第28話 魔王の祓い

『んっ、んっ……』


「目が覚めましたか?」


『……』


 僕の目の前には生き返ったチェルシーさんがいる。

 一応、シャツだけは着せてある。

 さすがは巫女服、この透け感が素晴らしい。みんなにも買ってあげないと。


 アネットさんが起きる前、早朝にラールさんだけを連れて神殿に来ているので、今日の変態活動を咎める者は誰も居ない。

 だから、少々頑張った。

 だって、こんなチャンスは滅多にないんだもん。

 もちろん、出来る限りは自重したつもりだけど……チェルシーさんの表情がやたらと険しい。やり過ぎたか……。


「チェルシーさん、あなたは生き返りました。辛い記憶もあるかもしれませんが……」


『誰の依頼で私を蘇生させた?』


「はい。ギルドを通じて依頼をしてくださったのは、“信者一同”ということになっています」


 いつの間にか僕の横に居たラールさんが代わりに答えてくれた。もしかして、一部始終を見られていた!?


『あいつらか……どこまでも貪欲、どこまでも他力本願な者共だ。奴らはどこに居る?』


 不敵な笑みを浮かべるチェルシーさん。

 うん、こういう氷の微笑というのも良いものだ。


「依頼主様は神殿の外で待っています。チェルシーさん、依頼報酬の件ですが、依頼主様からご本人と相談してくれと言われております」


 秘書代理のラールさんが報酬に切り込んでくれた。こういう空気の中では僕にはできない交渉だよ。さすが癒しのラールさんだ。ルーミィみたいな土足の交渉よりはずっと温かいね。


『ふむ、報酬か。呪いたい相手があれば申し出るが良い』


「んあ? 強いて挙げれば僕の父さんですけど……ヴァルスという糞人間ですね」


 意味が分からず変な応答をしてしまった。

 ラールさんが苦笑しながら固まっている。


『くっくっく……これは傑作! 親子の殺し合い、親子の禁断の愛は大禁忌の象徴。新しい人生における最初の仕事としては最高だよ』


 えっ?

 どういうこと?


 僕とラールさんは顔を見合わせる。

 答えは自ずと出た……この人は悪者だ!


『して、生け贄はこの娘か?』


「えっ!」


 起き上がったチェルシーさんから黒い腕が何本も伸びてきて……ラールさんを掴む。


「何をするんですか! ラールさんを離してください!!」


『あん? 私の正体を知らずに蘇生したのか?』


「えっと……神殿の巫女様、ですよね」


『くっくっく……これは滑稽!』


 そう言うと、チェルシーさんは突然シャツを脱ぎ始めた。

 僕は咄嗟に両手で顔を覆ったけど、はだけた胸元の誘惑に負けてチラッと見てしまった。


「それは……」


 さっきまでは無かった……。

 死神を象った漆黒の紋章――それが、彼女の豊かな胸元の下、腹部にあった。

 流れる血のように、濃い紫色の光が煌き、不気味さを増している。


『古の魔王メノムの血を引きし魔女。喜べ! 私を復活させたお礼に、お前の両親とこの娘の命を喰ってやる』


「「えっ!」」


 やばい!

 魔王とか、やばすぎる!

 そうだ、対蘇生!


 僕は右手で魔女チェルシーに触れようと飛びつく。

 しかし……既にチェルシーの身体は黒い霧状に霧散し、渦を巻くかのように消えていった。ラールさんも……。


「待て!!」


 僕の悲痛の叫びも届かなかった。


 僕は無我夢中で捜した。

 この部屋の中、神殿の中――。


 しかし、神殿の地下室には転移や召還に関わる物、チェルシーの正体に関わる物は何一つとして無かった。

 神殿内も隈なく走り回ったが、惨殺された神殿関係者の姿のみが残されていた。

 そして、依頼主である“信者一同”の姿も、既に無かった。


 軽率だった!!

 ラールさんを危険な目に遭わせてしまった!!


 ここに1人で来るか、大勢で来れば良かった!!

 もっと早くに対蘇生の魔法を使うべきだった!!

 父さんを呪いたいって言わなければ良かった!!

 依頼内容をもっとしっかり調べるべきだった!!


 くそっ!!

 絶対に助けるんだ!!

 皆に早く伝えなきゃ!!


