第36話 協力の乞い

 アネットが、見覚えのある男――僕の兄、アルスの手を振りほどいて走ってくる。


 そんな彼女を、両手を広げて抱きとめる。

 いつもの強気なダークエルフはここには居ない。小さな背中を丸め、遠慮なく泣きじゃくる愛しいアネットしか居なかった。



 カナと一緒に買い物に出たアネットが消えたのは今朝のことだ。


 路地裏で気を失っていたカナを、偶然に通りかかったギルド職員が見つけて介抱してくれた。


 昏睡状態から目覚めたカナの口からは、突然、何者かに後ろから殴られたという事実以上の有力な情報は得られなかった。


 それでも、アネットが何者かに誘拐されたという証拠は残されていた。

 襲撃が行われたと思われる場所、その白い石畳に微かに残された、黄色――それは僕が廃坑で仕掛けた罠の色だった。


 フィーネの実家を旅立つとき、母さんがお弁当を包んでくれた黄色い布。拙い染め方の問題で、濡れるととっても色落ちするんだ。捨てても構わない物だったんだけど、意外なことで役に立った。今度母さんに会ったらお礼を言わないとね。


 廃坑……他国のスパイ……殺人事件……誘拐……1本に繋がった。

 奴は、被害者を生き返した僕たちを恨んでいるんだ。復讐のつもりでこんなことを!


 襲撃の犯人は特定できた。

 イルバネスさんやカムイさんが目撃した黒髪の長身男性!


 絶対に、一刻も早く、アネットを救い出す!

 エンジェルウィングの総力を結集した戦いが始まった。国王の協力のもと、王都周辺の街道が封鎖された。捜索隊が1000人規模で組まれ、黒髪の長身男性を捜した。ギルドは各都市に緊急事態宣言を発令し、多くの冒険者が僕たちのために走り出した……。僕も、“シューティングスター”の魔法を宿した指輪に全身全霊を込めて願い、アネットのもとへ行こうと試み続けた。


 それなのに。


 それなのに、こんなことになるなんて……。



「アネットを貰いに来た」


 再会早々の兄の一言で、僕の頭の中を占有していた黒髪の長身男性は消滅し、目の前の男――サラサラの金髪とエメラルドグリーンの瞳――が僕の全神経を占領した。


「兄さん……兄さんがカナを襲ってアネットを攫ったの?」


「ん? カナというのは知らんが、アネットはこれから攫う予定だな」


『ハル、違う……この人は……私を助けてくれた』


「えっ!?」


「違わないぞ、愚弟! 女一人守れない弱虫から俺がアネットを攫っていくんだ」


 目を真っ赤に腫らしたアネットの必死の否定を一蹴し、挑発的な態度を崩さない兄。


 アネットは決して嘘を言わない。

 なら、兄は恩人のはずで……犯人はやっぱり他にいるんだ。犯人が捕まるまではまだ油断できない。


「決闘だ!」


「兄さん、ありがとう。僕たちは犯人を捜さないと!」


「俺と決闘しろ!」


「今は手が離せ――うわっ!?」


 突然、僕の顔の横を金色の刃がかすめる。

 仰け反りながら辛うじて躱した僕の目に映ったのは、低い姿勢から右手を伸ばす兄。

 剣が、伸びた!?


 僕の後方で成り行きを見守っていたルーミィとクーが飛び出してきた。

 それを、兄さんの背後から現れた猫人族と犬人族の女性2人が迎え撃つ。


『ハル! あいつ――お兄さんは本気で私を攫うつもりだよ! もう怖い思いをしたくない……』


「アネット……分かった。兄さん、場所を変えるよ」



 ★☆★



 人気ひとけのない場所を選んだつもりなのに、いつの間にか人だかりができていた――。


 王都郊外の空き地には、5mの間隔で向き合う僕たちと兄たち、そしてそれを幾重にも取り囲む、数百人に膨れ上がった群集が居た。

 人だかりから聞こえてくるのは、決闘を楽しむ歓声ばかり。挙句には、賭けを始める者も出始めたようだ。“黄金の勇者”と“白銀のハーレ婿”という聞き慣れない二つ名が飛び交う。


「俺の方が強いってことを証明してやる!」


 大袈裟にマントを翻し、高らかに宣言する兄アルス。兄は素手だけど素手じゃない。

 手刀を覆う光が刃となり、その気になれば剣さえも切り裂く。その名もエクスカリバー、兄が持つ2つ目のユニークスキルだ。

 その右側には、両手を頭の後ろで組みながら欠伸をする兎人族のラム、左側には、地面に突き立てた大盾に寄りかかる犬人族のニキと、2本の短刀ダガーを踊るように振り回し、準備運動をする猫人族のキュンが居る。


