第16話 愛魂の患い

「うっ……なにが?……ハルくん!?」


「私も……胸が苦しい……すごく悲しいよ……」



 ガールズトークの最中、クーデリアが突然泣き崩れた。ラールも胸を押さえて嗚咽を漏らす。



「えっ? クー、ラールどうしたの!?」


『嫌な予感……ワタシ妖精界に行ってくる』



 ミールは蝶の姿となり、ふらふらと窓から飛び立った。



『変態さんに何かあったのか? くっ、辛い……辛すぎて涙が止まらない……』



 普段滅多に泣かない気の強いアネットですら、湧き出る不安に涙が止まらなかった。



「みんな、急にどうしたのよ!?」


「ルーミィ以外……みんな生き返してもらった……クーたち……ハルくんと魂……繋がってる……ハルくんの心……叫び、嘆き……うぅ……心が寒い……」


「ハル君を……助けたい! 捜しましょう……」




 悲嘆にくれたのは、この少女たちだけではなかった。

 ティルスにあるエンジェルウイング本部では、ダークエルフたちを突然の悲しみが襲った。ある者は泣き叫び、ある者は抱き合って号泣した。聖騎士アスランも悲痛な感情に耐えきれず、がむしゃらに泣きながら剣を振るって己を制御しようとした。


 時を同じくして、王都では名馬エトワールとその主が、厩舎で抱き締めあい嘆き悲しむ姿が側近たちを困らせた。


 とある村でも、フィーネでも、悲しみの涙を止めどなく流す者がいた……。



 ★☆★



『我は何か間違ったか?』


『死ね! バカ親父!! ワタシは絶対に許さないからな! ハル様は……ハル様は、勇者リンネ様の魂を継ぎし者なんだよ!! あんたと違って世界のために戦ってるんだ! あんたなんかよりずっとずっと、ずっと偉いんだ。うぅ……ハル様……ワタシも連れて行ってください……』


『待て、ミールよ! これは裁定なのだ、人間ごときが魂の理を乱すことは許されない! 我らは世界の裁定者としての責務を果たした……秩序は維持された!』


『秩序ってなんだよ! 幸せより大切なものなのか? ハル様に蘇生してもらったワタシも、親父の言う秩序を乱す者だろ! 消えれば満足するんだろ!! ワタシはね、幸せこそが世界の新しい秩序を作ると信じてる! ハル様が行う奇跡にはそれができるんだ!! 森の中で何もしないあんたらとは違うんだ……』


『ミール……頼む、やめてくれ……』


 悲しみ怒り狂う青い蝶は、躊躇うことなく裸の少女の姿となる。樹氷と化した少年に近づいていく。永久凍土を溶かすように……いや、それが不可能なことは誰にも明白だった……ミールは自らの魂を永久凍土に捧げるために、少年を強く抱き締める。


『誰か……やめさせろ! ミール……離れろ! 頼む、頼むから、やめてくれ!!』


『ハル様……ワタシの命は貴方のものよ。一緒に連れて行ってください。どこまでも、どこまでも!』


『ミール!!』



 しかし、妖精王の必死の叫びは誰も動かさなかった。


 なぜならば、その行為が秩序を乱す結果になるから。


 妖精たちは、涙を流しながら妖精姫ミールの魂が削られていくのを見続けた……そうするしかなかった。



 ★☆★



「ハルはどこに行ったのよ!!」


 ティルスの街を走り回りながらルーミィが叫ぶ。


「これじゃ、埒が明かないわ! 2組に分かれて捜さない?」


「ルーミィとラールでギルド見てきて! クーはアネットと一緒にハルくんが行きそうな場所をもう1周してくるよ! 30分後にギルド集合ね!!」


「『分かった!』」



 ★☆★



『クー、速い! ちょっと待ってよ!!』


「だって! だって!! 早くしないとハルくんが遠くへ行っちゃう気がするんだもん!!」



 2人はティルスの商店街、食堂、道具屋、警備兵の駐屯所……考えられる場所を走り続けた。


 高鳴る鼓動は、過度な運動というよりも、ひたすら増していく不安や緊張がもたらす割合の方が高いはずだ。泣き腫らしたクーデリアの顔には既にアイドルの面影はなく、アネットの黄金の瞳は充血して真っ赤になっている。