 僕は走った。

 焦りからか、ほぼ飛行していたのかもしれない。


 王都の拠点まで行くと、既に皆が起きて朝食の準備をしていた。


 その場で必死に説明した。

 号泣しながらだけど、何とか伝えようと努めた。


 チェルシーが魔王メノムの血を引く魔女だったこと。紫に輝く死神の紋章を見たこと。報酬が呪いたい者の名を言うことで、僕が父の名を言ってしまったこと。生け贄としてラールさんが捕まったこと。チェルシーから伸びていた黒い腕。対蘇生をしようとしたけど、霧散してラールさんごと消えてしまったこと……全てを正直に、正確に話した。


 話し終わった途端、気が緩んだのか全身から力が抜け、床に泣き崩れてしまった。


 皆が優しく抱きしめてくれた。

 厳しく叱りつけてくれた。

 僕の耳元では、必死に叫ぶルーミィの声だけが聞こえてきた――。


「クーは王宮に行って王様に連絡して! あたしはギルドに行く! アネットは転移ゲートを使ってアーシアさんたちに連絡。魔女チェルシーと魔王メノムの情報を調べて! 可能なら聖騎士アスランたちを連れてきて! ミールとミゥは妖精界、精霊界で同じく情報収集をお願い! ポーラはお父様を捜して連絡を! カナちゃん、ハルを少し休ませて。起きたら無理矢理にでも何か食べさせて! よし、みんな、時間勝負よ! 40分後、拠点前に集合!!」


 そして……僕は意識を失った。



 ★☆★



「魔女の森にチェルシーは居るのね?」


 僕はカナちゃんが作ってくれた朝食を口にしながら、ルーミィの元へ続々と集まる情報を確認中だ。

 どうやら魔女の森に向かうのは4人らしい。僕とルーミィ、アネットさんとクーデリアさんだ。魔女チェルシーが森に居るかは未確定で、他のメンバーは王都内や周辺を徹底的に捜索するとのこと。



『ハル少年、久しいのう!』


「ハナコ!」


『……クロノスじゃ』


 僕の目の前には水色の髪の少女が居た。僕がトイレに用を済ませに来たタイミングで。この精霊、もしかしてトイレに棲んでいるのか……。


『今、失礼なことを考えたじゃろ!』


「はい。でも、先にトイレを……」



「終わりました……」


『手を洗え』



「……洗いました」


『魔女の森への転移ゲートを開く。多大な魔力を要するが、背に腹は変えられぬじゃろ?』


「はい! 助かります!」


 そして……少女は僕にまとわりつくように抱きしめてきた。触れる柔らかな身体、奪われる唇……遠のく意識。

 気合と根性で、何とか気を失わずに済んだ。



 ★☆★



「なんでゲートが男子トイレの中なの?」


 クーデリアさんが頬を染めながらゲートを潜り抜ける。


『これも変態さんの趣味なんでしょ。クーも覚悟しておきなさいよ』


 アネットさんの発言でクーデリアさんが余計に赤く染まる。


「クーもいよいよ今晩大人の階段を上るのね」


 ルーミィの追い討ちでクーデリアさんから湯気が立ち上る。


「ラールさんを助けることだけ考えて!」


 魔力が吸い取られてフラフラな僕が精一杯叫ぶと、3人は真剣な顔に戻った。

 本当はみんな心配しているんだよね。緊張を解すように言い合っていたことは知っているよ。ごめん、僕が1番冷静じゃないとダメなのにね……。



『見て! あの建物がきっと……』


 朝露に湿る森を歩くこと30分、襲い来る魔物を倒しながら進むと、蔓植物に覆われている古びた館が目に入ってきた。

 高さ10mほどの、教会っぽい黒塗りの建物だ。黒い教会なんて見たことがないけど……。


 以前、ヴァンパイアのグスカが住んでいた居城よりはずっと小さい。そう言えば、あいつはもう悪いことをしてないよね、今度会いに行ってみるか……。


『止まって! 門番が居る。2体……ガーゴイルだわ。でも、何とか倒せそう』


 アネットさんが新しく覚えた“危険察知”は、レベル×10mを半径とした索敵スキルだ。アネットさんのレベルが14なので、半径140mの索敵が可能だ。ついでに言うと、相手の強さをある程度までは把握することができるらしい。


「クー、ガーゴイルをうまく引き付けて。あたしが左、アネットが右を片付けるわ。ハルは周囲の警戒をお願いね」


「『分かった!』」



 人間ならともかく、クーデリアさんにガーゴイルを引き付けることができるのか疑問だったけど、完全に杞憂でした。

 ガーゴイルに性別があるのか分からないけど、きっとあいつらは雄だ。可愛い子に惹かれるのは、人も魔物も魔法生物も精霊も同じなのかも……。


 レベル上げの成果が見られた。

 後方から瞬時に迫ったルーミィとアネットさんの剣戟は、あっという間にガーゴイルを斬り倒す。僕は2人の剣術に見惚れるだけで、何もできなかった。


「行くわよ! 作戦通り、臨機応変にね!」


「ちょっと矛盾しているけど、了解」



 門を開く。

 錆び付いた金属独特の、ギィギィした音が響き渡る。


 扉は施錠されていない。

 見張りも居ない。


 僕たちは慎重に扉の向こう側の気配を窺い、静かに開く。


 大丈夫、近くには誰も居なかった。


 中は薄暗い。


 2階は無いようだ。


 部屋を囲むように置かれた不気味な石像……鬼か悪魔か。そして正面には……巨大な鎌を持った死神の像があった。僕たちの身長の2倍くらいある。まさか、動き出さないよね……。


