第34話 皇子の悔い

『ジュテ皇子、そろそろ到着いたします』


 革の軽鎧に身を包み、頭に2本の角を生やした屈強な男――ライクウが慇懃無礼に声を掛けてきた。


「あぁ。着替えるから先に行ってろ」


 俺も素っ気無く返す。

 およそ1ヵ月間も同伴しているとは言え、距離感は変わらない。俺自身、こいつらと馴れ合う気がさらさら無いうえ、こいつらも俺を主と認めていないのだから。



 脇に置いた、銀狼が刻まれた鞘から長剣を抜く。

 研ぎ澄まされた刃に映る沈痛な表情――産毛すら生えていない顎を擦りながら、長旅で痩せこけた頬を見つめる。



「はぁ……」


 ベッドから身を起こし、用意された装備を身に纏いながら深い溜息が漏れ出る。



 正直、今回の使命は気に食わないことばかりだ。


 同伴のクズ共もウザければ、旅の行き先も魔大陸ロンダルシアときた。

 そもそも、世界に冠たるフェンリルの皇子である俺自身が動く必要はあるのか?

 俺は宮殿で女たちと遊んでいる方が好きなんだが……今はムキムキの男2人とのむさ苦しい船旅。10代最後の夏を迎える俺には苦痛でしかない。


「まぁ、俺は俺のやりたいようにするだけだがな」




 魔大陸ロンダルシアの、フリージア統一王国を探る為に潜入させたスパイから連絡が入ったのは、つい1ヶ月前のことだった。


 父である皇帝の命を受け、俺たちはその3日後には帝都を出立している。


 何がそう急がせるのか。

 その最たる理由は、帝国を東からむしばむリード王国の存在だろう。


 両大国は現在、東の国境を接するに至っている。

 しかし、そこは険しい山脈で隔てられており、国境が画定して久しい。

 かつて、帝国が誇る大将軍がそこを越えようとして全軍と共に命を散らしたそうだ。逆に、東から侵略しようとした敵国も同様の結果を何度も経験しているとの噂も耳にする。本当かどうかは眉唾物だが……。

 山脈越えの奇襲なんて、成功しても犠牲はつきものだ。人間に勝てずして自然に勝てる訳がない。

 自然の方がより強者であろう?


 帝国が恐れるのは、リード王国海軍だ。

 10年以上前、帝国は中海の制海権を失った。あの黒い悪魔――巨大戦艦ヨルムンガンドの威容が脳裏を掠める。

 しかし、リード王国最大の強みとされる海軍の主力は単なる海賊。海岸線から1km以内にある帝国の町は、尽く被害に遭っている。


 他者から富を強奪する海賊に憧れるリード王国は、野蛮国家の骨頂だ。

 世界の秩序を守る為、世界帝国たるフェンリルに課せられた使命こそ、リード王国の征討!


 そんなことは誰もが知っている!


 では何故、俺たちが商船に紛れ込んでロンダルシア大陸に渡ろうとしているのかと言うと、リード王国へと繋がる魔法陣……その確保こそが、帝国の最優先事項だからだ。

 当然、ロンダルシア大陸の征服や統治は全く考えていない。

 というのも、“魔大陸ロンダルシアに手を出してはいけない”という全世界の共通認識は、数千年を経た今でも変わることはないだろうから。

 それは、過去数度にわたる戦争での敗北の経験のみで簡単に語られるものではない。


 “神や魔王”そして“勇者と魔法”――そんなあり得ない力を持った化け物たちが跋扈ばっこする大陸への畏怖。

 そう、羨望や憧れの念を抱く者は、決しているはずがないのだ。



 ★☆★



「これが魔法の力……」


 ノースリンクと呼ばれるロンダルシア大陸北方の貿易都市に上陸した俺たちは、早速洗礼を受けていた。


 この大陸には魔法が存在する――噂では聞いていた。

 ただ、手品や呪いの類だと思い込んでいた。


 しかし!

 その奇跡の力を目の当たりにした俺は、完全に圧倒されていた。


 島から大陸へと渡る魔法陣、夜道を照らす光魔法、擦り傷を一瞬で癒す治癒魔法、飲めど飲めど湧き出てくる水の魔道具、空飛ぶ鳥を射落とす風魔法の矢、道を塞ぐ大木すら焼き尽くす火魔法……。


『皇子、残念ながら……』


「分かっている!」


 そう。

 俺たちには魔法が使えない。


 それは既知の事実だ。

 魔法は、ここロンダルシア大陸独特の文化であるから。

 それが、先天的な理由――つまり遺伝によるのか、それとも、後天的な理由――つまりこの大陸特有の魔素環境のなせる業なのかは判別出来ていないが、少なくとも大陸の外から来た者が10年程度ここで過ごしたところで得られる力ではないことは明白らしい。



