第37話 信頼の笑い

 フェンリル帝国の皇子、ジュテ姫と会ってからは本当に忙しかった!


 ティルスのアーシアさんやアスランと合流して帝国の隠れアジトを強襲したけど空振りだったし、例の廃坑周辺も再び探索したけど何の手がかりもない。仕方なく、範囲を拡大しての捜索が日夜続いたんだ。



 といっても、それは僕とアルス兄さんに限ってのこと。

 ルーミィたちはルーミィたちで、最終コンサートの準備に追われ、ラムさんたちはその護衛兼サポート役を買ってくれていた。


 ジュテ姫の情報だと、僕たちが追い掛けている2人は元々は帝国の近衛兵だったらしい。

 帝国の秘術を用い、人為的に作られた鬼――肉体的にも精神的にも強化されたその存在が、フェンリル帝国が世界帝国として拡大できた理由だそうだ。

 たいてい魔物の角は、皮膚か頭蓋骨が変化したものらしいけど、この秘術は角の形をした寄生虫を埋め込むみたい。それを折るか抜くことができれば、元の人間に戻れる可能性もあるのだそうだ。

 でも、実際に人間に戻った数例では、鬼として生きた記憶を消すことができず、かえって辛い日々を過ごすことになったとか。だから、ジュテ姫は彼らを元に戻すことを諦めているようだ。




 その後、特に不審な事件や事故もなく、忙しい中にも充実した日々が過ぎていった。


 そして、今日――王都で過ごした2週間あまりの日々が終わる。



「こんなにたくさんの方々に応援していただいて、私たちはとっても幸せです!」


 満員のファンを前に、クーが泣き笑いみたいな声を張り上げて挨拶をする。

 前回のコンサートは、王様の思惑でアディリシア王女争奪戦と一緒に行われたけど、今回はそういうイベントは全くない。

 今日、会場を埋め尽くしてくれたのは、正真正銘、エンジェルウィングのファンたちだ。


 ん?

 あぁ、そうだった。アディリシア王女も今日はメンバーとして出ているんだった! それなら満員になるよね……。


 観客席の最前列、それも僕の両隣から猛烈な拍手が湧き起こる。慌てて周囲も拍手を合わせる。

 おっ、きちんと整列したメンバーの中央から、アディリシア王女が前に進み出てきた。緊張した面持ちで、ぴょこんと一礼する。顔を上げた瞬間、目が合い、手を振ってくれた。

 えっと……僕の両隣に居る王様と王妃様が、あれは自分に向けて手を振ったのだと、僕を挟んで言い争いを始めたよ。



 拍手が鳴り止むと、王女の綺麗な声がホールに響き渡る。


「ルールルルー ルールルルー ルールルルールルルールルルールールー」


 両手を胸の前で組み、目を閉じてメロディを口ずさむ。


「「ルールルルー ルールルルー ルールルールルルルルルールールー」」


 王女の両脇に、クーとアネットが進み出る。

 王女に合わせて同じメロディを歌う。


「「「ルールルールルルルルールールールー」」」


 今度は、その横にルーミィとラールさんが並ぶ。


「「「「ルールルールルルルルールールールー」」」」


 さらに、ミールとポーラも横一列に並んだ。

 7人全員が揃う。



 しばらく続いた物悲しそうな音階が徐々に弱まり、ホールに静けさが満ちた瞬間、舞台上が7色に弾けた。

 ホール全体を紙吹雪が舞う。王女の歌声、ラールさんの楽器に合わせて皆が楽しそうに踊り出す。


 “最後の”とか、“解散”とか、“お別れ”コンサートということは皆が忘れていた。

 会場が一つになって歌い、踊り、夢のひと時を楽しんだ。



「あっという間の2時間でしたね。皆さんが私たちを幸せにしてくれたお返しに、ここにいる皆さんを幸せにできたかな?」


 下ろされた幕の前で、クーが代表して観客への挨拶を始めると、今まで以上の拍手と歓声がホール中を突き抜ける。


「今日は皆さんに大切なお知らせがあります」


 クーの透き通るような声を聞き逃すまいと、会場が一気に静まり返る。


「今日でユニット“エンジェルウィング”は解散します」


 沈黙がざわめきに、さらに悲鳴へと変わる。


「これからは、アディリシア王女と私、クーデリアの2人で頑張って皆を幸せにするから、応援を続けてね!」


 微妙な歓声に混じって、「ポーラたんは!?」「ミール様は!?」「ラールちゃんは」「アネットは」の声が次々に上がる。ルーミィ、今は我慢だ……。


 そのタイミングで、ルーミィを含めた5人が前に出てきた。


 ん?

