」

「あはは!ジュンくんの顔へんー」

その場でプリントした写真を見ながら、みんなは楽しく笑った。


そして夜も更け、酒が底をついた時、それは起こった。

「そう言えばさぁ、かおりって今どうしているの?あと、ごっちとミーやんも」

話題も底を尽きてきたので、私は同じ小学校の級友のことを訊ねてみた。

「・・・し、し、知らないなぁ・・・そ、そういえば聞かないなぁ!」

チョロ太が上ずった声を出した。ウソをつくのがヘタなチョロ太は何か隠している。

「んー、なんか隠しているわね?喋りなさいチョロ太!」

バンッ!

私はチョロ太の背中を叩いた。

「いてて!わかったよ・・・えーと、実はさぁ・・」

「おい、まさかあの話をするつもりじゃないだろうな?」

ぷぅやんが神妙な顔付で、チョロ太の顔の前に手を出した。

「何?なんの話?」

私は興味津々になって聞き入った。

「あ、いや、やっぱやめておくよ」

「何よー、男なら一度言ったことを途中でやめたりしない!さぁチョロ太続けて!」

「うーん、その・・・」

「おい、チョロ太!やめろ!」

「いいじゃない、聞かせてよー」

チョロ太は、ぷぅやんとあづみの顔色を伺っている。

だが、ぷぅやんが何も言わずに酒を飲みだしたので、チョロ太は静かに話し出した。

「さ、最近さぁ、こんな事件があったんだけど・・・」

「事件?」

私はその言葉を聞いて、何か良くない話を聞くことになると予感した。

そして、ハッと思い出した。自分のところに来た不審なハガキの事を。

そうだった、私はここへ来てアルバムを借りなければならなかったのだ。

「あ、ちょっと待って!その事件の話の前に、アルバム貸してくれないかしら?」

話の腰を折るのは悪かったが、私は忘れないうちにアルバムを借りておこうと思った。

すると突然、私の一言で皆が黙り込んでしまった。

「あれ・・どうしたのみんな?」

皆の目が、揃って私の顔を見ている。ただひとりジュンくんを除いて。

チョロ太のいう事件とアルバム・・・

この言葉に何か関係があるのだろうか? 私の興味は増大していった。

「ねー、アルバムのことよりさぁ、さっき言いかけた事件の話を続けてよ、チョロ太」

皆がシーンと静まり返っているのに、あいかわらず場の空気が読めないジュンくん。

しかし、この時だけは彼に感謝した。私に向けられた目がジュンくんに向けられたからだ。

「レイクミとジュンが知らねぇのはしょうがないか・・・」

ぷぅやんが気まずそうに頭を掻いた。

「そうだよ、それにただの偶然が重なっただけだし!」

「あ、当たり前だ、ばかやろう!そんな事があってたまるかってんだ!」

ぷうやんは、チョロ太に怒鳴りつけた。

「ちょっと、やめなよ二人とも」

そう言ったのは、よし子だった。

「ね、そろそろお開きにしない?もう遅いから、私帰らないといけないわ」

あづみがそう言って立ち上がると、ビールのビンを片付け始めた。

「あーあ、チョロ太がくだらねぇこと言い出すからシラケちまったじゃねぇか!」

「なんだよ、俺のせいかよ!あったまくんなぁ!」

チョロ太はビールの入ったグラスを畳にどすんと置いた。その衝撃でビールがこぼれ、ぷぅやんの足にかかった。

「おい、ワザとだろ!てめぇは昔っから姑息なヤロウだな!」

「なにぃ!言っていいことと悪いことがあるぞ、ぷぅやん!」

「上等だ!ケンカなら買うぜ?表出ろや!」

ぷぅやんがチョロ太の胸倉を掴んだ。小柄のチョロ太は、ぷぅやんの太い腕っ節の前に苦しそうにもがいていた。

「く・・くそ!」

チョロ太は、お膳に乗ったカキピーを掴むと、それをぷぅやんの目に放った。

「うわ痛てェ!このチョロ太!」

チョロ太を追い掛け回すぷぅやん。居間から廊下へ、そしてベランダへと飛び出していった。

大の男のケンカの前に、泡を食っておどおどする私とあづみ。そこによし子が声を上げた。

「ジュンくん、やめさせて!」

「う~ん、こういうのはちょっと苦手だなぁ」

私はジュンくんの情けない態度が、彼氏の祐二に似ていたのでムッとして怒鳴った。

「あんた男でしょ!しっかりしなさい!」

「わ、わかったよ・・・おーい!ケンカしても疲労と怪我が増えるだけだぞぅ」

何とも頼りないケンカの止め方だ。

だが理論的に的を得ているその言葉に、ぷぅやんもチョロ太も我に返ったようだ。

「ケンカしてもくだらねぇか・・・やめだ、やめ!悪かったなチョロ太」

「いや、俺が余計な事言い始めたからさ、俺こそゴメンな」

あれだけハデなケンカをしてもすぐに仲直りできてしまうのは、さすが幼馴染というところだろうか。

そんな男子の関係がちょっぴり羨ましかった。

「悪かったなみんな、最後に乾杯しよう、それで今夜はお開きだ!」

ぷぅやんの一言で、皆はもう一度居間に座りなおすと、残ったビールを注いで乾杯した。

「我ら同級生に乾杯!」

誰が合わせるでもなく、皆が口を揃えてそう言った。

ビールを飲み干すと、ぷぅやんは、あづみと顔を見合わせてこう言った。

「あのな、レイクミ。アルバムはやっぱ貸すことができねぇよ」

「どうしてなの?なんで貸してくれないの?私はただ・・・」

そう言いかけた私に、あづみが口を挟んだ。

「れいちゃん、それは私が後から説明するわ。だから今日は帰りましょ、ね?」

