第22話 未知の行い

 ティルスを発って、早4日目の朝。

 僕たちは涙目で部屋の中を右往左往していた。


 昨晩からずっとルーミィの熱が下がらないのだ。

 汗をにじませた真っ赤な顔で、苦しそうに口で息をしている。


 思い当たる節は、いくつもあった。

 宿場町での戦いのとき、毒のようなものを吸い込んでしまったのではないか。その日、雨が降る中で魔物との戦闘をしたことが原因ではないか。それとも、昨晩食べた桃色のキノコのせいか。昨夜のソウル・ジャッジ10連発による魔力切れではないか。いや、最近飲み始めたという怪しげな精力剤の副作用かもしれない。まさか、“つわり”!? そんなわけ絶対にない!! 他にもまだ……。


 思い起こすと、考えられる原因はどんどん出てくる。

 その度に、このルーミィという狂戦士のタフさにかえって驚嘆させられる。

 でも、何とか救いたい。

 ボクの頭の中には、一度死んでもらってから蘇生する(もちろん、ウフフ展開)という選択肢は、ない。



 「ハル君、王都まであと1日ですが……ルーミィは今日一日安静にしたほうがいいと思います」


 冷やした布をルーミィの額に乗せながら、暗い表情でラールさんがつぶやいた。


『妖精の万能薬も効かない。どうしよう……』


 ミールも色々試してくれているようだ。

 ルーミィの頬には、緑色のベトベト液で★印が描かれている。

 奇天烈なピエロみたいだけど、今は笑えない。


 そのとき、早朝から村中を駆け回っていたポーラが、汗だくになって戻ってきた。


「お兄様! この村にはお医者様がいないそうです……」



 う~ん……原因さえ分かれば対処法も考えられるんだけど……思い当たる節が多すぎて絞りきれない。

 ただ、ずっと隣で看病しているラールさんに伝染していないところを見ると、うつる系の病気ではないことは確かだ。


「僕が何とかする」


 僕はそう宣言すると、宿屋のトイレに駆け込んだ。

 用を足すためではない。

 こっそりと試したいことがあったからだ。


 右手の甲を見る。

 咄嗟に閃いた作戦……この星の紋章が例の占い師に関係したものだとしたら、その力を使えれば何とかなるかもしれない。


 右手に魔力を込めてささやく。


「ルーミィの熱を冷ます方法が知りたい……」


 紋章が水色の輝きを放ち始める。

 静かで温かい光だ。

 そして、僕の目の前には……水色の長い髪の少女が現れた。


『まさか男子トイレで召還されるとはのぅ』


 ギャップ!!


 見た目や声はどうみても清楚な美少女だけど、あのときの占い婆さんに間違いない!

 心に破壊的ダメージを被りつつも、ぐっと耐えて助けを請う。


「可愛い、ハナコさん……の飼い主さん、ルーミィを助けたいんです。方法を教えてください!」


『可愛いのが私なのかハナコなのかがいまいち分からん。まぁ、良い。これも愛の力か……私に惚れると身体が持たぬぞ?』


 僕の周囲の空間が歪む。

 例のスキルの力か。


 僕の意識は広大な大草原へと移動していた。

 よく見ると、足元には色とりどりの花が覇を競うようにして咲き乱れている。

 天国と言われても納得できるような光景が360度の彼方に広がっていた。

 そして遥か遠方には、吹き飛ばされた霊峰の頭部から昇る太陽が見える。


 その中を、視界は猛スピードで流れてゆく。


 すると、目の前には高く聳える純白の塔が見えてきた。

 雲海を貫き、天にも届かんと伸びる白亜の塔……なんて神々しいのだろう。

 早く行かねばと気が逸る。


 僕の意識は塔の中へと吸い込まれていく。

 うごめく光球をかわし、螺旋スロープを上ってゆく。

 数刻の間、蛇のように果てしなく伸びる道を浮遊する。

 そして、辿り着いた最上階には、ぼんやりと蒼白く光る炎があった……。


 そこで僕の意識は急速に遠のく。

 目の前には低くたたずむ白亜の塔、ならぬ便器……僕は再びトイレに戻っていた。


「えっ!?」


 水色の髪の少女にいきなり抱きつかれた。

 や……柔らかい。

 花のような甘い香りがする。

 立ち眩みがする。

 一気に魔力が失われたようだ。


『ふぅ、トイレじゃロマンの欠片もないわい。報酬は頂いたから金はいらん。お主も見たと思うが、あの蒼い炎はルーミィの魂じゃ。彼女は多くの魂をすぎた。危うく黄泉に引き込まれるほどにな。あれを持ち帰り、彼女に返す。それが唯一の方法……』


