2 教会都市ヴェリーゼ占拠事件勃発
王国議会の一員にして、国の治安と安全保障を統括する責任者クリスタフの元に、教会都市ヴェリーゼ陥落の報が届いたのは、まだ夜も明けきらない時刻のことだった。クリスタフは王国の安全保障に関わる重大な案件としてただちに議会を招集し、問題解決に乗り出した。
報告によると昨日の正午、教会都市ヴェリーゼに武装集団が侵入し、都市を占拠したとのことだ。街を守る自警団は壊滅。観光客や一般市民たちは武装集団の手によって街から追い出され、今では都市機能を武装集団に完全に掌握された状態に陥っているらしい。
現在では観光都市としての立ち位置も強まっているヴェリーゼではあるが、あくまで教会都市にしてユリアンニ教の聖地。『信徒はもちろん、信徒以外にも広く聖地を開放する』ということで、ヴェリーゼは都市への人や荷物の出入りに関しては比較的寛容な部分がある。どうも今回はその点が裏目に出たようだ。
ここまでで判明している事実は2つ。まず、これは他国家の侵略行為ではなく、とある政治組織による犯罪行為であるという点。この点はクリスタフの胸に去来した不安感のうちのいくばくかを払拭してくれた。相手が国家ではなく政治団体であるのなら、戦争という国家規模の混乱状態に事が発展するようなことはないだろう。事態が犯罪であれば、鎮圧と隠蔽の方法は、いくらでもある。
そしてもうひとつ。その政治組織は、近年台頭してきた左翼団体『人の使徒』であるという点だ。『人を救うのは神ではない』というスローガンの元、宗教からの脱却と国家解体を最終目的として活動している。
「この国では、思想・信教の自由が認められていますが、制限があったはずです」
「その通りだ」
「ではその国家解体を目論む過激な政治団体を、今まで放置していた理由は何ですか?」
クリスタフは議員全員が揃う本会議の前に先手を打って、一人のエージェントを教会都市ヴェリーゼに放つことを決めた。エージェントは一名。異国人ながら数々の危険な任務を確実に遂行してきた、クリスタフからの信頼も厚い人物だ。今はそのエージェントに対し、今回の任務のブリーフィングを自室で行っている最中である。
「『人の使徒』が台頭してくる以前から、民衆の間では貧富の差からくる政治への失望の声が上がっていた。『人の使徒』はその時勢を読み、民衆の不満をうまく吸い上げて規模を拡大してきた経緯がある」
「手出しをすることで、国王の民衆からの支持が下がるのが怖い……ということですか?」
「国王の……というよりは議会の、だな」
「あなたもですか? クリスタフ長官?」
「……」
エージェントの若干悪辣な質問に答えること無く、クリスタフは話を続ける。夜明け前という時間のため、ろうそくを灯していても互いの表情はおろか顔すらも確認できないほどに部屋の中は薄暗い。二人は互いの表情が読めないまま、ブリーフィングを続ける。
「君への今回の任務は2つある。一つは暗殺。『人の使徒』の中心人物であるユリウス・アル・カーラ、及び『人の使徒』幹部と思しき者全員を、事態の鎮圧のため殺害してほしい。必要に迫られた際は、利用できるものは利用し、あるゆる障害を実力で排除することを許可する」
「かしこまりました」
「そしてもうひとつは、現地での諜報活動だ」
「諜報活動?」
「今回の事件に対し、法王庁が独断で聖騎士団を介入させるようだ。すでに第一師団がヴェリーゼに向けて出撃している」
「ほう」
クリスタフが議員集結前にエージェント派遣を決めた理由がここにある。これがただの都市制圧事件であれば、クリスタフもいつものように対応を議会で話し合ったことだろう。自身の身に重大な責任が振りかかるような事態は、出来るだけ避けなければならない。責任は出来るだけ議員全員でかけもつべきものだ。
だが今回は事情が違う。法王庁は独自の武装組織である聖騎士団を有している。報告によると、法王庁は議会への報告と承認無しに、今回の事件に対してその聖騎士団の第一師団を派遣しているようだ。第一師団の師団長は、聖騎士団の中でも随一の実力と人望を持つウィル・フェリック。巨大なソーンメイスと強力な法術で不信心者を容赦なく粉砕する、ユリアンニ教随一の守護者である。
『人の使徒』は法王庁にとっては水と油のような思想を持つ集団であり、さらに聖地を奪われたとあればそのような過剰な戦力を介入させるのも納得はいく。だが議会に無断で動く理由が分からない。分からない以上、それを探る必要があるとクリスタフは判断した。
そうなると足枷となるのは議会だ。議員の中には法王庁と太いパイプを持つ保守的な思想を持つ者も多い。信教の自由にさえ未だ懐疑的な議員もいる。法王庁の真意を探るともなれば、そういった保守的な法王庁シンパ議員からの反発は避けられない。そうなれば事態の迅速な解決は不可能だ。
議会の意思決定には膨大な時間が必要になるケースもあり、それが事態解決に致命的なダメージを与えることがあることを、クリスタフはよく知っていた。
「聖地奪還の大義名分があるとはいえ、我々に無断で介入する意図が掴めん。可能であればその理由を探ってもらいたい」
「かしこまりました」
「場合によっては聖騎士団との衝突もあるかもしれん。いつものことだが、くれぐれもこちらの素性が相手に漏れないように」
「ハッ」
コンコンというドアのノック音が鳴り、ドアの向こうの衛兵が議員の全員が揃った旨をクリスタフに告げた。クリスタフが窓の外を見ると、そろそろ夜が明けだしたらしくほんの少しだけ夜空が明るくなってきている。さっきまで見えていた星々が、明るさに紛れて見え辛くなっていた。
『長官、議会の招集が完了しました』
「わかった。私もすぐに向かう。そのまま待たせておいてくれ」
『かしこまりました』
ドアの向こうからゴツゴツという足音が聞こえ、その足音が遠ざかっていく。クリスタフに報告にきた者がドアから離れていく音だ。その音が聞こえなくなったのを確認し、クリスタフは再度エージェントに顔を向けた。朝日が窓より差し、クリスタフから見てエージェントの口だけがかろうじて視認できるほどには、室内が明るくなっていた。
「外に早馬を用意させた。このままヴェリーゼに向かってくれ。今から向かえば昼ごろには到着するはずだ」
「ハッ」
「すでに都市北部にあるリーゼ大聖堂は『人の使徒』によって破壊されているとの報告もある。速やかな任務完遂を期待する。健闘を祈る」
「お任せを」
エージェントが踵を返し、部屋から出て行こうとしたその時だった。
「相変わらず美しい声だ。エージェントにしておくにはもったいない」
「ご冗談を」
「本気だよ。故郷の訛りを残した発音も相まって、実に魅力的な声だ」
「……」
「その声を聞きながら死ねるユリウスは幸せ者だな」
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