第23話 自戒の商い

 朝食をこんなにじっくりと味わったのは久しぶり。

 噛み応えがある硬いこぶし大のパンは、チーズっぽい味と、ちょっぴりのお焦げが癖になる。キノコと豆類を煮込んだだけの野菜スープは、どこか懐かしい味がする。コップ1杯の冷えた井戸水は、甘みも酸味も苦味もない素朴な味……。

 そう、これがこの宿自慢のシンプル朝食メニュー。


 沈黙に支配された食卓というものは、シンプルメニューであっても深々と味わうことができる。

 父さんと母さんが口をそろえて“食事中はおしゃべりしないでね”と言っていたのは、こういうことだったのか。

 今さらながら納得して、何度も頷く。



 食事の後、ルーミィが女性陣に拉致されていった。

 昨晩はもう1部屋を追加で借りたようで、そっちの部屋で緊急女子会が開かれている。


 僕は、汚れたシーツを眺めながら昨日の記憶を辿っていた。


 霊峰ヴァルムホルンの麓で遭遇したドラゴン、綺麗な花が咲き乱れる草原、天へと続く塔と、その中で出会った数々の魂。

 その中でも、ひと際きらめくルーミィの魂。

 そして……朝起きたときの、ルーミィの笑顔。

 思い出すだけで身体中が熱くなる。




 突然、ドアがノックされた。


 ドアを開けると、ラールさんが立っていた。


「少しお話しませんか?」


 ラールさんが緊張した面持ちで話し掛けてきた。

 ラールさんと2人きりというのは珍しいことではないけど、昨晩の経験が僕をとても緊張させていた。


「はい……」


 ラールさんは汚れていない方のベッドに腰掛け、俯きながら語り始めた。


「その……とても言いにくいことなのですが……」


 そこまで言うと、指をもじもじさせながら、さらに俯いてしまった。

 僕は、ラールさんの背中を優しくさすってあげる。

 すると、決意を込めた眼差しで僕を見つめ、言葉を継いできた。


「昨晩のこと、よくないと思うんです。ルーミィも一日中苦しんで寝ていたし、ハル君だってふらふらになって帰ってきたばかりだったし。私は、別にそういうことがよくないと言っているのではなくて……その……お身体を大切にしてほしいなって」


 僕は真面目な表情で頷いた。

 やっぱりラールさんは優しい。

 お姉さん役として心から心配してくれる。

 緊張しながらだけど、しっかり注意もしてくれる。


「それに、まだ2人とも若いでしょ……私はもう15歳だし、結婚だってできるし、友達だって……そういうことしてるって言ってたし……」


 ラールさん……また下を向いてしまった。

 顔が真っ赤になっている。

 それは僕もだけど。


「それでね、もし……もしもだけど、ハル君が私のことも大切に思ってくれるんだったら……したい、かなって」


 こんな清楚で可愛いお姉さんに、上目遣いで見つめられたら……。


 僕はラールさんを優しく抱きしめ、口を合わせる。

 毎晩のように寝る前にしてきたキスとは違う、愛を認め合うキス。

 ラールさんの身体は、一瞬だけ力が入った後は、全てを受け入れるかのようになっていった。


 ルーミィと比べるのは酷い話だけど、ラールさんは“女の子”だった。

 柔らかくて、温かくて。

 触るだけでも幸せを感じた。

 そして、昨日卒業したばかりだったけど、男として精一杯に頑張った、と思う。


 ラールさんの目からは、いつの間にか大粒の涙が流れ落ちていた。


「ごめんね、嬉しくて。本当に嬉しくて、嬉しくて……こんなに涙が出ちゃったよ。ハル君は、私を幸せにしてくれるんだなって。ううん、私はあなたの2番でも3番でも構いません。ずっとお側にいさせてください……」


