明日……となる
しょもぺ
第1話 結婚適齢期
ACT-1 『結婚適齢期』
「俺と結婚してくれないか?」
最近、この言葉を、何度聞かされているだろうか。
彼氏の祐二(ゆうじ)とは付き合って3年。
そろそろ結婚を考えてもいい時期だと思う。
「なぁ、レイクミ。いいだろ~、結婚してくれよぉ!」
バーのカウンターに座っている祐二は、お酒を飲みすぎて目が虚ろになり、私に顔を近づけて迫ってきた。
「ちょっと、やめてよ!祐二」
私は祐二の手をふりほどくと、カウンターのイスから立ち上がってカバンを手に抱えた。
グラフィックデザイナーである祐二は、最近、仕事量が減って、精神的にも金銭的にも不安定になっていた。だから私は、落胆した状態の彼に結婚を迫られても、どこか釈然としないのだ。
これでは、先行き不安な男を助けてあげるみたいでイヤなのだ。
「なぁ、俺のどこが不満なんだよー」
祐二は、おぼっちゃま育ちなので、トラブルに陥った時に弱い。
どこかで誰かが助けてくれるだろうと、幼少の頃から刷り込まれてしまっているのだろう。
だから、長年一人暮らしで生きてきた私の事を、どこかたくましい頼れる存在だと思っているのだ。
冗談じゃない!
私はあんたの母親代わりではないのだ。あんたの面倒を見る為に結婚する訳じゃないのだ。
「俺の実家に入れば何の苦労もないんだぜ?家だって土地だってあるんだからさ!」
これがこの男の定番口調である。
祐二の実家はそこそこの資産家であるようだ。
一度だけ遊びに行った事があるが、風格のあるお屋敷と広い庭がそれを物語っていた。
でも・・・私はお金が目当てで結婚したいわけじゃない。
確かに、お金に余裕があるということは、悪い環境ではなくむしろ良い環境だ。
専業主婦ならば子育ても楽だし、逆に共働きの夫婦がどれだけ大変かは、そんな知人や友達をイヤというほど見てきたからわかるつもりだ。
しかし、それが夫婦の幸せであるかどうかは必ずしも全てではないと思う。
お金があっても愛のない夫婦も見てきたからだ。
そんな無味乾燥な夫婦が、はたして幸せと言えるだろうか?
「私が好きな祐二は、自分の好きな仕事を頑張っている祐二なんだよ!」
「けどなぁ・・・不景気じゃどうしようもない事もあるんだぜ・・・」
情けない口調で、祐二はため息をはき捨てる。
それはわかっている。
でも私のように、生きる為に仕方なく嫌々仕事を続けているのではなく、夢に向かって輝いている祐二であって欲しい。それが私の理想の男性像なのだ。
ぜいたく? ううん、そんなことはないと思うけど・・・
「レイクミだってもういい歳だろ?そろそろ決めないと行き遅れになるぞ。それを俺は心配して・・・」
「大きなお世話! とにかく今日は帰るから離して!」
「まぁ待てったら」
「はなして!」
「へ・・へんっ!だったらどこへでも行けばいいさ!俺はおまえなんかいなくてもいいからな」
「何よそれ、ヒドイじゃない!」
「ふん、知るか!お、俺のことを好きだと言う女なら沢山いるってことさ!」
「祐二・・・」
祐二の言っている事はウソだとわかっていた。
お世辞にも容姿が整っているわけでもなく、どちらかというとモテないタイプなのだ。
私と知り合う前は、大酒のみで飲み屋の女たちからチヤホヤされていただけなのだから。
それが彼女たちの営業だということもわかりきっている。
とにかく、あまり利口ではないなと思ったのが、この男の第一印象だった。でも、好きな仕事に打ち込む姿は、素直に輝いて見え、そんな彼を好きになったのだった。
「さぁ!おまえなんかどっかへ行ってしまえ!俺は別の女を呼ぶから!」
「ひどい・・・そう、じゃ、さよなら・・・」
私の感情が、冷えて縮こまっていった。
私は振り返るとその店を後にした。街中を歩きながら、涙腺が潤んでくるのがわかる。
(まったく祐二ったらヒドいんだから!)
私は取り乱した感情のまま、すたすたと足早に歩いた。
しかし、道行くカップルを見ていると、怒っているのもだんだんバカらしくなってきた。
(・・・でも、今日はたまたま機嫌が悪かったからかもしれないわ。そうだわ、それであんなウソをついたのかも・・・あとで電話してみよう)
私は自分にそう言い聞かせると、少し落ち着いたので携帯電話を取り出した。
(でも・・やっぱり明日にしよう)
私は携帯を鞄にしまった。ひょっとしたら、今、祐二の側には別の女がいるかもしれない。
そんな不安が頭をよぎったが、そんな事はあるはずがないと頭を振った。
それに、怒って店を飛び出してきた手前、こちらから謝るのもしゃくだったからだ。
気持ちがまったく晴れたということはないが、私は良い方向に考えなければいけないと思った。
でも、このままでは私の気が晴れなかったので、ひとりさみしくバーで飲むことにした。
私がアパートに着いたのは深夜だった。
アパートのカギを開けると、部屋はしーんと静まり返っていた。
ドアのポストには郵便ハガキが届いていたので、それをテーブルの上に置いた。
部屋の電気をつけ、コートを脱いでハンガーにかけると、お風呂のお湯を入れた。
ふと、お腹が空いたので、野沢菜でお茶漬けを食べようと思って冷蔵庫を空け、野沢菜をテーブルの上に置いた。
その時、裏返しになった郵便ハガキに、私の目が止まった。
「ん?・・・」
遠めから見ても、そのハガキの文面の異様な違和感がわかった。
私はそれを恐る恐る手にとると、一瞬、体が硬直した。
「ハヤク ジッカニカエレ ソウシナイト オソロシイコトガ オコルゾ」
差出人は不明。表に書いてあるのは私の住所と名前だけ。確かに私宛のハガキだ。
一体誰から?それともイタズラ?
