第35話 独尊の酔い

 いつもより早く目が覚めた。

 今日はいつもの小鳥のさえずりにではなく、悪夢によって目を覚まさせられたと言った方が正しいか。


 最近、何度も見る夢がある。

 巨大なサソリと戦う夢――仲間たちが必死に攻撃を避け、隙を見て踏み込み、しかし幾度となく跳ね返される。

 

 倒れていく仲間を見ながら、それでも俺の脚は動かない。

 夢の中だからか、恐怖ゆえか――涙は無駄に流れ続けるのに、俺の身体には力が湧き起こらない。


 そして、絶望の悲鳴を上げて目が覚める。



 布団は床にずり落ち、まるで寝ている間に窃盗の被害に遭ったかのようなベッド周辺の有様だ。


 現実に戻ってきても、夢の中と変わらないことが一つ。

 頬を伝って枕を濡らした涙――それを無造作に拭いながら、服を着替えて部屋を出る。



『おはよう! どうしたの、変な顔ね』

『またうなされてたのね……』

『今夜は私が一緒に寝てあげようか?』


 ドアを開けた途端、仲間たちの笑顔が迎えてくれる。


「お前ら、みんな生きてるよな?」

『当たり前じゃない!』

『弟君に生き返してもらったからね』

「もう死なないよな?」

『あの塔の上で見た、大きな光の扉を抜けたら天国なのかもしれないけど、もうこりごりよ』

『私はお花畑までしか知らないわよ?』


 3人を抱き寄せる。

 日向ぼっこの良い匂いがする。生を強く感じる。枯れたはずの涙が雫となって床を叩く。


 こいつらとの付き合いは長いが、死ぬ体験をさせたことは今回が初めてだった。

 俺は自分自身の力を完全に過信していた。回復魔法使いこそが最強だと思っていた。

 

 しかし、今回受けた王国の遺跡調査クエストで、その自信は脆くも崩れ落ちた。


 たかだかレベル20相当のエビルスコーピオンを相手に、ラムを失った。完全なる油断だった。巨大な尻尾に翻弄され、ハサミの射程を読み間違えた俺を庇い、ラムが斬られた。兎人族特有の華奢な身体が2つに離れた。そのときの彼女の表情は、今でも脳裏に焼きついて離れない。死を自覚しての恐怖?

 否――俺を救うことができたことへの満足、安堵の表情だった。一生忘れたくない。


 リベンジを誓って臨んだ再戦は、またも完敗だった。盾役の犬人族ニキがサソリの怪力で吹き飛ばされた。一瞬の隙が生じたその瞬間、薙ぎ払われた尻尾が猫人族のキュンを強襲……俺たちは、キュンを担いで逃げることしかできなかった。


 3度目はない。もう遺跡には挑まない。そもそも挑む必要もない。後から聞いたことだが、遺跡の最奥に到達することができた者は王国の姫と結ばれる資格を与えられるとか何とか……そんなの、こっちから願い下げだ!

 俺がこの世で最も苦手なものは人間の女だ。それを得るためだけに、大切な仲間を傷つけてしまったのかと思うと、やり場のない怒りを覚える。



『ねぇアルス、顔が怖い』

『またアレを思い出したの?』

『私の身体には傷すらないんだから、もう忘れてよ』

「あぁ。思い出したくはないんだが、忘れたくもないな」

『なにそれ(笑)』


 ラムの上着を引っ張ってお腹を見る。

 本当に傷一つない綺麗な身体だ。


『もう! セクハラはダメ!』

「あれ? 胸は削れたままじゃないか?」

『ばかぁ~!』


 いつも通りの日常。

 嫌な経験を挟んでも、このいつも通りの馬鹿な日常を取り戻すことができた。

 これも、俺の弟のお陰だ。しっかりと礼を言うべきだったか。あいつには俺も親父も苦労をかけっぱなしだからな。

 だが、俺自身があいつに劣っていることは一つもないんだ。礼なんて言ったら、それこそ兄としての威厳が損なわれるってもんだ。

 だから、これでいいんだ。

 とりあえず、何度目かの精一杯の自己正当化を行う。亜人モフモフを堪能しながら。



★☆★



 王都にあるエンジェル・ウィングの拠点(その男子トイレに設けられた転移ゲート)から、エンジェル・ウィングのティルス支部(やはり男子トイレ)に飛んだ俺たちは、魔力を失いげっそりするババア(母)を実家へ送り返すとすぐに、誰からともなく木剣を取り、修行に勤しんだ。