『え!? クーちゃん……なの? え!?』


『空を飛んでた少年? ギルドの方に向かってたわよ? それより、どうしたの!?』


 ファンクラブ会長は、変わり果てたクーデリアの姿に動揺し、言葉を失った。その結果、貴重な目撃証言はその妻によって代弁されることとなった。


「アネット!! ギルドに行くわよ!!」


 少女たちは少年の軌跡をたどり、ギルドへと駆けていった。筋肉がつって何度も転倒した。痙攣する脚を拳で叩き続けながら、それでも2人は必死に走った。少年に少しでも近づきたいという一心で。



 ★☆★



「ハル君? 来たわよ? 霧が立ち込めたかと思ったら、消えちゃった。ハル君って、転移魔法も使えるんだね」


 ギルド受付に立つ女性から有力な情報がもたらされた。

 ルーミィは、なぜもっと早くここに来なかったのかと、掲示板に拳を叩きつける。周りの冒険者たちは、拳から血を流しても掲示板を殴り続けるルーミィを驚きの表情で眺めていた。


「女、どうした? 冒険者はみんな仲間だ。悩みごとがあるなら聞くぞ」


 振り返る少女の顔を見て戸惑う冒険者たち。少女の悲壮な涙……そこに深い悲しみを見たからだ。


「誰か……亡くなったのか?」


「っ!!」


 中年戦士の心無い一言が、ルーミィの怒りの感情に火をつけた。抜刀して斬りかかるルーミィに、逃げ惑う冒険者たち……。


「ルーミィやめなさい!!」


「ハルはまだ死んでないのに!! こいつが死んだって言ったんだ!! 許さない! 許さない!」


 暴れるルーミィを両手を広げて押さえ込もうとするラール……振り回す剣の切っ先が、幾度となくラールの手足を切り裂く……血まみれになりながらも、ラールはルーミィの戦意を失わせることに成功した。


 抱き合って号泣する2人の少女を離れた位置から見守る冒険者たち……そのとき、勇気を振り絞って1人の男性魔法使いが声をかけた。


「もしかして……あんたら、霧と一緒に消えた少年を捜しているんじゃないか?」


 少女たちは泣きながら彼を見上げる。


「俺は近くに居たんだ。青いローブを着た子どもが転移魔法を使った。いや、あの詠唱は特殊だったな……精霊魔法のようだった」


「俺も見たぞ! 青いのは小人族だろ。サイテイがどうとか言ってたぞ!」


「それ、あたいも聞いた! サイテイが下ったから、王の下へ連れていくみたいな話だったよ」


 冒険者から次々と目撃証言を聞かされた少女たちは、意を決して立ち上がると、彼らに問うた。


「小人族の王はどこにいるの?」


 その質問に答えられる者はいなかった。

 長く続いた沈黙を再び破ったのも同じ少女だった。


「お願いします!! 何でも言うことを聞きます!! 何でもします!! だから、だから、誰か……あたしを小人族のところまで連れて行ってください!!」


「私からもお願いします! 何でもします……ハル君を助けたいんです……助けてください!! 誰か! 助けてください!!」


 自由都市ティルスと言えど、小人族は稀少種だ。まして、その住み処となると専門家でさえも知り得ない情報である。よって、2人の少女の嘆願はギルド内に虚しく響き渡るだけであった……。



「ルーミィちゃん……」


 様子を窺っていた受付の女性も、少女たちを囲う輪に加わる。

 悲痛を胸に、語りかける。


「知っていると思うけど、ギルド内での武器使用は厳しく罰せられます。クラン“エンジェルウイング”リーダーのルーミィ、貴女のギルド登録抹消を宣告します!」


 あまりにも無情な、追い討ちをかけるようなギルド職員の宣告に、場が騒然となる。


「サラさん、待ちなよ! 俺は全然大丈夫だ!! いや、今回は俺が一方的に悪かった!! 嬢ちゃんじゃなく、俺の登録を抹消してくれ!!」


『リーダー何を言って……いや、俺たちもあんたに付いて行くぜ! サラさん、リーダーだけで足りなければ俺たちも抹消しろ! この娘は悪くねぇ!!」


「あなたたち……でも、武器を使ったのは事実。ルーミィちゃん、処分を大人しく受けるわね?」


 ルーミィは激しく混乱していた。

 ギルド登録抹消……そのことが意味するのは、クランリーダー剥奪のみならず、公的な意味での少女と少年との関係断絶であったからだ。冷静なときの彼女ならば「それがどうしたのよ? 夫婦の絆は切れないわ」とでも豪語して一蹴する出来事だ。