 そこまで語ると、少女の姿は霧が霧散するように消えてしまった。

 僕の右手の甲が温かく光る。紋章に戻ったようだ。

 ありがとう……僕は紋章にそっと口付けをして、みんなの所に戻った。



「随分と長いトイレでしたね」


 ラールさんが心配そうに見上げてきた。


 僕は占い師のことを伝えるべきか迷った。

 別に浮気というわけではないし、隠し事をしたいわけでもない。

 ただ、今は一刻を争う。

 説明する時間すら惜しい。


「夕方には戻る。それまではルーミィのそばに居てあげて」


 そうみんなに言い残すと、僕は浮遊魔法で窓から飛び立った。



 ★☆★



 向かい風が顔を叩く。

 初めてこんなに速く飛んだ。


 あの場所は、はっきりと脳裏に刻まれている。

 太陽と霊峰ヴァルムホルンの位置関係からして、ここから南に100kmほど行った、霊峰の麓に広がる大草原だろう。

 そこまで片道3時間、塔で2時間……往復8時間か。

 魔力もぎりぎりだ。

 朝8時に出たから夕方4時には戻れる計算。

 それまでなんとか持ちこたえてくれと強く願う!


 地上から10mの高度を維持しながら、ひたすら飛ぶ。

 眼下に望む景色は、とうに村の屋根から街道へ、そして岩石砂漠へと変化している。


 さらに進み、低木の茂る森を越えると、森林地帯が見えてきた。

 高い樹木は30mを超えるだろう。

 僕の目の前には緑色の壁が広がっていた。


 迂回する時間がもったいない。

 さらに高度を上げ、森を越えようとしたとき、突然、ド低音の咆哮と共に赤い塊が飛んできた!


『ブォォォー!!』


 火炎ブレス!?

 身をよじって紙一重でかわす!

 一瞬でも遅れたら丸焦げ肉団子になるところだった……。


 軽率だった!

 霊峰の麓にドラゴンが棲むというのは常識だ。

 目的地の大草原までは、残り半分。

 とりあえず、追ってこないことを祈りながら速度をもう一段階上げる!


 案の定、振り返ると奴がいた……。

 黒光りする体、力強く羽ばたく翼、頭部から伸びる禍々しい2本の……角。

 言わずもがなの、ブラックドラゴン!!


 僕は、大木の脇をすり抜け、岩山の空洞を潜り、森の中を低空で飛ぶ。

 ドラゴンは、大木を薙ぎ払い、岩山を穿ち、森の木々を粉砕して追いすがる。


 ドラゴンとの飛行レース、勝ち目はゼロ!

 振り切れるわけがない!!


 どうする!?


 そのとき、右手の甲が熱を帯びる。


 フェニックス!!


 直後、爆音を伴った爆風が僕の身体を吹き飛ばす!

 視界の片隅には、煙を上げながら高度を下げていくドラゴンと、猛々しく吼える不死鳥の姿が映る。

 さすがです、師匠!


 森林地帯を過ぎると霊峰の裾野が広がる大草原が見えてきた。

 占い師(名前を聞いていないや)の未来視の光景と重なる。

 太陽を目指して一直線に飛ぶ。

 もう目的地は近い!


 そして、天に突き立つ白亜の塔が目前に迫ってきた。

 細い……精緻というべきか、風で倒れそうなほどに細く高く聳える塔の先端は、雲を貫いていて見ることすらできない。

 あたかも人間の穢れた目で見られることを拒絶しているかのような神々しさに、鳥肌が立つ。

 これが人による建造物ではないことは一目瞭然だ。


 やっとの思いで塔の入り口にた辿り着く。

 窓はない。

 地道に入り口から登るしかないようだ。

 緊張でバクバクする胸を叩き、入り口の扉を潜る。


 中は明るかった。

 何が光源になっているのか分からないが、一切の影が存在しない世界だった。


 スロープをたどり、頂上を目指す。

 途中、こぶし大の光の球を追い越していく。

 光球に触れると、脳裏に感情と光景が流れ込んでくる。

 怒り、悲しみ、悔しさ、安らぎ……ほぼ全てが負の感情で満たされていた。

 恐らくこれが死者の魂。

 ここは黄泉へと続く聖域なのだろう。


 僕は生々しいまでの死の現実に直面し、とめどなく涙を流していた。

 あるものは無残に殺され、あるものは病で心身ともに朽ち果て、またあるものは踏み潰され、焼かれて命の灯火を削り取られていった……。


 当然、そこに存在する魂は、人よりも小動物や植物の方が多い。

 そこに、魂に貴賎は存しない。

 どんなかたちであれ、生きとし生けるものには等しく存する魂……改めてその真実を深く噛みしめる。


 夢中で飛ぶ僕の視界が一気に広がった。

 頂上が近づいているのを肌で感じる。

 でも、ルーミィの魂はまだ見えない。

 間に合わなかったのではないかという不安に苛まれる。


 さらに登ると、巨大な扉が開け放たれた空間に出た。

 この扉の先は……。

 多くの光球が吸い込まれていくその扉をぞっと眺める。


 すると、あった!!


