第30話 兄弟の諍い
アリとキリギリスという童話がある。
とっても有名な話なので、どの国にも、どの世界にも似たような話はあると思う。
ある里にアリとキリギリスが住んでいました。
ある日、キリギリスはアリに言いました。君、足が遅くて残念な奴だね。俺と競争しないか? アリは競争なんてしたくはありませんでした。しかし、神様から授かった大切な生命、その可能性を知りたくてキリギリスの勝負を受けました。
遠くに見える丘の上のゴールを目指し、キリギリスは猛烈な勢いで飛びました。それに対し、アリはゆっくりゆっくり歩いていきます。アリにとってはそれが精一杯の努力でした。
ゴール直前、勝利を確信したキリギリスは、あまりの余裕から、道端の草を食べてお昼寝をしてしまいました。一歩一歩、一生懸命に歩むアリは、やがてキリギリスを追い越します。そして、誰もが信じられない勝利を勝ち取ったのでした。
でも、実はこのキリギリスが寝ていなかったとしたら話は変わってくる。いや、寝ずにそのままゴールを翔け抜けたのではなく、眠っている振りをしていたら、という意味だ。
自分の限界を決めつけ卑屈になっていたアリを、己のプライドを犠牲にしてでも成長させようと考えたキリギリス。僕はアリ側だから真実は分からない。キリギリスに尋ねてみないことにはね――。
宿屋の一室。
そこには、すがるような視線を投げかけてくる犬人と兎人、ベッドに寝かされている猫人……そして、金色に輝く毛皮のローブをまとった男が居た。
目深に被ったフードで、男の表情をうかがい知ることはできない。
でも、この刺さるような視線……。
あのストーカーだ!
僕たちは互いに目配せし、警戒を促しあう。
『ハル殿、助けてください! キュンを助けてください!』
必死の形相で叫ぶ兎人ラムさん。
ルーミィは僕の目を見て力強く頷く。
「分かりました」
胸の上で組まれている猫人キュンさんの手。
それを解き、胸に触れることは躊躇われた。
手の下から辛うじて下乳に触れる。
いや、これは正当なる報酬だ!
「魂よ蘇れ! レイジング・スピリット!」
部屋に満ちる銀色の聖光は、いつも通りにキュンさんの身体を包み込んでいく。
しかし……僕の左手には鼓動が伝わらない!
キュンさんの目は開かない!
ルーミィたちに動揺が走る。
でも、それ以上に動揺していたのは僕だった。
「どうして!? 」
リンネ様の力が失われた?
僕の邪な心が原因なのか?
膝の力が抜け、その場で崩れ落ちる。
床に蹲るようにして倒れる僕を、誰かが支えてくれている。涙で視界がぼやける……柔らかい感触が伝わる。僕を抱きしめてくれたのはクーだ。こんな時ですら雑念が止まない……力を奪われたとしても仕方がない……。
『どけ!』
自己嫌悪の連鎖に陥っている僕を、金色のローブの男が一喝する。
彼が右手をキュンさんにかざすと、部屋中に金色の波動が満ち溢れた……。
『愛の力を受け取れ! パーフェクト・キュア!』
金色の輝きがキュンさんを包み込む!
そして……ゆっくりとその目が開いていく……。
宿屋の食堂。
4人と4人が向き合って座っている。
金色の男と亜人3人、そして僕とルーミィたちだ。
『つまり、俺の劣化版のクセに調子に乗っていたということだな!』
「……」
いろいろな意味で言い返せなかった。
「でも、どうして貴方が……」
フードを下ろして素顔をさらけ出した男に、ルーミィが問いただす。
『王から直々に遺跡調査の依頼を受けてな!』
「それで、結界の中には入れたんですか……?」
『当たり前だろ! だが、前はラムが……昨晩はキュンがやられた……』
「結界の中に入った!? もしかして……王女様との結婚を望まれるのですか!?」
男とルーミィの会話に、クーが横槍を入れる。
僕は終始無言を貫く……。
『お前! 俺に話しかけるな! 間違っても触れるなよ? 俺はな、人間の女が大大大っ嫌いなんだ!! 王女だと? こっちから願い下げだ!!』
「……ルーミィはよくて、クーがダメな理由は……」
「違うのクー……この男……いえ、この人はね、ハルのお兄さんのアルスさんなの……」
『俺はアルスだ。女! こっちを見るな、横を向いてろ! ルーミィは弟の幼馴染でよく遊びに来たからな、免疫がある。他は駄目だ! いや、そこのダークエルフは歓迎するぞ! 俺のところに来い!』
『……』
呆然とするクーとアネットさん。
渋い顔でうつむく僕とルーミィ。
そう、この人は僕の兄のアルス。
生きていれば18歳になるはずの、死んだはずの兄――偽者かと疑って凝視し続けたけど、本物としか考えられない。
この天性の女嫌い、亜人好き、そして傲慢な性格……こんな人は兄以外に存在しないだろう!
