第17話 氷心の囲い
『此は……氷結魔法か』
呟くアーシアの目前には、高さ3mほどの円錐形の樹氷が聳える。その中心に探し求めていた少年、ハルがいた。少年を見上げるように、一糸まとわぬ姿の妖精ミールが抱きついている。
まるで時が止まったかのように、2人は目と口を開けたまま微動だにしない。流れ落ちる涙も、悲嘆の叫びさえも、氷の世界が閉じ込めてしまう。
その分厚い氷が、ようやく出会えた仲間たちとの間に絶対的な壁となり、直接触れることさえ叶わないもどかしさは、さらなる絶望を与えた。
『裁定は下され……ふごっ!!』
歩み寄る青いローブの小人に、容赦のない蹴りを入れたのはルーミィだ。
吹っ飛んだ小人の腹に跨がり、歯を食い縛って無言のままひたすら拳を叩きつける。誰もそれを止めようとはしなかった。
『静まれ! 人間と森の護り人よ、我は妖精の王である! 魂の秩序を乱した者を我は許さぬ。裁定は正しいのだ』
眼前の大木から降り注ぐような声がした。
故意か過失か、敵意の矛先が替わる。ルーミィの眼が狂気を孕む。
「妖精王……ハルを氷付けにした張本人ね! 言い訳があるなら今すぐ言ってみなさいよ!!」
『生きとし生けるものに存する魂は、神々が定めし運命である。それを恣意に左右するなど人のエゴとしか思えん。秩序を護りし我らが下した裁定は正当である!』
「神は一人ひとりを見てはいない! 世界はあたしたちに託されているわ。ハルはね、種族の差別をせずに平等に蘇生をした! 決して自分勝手でも、人間のエゴでもないわ!」
『人の子よ、死ぬものは元より相応の業を犯しているのだ。魂に刻まれた業によって……』
「あたしには魂の評価が見えるわ。
ソウルジャッジ!!!
ふんっ! 妖精王、あなたの魂は-10点よ! ハルの魂はね、+98点なんだから!! 処分を受けるべきはあなただわ!!」
『……』
「今すぐ氷の戒めを解きなさい!」
『……ならぬっ! 死ぬべきものは神により運命が定められているのだ』
「妖精王は意外とバカね! 神は万能ではないわ。世の中を見れば分かるでしょ! 必要な者が死に逝き、腐った者が蔓延るのがこの世界よ。
神はそれでも生きるものすべてを愛し、信じ、世界の維持を任せてくれている。誰が生きるべきかは神が決めることじゃない。この世界の自分たちが判断しなければいけないんだ。誤って失った命があれば、救い出さないといけないんだ!」
お互いに自分が正しいと信じて疑わない両者間に、もとより和解は成り立ち得ない。先に動いたのは妖精王だった。
『ならば、そなたが正しいということを自らの身をもって証明するのだな!』
迫りくる無数の枝、
左右にステップでかわすルーミィ……。
業を煮やした妖精王は、氷結魔法を発動する!
魔法が飛び交う。
静観していた仲間たちが動き出したのだ!
炎の壁が氷結魔法の発動を解く!