 ノースリンクに上陸してから3日が経つ頃、隊商からこっそり抜け出した俺たちは、馬を走らせて王都へと向かっていた。


 大陸最北端の町ヴェルデを南下し、城塞都市チロルを通り過ぎる。そこからさらに南西に向かって、自治都市フィーネを素通りし、大陸を東西に結ぶ街道に至る頃には既に20日が過ぎていた。


 大都市での宿泊は避け、街道沿いの宿場町で宿を取る。

 場合によっては野宿も厭わなかった。



 父には正妻と副妻がそれぞれ2人、それ以外にも妻と呼ばれる女は10人ほどいる。俺は第二副妻の三男……既に野心の牙は抜け落ちた。

 皇子とはいえ、俺の継承順位は低い。

 周囲の対応もそうだが、俺自身も皇族としてのプライドは持ち合わせていない。元来、我が一族が遊牧騎馬民族ということもあるが、粗食や野宿にすら慣れてさえいる。


 時々現れる魔物は、遠距離からの弓矢で弱らせ、包囲して短剣で仕留めていった。


 俺の駒として、または見張りとして付いてきた2人の男――2本角のライクウ、1本角のテンクウ――は、正直に言って俺より数段強い。何より、狩猟技術に長けている。そして、何より……容赦がなかった。それもそのはず、こいつ等には特別な力が与えられているからだ。

 俺のような一般人とは訳が違う。



『ジュテ様、処分します』


「その必要があるのか?」


『我々は顔を見られています。始末するしかないでしょう?』


 既に、無表情で斬り捨てた後の会話だ。

 俺の許可を得ようと言う気がないことは分かっていた。


 俺たちが泊まった宿屋の主人は尽く殺された。

 時には宿屋ごと火を放って証拠を消すこともあった。

 そんな日が何度も続いた。


 だから、俺は極力野宿をするように仕向けたんだ。




 大陸第2の都市ティルスを通り過ぎた時、夜営をする俺たちを訪れる人影があった。


『夜分にすまない。話を聴かせてほしい』


 女だ。

 それも、月夜に映える美貌……。


「あぁ、構わない」


 部下たちは警戒し、既に抜剣している。

 俺はそれを目で制しながら、彼らと女の間に身体を挟むように動く。


『最近、街道沿いの宿場町で殺人事件が続いているんだが、そなたたちは何も知らぬか?』


 そう尋ねつつも、どうやらこの女は俺たちが犯人であると確信しているように見える。


「申し訳ないが、宿場町には縁が無いんだ。見ての通り、俺たちは一文無しの故に毎晩野宿さ。役に立てなくてすまない」


 多少の発音に違いは有るだろうが、言葉の壁はない。

 両手を大げさに広げ、身振り手振りと笑顔で敵意のないことを伝える。

 少なくとも、会話から俺たちの素性が漏れることはないと思うが、背後から今にも襲いかかろうとする殺気を感じ、早々に話を切り上げようとした。


 ピンと伸びた長い耳が鋭く動き、周囲の気配を探っている。


『そうか。もし何か情報があれば、ティルスにあるクラン「エンジェルウィング」まで連絡をしてほしい。邪魔をしたな』


 彼女は毅然とした態度でそう言い放つと、踵を返し、優雅にマントを翻して去って行った。



 これが伝え聞くエルフ……いや、褐色の肌、銀色の髪……ダークエルフという種族か?

 白を基調にして青と赤で装飾された装備、宝石のような瞳、魅惑の身体……何と美しい……帝国中を探してもこれ程の女には巡り会えないだろう。


 部下たちの剣を収める音で、俺は現実に引き戻された。


『ダークエルフが5人、人間の騎士が1人……』

『どいつもかなりの使い手だ』

『特にあの女、我らと同じ匂い……』

『後ろに居た騎士も只者ではないぞ、あれが勇者か』

『魔法を考えると逃げることすら危うかろうな』

「あぁ……しばらくは目立つ行動は避けるべきだな」


 後に得た情報によると、彼女――褐色のダークエルフの名はアーシア。その背後に居た騎士は、蘇りし聖騎士と呼ばれるアスラン。どちらも帝国騎士団長クラスの強さらしい。あの時、事を構えずに済んだのは運が良かったと言うしかないだろう。



