3 自警団員エミリオ
都市ヴェリーゼ全域が占拠されて丸一日が経過した頃。日時計が正午の少し前を告げる時分に、新人のヴェリーゼ自警団員エミリオは、追手を振りきって地下水道に身を隠していた。
事件勃発の前日、エミリオは剣術の教練を終え、晴れてヴェリーゼ自警団への編入が決まったばかりだった。配属されたのは北のリーゼ大聖堂。言い伝えによると聖女リーゼの右腕が祀られている場所だ。それほど熱心なユリアンニ教の信者ではないエミリオではあるが、聖女リーゼの言い伝えは知っている。その聖女の右腕が祀られた地を守ることができることにエミリオは胸を躍らせ、翌日の就任式を待った。
就任式はリーゼ大聖堂の礼拝堂で行われるはずだったが、開催寸前に正体不明の勢力がリーゼ大聖堂に襲いかかった。
『就任式は中止だ! お前は至急本部に行ってこのことを伝えろ!!』
エミリオは先輩の団員にそう指示され、着込んだ儀礼用の鎧を脱ぎ捨てて都市中央の本部を目指した。だがすでに都市内の至るところに占拠した犯人と思しき武装した集団がはびこっており、まだ新人で戦闘経験の浅いエミリオは地下に身を隠すしか術がなかった。剣術なら、先日教練を終えたばかりで自信がある。だが多人数が相手ではあまりに勝手が違いすぎる。地の利を活かそうにも、それを戦闘に活用できるほどの経験がない。そんなエミリオが、都市中央の自警団本部に向かうことを断念するのは仕方のないことと言えた。
それから今まで丸一日。都市内に張り巡らされた地下道を移動しながら、なんとか本部への到達を試みたエミリオではあったが、武装集団の監視の目は時間を追うごとに拡大しており、今では都市全域に広がっている。もはや地上だけでなく、地下道の一部にも武装集団は勢力を広げ始めた。エミリオが地下道での移動すら制限され始めるのも、時間の問題といえる。
「くそっ……よりにもよって初日からこんな……ッ!!」
悪態が自然と口を突いて出る。順調にいけば、今頃は初勤務に胸を躍らせ、先輩団員たちの厳しくも優しい指導を受けながらリーゼ大聖堂の警備の任についていたはずなのに……幼い頃から聖女リーゼの物語を子守唄のように聞いて親しんでいたエミリオにとって、その聖女リーゼの右腕を祀るリーゼ大聖堂を警護することは、長年の希望といえた。
それが叶う寸前、何者かによってその夢は握りつぶされた。エミリオは思う。自分の夢が叶う寸前で邪魔をしたこのロクデナシなやつらをなんとかしてこの街から追い出し、自警団員としての職務を全うしたい。
だがそのためには味方が足りない。相手は、都市全域を占拠できるほどの多人数。対して自分の味方はゼロだ。これでは奪還はおろか反攻すら無理だ。地下道から少しずつ都市全体を偵察していたが、どうやら自警団本部も制圧されているようだ。自由に動ける自警団員は自分ただ一人。これでは何もできない。決死の突撃を敢行しても無駄足に終わる……知恵を絞らなければならない。この状況を打破する策はないものか……
そんなことを考えながら、周囲に気を配りつつ地下道を歩く。敵の監視範囲が地下道にまで及んでいるとしても、地下道はまだ自由が効く状況だ。少しの間だけでも潜伏できる場所を探さなければならない。そう思い、聖女リーゼの舌が祀られた東の『始業の教会』の地下礼拝堂に足を踏み入れた。
地下礼拝堂には、光源となる多数の銀の燭台に囲まれるように聖女リーゼの石像が安置されている。エミリオが地下礼拝堂に入り、リーゼの石像の影に隠れようと銀の燭台をどかした時の事だった。
『私の声が聞こえますか?』
エミリオの頭の中に、少女の声が響いた。知人の声色を頭の中で思い出した時のような感覚だ。明らかに今まで聞いたことのない、顔も知らなければ声を聞いたこともない人物の声を思い出したような、そんな不思議な感覚だった。
「? 声?」
思わず疑問が言葉となって口から出る。一刻も早く身を隠さなければならない事態であることは確かなのだが、こんな不思議な体験をエミリオはしたことがない。
『聞こえているのですね? 私の声が聞こえているのですね?』
再度、エミリオの頭の中で少女の声が響いた。この疑問を解決したいが……そんなことよりも今は身を隠す方が先決だ。エミリオはそう判断し、リーゼの石像の影に隠れるべく、銀の燭台の位置を動かそうとした。
『ちょっと! 聞こえてるならオーイェーとかアーハンとか返事してくださいよ!!』
三度、少女の声がエミリオの頭に響いた。さっきまでとは違い、はっきりと頭の中で聞き取れるほどに声が大きくなってきているため、思わずエミリオは身体をピクンと反応させてしまった。
『あ! 反応しましたね!? やっぱり私の声、聞こえてますね? もしもーし?』
「……」
『えー……まさか偶然なんですかさっきのピクッて……』
この緊急事態にあるまじき気の抜けた反応を返す声の主に、エミリオは若干のいらだちを感じずにはいられなかったが……こちらが反応していることを相手に悟られるのはマズい。エミリオは黙々と銀の燭台の移動を終わらせ、リーゼの石像の影に移動した。
『やっぱり返事してくれない……偶然だったのかな……』
「……」
『私の石像と同じ部屋にいるから、きっと呼びかけたら聞こえると思ったのに……しょぼーん……』
エミリオの頭に聞き捨てならないセリフが聞こえた。私の石像? どういうことだ? 今この礼拝堂にある石像は聖女リーゼの石像……つまり……