もしイタズラとしても、誰かから恨みを買った憶えはない。
私は気味が悪くなり、そのハガキをくしゃりと丸めてゴミ箱に捨てた。すると・・・
ピルルルゥ!
突如、私の携帯が鳴った。着信相手は見たこともない番号。私は一瞬驚いた。そして、おそるおそる電話に出た。
「・・・・・・・・・・・・」
だが、相手からは何も聞こえない。
「だっ、誰?だれなの!」
私はひきつった声を上げた。
「・・・おれだよ、祐二だよ・・・さっきはごめん・・・」
祐二の、捨てられた子犬のような声が聞こえてきた。
「ううん、いいの・・・わたしも怒ってゴメンね」
それから私は祐二と仲直りし、今度、旅行でもいこうと約束し、電話を切った。
今までの悲しい気持ちがウソのように明るくなった。私は祐二のことが好きなんだと再確認させられた。これでぐっすり眠れる。私は化粧を落としてシャワーを浴び、ベッドへ潜り込んだ。
(祐二との旅行はどこへ行こうかな?北海道?沖縄?それとも海外?)
久しく旅行などしていなかった私は、とても楽しみだった。そんな事を考えながら、意識がウトウトし始めた時・・・・
「キャアッ!」
私は思わず大声を上げてしまった。私の顔面の上に何かが落下し、もぞもぞと動いたのだ。
私は部屋の電気をつけ、その落下した物体を確認した。それは大きな蜘蛛(クモ)だった。
「ひぃイー!」
私は半狂乱になり、それをスリッパでめちゃめちゃに叩き付けた。
何度も何度も叩きつける度に、蜘蛛の長い足がちぎれて床に散乱した。
私はスリッパの裏の状況がどうなっているかを確認するのを躊躇い、そのままゴミ箱に放り投げた。そして、とびちった足を急いで掃除機で吸い取ると、紙パックをはずしてそれもゴミ箱に突っ込んだ。
「なんてアパートなの?!明日、管理会社に文句を言ってやるわ!」
私の驚きは怒りに変わっていた。
蜘蛛を退治したじゅうたんを見ると、そこには薄黄色い体液がこびりついていた。
「きっ、気持ちわるいッ!」
私は仕方なく、その上に液体洗剤をかけ、ゴム手袋をしてスポンジでゴシゴシとこすった。
腹がたつやら情けないやら、なんとも納得いかない気持ちになった。
その作業がなんとか終わり、ベッドに倒れるようにして横になったのが深夜の3時だった。
私は疲れ果てていた。
(そうだ、明日は会社で大事な会議があったんだ。やだなぁ……面倒くさいなぁ……)
私は少しでも体力を回復させるため、睡眠をとることに専念した。
ピルルルゥ!
またしても携帯が鳴った。また祐二だろうか?こんな時間にどうしたのだろうか・・・
私は、今度も祐二だと決め付けいたので電話に出た。
「なーに、どうしたの?まだ帰ってないの?」
「オマエッ!」
ビクッ!
私の体が硬直した。電話の相手は聞いたこともない声だった。
よくテレビ番組で、音声を変えているようなデジタル処理された声であった。
「だ、誰?」
ツー・・・ツー・・・
しかし、電話はそれっきり切れてしまった。
私は呆然とし、眠くて冴えない頭をフル回転させた。
ひょっとしたら、間違い電話なのかもしれない。
声の高い外人の声がデジタル処理された声に聞こえたのかもしれない。
私は強引にそう思い込むことにした。
ベッドの中で、私はずっと考えていた。
意味不明なハガキのこと、そして落ちてきた蜘蛛のこと、そして謎の電話のこと・・・
そうこうしているうちに、外が明るくなっていた。
(ああ・・結局、眠ることができなかった・・・)
例えようのない虚脱感が私の上に圧し掛かる。いっそ会社を休んでしまおうか・・・
もし、これから祐二と結婚したならば、専業主婦になって仕事をしなくて済むだろう。
朝は、心ゆくまでゆっくり眠っていられるだろう。
いやいや、私は何を考えているのだ。そんな理由で祐二と結婚するなんて不謹慎だ。
それに、今の祐二の稼ぎでは、私も共働きしなくてはならないではないか。
いやいや、そんなことを考えている場合ではない。
そうだ、風邪でも引いたことにすれば・・・しかし、今日は大切な会議があるんだった。
休暇の決定的な理由があればいいのだが、そう、例えば祖母が亡くなって葬式の為に休むのなら口実になるのに・・・
いけない。会社をサボる理由のために、祖母を亡くなった事にするなんていけないことだ。
私は諦めて、栄養ドリンクを飲んで、目をギンギンにして出社することを決意した。
(そういえば、おばあちゃんはどうしているだろうか?しばらく田舎にも帰ってないなぁ・・・)
ピルルルゥ!
またしても電話。
私は、さっきのような怪しい電話であることを恐れ、しばらく放っておいた。
それでも電話は止み鳴らない。30コール目、それはやっと静かになった。
私は、ホッと胸を撫で下ろした。
すると今度はメールが入ってきた。これはただ事ではないなと思った私は、飛び起きてメールを確認した。それはまさに、私が会社を休む口実通りになってしまったのだった。
それは田舎の母からのメール。
「おばあちゃんが・・・死んだ・・・」
まさかのような偶然。
だがしかし、これから私に起こる出来事は、全て偶然では済まなかった。
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