 何か変な違和感が……。


「皆さん! ご覧の通り、赤ちゃんができました! だから、しばらく休みますね!」


 ルーミィがそう宣言し、5人はぽっこり膨らんだお腹をさすり始めた。


 コンサート中は普通だったのに……。


 悲鳴と怒号が入り乱れ、暴動寸前だ!


 そこに、僕の服を着た男が乱入してきた……。


「はっはっは! モテる男は辛いなぁ~!!」


 案の定、男に目掛けて突進するファン多数――。

 男はひらりと身を躱し、舞台の脇をすり抜けて出口へと一目散に逃げていく。

 ここに、オオトリモノが始まった!



★☆★



「何ですかこれ……僕が今、仮面を付けられている理由って、これですか?」


 控え室に避難した僕は、ついつい王様に愚痴ってしまった。


『がはははっ! 茶番、結構! こうでもしなければファンも心の整理がつかんじゃろ』


 いや、ルーミィから黒い魔力が湧き出てるぞ。


『それで、婿殿はもう旅立つのか? 今日くらいゆっくり――』


「行きます。王都周辺の捜索は終わりました。一刻も早くやつらを捕まえないと皆が安心できませんし、ゆっくりしていたら旅立つ決意が鈍ってしまいますから」


『そうか……もっと遊びたかったんじゃが――』


「お父様! ハル様には、お父様なんかよりもっと大切な使命があるのです。辛いですが……今は笑って……送ってあげまし……」


「アディ! だめ、泣かない約束!」


「だって……」


「1人泣いちゃったら、ほら……」


 アディリシア王女に続き、ラールさん、クー、ポーラ、アネットも泣き始めていた。ルーミィは唇を噛み締めて必死に堪えている。ミールは蝶の姿に。


 どうしよう――何か言わなくちゃ。

 でも、僕も喉の奥が詰まって言葉にならない。


 もう、いい!


 僕は泣きじゃくるアディリシア王女を思わず抱きしめていた。

 きゃっと小さく悲鳴を上げたのは一瞬で、その後、僕の背中に爪が食い込むくらい強く、強く抱き返された。この小さな女の子にこんな力があるのかと驚いていると、彼女の震える肩が目に映る。


「すぐに戻ってくるから」


 耳元で囁く。

 嗚咽に混じった囁きだけど、十分聞こえたようだ。首を縦に何度も振って、鼻水を垂らしながら、お待ちしています、お待ちしていますと何度も何度も言ってくれた。


 そっと王女を離すと、すぐさまクーが飛びついてきた。


「ハルくん、ハルくん……行かないで……クーも一緒に行きたいよ! 連れていってよ!」


 クーの悲壮なまでの泣き顔を見て、心が激しく揺れる。

 でも、クーの目は力を失っていない、強い光を宿している。

 両手で彼女の背中を撫で、クーの嗚咽を和らげる。そして、左手で髪をかき上げ、頬に口付けをしながら耳元で囁く。


「クーの気持ち、全部分かってる」


 それだけで十分伝わった。

 お互いにやれることをやる、すべきことをする。

 僕だって、本心は皆と一緒に居たい。それはクーと同じだ。でも、リンネ様に与えられた使命を果たすため、僕は世界を回る旅をするんだ。

 クーにはクーの使命がある。悲しいけど、今は応援してあげなくちゃ。お互いに信頼し、応援し合えるのが仲間だから。家族だから。


「変態さん、話があるの」


 アネットにそう呼ばれるのは久しぶりだ。何だか、嫌な予感が胸を突き刺す。

 クーを解放し、アネットと向き合う。


 遠慮がちに僕の胸ですすり泣くアネット……頭を抱き寄せ、優しく撫でる。


「決めたの。私もここに残る」


「えっ!?」


 思わず声が漏れてしまった。

 アネットはパーティの最大戦力。これからの旅に欠かせない存在だと、力強い仲間だと思っていた。


「ラム姉に負けてからずっと考えてた。今の私じゃ役に立たないって。それでね、ラム姉たちが鍛えてくれるって言うから……私、頑張るわ。もっと強くなりたい。役に立ちたいの」


「そ、そうなんだ……」


 これしか言葉が出てこない。

 僕を守るために頑張ってくれるアネットに、僕は何が言えるだろう。


「それに、王女やクー、ラールを守る必要もあるからね! ここは私に任せて、変態さんはぐるっと世界一周して、また元気に戻ってきてね」


 えっ……なんでラールさん?