「どういうこと?」
ついに反応して、返事をしてしまった。エミリオは自身の身を隠すことよりも、声の主が誰なのかという、湧き上がった疑問を解決する方を優先してしまった。
『あ! やっぱり聞こえてたじゃないですかー! 聞こえてるなら返事してくださいよまったく!!』
「それは謝るけど……つーか俺の声はそっちに届いてるの?」
『そりゃもう!』
今までと異なり、だいぶ声色がはっきりとしてきた。声の調子から想像するに、この声の主は今、誇らしげに胸を張っているに違いない。はっきりとそうイメージできるほどに、表情豊かな声をしている主だった。
「……で、さっきの言葉の意味は?」
『さっきの言葉の意味って? 私、何か変なこと口走りましたっけ?』
「変さ加減で言えば、君の声の存在自体が奇妙だけど……」
『えー……私の存在がアヤシイですか……しょぼーん……』
さっきまで誇らしげで元気な声とは裏腹に、今は目に見えて落胆した声だ。この感情豊かな少女の声に、なんとなく自身の緊張が溶けてきていることをエミリオは感じた。ほぐれている緊張は、正体不明の少女の声が聞こえているが故のものだけでなく、今のこの街の状況から来る緊張も含まれていることは、エミリオ自身も気付いている。
「ぷっ……」
『ぇえー……ちょっとー何笑ってるんですかー』
「ごめんごめん」
しかしこのままでは話がいつまで経っても終わらない。この声の主との会話は楽しいし、できればずっと続けていたいとエミリオも思い始めていたが、今は悠長にそう言っていられる状況ではない。
「ごめんこのままじゃ話が終わらない。俺はこの街の自警団員エミリオ・ジャスター。エミリオでいい」
『ほー。エミリオさんという名前ですか。村の警備、いつもお疲れ様です』
「自警団員って言っても、昨日からなんだけどね」
『それでも自警団ですからね。感謝の対象であることに変わりはないです。いつもありがとうございます』
「君は? 名前を教えてほしい」
子供の頃の夢が叶う瞬間が、突然訪れることがある。長い間努力を重ねることにより、子供の頃の夢を叶える人物もいれば、何の意識をすることもなく、本人も夢に向かう努力をしてこなかったにもかかわらず、叶ってしまう人物もいる。
エミリオは子供の頃、『聖女リーゼに会いたい』という夢を持ったことがあった。エミリオ自身はもちろん、彼の家族もユリアンニ教の熱心な信者ではない。だが、自身の命を顧みない献身的な行為でひとつの村を救った聖女様の物語は、幼い頃のエミリオの心に鮮烈に刻み込まれ、いつか自分も聖女リーゼのような優しさと強さと献身を兼ね備えた大人になりたいと思うようになった。そしていつの日か、聖女様に会ってみたい、話をしてみたいと思うようになった。
成長した今では、そんな夢を持った事自体は覚えているものの、それは無理だということはわかっている。伝説の聖女に会い言葉を交わすことなど、叶うはずのない夢物語だ。一つの理想像として聖女リーゼを掲げ、それに向かって努力すること自体は可能だが、会話を交わすことなど不可能なことだということはわかりきっている。
『私の名はリーゼ。この村に封印されているリーゼです!』
「まさか……こんな時にそんな冗談はやめなよ」
『いやいやいやウソや冗談じゃありませんてば。エミリオさんが密着してるその石像、私なんですから。微妙に恥ずかしいんですから今』
「なんで?」
『いやだって、石像とはいえ殿方が私の素足に密着するだなんて……なんてやらしい……』
だが今日この日この瞬間、エミリオの子供の頃の夢は叶った。叶うはずもないと思っていた夢が叶ってしまった。エミリオはこの日、子供の頃の自分に『お前の夢は叶うぞ』と教えてやりたいと心から思った。幼い頃の自分がショックを受けないように、『思った以上に俗っぽい上に妙に賑やかな女の子だから、あまり余計な期待はするな』という忠告とともにではあるが。
『まぁそもそもその石像みたいにナイスバデーじゃないですけどね私。最初私の石像だってわかんなかったですもん。私そんなにおっぱい大きくないですよ』
「そんな情報はいらなかったなー……いやいやその辺で冗談はやめてくれ」
『冗談なんかじゃないですよー。本当の私の姿を見せて現実を思い知らせてやりたいですよエミリオさんに』
「そっちじゃない。キミの貧乳っぷりはどうでもいいんだよ」
『ひどっ』
なんだかこの声の主にも慣れてきた。『頭に直接声が届く』というシチュエーション自体は極めて奇妙なことではあるが、声の主自体は実害のない人物のようだ。聖女リーゼというのはいまいち信用はおけないが……この声の主は少なくとも実害はないと判断していいだろう。
「話を元に戻そう。俺に呼びかける理由は?」
自然と彼女の目的を問いただしていた。名前はどうあれこの正体不明の奇妙な存在というにはあまりにも朗らかで表情豊かなこの自称リーゼに、少しずつ心を許し始めていた。
『ああ、あなたにお願いがあるんですエミリオさん。自警団員ならなおさら』
「お願い?」
『私の封印が解かれようとしています。五つの部位の封印のうち、一つはすでに解かれました。残り四つの封印を守ってください』
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