 ラールさんは、柔らかい身体で僕を力いっぱい抱きしめてくれた。

 この人を本気で幸せにしてあげたいと思った。

 だから、僕も力いっぱい抱きしめ返した。


「ラールさん、大好きだよ。ずっと一緒だからね」


 昨日の今日で何を言ってるんだと、自戒の念はあるけど、みんなまとめて幸せにしたいと思うわけだ。

 だって、世界中を幸せにするのが目標なんだもん……と、自己正当化しておこう。


 その後、2人で仲良くシャワーをした。

 ラールさんは、今までで一番の笑顔を見せながら部屋を出て行った。

 一時の別れさえ惜しむように、振り返りながら切なく手を振る姿がとても可愛かった。




 その後、再びドアがノックされた。


 ちょっと嫌な予感がして、ドアを少しだけ開けて外を覗こうとしたら、ドアの隙間から何かが飛んできた。

 青く輝く蝶だった。


 蝶はベッドの端っこに止まると、光を放ちながら少女の姿になる。

 もちろん、裸の……。


「ミール、服を着なきゃ」


 ミールは、近づく僕の手をぎゅっと掴み、僕を抱き寄せた。

 どこにこんな力が!?

 身長も140cmくらいしかないし、透明感のある神秘的な肌色の手足はとても繊細で、ガラス細工のように力を入れると割れてしまいそう。


 身体も心もぐっと引き寄せられた僕を、ミールは黄金の瞳に涙を潤ませながら見つめている。


『ハル様……不遜なお願いをします。ワタシを……いえ、ワタシの愛を受け止めてください』


 僕は、衝撃を受けた。

 ミールは、あまり自己主張しない子だ。出会った頃は、自分勝手な妖精だと思ったけど、一緒に旅をするにつれて、実はとっても謙虚で、とってもとっても愛情に満ちた優しい子だと感じるようになった。