 そう思った途端、後ろから抱きつかれた。この柔らかい感触は、間違いなくラールさんだ。


「ハル君……」


 アネットが空気を読んでか、名残惜しそうに下がると、ラールさんが僕の正面に回り込んできた。


「私……私も、王都に残ろうと思います」


「……」


 旅の最初から、故郷の町フィーネからずっと一緒だったのに……どうして……嫌われちゃったのか……。


「本当は、私だって一緒に行きたい。多分、いえ、絶対に、今夜も明日も明後日も……泣いちゃう」


「なら――」


「私じゃなきゃダメだから……。王様や王女様、アーシアさんに頼まれたのもあるけど、最後は自分で決断しました。王都のエンジェルウィング支部は、私がまとめます。この仕事だけは他の人に任せたくないんだもの。これは、ハル君と私たちの絆……家族の絆だからね」


 ラールさんが顔を上げる。

 その瞳は潤んではいるけれど、心から幸せそうな表情だった。寂しいから嫌だとか、そんなちっぽけな僕の考えは、ラールさんの笑顔によって一瞬にして押し流された。


「分かった……きっとここに戻ってくるから。それまでよろしく……」


 最後まで言うことができず、僕は泣き崩れた。


 脚に力が入らない。


 両手で顔を押さえ、恥も全て捨てて、小さな子どものように号泣し続けた。


 この別れが永遠だとは思っていない。また会えるということは頭の中では分かっているつもり。でも、仲間との別れがこんなにも辛いなんて思っていなかった。

 次から次へと流れ出る涙。嗚咽を通り越し、吼えるように泣き続ける僕の背中を、誰かが優しく抱きしめてくれた。温かい手のぬくもりを感じる。


 気づけば、僕の周りには皆が集まってくれていた。


 そして、僕の手に、皆の手が重なっていく――。


 次第に、心に、魂に力が湧いてくる。

 泣き顔が泣き笑いに、泣き笑いが笑顔に変わっていく――。


 皆の気持ちが一つになった。

 その証拠が皆の笑顔なんだ。


 遠巻きに貰い泣きしながら見ていた王様たちも、顔を次第に和ませていく。



 その時、控え室のドアを開けて、僕が、いや、僕の服を着た兄さんが入ってきた。


「いやぁ~、しつこい奴がいて大変だった」


「兄さん――」


「僕なんかのためにこんな汚れ役、よく引き受けましたねってか? お前には借りがあったからな。それと、餞別だ、持っていけ。ラム!」


 アルス兄さんに呼ばれたラムさんが笑顔で僕の前に立つ。


「えっ?」


 ラムさんは、兄さんの右手と僕の右手を握り、魔力を込めていく……。


『天より与えられし力この者に授けん、ギフト!』


 兄さんと僕の右手が黄金の光に包まれる。


「これは……」


「あぁ、俺のスキル“エクスカリバー”だ。ラムにはスキルを複写コピーするユニークスキルがあるんだ。とはいえ、得られる側は俺の能力の4分の1程度だから、役に立つかどうかは微妙だがな! ただし、貴重な聖属性の魔法だ。ありがたく使えよ」


「ありがとう……」


 兄さんの心遣いに感謝の涙が出た。


「まぁ、あれだ。決闘で負けたらしいからな。俺は、俺が抜けても3対2で勝つと思ってたんだが……」


 ニキさんが後ろからアルス兄さんを蹴り始めた。

 決闘の報酬、忘れてたよ。ありがたく貰っておこう。


 キュンさんが僕にそっと近づき、耳元で呟く。


『アルスってば、実はずっとドアの外で聞いてたんだよ、君たちの声。それと、ラムのスキルだけどね、与える側が本心から敗北を認めないと発動しないんだよ』


「えっ!?」


「だぁ~! そんなのどうでもいいっての! お前は早く行け!」


「うん……」


『弟君、安心してね。君の大切な人に、誰にも、勿論アルスにも指一本触れさせないからね!』


 キュンさんが兄さんに捕まりながらも、最後にもう一言付け加えてくれた。


「よろしくお願いします!!」


 兄さんを押さえ込むニキさん、ラムさん、キュンさんに精一杯のお礼を言う。



「ルーミィ、ポーラちゃん……ミールはいいや。ハルくんをしばらく頼むわよ!」


 クーに背中をパチンと叩かれたルーミィとポーラが、つんのめりながら僕にぶつかってきた。


「うん……今ので気合い入った。安心して!」

「クー姉様、ラール姉様、アネット姉様、それと……アディ姉様っ! きっと皆さんの所に、ハル兄さまを無事に連れてきますからねっ!」


「「行ってらっしゃい!!」」


「「行ってきます!!!」」


 長い言葉を言うとまた涙が零れそうになるから、これが僕の、僕たちの精一杯だった。


 コンサート会場の控え室の扉、ここが僕たちの新たな出発点。


 既に旅の支度は済んでいる。

 王様のご厚意で新調した装備を身に纏い、扉を開けて、僕たちはまっすぐに歩いた。


 後ろですすり泣く声が聞こえるけど、振り返ることはできない。

 僕たちの泣き顔を見せたら、皆の勇気が挫けてしまいそうだったから――。

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