「兄さん……父さんと母さんからは死んだと聞かされていました……事情を教えてください」
偽者なのか、幽霊なのか、やっぱり本物なのか、それが知りたい。
好奇心に負け、思い切って切り込んだ。
『あぁ……俺がラムたちと駆け落ちしたのは知らないのか。それにしても、勝手に殺すなよ!』
確かに、葬式は遠い場所でやったと聞いていたから遺体は見ていないし、兄は常日頃から旅に出たがっていた……僕は両親に騙されていたのか!
僕の純粋な涙を返せ!
『ついでに言うとだな、キュンはそもそも死んではいなかった……お前を騙したつもりはないぞ? 俺自身もてっきりキュンが死んだと勘違いしていたからな』
「どういうこと?」
『俺は世界最強の回復魔法使いだ。俺の力で蘇ったということは、死んだのではなく、仮死状態だったということだろう。お前を呼ぶ前に魔法を掛けておくべきだったな! はっはっは!』
「「……」」
笑い方から何から、全てが怪しい。
僕を騙して泣かせようという悪巧みの香りがぷんぷんする。仲間を使ってそこまでやるとは……人のことは言えないけど、相変わらずの下衆だな!
そして、絶対に何かを企んでる!
『それでだ、そのアネットというダークエルフが欲しい』
「断ります!」
『どうしてもか? 俺が王女争奪戦に参戦しない代わりに、というのは駄目か?』
「はい、駄目です」
『本人にだって男を選ぶ権利があるだろう? 誰がどう見たって、俺のほうが魅力的だろ!』
確かに兄はイケメンだ。
サラサラの金髪とエメラルドグリーンの瞳、そして何よりも誰よりも整った爽やかな顔……兄とすれ違った女性は必ず振り返るだろう。いや、実際に昔から振り返っていた。
僕が知っているイケメンとして、聖騎士アスランが挙げられる。でも、アルス兄さんはさらにその数段上をいっている。
ルーミィもクーも、そしてアネットさんも、アルス兄さんの顔を食い入るように見ている。
『どうだ?』
追い討ちをかけるように放たれた笑顔。
高速で繰り出されるウィンク……。
『お断りいたします。私はハル様と共に生きます』
アネットさん……。
「では兄さん、そういうことで! 僕たち、今日は忙しいんです。報酬はいりませんからね!」
プチ報酬は貰ったし。
唖然とした兄を無視し、僕たちは拠点へと戻っていった。
みんなの足取りは軽く、笑顔が溢れていた。それは、これから始まるリハーサルだけが理由じゃないと信じたい。
★☆★
「ハル君のお兄様!? ぜひ見てみたいです!」
「ポーラのお兄様でもあるんですよね、会いたいです!」
『……』
ラールさんの食いつきぶりが悲しい。
ポーラ……お前もか。お兄ちゃんは心から切ないよ。
心の友はミールだけだ。無関心すぎて寂しいけど。
「そのうち会えると思うよ。会いたくないけどね!」
僕たちは、明日コンサートが行われる劇場に来ている。
本当は来るなと言われたんだけど――。
でも、貴重な時間を兄の報告で潰すのは勿体ないということで、衣装合わせに付き合いながら報告することになったんだ。
それにしても……これは、スカート丈が短すぎる。
劇場がすり鉢構造のため、下から覗かれることはないと思うけど、転んだら一発で見えてしまうだろう。
恋人?彼氏?仲間?としては、他人に見せたくはない。
「短すぎる……」
呟きが漏れてしまった。
「この、見えそうで見えないところが良いのよ。服の構造上、脱がないと見えないようになっているの。クーも旦那様以外に見せる気はないから安心してね!」
