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「私、ひとり暮らししたい」

 誕生日の翌日の土曜の朝食時。

 突然そう切り出した私の言葉に、父は珈琲を喉に詰まらせせ返り、母は食べかけのトーストをポトリと皿の上に落とした。

「ゲホッ。……また、突然どうしたんだ」

 やっと落ち着いた父は涙を拭いながら聞いてきた。

「突然でもないよ。高校を卒業したらひとり暮らしがしたいってずっと思っていたの」

 進学しない代わりに、父と母の研究所で大学資格を取得し、今年の4月にはその研究所で働くことになる。高校のクラスメイトの誰よりも早く社会人の仲間入りなるのだから、ずっと両親を頼りながら生活していくこともどうなのだろうかと考えていたのだ。

「あなたは昔からひとりで何でもできる子供だったから、心配はないけど……。親としては少し不安だわ」

「困ったな……」

 娘が自立していくことは大変喜ばしいことだが、娘の面倒を見ていきたいというのが親のさがである。父と母の表情をうかがってみると、あまり肯定的ではないようだ。

 断られるだろう、と予想はしていたが、いざそうなってみると少し苦しいものだった。

「ああ、そうだ。あの人のところなら良いぞ」

「……もしかしてシュワルツェネッガーさんのところかしら?」

「そう!その人のところだよ。あの人なら大丈夫だ」

「……誰?」

 初めて聞く名前だった。父と母と活動する研究員の名前でもないし、親戚でもそんな名前の人はいなかった。

「隣町で一番大きな屋敷に住む人よ。まだアルが産まれる前に知り合った人でとてもいい人なの」

「その人のところだったら研究所からだって遠くはないし、屋敷の部屋も余っているはずだ。そこに行けばいい。今日にでもその人のところへ連絡しよう。アルを喜んで迎え入れるはずだ。優しい人だし作った料理も絶品だよ。もっとも、母さんには劣るがね」

「やだ、あなたたったら!」

 ペラペラと『シュワルツェネッガーさん』の話をしたついでに、母の料理をく褒めた父の肩を、パァンと叩く母の顔は真っ赤に茹で上がっていた。

 できることなら、誰にも気を遣わずにすむ方向で暮らしていきたかったが、父は早くもスマホを取り出して連絡しようとしている。正確には、既に『シュワルツェネッガーさん』の電話番号を押していいか、と私の返答を待っている。

 父のその顔を見ると、わがままは言えない。

「分かったわ。その人のところで住む。父さんと母さんが信頼できる人なら大丈夫そうだし、料理だって美味しいんでしょう?」

 父は、待ってました!とばかりに満面の笑みを浮かべ、すぐさまスマホを耳にあて、廊下に出ていった。

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