 僕は、母から貰った短剣を右手に握りしめて構える。その左、兎人族の正面には、僕が渡した予備の短杖を手に、アネットが緊張した面持ちで佇む。僕の右、犬人族のニキと対するのはルーミィだ。新調したばかりの直剣を構えている。そして、その隣には猫人族のキュンと同じように、2本の短刀を振り回すクーが居る。

 僕と兄さんとの決闘のはずが、いつの間にか、4対4の戦いになっていた。



 戦神ヴァルキリオン神殿の司祭を名乗る男性が、人だかりを切り裂いて現れた。仲裁しようというのではなく、審判を申し出たようだ。もう勝手にしてくれ。


『これより、“黄金の勇者”ことアルス殿と、“白銀のハーレ婿”ことハル殿のチーム戦を執り行う。大将戦は2ポイント、他は1ポイントの勝ち点を争うものとする。つまり、5ポイントのうち3ポイントを得た側が勝者である。敗者は勝者が望む物を差し出さねばならない。もし、約束をたがえた場合、戦神ヴァルキリオンの鉄槌が下るであろう。では……始め!!』



 冷静になるんだ、何も考えるな、突っ込んだら負けだ!


 眼前に迫る黄金の刃を後ろに大きく飛んで躱す。大きく楕円形に歪む群衆を尻目に、次々に放たれる連撃を下がりながら躱し続ける。野次はスルーだ。


 遠目に、魔法を撃ち合うアネットとラムが見える。横からは、盾と剣が激しくぶつかり合う甲高い音が聞こえる。


 この間合いは不利だ。兄さんの伸びる剣――スキル“エクスカリバー”の射程は10mを余裕で超えている。対して、僕の風刃の射程は半分の5m。後ろに躱せるスペースがなくなった時点で手詰まりだ。

 

 浮遊を使う? 上に? いや、格好の的だ。恐らく兄さんは僕が空中に逃げるのを待っている。あの黄金の剣は、鳥の群れでさえも薙ぎ払う。


 どうすれば……。


 作戦を考えている僕の頬を黄金の刃が掠める。距離と同時に幅も変えてきた!?

 驚いて振り返った僕の目には、通り過ぎた切先が鎌のように曲がって戻ってくるのが見えた!

 

 驚きが動揺を、動揺が隙を生む。

 

 前に転がって避ける。


 体勢を整えると、走り込む兄さんの姿が眼前に迫っていた。


「はっ!!」


 瞬時に短剣を左から右へ払い、風刃を撃つ!


 脚を狙った一撃は完全に読まれていた……。


 ジャンプしながら右手を伸ばし、僕を正確に狙ってエクスカリバーを放とうとする兄さん――至近距離から撃たれたら躱しきれない!


 狙いは顔じゃない!

 心臓でもない、脚だ!


 兄さんは回復魔法使い。

 僕が知っている優しい兄さんなら、こんな至近距離から相手を即死させる攻撃を絶対にしない!


 兄を信じた咄嗟の判断が、僕に一か八かの賭けをさせる。

 

 股を大きく広げたまま、全力で浮遊魔法を使う。

 兄に向かって体当たりをする!


 紙一重で僕の股下を黄金の槍が突き抜ける!


 間一髪で躱すと同時に、目を見開く兄の顔に、肩から体当たりをかました!


 不意を突かれ、僕の全体重をまともに受けた兄が吹っ飛ぶ。レベルアップの恩恵か、スピードもパワーもかなり上がっていたみたいだ。


 最前線で観戦していた冒険者らしい格好の集団は、飛んできた兄さんを軽やかに躱す。

 兄が群集の壁の中に吸収される。

 追い討ちをかけるべきか?

 いや、周りを巻き込みたくない。待とう。



 一分……ざわめきが増す一方で、兄さんはまだ出てこない。


 審判を買って出た男性が、堪りかねて群衆の中へと確認をしに行く。



 湧き上がる歓声に振り返ると、ちょうど勝負が決した組があるようだ。


 観衆に向けて手を上げて応えるキュンの姿が見える。

 クーが負けたみたいだ。キュンの手を借りて立ち上がるクーにも盛大な拍手が送られている。僕と目が合うと、クーの顔からは悔しそうな表情が一瞬で消え、安堵の表情が浮かぶ。


 その向こう側では未だ激しい魔法戦が繰り広げられていた。

 アネットの中級魔法を尽く弾く金色の膜――あれは結界魔法だろうか。その中で暢気に欠伸をするラムが見える。


 一瞬、結界が歪んだかと思うと、近接戦を仕掛けようとしたアネットが宙吊りになった!