脱がないと見えない→旦那様には見せる気がある→僕の前ではいつでも脱ぐよ……クーの赤面に説得されてしまった。
その後、幕を下ろした舞台の上で、歌やダンスのリハーサルが行われた。
舞台から追い出された僕は、観客席を縦横無尽に彷徨った。
どこが最もスカートの中がよく見えるかの角度研究――ではなく、不審物がないかとか、警備上漏れがないかという観点から。
一応、明日は最前列で父や兄たちと鑑賞する予定だ。
兄は来たがらなかったが、興味津々の亜人メンバーたちに強引に連れて来られるらしい。
歌声がホールに響く。
明日はダンス少な目で、歌中心になるらしい。
「はい、みんなお疲れ様!」
「『お疲れ様でした!!』」
夕方6時まで続いたリハーサルがやっと終わった。
僕は、明日の模擬戦のイメージトレーニングをしながら寝入ってしまったようだ。
やばい!
告白と、プレゼントの準備をしていない!!
★☆★
夕飯の食卓を囲みながら、プレゼントの相談中だ。
「報酬で貰った指輪は?」
「貰い物をあげるなんて駄目でしょ」
「天使の羽は?」
「絶対に嫌!」
『ハルのパンツ……』
「「絶対に駄目!」」
『ミゥをあげましょうか』
『ミール姫、目が怖いにゃぁ……』
「服、お金、竜泉水……」
「王女様が喜ぶとは思えないわ。どうせなら、この世に一つしかない物が良いと思う」
「この世で唯一の物……僕が持ってる短剣は? 父さんが婚約代わりに母さんにあげたもので、好きな人ができたらあげようかと持ち歩いてるんだけど」
「「絶対ダメ!!」」
「それ、クーが貰う!」
『ワタシにちょうだい』
「ご主人様の手作りが喜ばれるのでは……私なら感動して泣きますね」
お姫様抱っこ事件で悪化したカナの機嫌は回復したようだ。
それよりも、後半の、独り言のように赤面しながらボソボソ呟く姿が気になる。
「カナありがとう。うーん、手作りか……」
「ハンバーグ!」
『たっぷり甘いケーキですね』
「逆に、激辛のお菓子とかは?」
「いやいやいや……食べ物はやめておこうよ! 王族にあげるとなると、毒見とかあるだろうし。激辛とか、泣かせる方向が違うだろ」
『クロノス様に相談しますか?』
「トイレに行けば会えそうだけど……魔力を吸われるからやめておく!」
『フェニックス様は?』
「尻尾を抜かせてもらう? あれって、命を守るレジェンドアイテムだっけ?」
「でも、手作りじゃないですよね……」
「そうだね……」
カナは手作りに拘るね。
「カナなら、何をもらえれば嬉しい?」
「えっ!?」
「ハルくん……そういうの聞いたらあげなきゃダメなんだよ?」
そういうもんか!
今さら断りにくい……。
「うん、いつもお世話になってるし。言ってみて」
女性陣のジト目が痛い。
「そうですね……スが欲しいです」
「ス?」
「キ・ス、です……」
「『……』」
地雷踏んだ……。
キスって、そもそも手作りじゃないでしょ。
突っ込むべきか、突っ込まざるべきか……真っ赤に茹で上がって頬を両手で包むカナ、どうしよう。
困ったときはルーミィ頼みだ!
とりあえず、ルーミィを見る。
えっ?
笑顔で頷いている?
やるっきゃない!
「カナ……」
僕はカナの前まで行き、椅子に座って僕を見上げるカナに顔を寄せ、唇を重ねる。
「「っ!!」」
カナだけでなく、全員が驚いている!?