 アネットさんが指差す方向にみんなが注目する。

 像の前に置かれた台座の脇、階段だ。

 下り階段がある。地下があるのか……。


 階段入口を囲み、耳を澄ます。


 聞こえる!


 何かを唱える声……そして、悲鳴!!


 ラールさんの声だ!!

 僕たちの顔に緊張が走る。


 落ち着け……計画通りに戦えば大丈夫だ。

 ルーミィが大きく深呼吸をし、頷いている。


 幅1mの狭い階段を、ルーミィ、アネットさん、クーデリアさん、僕の順に降りていく。


 5mほど旋回して下ると、大きな扉があった。

 幅も高さも3mほどの木製の大扉――金属の取っ手が付いていて、両開きになっているようだ。

 僕たちは扉に張り付き、中の様子を窺う。


 禍々しく響く呪文の詠唱……今度はしっかり聞こえる。


 アネットさんが指で合図をする。

 右手の指を1本立てる……恐らく、魔女チェルシーが居る。左の指は10を示す。信者だろうか、配下だろうか、10人居るようだ。でも、想定通りだ!


 4人が掌を重ね合わせる。

 緊張で爆発しそうな心臓が、落ち着いていくのを感じる。

 頼もしい仲間たち。絶対に失いたくない仲間たち。もちろん、ラールさんもだ!



 僕とクーデリアさんで息を合わせて扉を開く。


 ルーミィとアネットさんが剣を抜き放ち、飛び込んでいく。


 部屋の中は……意外と広い。


 中央に祭壇、台座に赤い髪の人が寝かされている。

 多分、ラールさんだ。


 台座を囲むように黒いローブを着た奴らがたくさん居る。


 そして、見つけた!


 部屋の奥、死神の像の足元に置かれた燭台の前、呪文を詠唱するチェルシー!!


 ルーミィとアネットさんが左右から黒いローブを斬り捨てるのを眼下に確認しながら、僕は5m近い天井すれすれを飛んでチェルシーに襲い掛かる!


 右手を突き出し、対蘇生のスキルを発動する!


 左手は命を生む蘇生、右手は命を奪う対蘇生――僕に宿る対極の力。


 僕は初めて全力で命を奪おうとしている。


 考える余裕なんてない!


 今は全力で右手に魔力を込めるだけだ!



 くっ!


 あと一歩だったのに、気づかれた!


 例の黒い腕!

 影のような黒い腕が3本、4本と僕に向かって伸びてくる!


 捕まったらダメだ!


 辛うじて左に身体をねじってかわす。


 転がるようにして避ける僕に、次々と腕が迫り来る!


 そうだ、作戦その2!


 アイテムボックスから聖水の瓶を掴み出し、チェルシーに向かって投げつける!


 当たった!

 効果は? 分からない!


 でも、一瞬怯んだ隙に体勢を立て直し、背後からもう一度チェルシーに飛び込む!


 また!


 チェルシーが咄嗟に霧状に変化し、姿を消す!


 転移!?


 振り返ると、ラールさんを抱きしめながら結界魔法を発動するクーデリアさんが見えた。

 ルーミィたちも必死に戦い続けている。


 よし! 作戦その3だ!


「フェニックス!!」


『承知!』


 瞬時に召還されたフェニックスが、咆哮とともに光を放つ!


 見えた!


 光に照らし出された影、2本の角を有する死神の姿!

 それが、大精霊が放つ聖なる光を浴びて再び実体化しようとしている!


 それに向かい、右手をかざして飛ぶ!


「対蘇生!!」


 触れた!

 胸じゃないけど、確かに触れた!