 悔しさが人を成長させる。敗北を糧にできる者こそが、真の勇者なのだ。俺たちはそのことを知っている。そうして強くなってきたのだから。


 適度に汗を掻いた後、寄った先の食堂で事件は起こった。


 いつも通り、すれ違う糞女どもの視線が俺に突き刺さる。

 もう慣れたもんだ。それを、ハエを追い払うが如くに片手で往なし(時には両手で往なすほど群がることもあるが)、しつこく言い寄る女には罵声を浴びせて撃退する。

 泣きながら走り去る女――悪いのは俺じゃない。俺は被害者なんだ。


 そのとき突然、肩を掴まれた。


『おい、軟弱野郎! イケメンだからって調子に乗るなよ? レディを泣かせるゴミ虫に、俺が正義の鉄槌を下してやる!』


 振り向くと、ピンク髪の男の顔が間近にあった。


 こういうウザい男に絡まれた経験も、両手両脚の指でも数えられないくらいある。女の前でカッコつけたがる男なんて、高が知れている。

 俺は、いつも通り、それこそ日常茶飯事の延長戦の如く、肩を掴む手を取り、大きく投げ飛ばす。


 はそこまでだった。


 投げられたピンク頭は、空中で華麗に反転し、何事もなかったかのように俺の目の前で着地した。


『遊んでやるから表に出ろ』

「ほう! 俺も遊び相手が丁度ほしかったところだ」

 

 俺の心の内側でくすぶっていたやり場のない怒りは、ピンク頭の笑顔を導火線にして一気に湧き立つ。

 俺を心配してか、騒動を敬遠してか、間に割って入った仲間たちを手で制し、通りの開けた場所に歩み出る。


 気が利く奴か、それとも阿呆な野次馬か。1mほどの棒切れを2本、俺たちの所に投げ入れてきた。

 

 お互い、自分から近い側の棒を拾う。


 長さ、太さ、重さの有利不利なんて拘らない。素振りすらいらない。武器を選ぶのは素人、俺が持てば木刀さえも聖剣となるんだ。


「謝るなら今のうちだぞ」

『いい度胸だな、掛かってこいよ』

「負けて虚しく謝るお前の姿が目に浮かぶぞ」

『俺は正義の代行者だ、負ける訳がない』

「勝った方が正義だろう?」


 無駄な問答を切り上げ、3mの間合いを一気に詰める。


 ピンク頭は全く動かない。


 左足で石ころを蹴り上げ、隙ができた側を強襲する!


 ピンク頭は、顔に迫る小石を手で覆うことをせず、中腰になって木の棒を一閃。


 激しい風圧は、小石ごと俺の身体を中空に吹き飛ばす。

 そして――目を開けたときには、既に勝敗は決していた。


 右手の甲を砕かれ、地に伏す惨めな俺。


 ピンク頭は、俺を嘲笑することもなく、そのまま背を向けて去って行った。


 

『アルス、大丈夫?』

「あぁ、油断した……」

『あいつ、相当強いわよ』

『一歩も動かず、触れることもせずに手の骨を砕くなんて……人間の業とは思えないわね』

『私たち全員でかかっても勝てる気がしないな』

「……」


 俺は相手の強さすら理解できないほどに弱いのか。何が最強だ、本当に自信を無くすぜ。


「追うぞ」


 俺はそう言うと、雑踏に消えて行ったピンク頭を追いかけて走り出した。


 どうしてそう言ったのか、俺自身も理解していなかった。

 リベンジしたい気持ちはないし、相手の正体が知りたいわけでもない。ましてや謝罪をしたいという気持ちなんて、さらさら存在しない。強いて挙げるならば、運命的な何かに惹かれたのかもしれない。