「あづみ・・・うん、わかったわ・・・」

あづみの顔を見て、私はアルバムを借りるのを諦めた。何か理由があるのだろう。

その訳をあづみが話してくれるのなら、それを聞いてみようと私は思った。その時・・・

「いや、俺が話す!」

突然ぷぅやんが声を上げた。どうしたのだろう?さっきまで喋ろうとしなかったぷぅやんが、今度は率先して話出そうとしているようだ。

「でも・・・」

それを止めようとするチョロ太。

「うるせぇ!いいか、これはみんなに関係あるんだ!天栖小学校のみんなに関係あるんだよ!」

「あます小学校のみんな・・・?どういうこと?」

「びっくりするなよ、いいかレイクミ。かおりも、ごっちも、ミーやんも、みんな・・・」

ぷぅやんは、胸が詰まったように話を吐き出せずにいた。それを心配そうな顔で見守るあづみ。

「ぷぅやん話し辛そうだね、やっぱいいよ・・・」

「いや話す!聞け!かおりもごっちもミーやんも!みんな、し……し、死んだんだ!」

「えッ?!・・・そんな!」

私は驚いて声を上げてしまった。小学校の同級生だったあの三人が死んだ?

ジュンくんも驚いていたようだが、冷静に腕を組み顎に手をあてた。

「わたし・・・ぜんぜん知らなかった・・・」

「それはしかたないわ、れいちゃん。だって、三人が死んだ事、黙っていようって言ったの私だから」

「よし子・・・どうして?」

「だって、誰かひとりだけ死んだのならいいけど、みんな一緒だって知ったらびっくりするでしょ?」

「一緒って・・なんで?事故なの?」

「・・・それがちがうんだ。最初にごっちが、突然、原因不明の病気で死んだ。そのあと、ミーやんが自殺した・・・」

「そして最後にかおりが事故で死んだのよ・・・」

「!・・・・・・」

私は絶句して声が出なかった。でも、ある事に気がついた。

「でも、それならなんで、ごっちが亡くなった時に連絡くれなかったの?お母さんに言えば私と連絡がついたのに」

「最初はそうしようと思ったわ。でも、信じられる?三人が死んだのは先月、それもたった一週間の間に三人が死んだのよ!」

「え・・?」


それは確かに不思議な話だ。

私の通っていた天栖小学校の同級生が死んだ。

それも、たった11人しかいない同級生のうち三人が死んだ。

こんな偶然ってあるのかしら?それも、それぞれの死が違う原因なんて。

そして、私の祖母の死と不気味なハガキの関係もただの偶然なのだろうか?

私は背筋が寒くなるのを感じた。


「れいちゃんに連絡しなかったのは悪かったわ。でも、それを聞いたら、気味が悪くなるでしょう・・だから・・」

よし子の申し訳なさそうな顔を見て、よし子の優しさを感じ取った私。

「そうだったの・・よし子、ありがとう」

「で、でもよ!これは絶対ただの偶然に決まっているからな!ぜったい!」

ぷぅやんは半ば怒ったような口調で言った。

「そ、そうに決まっているさ!だって科学的じゃないもんな!」

チョロ太も、自分を強引に納得させようとしているのがわかる。

シーン・・・

皆は、それ以上、何も言えなかった。いや、言うことがなくなってしまったのだろう。

普通に考えれば、同級生が三人同じ月に違う原因で死ねば、何かそこに隠された真実があるのではないか?そう疑ってしまうのも当然だろう。

皆は震えているのだ。知人の死が極端に短い期間内に起こった事を。

それを、ただの偶然と割り切れるだけの確信がないことを。


「う~ん・・これはただの偶然じゃない気がするなぁ」

「な、何言ってるのジュンくん!偶然に決まっているわよ!」

「でも例えば、これが何者かによる計画的殺人だったとしたら・・・」

皆が言えなかったタブーを、この男は簡単にポロリと漏らしてしまった。

皆だってその可能性を少しは考えてしまったハズだろう。

だけど、それを口に出すなんて・・・この男、場の空気を読まないにも程がある。


「あっ、あの・・・」

私は、その気まずい雰囲気を脱しようと、何か話題を変えようとした。

だが、何を話したら良いのか思いつかないので、あづみの顔をちらりとみた。

すると、あづみの顔色が土気色のようになっているのがわかる。

そりゃそうだ。繊細な心のあづみが、こんな不気味な話を聞けば気分を悪くするだろう。

・・・それにしても、なんだか顔色が悪すぎるような気がするが・・・


「うげっ!」


突然、あづみが喉を押さえて苦しがった。

「どうしたのあづみ!ちょっとどうしたのよ?!」

私は、苦しがるあづみの肩を掴み、背中を叩いた。

「うぐぐッ!・・・ゲホガハァッ!」

すると突然、あづみの口から大量の血が吐き出された。

それが、私の顔にびちゃびちゃと飛び散った。

血しぶきを上げながらその場に崩れていくあづみ。

それは私にとって、まるでスローモーションのようにゆっくり見えた。

それをただ呆然と見詰めるだけの私。


謎のハガキと電話に疑問を抱き、祖母の葬式の為に私は帰郷した。

そこで聞いた、天栖村小学校の同級生三人の死。

それは、ただの偶然だろうか?


あづみの吐き出した血で、床が赤く染まってゆく。

そして、混沌と化した夜は、そのまま狂気に飲み込まれていくのだった。

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