0012
ここの生活にも大分慣れてきた。
シュワルツェネッガーさんの屋敷で暮らし始めて一週間近くが経つ。今では案内されなくても、浴室、台所兼食堂、自室には行くことが出来るようになった。それ以外の部屋に行くことが無いから、というのが大きな理由でもある。
「んー……暇だなぁ」
読んでいた本から目を離し深々と溜め息を吐く。朝食を食べてから昼食までの時間は自由。昼食を食べてから夕食までの時間も自由。というか、何もすることがない。もちろん、これまでの一週間、住まわせてもらっているのだから何か手伝いをしなくては、とシュワルツェネッガーさんに声を掛けてきた。
洗濯しましょうか?
食器洗いましょうか?
食事の準備をしましょうか?
答えは全て「NO」である。それでは引き下がれないので理由を訊くと、
「お前がやらなくても、俺がやらなくても、いつの間にか出来てるからいいの」
だそうだ。意味が分からない。ついでに食事は何かしらポリシーがあるらしく手伝わせてくれない。
そう手伝うこともできず、怠惰な生活がズルズル続いてきた。実家から持ってきた本は、この怠惰生活の暇潰しで先ほど目から離した本を除いて全て読み終わってしまった。
何かしなくては。何か見つけなくては。変な焦りだけが体にねっとり貼り付いてくる。
「あ」
ふと窓の外の景色に視線が留まった。
「裏庭……」
らしきもの。屋敷の前の庭よりやや広さは劣るが、そこそこ背の高い木が多く植えられている
浴室には脱衣所も兼ねてある。そこにランドリーボックスが置いてあることは、初めて来たときから知っている。そして洗濯物を干す場所も分かった。
私はいつの間にか自室から出て歩き始めていた。屋敷から出て裏手に曲がれば簡単に行けるはずだ。
「あった」
ロープに吊るし干されたシーツがはためく。その数は分からない。多すぎて。上から見たらそうでもなかったのに、とバッサバサと揺れるシーツを避けながら森モドキへと足を運ぶ。
「あ」
シーツを
「っわ!」
「ひゃあッ!!」
強く両肩を叩かれた拍子に腰を抜かし、そのまま芝生に尻もちを着いた。恐れ半分驚き半分で振り向くとシュワルツェネッガーさんだった。
「そんなに驚くとはな、大丈夫か」
「後ろからいきなり大声出されたら誰だって驚きます!」
おかしそうに――実際おかしいんだろうけれど、シュワルツェネッガーさんはくつくつと笑いながら手を差し出した。それに少し戸惑いながらも無視するのは失礼なので素直にその手を取り、立ち上がる。
「あの、このオレンジは」
「ああ、俺がここで暮らし始める前からあるんだ」
「え? 最初からここに住んではいなかったんですか?」
眉を下げ困ったような顔を一瞬だけ、見せた気がする。気付いたときにはいつもの顔に戻っていた。気の
「ま、その話は追々な。食事のときの話題にしよう」
シュワルツェネッガーさんはスタスタと樹に寄り、オレンジをブツリと一つもぎって私に投げた。慌ててキャッチをする。
「立派なオレンジだろう」
「はい。すごく綺麗です。あと重いです」
「中に実がぎっしり詰まっている証拠だ。食べてみるか」
「え、いいんですか」
「どうせこの屋敷で食べるのは俺らくらいだしな。こんなにあるんだからいくつ食べても一緒。それにお前の顔に『食べたい』って書いてるぞ」
図星だったのでボッと顔が熱くなった。咄嗟に空いていた手で顔を覆う。そんなことはお構いなしに、シュワルツェネッガーさんはひょい、とさっき投げ渡したオレンジを掴み取り、ジーンズの尻ポケットから小型のマルチナイフを取り出した。そして器用にオレンジの皮を
「…ぉぉ」
「感心してくれてありがとよ」
「私、こんなに綺麗な桂剥き出来ないので憧れます」
さくさくと一口サイズに実を切り分けていく様も鮮やかだ。切り分けた実を次は綺麗なハンカチの上に乗せ、芝生に座るよう促された。
「桂剥きなんぞ今度いくらでも教えてやるよ」
「教えてくれるんですか! その時はよろしくお願いします。では、」
いただきます、とオレンジを一切れ口に放り込む。濃厚で甘く噛む度に果汁が溢れだして、頬っぺたが落ちそうになる。落ちないように両手で頬を覆った。
「すっごく、美味しいです!」
「……なんか、お前がこんなにはしゃいだの初めて見た気がするわ」
「え? そうですか?」
「いや、俺の料理を食べるときもはしゃいでくれているけど」
「それはシュワルツェネッガーさんの料理が美味しすぎるからです。そしてこのオレンジも今まで食べてきたなかで一番美味しいです」
くしゃり。
大きなゴツゴツとした手が頭の上にのった。
「お前は素直でいいな。心が洗われる」
そしてくしゃくしゃと私の頭を撫でた。
穴が少し埋まったような、そんな気がした。
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