突っ込むルーミィを追うように、仲間たちが大木の幹に襲いかかる。
再び、魔法が激しく飛び交う。
地から湧き出でる氷柱は、魔法により無力化されていき、逆に魔力を帯びたダークエルフたちの剣は大木を切り刻んでいく。
武器のない者も全身全霊を込めて戦った。冒険者たちは石や木材を手に、ラールやクーデリアは拳が血まみれになるまで殴り続けた。
激しい戦闘は数刻に及んだ。
大木には無数の裂傷が走り、枝が四散している。しかし、最後に聖騎士アスランが凍りついたとき、広い空間には、40を数える氷柱が林立していた。
魔力量の差は歴然であった。始めから敵う相手ではなかった。お互いの心の溝が、怒りが、残酷な結果を招いた。
『不本意な争いだ……』
『妖精王……いえ、父上。僕たちは……本当に正しいのでしょうか……姉様や、この方々が……正しいのではありませんか?』
青い小鳥は枝から舞い降りると、青いローブの少年の姿に変わる。少年は大木にすがりつき、泣きながら訴えかける。王の裁定に異議を唱えることは彼にとってはあり得ないことだった。しかし、あまりにも酷い惨状が、そのあり得ないことを言わせていた。
『……ミールのみならず、お前まで……』
『父上! 姉様は……死すべき運命なのでしょうか? 私には到底……信じられません! 私は……魂の評価が見えるという……人間に触れて……分かりました……裁定が過ちであったと!!』
『くだらん! 我は暫し眠りにつく。お前も頭を冷やせ』
大木は穏やかな光を放つと、自身を光の膜で覆い尽くしていく。癒しの光の中に自らを包み込んでいく。
『僕は己の正義に従い、旅に出ます……』
少年は再び小鳥の姿になり、樹木の隙間から飛び立っていく。
そして、妖精王の森は深い沈黙に包まれた。
★☆★
10日が過ぎた。
悲しみと静寂に満ちた場所に、再び青いローブの少年が降り立つ。妖精王は、未だ深い眠りの中で心身ともに自らを癒やし続けている。
少年は、目に映る光景に我を失う。あり得ない奇跡を目の当たりにし、彼は叫んだ。
『やはり僕たちが間違っていた!! ここまで愛される人が、死んで良いわけがない!!』
40の氷柱が、ハル少年と妖精ミールの樹氷を同心円状に囲うように移動していた。動けるはずがないのに! それはまさに、氷のように清らかなる深い愛情が生んだ、見まごう事なき“奇跡”であった。
青いローブの少年はハル少年に近づく。奇跡の正体を見極めるべく、逸る心が足を動かす。
ハル少年のすぐ周りには4人の少女がいた。みな、必死の形相で愛しき人に近づこうとしていた。当然、その身体は永久凍土で包まれ、心臓すらも動いていないはずだった。
彼はハル少年を見上げる。
ハル少年は命乞いをしなかった。生への執着がないのだろうか。否、心臓が未だ鼓動を続けているのは生きようと強く願う意思の証だ! ハル少年は、誰かに憎悪するのではなく、謝りながら魂を氷に委ねた。その顔には使命に向き合う強い意思が表れている。それが生への執着心となって心臓を動かしているのだろう。
彼はミールを見上げる。
彼女はハル少年を深く愛しているのだろう。自らの命を燃やしてでも氷を溶かそうとしていた……ハル少年を生かしているのは彼女の命の炎なのかもしれない。
彼にとって、姉ミールは尊敬と羨望の対象だ。母は魔人に喰い殺され、父は森に逃げた。しかし、彼女は戦うことを選び、世界を旅した。そして……勇者を見守り、世界を平和に導いた。決して力があるわけではない。ただ、彼女には優しさと、平和を愛する心があった。彼にとって、それはかけがえのない真の力だった。姉を救いたいと彼は強く願った。
彼は金髪の少女を見上げる。
魂の価値を見られるという少女……実は、彼にも似た力があった。触れた者の魂を感じる力。彼は、殴られながらも彼女の魂を知った。黄金に煌めく正義の輝き……それは、ハル少年の銀色に輝く偉大な魂を支えるべき力を持つ魂だった。2人が力を合わせれば不可能なことはないと思わせるほどの煌めきだった。
彼は赤髪の少女を見上げる。