「ハル……誰が口にしろって言った!」
「えっ……」
だって……ほっぺは両手で塞がれていたし、おでこには前髪が掛かってるし……って、こんな言い訳をするつもりはない。
「カナだって大切な仲間だから」
「そうだけど……」
『うん、確かにそう』
「キスまでなら許すわ」
「そうね、キスまでですよ」
「カナちゃんならいいよっ!」
『……』
無言で微笑むミールも含めると、全員が肯定してくれたみたいだ。
僕の目の前で、カナが嬉し泣きをしている。
うん、みんな仲良し!
「と言うことは、アディリシア様にもキスをプレゼントするということ?」
クーの一言で感動の場面が修羅場に戻る……。
「えっと……キスは手作りじゃないから……」
今さら突っ込んでみたけど、効果はなかった。
「頬かな?」
「おでこでしょ!」
『手の甲が基本』
「それだと単なる挨拶、プレゼントにならないでしょ?」
「口は絶対にダメ!」
う~ん……一択か、他の選択肢はないのか。
でも、今から買いに行ったり作ったりは厳しい。
タダだし、突っ走るか!
「分かった。ほっぺか、おでこだね。その場の雰囲気で決めるよ」
ふぅ……これでプレゼントは決まったよ。
これなら父さんと被る可能性はなさそうだ。
「あと、告白は?」
「そんなの自分で考えなさいよ!」
突き放すルーミィ……協力してくれるって約束してくれたじゃん!
てか、どうして僕が王女に告白しないといけないのかが、未だに分からない!
「ハルくん! クーにしてくれたみたいな告白なら、絶対に勝てるよ!」
「私もそう思います!」
「お兄様はポーラにも素敵な告白をしてくれましたっ!」
「はいはい、恥ずかしいからその辺にしておきましょうね! これも、その場の雰囲気で何とかするよ……未だに告白しなきゃいけない意味が分からないし」
変な流れをぶった切って相談を締める。
あまり有意義ではなかった……いや、カナと仲直りできたのは良かったか!
★☆★
夜、アネットさんが僕の部屋に入ってきた。
「アネットさん? 眠れないの?」
『“さん”付けはやめてよ。アネットでいいから!』
「え、あ……はい。アネット、眠れないの?」
『そういう訳じゃない。ただの夜這いだよ』
夜這いって……。
『さすがに明日のコンサートで腰が重かったらクーに悪いからさ、今日は一緒に寝てくれるだけでいい』
「うん……分かった」
アネットの気持ちが伝わってきた。
アルス兄さんに猛烈に言い寄られて、僕が断りきれなかったからだ。捨てられると思って不安にさせてしまった……。
布団の下で僕の手をぎゅっと握り締めてくるアネットの目を見る。
「今日は不安にさせてごめん。一緒に幸せになろうね」
潤んだ瞳が僕を見つめてくる。
その後、アネットとたくさん過去話をした。
僕の兄のこと、アネットの姉のこと……両親のこと、友人のこと……。
アリとキリギリスの童話には、実は続きがある。
アリとの競争に負けたキリギリスは、その後、同じ里のキリギリスたちから仲間外れのイジメを受け、里を飛び出す。そして、ヘビに命を狙われてしまうんだ。しかし、己の知恵と努力、そして仲間の協力を得て、そのヘビをやっつける。
そもそも、キリギリスにとって、アリはライバルでも敵でもなかった。敢えて言えば、弟のようなものだった。ヘビをやっつけたキリギリスは、その後も一生アリに再会することがなかった。しかし、陰からずっと守り続けていた。
兄と再会してからずっと、僕の頭の中にはこの話が渦巻いていた。
話の続きで、もし、キリギリスがアリと再会したらどうなったのだろうかと考えていた。
今度は、2人は対等のライバルになるのだろうか。仲間になるのだろうか。敵には……ならないはずだ、と。
百面相のように表情を変える僕を見て、アネットは可笑しそうに笑う。
世界はアリとキリギリスだけじゃない。里にはたくさんの仲間がいる。僕にだって愛しい仲間たちがいる。アリもキリギリスも、きっと幸せだったに違いない。
アネットの柔らかい世界に包まれ、僕は笑顔で夢の国に旅立った。
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