 俺のそんな気持ちを知ってか知らずか、ラムもキュンもニキも、笑顔で追いかけて来た。



 微妙な距離を確保しながら尾行を続ける。

 すると、ピンク頭は見慣れた建物に入って行った……。


『あっ、エンジェル……彼は、弟君のクランのメンバーなのかな?』

『そうみたいね。どうする? 私たちも中に入ってみる?』

「あぁ……そうだな」

『なによ、アルスってば弱気ね!』

「ん? キュン、お前……指輪はどうした?」


 俺にヘッドロックをするキュンの指にいつも嵌められていた指輪――鑑定の魔道具がないことに、今さら気づいた。


『あれね、言ってなかったっけ。弟君にあげた』

「だって、あれはお前の親の――」

『うん、大切な形見だけど、もっと大切な物が見つかったからいいの!』

『キュンってば、もしかして弟君に惚れたの?』

『まさか! ラムじゃないんだから……』

『なによ! ニキだって生き返してもらったら好きになっちゃうかもよ?』

「はぁ? どいつもこいつもハルを甘やかしやがって!」

『『妬いてる!』』

「うるせぇ!」


 四列横隊で、今朝ぶりにエンジェル・ウィングのティルス支部の門を潜る。

 静かだった建物内は、蜂の巣をつついたような喧騒に溢れていた。


『アーシア様、また街道沿いの宿場が襲われました!』

『目撃者を探せ! 西側5kmを封鎖せよ!』

『はっ! 直ちに!』

『アーシア支部長、食堂で乱闘騒ぎがあったようです』

『なんだと? またあの馬鹿じゃなかろうな?』

『馬鹿じゃない! 泣く子も黙る、そして美女が群がる聖騎士アスランだ!』

『やっぱり馬鹿じゃないか。今は馬鹿の相手をしている暇はないのだ……おい、抱きつくな!』


 ピンク頭に纏わり付かれた銀髪のダークエルフアーシア――ハルの所に居たアネットとかいうダークエルフによく似ている。あの娘が成長すれば、こんな美人になるのか。いや、きっともっと美人になる。


 妄想を膨らませていると、さっきまでアーシアに絡んでいたはずのピンク頭が、目の前に居た。


『アーちゃん、こいつだ! こいつこそが馬鹿だ!』

「俺を馬鹿呼ばわりとはいい度胸だが、俺にはアルスという名前がある」

『アルス? もしかして……ハル殿の?』

「俺はあいつの所有物じゃねぇ!」

『失礼しました。私はエンジェル・ウィングのティルス支部長をしているアーシアです。もしや、ハル殿の兄上ですか?』

「確かに、俺の弟の名はハルだ。そんな、俺があいつのおまけみたいな自己紹介は好かんがな」

『なんだと……お前みたいな馬鹿がハル殿の兄とは! 愚兄を持つハル殿に心から同情する』

『ねぇアルス……このピンク、もしかしてあの“蘇りし騎士アスラン”じゃない? いろんな意味で相手にしない方がいいよ……』


 ニキに手を引かれ、アーシアとアスランから一歩離れる俺たちに、アーシアが再び迫る。


『アルス殿! アスランの無礼を謝ります。それと、貴殿の力を借りたい』



 憮然とするアスランを置き去りに、俺たちは会議室でアーシアの依頼を正式に受けた。

 目の前で何度も頭を下げるアーシア。その度にチラチラ見える胸元に頬を緩ませながら、俺は、彼女が語るここ最近の不穏な事件を頭の片隅に積み重ねていった。


 街道沿いの宿場で頻発していた殺人事件――それが、次第に西へと飛び火し、とうとう王都でも起こったらしい。そして、我が愚弟ハルがその調査に乗り出しているとのこと。そして、噂では異国の魔剣士が関わっているとも……。


 弟が心配だという訳ではない。美女に嘆願されたこと、俺自身が弟に恩があること、さらに言えば、俺が弟より優れていることを証明したいという一身で、彼女の依頼を請けることにしたのだ。