 蔓――魔力を帯びた光の蔓が、アネットの足首に巻きつき、3メートルの上空に逆さ吊りにしている。

 アネットはスカートを押さえることに必死で、戦意は完全に喪失していた。それを確認し、ゆっくりと蔓を地に下ろすラム。アネットも負けた……。



 再び湧き上がる歓声の中、群集の壁から司祭が出てきた。

 険しい表情で僕のもとへと歩み寄り、無言で僕の左手を高々と持ち上げる。


 しばしの沈黙の後、みたび歓声が上がる!


「えっ? 兄さんはどうしたの? 居なくなった?」


 僕の問い掛けに頷く司祭。

 その、神聖なる決闘を汚されたかのような表情は、兄さんの途中棄権を物語っていた。



 その歓声の中でも、絶え間なく甲高い金属音が続いていた。


 再び円形に戻った群集の中央では、ルーミィがニキを攻め続けている。


 巧みな盾捌きでルーミィの剣戟を往なしたかと思うと、時には強く弾いて隙を窺おうとするニキに対し、ルーミィの剣は次第に重く、速くなっていく。力づくで攻めきる狙いのようだ。


 決着は一瞬だった。


 中段に構えた剣を、突くと見せ掛けて突進したルーミィは、低く構えられた盾を足場に大きく跳び上がる。大サソリのときのように上から攻めるつもりか?


 ニキは、それを読んでいたかのように剣を真上に突き上げる!


 2本の剣先が空中で激突する!!


 迸る火花を残して交差する剣――ただ、その一本は折れていた。


 右の手首を押さえてうずくまるニキに対し、剣を捨てて治療を始めるルーミィ。


 いつもなら雄叫びを上げながら勝ちを宣言する彼女が、今日はいつもと違う。それに、あの輝きは?

 バーサーク状態の瞳ではなく、剣を覆う炎のような煌き――魔力操作の応用だろうか、放り出された剣から次第に薄れていく輝きを見つめていると、僕の周りには戦い終わったラムとアネット、クーとキュンが集まっていた。



『弟君。生き返してくれた恩は忘れてないわよ? 今日、敢えて戦ったのはね、この娘たちが貴方を守れる力量を持っているのか知りたかったから。でも、私に負けているようじゃダメね』


 アネットが悔しそうな表情で俯いている。


『貴方は善いことをしているわ。でもね、だからこそ敵が増えることもある。全ての人が心根の優しい者ばかりではないのよ』


 キュンの言うことは、今回アネットとカナが襲われたことで身に染みて実感した。蘇生して貰えなかった関係者よりも、蘇生することで都合が悪くなる人たちの方が性質タチが悪い。場合によっては命まで狙われるんだ。正直、今まではそこまで考えが及ばなかった……。


「ありがとうございます。今後は十分気をつけます」


『それにしても、私が負けたから良いけど、あっ――手は抜いてないわよ? ルーミィちゃんだっけ、貴女は本当に強いわ。でも、運良く私が勝ってたら、アネットは居なくなってたのよ?』


 負けたクーやアネット自身だけでなく、褒められたルーミィさえもが落ち込んでしまった。

 確かに、僕だけが勝っても2対3で負け、兄さん次第だけど、アネットを連れて行かれたはず。こんな勝負、軽率に受けるべきじゃなかった!


『じゃあね、そろそろアルスを追い掛けるわ。弟君に負けたからって、逃げ出すことはないのにね』


 ニキが手を振りながら歩き去る。ラムとキュンも笑いながらその背中を追い掛けていく。



 ★☆★



 その後、僕たちは一言も話さず拠点に戻った。それぞれ考え事をしていた様子で、歓声やら野次やらが僕たちを止めることはなかった。


「ハル兄さまっ!」


 再び脳裏に現れていた黒髪長身の男は、ポーラの抱き付き攻撃によって霧散してしまった。


「ポーラ、どうしたの? ミールたちと一緒に――」

「ずっとギルドにいたのっ! でもね、兄さまが戦ってるって聞いて……」


 気づくとミールも僕の耳元に居た。珍しく蝶の姿で。

 そうか……2人とも、アネットを攫った犯人が兄さんだと思ってるんだな。


「みんな! 兄さんは犯人からアネットを助けてくれたんだ。成り行きで決闘になっちゃったけどね」


 玄関に集まってきたカナやラールさんにも聞こえるように、僕は一部始終を説明した後、黙って聞いていたアネットが口を開いた。


『聞いて。私を攫ったのは鬼の角を持った2人組よ』


「「えっ!?」」

「そんな大事なこと、何で今まで言わなかったのよ!」


 ルーミィのツッコミはもっともだ。


「ルーミィもまだまだ子どもよね。アネットはわざととぼけた。ハルくんの愛を確かめるために。クーには全てお見通しよ。でも責めない、責められない。こんな一大事になっても、アネットの心の中には彼しか居なかったんだから」


「え……どういうこと?」


「クーにもアルスさんの真意は分からないけど、アネットはね、ハルくんが自分を守るために戦ってくれるのか知りたかったんでしょ。あそこで犯人のことを言うと、ハルくんのことだから戦わずに犯人を捜しに行ってたと思うし」


 赤面するアネットを見ると、クーの推理はおおよそ当たっているようだ。


「僕はアネットを、みんなを守るよ。そんなこと――」


 僕の言葉を遮るように、玄関の扉が開く。


 そこには、決闘の途中で逃げたアルス兄さんと、黒髪の長身の男が立っていた。



 心臓が高鳴る。

 兄さんが犯人とつるんでいた!?