 扉の手前、数メートルのところで必死に抵抗する蒼白い炎……未来視で見たとおりの光景だ!


 間に合え!!


 魔力を振り絞り、目を見開き、炎に向かって一直線に飛ぶ!


 両手を伸ばし、炎を抱き寄せる。

 そして、精一杯強く抱きしめる!


 その瞬間、ルーミィの感情が飛び込んできた。


 彼女の熱い思い、強い決意、深い愛情が飛び込んできた。

 瞼を焼くような熱い涙が溶岩のようにあふれ出る。

 僕は今、どんなにくしゃくしゃな顔をしているのだろう。


 戻るんだ、早く彼女の元へ!


 かすむ視界の中、きっと目を凝らし、扉を背に全身全霊を込めて光の流れに抗う!

 死者の世界に引き込もうとする力の、なんと強いことか。

 死の運命……僕が戦っているものは、これほどまでに強者なのか。


 死を乗り越えてきた仲間たちの顔が浮かぶ。

 その強い瞳に、微笑む笑顔に、勇気を貰った気がする。

 ルーミィの魂を抱き、歯を食いしばって、ぎゅっと前だけを見据えて、一歩、また一歩と前進する。


 そして、やっと思いで死のくびきから解放された。

 僕たち2人は、運命に抗う力を証明したんだ!!



 ★☆★



 はっきり言うと、その後どうやって宿屋まで帰ってきたのか、記憶は定かではない。

 魔力も底を尽きかけ、疲労も体力も極限にまで達していた僕は、ひたすら気力だけで飛び続けたのだろう。


 ベッドに横たわるルーミィは、苦しみながらも凛々しい笑顔を湛えていた。


「よく頑張ったね! 偉いよ」


 僕は、両手に抱く命の炎を彼女の身に捧げる。

 仲間たちは、ぐっと固唾を呑んでそれを見届けた。



 しばらくすると、ルーミィの表情がみるみる快方に向かっていくのが分かった。

 息遣いが落ち着き、見開いた瞳には力強さが感じられる。

 いや、力強さよりも、優しさのほうがより勝っていた。

 自然とみんなの笑顔と涙がこぼれる。


「夢の中でハルに会ったわ。あたしのことを力強く抱きしめてくれたの」


「うん、ルーミィもよく頑張ったよ。それに、ラールさんも、ミールもポーラも、みんなが応援してくれたから勝てたんだ」


「そうね! みんな、ありがとう!!」


 その後、みんなで号泣した。

 本当に、本当に良かった。

 かけがえのない人を失うところだった。


 もしかしたら、死んでしまっても蘇生魔法を使えば生き返せるかもしれない。

 でも、死ぬことの辛さは本人だけでなく、周りのみんなの心に残るんだ。

 命は決して軽いものではない。

 みんなで守っていかなければならないんだ!


「ルーミィ……ソウル・ジャッジはしばらく禁止だ! 僕の蘇生魔法もそうだけど、魂に干渉する魔法は相応のリスクがあるみたいなんだ」


「そうね、分かりました……」


 いつものルーミィらしくない、しおらしい態度に、僕の感情があふれ出した。


「本当に良かった……愛しているよ、ルーミィ!!」


 ラールさんたちは、何を思ったのか、何を感じ取ったのか、部屋から出て行った。

 ……そして、ルーミィと僕だけが残された。



 言い訳をしておこう。

 本能というものの中には、最強の理性をもってしても抗えない側面もある。


 目が合った瞬間、僕たちはお互いに頭が真っ白になってしまったみたいだ。


 軽いキスをしたところまでは記憶にあるんだけど……。

 朝起きてみると、ベッドの上は裸で毛布にくるまった2人だけの世界だった。

 猛烈に下半身がだるい。


 ルーミィも目が覚めたようで、僕の目を熱いまなざしで見つめてくる。

 目を瞑り、おはようのキスをせがまれる。

 髪を優しく撫でて、唇を重ね合う。


 もしかして、大人の階段を上ってしまった!?

 でも、不安や後悔は感じなかった。

 不思議と、心の中は幸せに満たされていた。

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