『それで、鼻の下を伸ばしたアルスはまた王都に戻る訳ね?』


 ジト目で肘てつを放つキュンの言う通り、途中で宿場町の状況を確認しながら、2日間かけて王都に戻る。そこで弟と合流し、事件の解明に当たることになっていた。


「せっかくティルスまで来たのに、あいつのせいでまた王都に戻るのかよ」

『随分と嬉しそうに言うわね』

『また弟君に会えるからね!』

「こんな事件、俺たちだけで解決できるだろ」

『そうね、泣き虫で負け犬だけど、アルスは私たちの最強の勇者だからね』

「言ってろ」


 俺のデコピンが笑顔のラムを捉える。

 俺こそが、この世界の主人公なんだ。そう信じ、俺たちは颯爽と王都に向かって歩き出した。



 ★☆★



 平穏な旅が続き、あと半日で王都の大東門へ辿り着く所まで来たとき、鼻の利く犬人族ニキの表情が一変した。


『不審な奴らが向かってくるよ! 警戒して!』

「不審?」


 そもそも、東西に連なる大陸行路から2kmも南下して進んでいる時点で、俺たちも他人のことは言えない。

 こんな、魔物が現れるような場所をリスク覚悟で歩いている奴なんて、犯罪者かその予備軍くらいだろう。無難にやり過ごすことができるとも思えない。


『鬼人族? 違う……一応、人間かしら』


 鬼と人の匂いに違いがあるのか分からないが、目を閉じて嗅覚に集中するニキの言うことは信頼できるし、今までもしてきた。


『2人かな。ん?』


 兎人族のラムが、耳を立てて微細な音を聞き分ける。こうなったときは、俺と猫人族のキュンは、邪魔にならないよう息を殺して待つしかない。


『ごめん、3人だ。でも、3人目は口を塞がれているみたい』


 俺は今、とても嫌な顔をしているだろう。

 想定されるのは人攫い。言い換えれば、正々堂々と戦う勇気も力もない弱者だ。その弱者に捕まった奴はさらに弱者だと言えるが、そこまで弱い奴なら助ける価値がある。

 俺のような生態ピラミッドの頂点に属する者にとって、下層の弱者は捕食対象カモであるが、最下層の弱者は救済対象ネギである。下層は俺を畏怖するが、最下層は俺を賛美するのだから。カモを狩ってネギ畑を救うのは、最強者である俺の当然の義務だろう?


「助けるぞ! 人命救助が最優先だ!」


 嬉しそうに戦闘準備をとる亜人たちに、次々と指示を出す。

 俺とニキが交渉及び防御に徹し、木陰に隠れたラムが遠距離から魔法で牽制する。そして、茂みに伏すキュンが隙を突いて捕らえられた者を救出する――地の利を利用した、急造にしては及第点の作戦だ。



 目視可能な範囲に入った。ラムも、とはよく言ったものだ。2本角と1本角の鬼――兜に付けられた角ではなく、頭部から直接生えているそれは、到底人間には思えない異形だ。

 2人(2体)の異形は、動じることなく大きな麻袋を引き摺りながら近づいてくる。


『なによ、このにおい!』


 涙目で訴えかけるニキには悪いが、俺には全く臭いは届かない。


『あ、こっちはあの子よ! 弟君の所に居たダークエルフ――』

「アネット?」

『そう、よく覚えてるのね』

「それが俺の長所だからな!」


 アネットが鬼に捕らわれている? どうして? ハルは知っているのか?

 いくつもの疑念が湧き起こるが、俺がすべきことはなんら変わらない。彼女を助ける、その一点のみだ!


「止まれ! 人攫いを見逃す訳にはいかないな。死にたくなければその娘を置いて立ち去れ!!」


 右手を左下から右上に振り上げる。纏った黄金色の魔力が、天空へと駆け上がる。それはまるで聖剣を振り抜いたかのような荘厳さを帯びた一撃に見えたろう。

 我ながら、バッチリ決まったと思う。


 鬼たちは、その場で何かを囁くと、精一杯の脚力で逃げ出して行った。

 追い討ちは不要だろう。あのピンク頭のアスランのように、ここは堂々と見逃すのが強者だ。


 満足げに腕を組んで笑っていると、茂みから出てきたキュンに尻を蹴られた。


『あれって、どう見てもアーシアが言ってたじゃない! 追わなくていいの?』

「なんだと!? もっと早く言えよ!」


 既に異形たちは森の中に姿をくらましてしまっている。だが、人命救助という目標は達成することができた。



 俺たちの目の前に残された麻袋の口紐を解くと、中からは満身創痍のアネットが出てきた。

 俺と目が合うと、ばつが悪そうに頭を下げてきた。お礼のつもりだろうが、そういう気の強い女は大好きだ。愛を込めて回復魔法を捧げよう。


「愛の力を受け取れ! パーフェクト・キュア!」


 俺の右手から迸る黄金色の光がアネットを包み込む。手足の擦り傷も、顔の痣も、そして千切れた髪でさえも完全に回復する。

 これこそが、俺が俺であることの証。世界に選ばれた最強の力だ。


 呆然唖然とするアネットに優しく微笑み、告白とも取れる言葉を投げかける。


「俺と一緒に来るか?」

『……ハルの所に、王都に連れて行ってください……きっと心配してる』

「あんなヘタレの何が――」

『ヘタレなんかじゃない。きっと誰よりも強い!』


 脈なしだな!

 でも、あれが強いと言うのは違うだろ。


「俺の方が強い。もし、それを証明できれば俺と一緒に来るんだな?」

『……』

「沈黙は承諾のしるしだと受け取ろう」

『いや――』

「いやぁ、鬼さんから美女を救った! 今日も良いことをしたなぁ!」

『……』


 強引に話を切った俺は、背後からの3人の飛び蹴りをかわし、王都に向かって走る。

 俺は弟との一騎打ちを決意し、大きく空を見上げる。太陽は雲に隠れ姿を見せようとしない。


 振り返ると、なぜかしきりに謝るラム、アネットを背負うニキ、背中を擦りながら励ますキュンが遅れて追いかけてくるのが見えた。

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