 

 咄嗟に腰に吊るされた鞘に手を伸ばす。

 ルーミィたちは、事情が飲み込めていないようだ。



 黒髪が動いた!



『すまなかった!』


 いきなり僕の目の前で土下座する黒髪に、僕たち兄弟だけでなく、その場の全員が固まる。


 無言で頭を下げ続ける男を無視し、呆れ顔の兄さんが事情を話し始めた。


「お前の体当たりは効いたぜ。あの時、俺を受け止めてくれたのがこいつだ。ちょっと気になることがあってな、逃げ出したこいつを追い掛け、こいつの人捜しを手伝うことにしたんだ。だから、俺は負けてねぇぞ! そんなことより、捜していた奴がお前ハルだったのが驚きだ」


 黒髪が僕を捜していた?

 殺すために? いや、謝るため?


「貴方は……カムイさんやイルバネスさん、ニャンシーを殺した方ですね?」


 やっと状況が飲み込めた様子のルーミィたちが、僕の前に出て静かに黒髪の男を囲う。緊張の糸が見えたとしたら、ピンと張り詰めて今にも切れそうにぶるぶる震えていただろう。


『すまない。勇気と誠心を持って全てを話す。頼む、聴いてくれ』


 土下座をしたまま、男は心から願い出る。彼が本当のことを話すかは分からない。だけど、僕たちには彼の言葉を受け止めたいという思いが溢れてきていた。囲いが解かれ、緊張の糸が薄れていくのが感じられた。


 そして、ゆっくりと顔を上げると、男は話し始めた。


『俺の名はジュテという。信じるか信じないかは自由だが、フェンリル帝国の皇子だ。俺の連れが、いや……俺たちはこの大陸で多くの命を奪った。だが、俺はもう奪わない。償いをするために戻ってきてみたら、一人の若者に蘇生されたことを聞いた。俺はしばらく考えた。そして、一つの結論に達した。その後、ずっと捜していた。奇跡の力を持つ者を。ぜひ力を貸してほしい!』


 まっすぐに僕を見つめる黒い瞳……皇子、それも世界最強の国、フェンリル帝国の皇子?


「待て。お前、女だろ」


『……』


 兄さんの場違いなツッコミに、その場の全員が呆れる。


『なぜ分かったか訊いても?』


 えっ……本当に女性なの?


「見ろよ、この腕。俺の女アレルギーをなめるなよ? 」


『ははは……そういうことか。俺が女だと知ってる奴は俺の母様だけだったのにな。すまん、今は訳あって話せないが、確かに俺は女だ』


 女性と聞いたことで、仲間たちの緊張が逆に高まる。アディリシア王女がいなくて良かった……。


『女だが、それを武器にはしないからな?』


「いや、そういうのは狙ってない! それより、力を貸してほしいとは、どういうことですか?」


 皇子と名乗ったからか、女性だと聞いたからか、自然と敬語になってしまう僕。


『俺の部下――ライクウとテンクウ――を屠ってほしい。そして、奴らに殺された者を生き返してほしい』


「ジュテって言ったわね。相応の報酬は用意できるの?」


 ルーミィが秘書の仕事をする。彼女にとって身分は関係ないらしい。


『報酬か……今は俺自身だけだが――』

「「ダメ!!」」


 ポーラとクーの声が重なる。


「引き受けます」


 この人は皇子?なのに、異国に来て一人で苦しんでいる。僕なんかに土下座してまで。

 それに、身分や内緒の性別のことまで明かしてくれた。彼、いや彼女の、力を貸してほしいと切に願う姿勢に偽りはないと思う。

 罪もなく殺されていった人のためにも、僕たちがやらなきゃいけないんだ。


 力強く握手する僕とジュテをジト目が囲う。

 面と向かって見ると、黒髪だけどそれほど長身と言う訳ではない。アーシアさんと同じくらいの身長だと思う。

 それに、間近で見た笑顔は、皇子ではなく、間違いなくお姫様だった――。


 こうして、僕たちは鬼退治を引き受けることになった。



 この後、クロノス婆さんにシューティングスターの発動条件を確認したところ、会いたいと思うだけではダメだと分かった。詳しいことは恥ずかしくて口にできない……。

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