 その瞬間、チェルシーの身体が銀色の光に包まれていく――。


『ギャアァァァ!!』


 耳をつんざくような悲鳴が部屋中に木霊する。


 悲鳴の大きさに反比例するかのように、増していくのは銀色の光。


 その光は、やがて、僕の右手の掌に吸い込まれるようにして消えていった――。



「勝ったのか……あっ! ラールさんは!?」


 必死に走った。


 台座の周囲半径2mにはクーデリアさんの結界が張られていた。

 その台座の上に、クーデリアさんに抱きしめられている赤毛の少女が居た。


 クーデリアさんが泣きながら僕を見る。


 え……。


 そしてラールさんの身体を僕に託す。


 服を脱がされたままのラールさんの綺麗な身体が目に入る。


 え……。


 ラールさんの目が開かないよ……。

 涙が止まらない。


 そっと抱きしめる。


 でも、ラールさんは動かない……。


「ラールさん!!」


 精一杯抱きしめる!


「クー、ちょっと妬いちゃうかな」


 えっ!?


「ハル君、痛いよ……」


 えっ!?


「ごめんね、クーが寝たフリしてって言うから……」


「……」


 ラールさん、生きてる!

 裸のまま僕に抱きつかれ……照れている顔が可愛かった。

 今度は嬉し涙が次から次へと溢れてきた。

 良かった、本当に良かった!!


「だって、このくらいの罰ゲームは必要でしょ? でも、何だか失敗。ラールだけずるい……」


 クーデリアさんが口を尖らせて抗議してくる。


 僕は無意識にクーデリアさんも抱きしめていた。


「クーは今晩たっぷり愛してもらえるじゃん!」

『そうよ、だからこんな暗い所でイチャイチャしないで、早く帰ろう?』


 討伐を終わらせたルーミィとアネットさんも僕たちの所に来た。ちょっと目が怖い。



 ★☆★



 20年以上前に王国軍によって討伐された“魔王メノムの魔女”を信仰する闇の教団、それが今回の黒幕だったらしい。


 ルーミィとアネットさんによって捕縛された10名の信者は、王都でエンジェルウィングメンバーに捕縛された20数名と共に地下牢に監禁されることとなった。

 大陸内に残された拠点についても、情報を収集した後、近々討伐隊が派遣されるそうだ。



「それにしても、実の父親を呪いたいとか……俺の教育が間違っていたのか……」


「そうだね。そもそも父さんから教育を受けた記憶は無いけど、反面教師として学ぶことが多かった点は、素直に認めるよ」


「まぁ、あれだ。今回の教訓は、“綺麗な女には気をつけろ”ってことだ」


「違うね。“可愛い女の子は頼りになる”だね」


「言ってろ!」


 無事に解決したからこそ、毒のある親子喧嘩さえも笑顔でできる。

 4日後の勝負を改めて約束し、僕は父さんと別れた。



 何だかんだと事後処理に奔走し、落ち着いた頃には夕方に差し掛かっていた。

 今日の午前中に予定していたクー先生のレッスンと、その後の遺跡でのレベル上げは、体力的にも精神的にもしんどいという理由から中止になってしまった。


 その代わり、全員で盛大な料理を作り、アーシアさんたちも呼んで大宴会を開いた。

 性騎士アスランが暴走気味だったけど、とても楽しいひと時だった。


 ラールさんが無事で本当に良かった。



 ★☆★



「仮の、そう……恋人契約だったと思うんだけど」


 僕はクーデリアさんと2人きりだ。

 お風呂上りの綺麗な金髪が眩しい。


「あのね、そんな契約は1秒で終わってたの。クーの気持ちはね、ずっとずっと本当の恋人なんだから」


 白魚のような綺麗な手が、惜しげもなく僕を抱きしめてくる。

 綺麗な顔が、紫紺の瞳が僕に近づいてくる。

 恥ずかしくて目を閉じると、優しく唇が触れ合う感触が全身を駆け巡る。


「僕も、クーデリアさんのこと、大切に思ってるから」


 そっと唇を離し、目を見て伝える。

 今、僕の持っている勇気を全て使い切った。


「もう! クーって呼んでよね。それに、“大切”も嬉しいけど、“愛してる”って言ってほしいな」


 ちょっと恥ずかしい。

 浮気性と思われるかもしれないけど、僕はルーミィもラールさんもクーデリアさんも……いや、クーと呼ぼう。それにミールも、ついでにアネットさんやポーラもみんな大好きだ。愛とかはよく分からないけど、この大切にしたいという気持ちが愛なのかもしれない。


「うん。僕はクーのこと、たくさん愛してる」


「うん……うまく言葉にならないよ……」


 クーはぽろぽろと涙を流しながら微笑んでいる。


「クーも、すごくすごく愛してます!」



 連夜の特訓で、僕の裏スキルが向上している気がする。


 でも、今日は疲れているからという訳ではないけど、優しく抱き合いながら、その温もりを感じながら過ごしたい……。

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