 ★☆★



 数日後、俺たちは王都に潜入しているスパイの拠点に到着した。


『オウジサマミズカラ!? ナゼ……』

「俺も知らん! そんな詮索はいいから、その魔法陣とやらの詳細を早く説明しろ」

『ハ、イ……』


 この、帝国に巣食うゴブリンと猫を秘薬により掛け合わせた擬似魔物の類は、2年ほど前からこの大陸の魔法文化を調査する為に潜入しているそうだ。

 彼(彼女)は数日前、王都の北にある廃坑に、かつて東方の島国が古代ロンダルシアと接触を持っていたとのきの連絡手段(転移魔法陣)があるとの情報を得たらしい。


 事は一刻を争う。

 リード王国に勘付かれる前に魔法陣を確保し、侵攻の準備を整えねばならない。



 その後、すぐに俺たちは廃坑へと向かった。


 しかし、肝心の場所が不明瞭だった。


 部下に任せると問題が起きるのが確実なため、俺自身が旅人を装って訊かざるを得なかった。


 通りすがりの男から得られた情報から廃坑を見つけることはできたが、半日に及ぶ調査の甲斐もなく、何ら収穫を得られぬまま、王都の南側にあるスパイの隠れ家に戻ることになった。



『明日も調査をしますか?』


 長旅の疲れも見せず、1本角のテンクウが無表情で俺に問いかけてくる。


「あぁ。ただし、あのスパイ……情報源が同族と言っていたから信憑性に欠ける情報だ。エサ欲しさに出鱈目を言ったのではないかとも思える。明日は廃坑の周辺を広めに調べてみよう」

『承知いたしました』

『――静かに、追跡されているようだ』

『まさか、さっきの男が我らの情報を漏らした?』


 聞き耳を立てると、崖下から会話が聞こえてきた。

 こっそり見下ろすと、山道を歩いてくる冒険者4人を目視できる。


 何の理由もなくこんな山道を登ってくる奴は居ないだろう。

 恐らく、いや……絶対に俺たちを探っている。


 以前に出会ったエンジェルウィングの手の者か?

 それとも、リード王国のスパイか?


 俺たちは崖の上に潜み、冒険者たちが通り過ぎるまで息を殺して待つことにした。


 しかし……。


『崩落だっ! みんな逃げろっ!』


 また勝手なことを!


 ライクウが崖の先端を火薬で切り崩し、冒険者を抹殺に掛かった。


 俺は崩落を抑えるために飛び込もうとしたが、一歩遅かった……。


 崩落した大岩は、勢い良く崖を転がって冒険者を襲う!


 しかし、リーダーと思しき男が身体を投げ出し、岩を抱え込んで投げ捨てた。一瞬だが、その男と目が合ったような気がした。

 何という度胸、何という勇気!


 相手に対する、賞賛と敬意が満ちる。

 部下に対する、憎悪と憤怒も満ちる。

 そして……自分に対する、後悔と懺悔。


 俺は無意識に地面を踏み鳴らし、気持ちを切り替えた。


「行くぞ」



 ★☆★



 それから数日、俺は誰とも一言も言葉を交わしていない。

 部下を隠れ家に残し1人で廃坑周辺の調査を行ったが、何も収穫を得ることは叶わなかった。


 しかし、想定外の問題が新たに起きてしまった。


 部下の暴走――。


 廃坑の場所を教えてくれた男を捜し出し、あろうことか帝国の秘薬を用いて毒殺してしまった。

 さらに今日、帝国のスパイだった魔猫も、リード王国との二重スパイ疑惑を根拠に始末したとの報告を受けた。


「…………」

『偽装工作は万全なので心配無用です』

「目立つ事をするなとあれほど――」

『死人に口無しでございますよ』

「俺は人殺しをしに来たんじゃないぞ」

『ここは魔大陸です。人間だと思いますな。人間の姿をした魔物だと思いましょうぞ』

「お前らこそ人間の皮を被った化け物だろうが! もういい、今後はお前たちとは別行動だ!」


 珍しく癇癪を起こした。

 扉をガシャンと閉め、隠れ家から走る。

 振り返ったら負けだ……。


 追いかけて来ることなんて期待しない。

 止められても戻ってやるものか。



 走り続けて息が切れ掛かったからか、俺は次第に頭が冷静さを取り戻してきた。


 このままあの馬鹿共と一緒に居たら必ず尻尾を捕まれる。

 膠着状態にあるリード王国との関係を打開するという、帝国の命運を懸けた一手が遠退いてしまう。それだけは絶対に避けたい。ならば、精々陽動をしてもらいながら俺が動くしかないだろう。最初からこうしていれば良かったんだ。


 異国の地で独りきりになってしまった不安を払拭するためだろう、俺は敢えて肯定的なことばかりを考えている。


 この大仕事は俺にしかできない。

 今は振り向かずに前に進むしかない。


 そして俺は、情報を得るため、単身王都に潜入した。

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