 しかし、今の彼女は……少しでも少年との繋がりを保ちたいと切に願っていたので、受け入れがたい処分だった。


「いやぁぁぁ~!!」


 突然泣き叫び出したルーミィを、ラールが必死に庇う。冒険者たちもサラに再考を乞う。



「ルーミィちゃん。抹消は仮処分よ! 私は貴女が武器を振り回すのを直接見ていなかったから。この場にいた人に確認を取らないとね!

 それと、無事にハル君を救出したら処分は無効にできるわ。それどころか、ギルドマスターのリザ様に直訴してランクアップしてあげる! 私はこれでもリザ様の一番弟子なんだから!!」


「うわぁぁぁ~ん!!」


 ルーミィはサラに抱き付いた。少年との繋がりを一時的にも保てる希望が見えたことが、彼女にそうさせた。


「まだ話は終わってないわ」


 ルーミィの身体が強ばる。冒険者たちも、ガッツポーズしていた腕を力なく下げていく。


「ハル君の救出依頼、ギルドから出します。優秀なティルスの冒険者たち! 総力をあげてハル君を助け出すわよ!! 報酬は金貨10枚と2ランクアップ!!」


「「「うぉ~~!!」」」


 その場の冒険者たちは、再び、さっき以上に腕を振り上げて雄叫びをあげる。サラの「ただし成功報酬ね」という言葉は誰にも届かなかった。苦笑しながら、サラは支部長の下へと全力で走っていく。



「ルーミィ! ラール! これは何の騒ぎ? もしかして、ハル君が見つかった?」


 一縷の望みを抱いてギルドに駆け込んできたクーデリアの目には、そう見えたかもしれない。力なく首を左右に振るラール……未だ続く胸の苦しみを押さえ、少年を愛する4人の少女たちは此処に合流した――。



『小人族? 分かった!! 妖精王の森よ!! きっとそこに変態さんはいるはずだわ!!』


 ダークエルフは森の民、森の保護者たる妖精だ。エルフ共々、人間界に出て永いときが過ぎたとはいえ、妖精王の森の場所は変わらない。それはどの森とも繋がる妖精界に存在する空間であるからだ。


『そうと分かれば急ぐわよ! クラン本部でアー姉やランドルフさん、フローラさんたちにも伝えてくる! 1番近い森は……東門ね。30分後に東門集合!!』



 ★☆★



 ハル少年救出チームは総勢40名となった。

 ダークエルフたちだけでなく、王都から駆けつけたエトワールも、その主もいた。そう、王都からティルスに間に合ったのだ。その翼で。蘇生させたハルは、エトワールが宙を翔けていることに気づいていなかった。彼が蘇生させた瞬間、奇跡の力がエトワールにペガサスの翼を与えていたことに。


 救出チームは、アーシアとアネットのダークエルフ姉妹を先頭に、全速力で森まで走った。誰も一言も声を発しなかった。少年を心配する者、未知なる妖精王を警戒する者……不安に押し潰されそうな者ばかりだった。


 小1時間が経つ頃、みんなの姿は夕闇の中で静まり返る森の中にあった。閉ざされた妖精界への門が開かれる……。


 ドーム状に伸びた樹木の小路は、不思議な光に包まれて行く手を照らす。人間は身体が軽くなった感覚を味わっただろう。妖精界では金属がその存在を薄くする。武器を奪われた不安を抱きながら、冒険者たちはダークエルフについていった。


 さらに進むこと数時間。

 救出チームは広大な空間へと導かれるようにして進んでいった。遥か上空にある樹木の天蓋から降り注ぐ木漏れ日……その降り注ぐ先に見たものは、みんなの魂を凍りつかせる光景だった。


 そこには、妖精ミールに抱き寄せられるようにして眠る少年の姿があった。氷に閉ざされた世界の中心で永眠する2人がいた――。

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