 そんな子が……自分への愛という見返りを求めず、ただ、自分の愛を受け入れてくれと懇願してきたんだ。

 僕の心の中に、愛おしさが溢れてきた。


「ミール、僕だってミールが大好きだし、君は誰よりも幸せになるべきだよ」


『愛しています……あなたのことを、心から愛しています』


 いつの間にか服を脱がされ、小さな身体を密着させてきたミール……さっきまで残っていたラールさんの感覚が、あっという間に吹き飛ばされてしまった。

 何とも表現しづらい感覚……妖精独特とでもいうのか、身体が溶け合うような感じがする。


 完全に思考停止に陥っていた僕は、ミールの小さな身体を思いっきり求めてしまった……。

 後で思い起こすと凄く恥ずかしいけど、もしかしたら媚薬でも盛られていたのかもしれない。きっとそうだ。


 そして、僕はミールと一緒に、今日3度目のシャワーを浴びた。

 こっそりと、汚れまくったシーツを洗って干しておく。

 この赤いシミは……落ちそうにない……さすがに弁償かな。




 ミールが部屋を出て行ってから10分後、再びドアがノックされた。


 ぐったりした身体を起こし、ドアの隙間から外を覗く。

 すると、目に涙を浮かべたポーラが立っていた。


「いやぁ! 助けてっ! お兄様、助けてっ!!」


 あ、ポーラが連れ去られていった。


 主犯はルーミィっぽい……。




 その事件から10分後、またまたドアがノックされた。


 ドアを開きかけた途端、あちこちから手が伸びてきて……今度は僕が拉致された。

 引きずられるようにして、別の部屋に連れて行かれる。



 ★☆★



 さっきの部屋と比べて結構狭い。

 ベッドが1つだけ窓際に置かれ、そこに4人の少女が座った。


 ベッドに座るスペースがなかったからか、自らの潜在意識がそうさせたのか、僕はベッドの下で床に正座をしている。


 ……


 続く沈黙。


 ……


「ハル、話があるの」


 不機嫌を前面に出しながら、ルーミィが沈黙を破る。


「はい……」


 目をそらしてはダメだ。

 不誠実を責められる覚悟はしているつもりだ。


 でも、僕に後悔はない。

 それ自体が不誠実なのかもしれないけど……。


「……どうだった?」


 頬を紅潮させてルーミィが質問する。

 ルーミィがボソボソ話していたのと、僕自身も考え事をしていたせいで、前半がよく聞こえなかった。


 きっと、例の感想を聞いているのだろう。


 嘘は言わない。


 目を見て正直に話す、それが僕の長所だ。


「とても気持ちよくて、天国にいるような幸せを感じました」


「バカ!!」


 女性陣が顔を真っ赤にして下を向いている。

 ポーラがただ1人、不思議そうに僕を見ている。

 もしかして変なことを言ってしまった!?


「あのね、あの部屋が……その、ベッドが汚れてしまったでしょ。弁償しなきゃいけないかなって聞いてるのよ!」


 あぁ、ミールと一緒にシーツを洗ったとき、そんな話をしたなぁ。ちょっと滑ってしまったか……。


「正直に申します。3人の赤いのが落ちません。ベッドの方にも……」


 再度、女性陣が顔を真っ赤にして下を向く……。


「弁償だっ! 折角だから、この村でお仕事しましょっ!!」


 ポーラの妥当な提案で、みんなが現実に戻る。



 ★☆★



 お昼過ぎ、今から会議だ。

 各自が自分の足で仕事を探してきた。

 と言っても、仕事自体は僕がすることになるんだけど。


「では、みなさん! レポートを提出してください。予定どおり、ポイントは2点。ある程度の資金調達ができること、この村にしっかり貢献できること。それらを総合してハルに決定してもらいます! 後悔はないわね!」


 後悔?

 意味深だけど、ルーミィがリーダーっぽく仕切っている。


 ◆ルーミィ

 内容:村の守護獣の蘇生

 報酬:8000リル(80万円相当)

 長所:村の安全が確保できる


 ◆ラール

 内容:村長の息子の蘇生

 報酬:10000リル(100万円相当)

 長所:村の政治経済が安定する


 ◆ミール

 内容:聖樹の蘇生

 報酬:3000リル(30万円相当)

 長所:村による各種ポーション生成


 ◆ポーラ

 内容:300年前の名医の蘇生

 報酬:15000リル(150万円相当)

 長所:村の医療体制が強化できる



 「では、ハル。意見を!」


 「はい……。まず、ルーミィの案だけど、守護獣を蘇生してもエサは大丈夫? 生贄が必要とかないよね? それに、ここは王都からも近いし、昔みたいに魔物が襲ってくるとかはあまり考えられないような……」


 「うっ、確かに。戦いのことばかり考えすぎたわ」


 「次に、ラールさんの案だけど、村長の息子さんが村長を継ぐわけではないでしょ。普通に選挙をした方がいいと思うよ。それに、村に来たときにルーミィがソウル・ジャッジしていたよね……村長さんはこの村1番の要注意人物だって言っていた記憶が……」


 「そんな記憶がありますね、忘れていました……」


 「ミールの案はいいね、この村の産業育成になる。仕事の需要も増えるし、特産品になるし、村への貢献ということを考えると、文句なしだね! ちょっと報酬が他より安いけど、それもまた良いのかもしれない」


『嬉しい……』


「最後に、ポーラの案だけど……。報酬は高いし、村にお医者さんがいるかどうかはとても重要! それは良いんだけど……300年前の名医を蘇生したとしても、医学の進歩を考えると、今じゃあまり名医と呼ばれないかも……でも、よく頑張ったね。偉いぞ!」


 僕は、涙ぐんでしまったポーラの頭をなでなでしてあげる。


 よく見ると、涙ぐんでいるのはポーラだけじゃない。

 ルーミィやラールさんもだ。

 それに対して、ミールはぴょんぴょん跳ねて喜びを表現している。

 空中で足が外に開く、この跳ね方がなんかとっても可愛い!!


『今晩が楽しみ!!』


「えっ……どういうこと?」


 僕がルーミィの顔を見ると、目を逸らされてしまった。



 ★☆★



『ここ、ここにある樹が聖樹。今は枯れてしまっているけど、葉と花は生命力回復薬、根と幹は毒消し、実は魔力回復薬に精製できるわ。細かい精製法とレシピも合わせて、3000リルいただきます』


『ほほぉ、この村にこんな素晴らしい樹があったとは!』

『感動しました!』

『村の至宝として守っていかねば!』

『これで村も潤うぞ!』


 村人たち数人が、ミールに案内されて村の郊外にある丘に来ている。

 そこには、枯れて朽ち果てた黒い根があった。

 これ、蘇生できるのだろうか……。


『分かりました、是非にお願い致します』


 ミールが嬉々として僕を見る。

 枯れた植物か。

 蘇生できなくても泣かないでね……。


 僕は深呼吸をして、心臓のあたりで燃える魔力を意識する。

 温かく力強いその魔力を、ぐっと練り上げて身体の中を巡らせていく。


 力が漲る――。


 僕は左手で聖樹の根を優しく握り、力を凝縮して左手から流し込む。


 左手の掌から溢れ出す銀色の、奇跡の光。

 光はやがて僕たちの周りを満たし、根だけでなく、周辺の大地をも包み込む奔流となる。


「光よ、聖樹に力を与えよ! レイジング・スピリット!」


 光の奔流は眩しいほどに煌きを増し、丘全体を輝かせる!


 そして、聖樹の根と、それに続く地面に収束していく。


 変化は突然に起きた。


 地面が激しく鳴動すると、枯れたはずの根から新しい芽が萌え出てきた。

 その若い芽は、銀色の光を放ちながら、すっと天に向かって腕を伸ばす。

 次々に枝を伸ばし、葉をつけ、瞬く間に高さ10mを超える立派な樹木へと生長した。

 見上げると、所々に蕾も見える。


 村人たちは、みんな両手で顔を覆い、涙を流している。

 植物とはいえ、生命の奇跡を生で見たときの当然の反応だ。


 その後、握手をせがまれ、揉みくちゃにされて老人集団に抱きつかれた。

 昨晩や今朝味わった柔らかい心地良さとは対極をなす、ゴツゴツした枯れ木の感触。

 神の使者が現れたと、僕を拝み始める人までいる。

 今すぐ逃げだしたい気分になった。


 ミールは、銀色に輝きを放つ幹をさすりながら、満足そうに微笑んでいる。


『水は毎日欠かさずあげてください。肥料は人々の愛情です。優しい心で触れてあげてください。逆に、怒りや憎しみ、金品を稼ごうというような醜い心は聖樹を苦しめます。再び枯らすことのないよう、心して見守ってください』


『承知致しました。必ずや役目を果たしましょう』

『村に戻ったら聖樹係を選抜しようぞ! 清らかなる乙女が良かろう!』

『悪意のある者が近づかぬよう、警護もしないとな!』

『村の至宝ぞ、代々守り抜かねばならぬ!』


 村人たちは、口々に誓いを述べる。

 まぁ、やりすぎないようほどほどにね。


 僕は初めて、妖精王っぽい威厳を示すミールを見た気がする。



 ★☆★



 呆れかえる宿屋の主人にしっかりと謝り、シーツや布団代を弁償した僕たちは、今夜も2部屋借りて泊まることにした。

 明日の早朝、王都に向けての旅を再開する。

 予定よりも3日遅れになってしまった。

 もしかしたら、クーデリアさんの方が先に到着してしまうかもしれない……。


 その夜、僕は再びミールと一緒に過ごした。

 あの仕事の選択……今晩の権利を懸けた女の戦いだったらしい。

 そこには、僕の意思はなかったけど、幸せはたくさんあった。

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