見開いた彼女の両目から涙が滴り落ちている。足元にできた涙の水溜まり……温かさを感じる。それはハル少年に対する深い愛情なのだろう。流れ落ちる涙が永久凍土をも溶かしたのか……まさに信じられない奇跡だった。
彼はもう1人の金髪の少女を見上げる。
整った綺麗な顔を悲哀の表情に歪めている。彼女だけは、必死に血まみれの両手を伸ばしてハル少年に触れようとしていた。もう少しで氷が触れ合い、1つになるだろう。なんと深い愛だろうか。動けないはずなのに……心臓さえ止まっているはずなのに……切なすぎる。
彼は銀髪の少女を見上げる。
森の護り人ダークエルフ……なぜ無謀にも妖精王に反旗を翻したのか、分からなかった。しかし、彼女の嘆きの表情が全てを物語っていた。ハル少年と共にありたいと願う、彼のためなら全てを捧げられるという確固たる意思が表れていた。
青いローブの少年は、悲しみの中に真実を見る。これは奇跡などではない、正しい者が持つ真の力なのだと。そして、彼は10日間における旅の目的を果たすに至る……。
突然、樹木の天蓋が轟音と共に爆散した。
木漏れ日の中に小枝の雨が混じる。何かが空から舞い降りてくる。それは、彼が捜し求めた存在であった。
轟音は妖精王を覚醒させた。
魂の罪人を中心として同心円状に並ぶ氷柱を見た王は、あり得ない奇跡に言葉を失う。そこに、業火を纏った不死鳥フェニックスが降り立つ。
『大精霊様!?』
『霊王よ、汝の所業は神々の意思に背くものぞ! 妾は未来永劫、勇者リンネ様の下僕よ。リンネ様の魂を受け継ぎし者を追ってきてみれば……此はなんたること!』
炎の最上位精霊フェニックス――神より永遠の命を与えられし新たなる精霊王。神意の代行者にして神に最も近しい存在。それが人間の下僕……妖精王は再び絶句した。
『リンネ様が人魔共存を果たして後、何故に汝は森の最奥、三重結界の中に引き篭る? 世界は急速に変貌している。平和を手に入れた世界は、真なる幸せを求めるもの。そこには新しき秩序が必要だ。故に、秩序神は妾に仰られた。“清き魂を護れ”と。この者らは魂の審判なり! 汝如きが裁くこと叶わぬ、裁かれるのみ!』
『我は裁定を誤ったのですね……』
『左様。過ちは避けられぬ。その後、信頼を取り戻すか、身をもって償うか……汝自身が選べ』
フェニックスの眼光が妖精王を射る。容赦なく即断を迫る。
『……我は新しき世界に不要な存在。裁定の過ちは我の弱き心が導いた必然。身をもって償うが妥当でしょう』
『その覚悟、しかと聞いたぞ! 妾の業火の中で新たな生命を育むが良い!』
フェニックスの纏う炎が大木を駆け上がる。
苦痛の悲鳴は上がらない。蒼白く燃える業火は全ての悔恨を、悲哀を、罪過を燃やし尽くしていく……。
そして、青く輝く種が1粒残された。
『父上!!』
青いローブの少年は、こうなることを予期していた。しかし、己の無力さに、流れ出る涙が跡を絶たない。
『汝、小さき者よ! 新しき妖精王と共に青き種を育てよ! 其は世界を映す鏡なり。慈愛の心をもって育むべし!』
『畏まりました……必ずや!』
フェニックスは小さく頷くと、静かに振り返る。そこには未だに溶ける気配を見せない氷柱が41本佇んでいる。
『さて……いくら妾でも、此は至難よのう』
フェニックスは試しとばかり、最寄りの氷柱へと口から業火を吐き出す。しかし、氷塊はわずかに蒸気を発するのみだ。
『どうするか……』
悩んだ挙げ句、フェニックスは姿を変える。
赤い髪の、赤いワンピースを着た10代前半とおぼしき少女だ。彼女はハル少年の下に近づくと、おもむろに左手を伸ばす。
ジュ~という、炎と氷が激しくせめぎあう音と共に、水蒸気がたちのぼる。少女は苦しい表情を見せながらも、氷を削っていく。
5時間もすると、ハル少年の身体が弱々しく地に崩れ落ちた。続いて、ミールも氷結魔法から解き放たれる。
フェニックスが冷えきった身体を優しく介抱するが、ハル少年の意識は戻らず、瞳は固く閉ざされたままだった。心臓はしっかりと鼓動を続けているのに……。フェニックスは力なく呟く。
『手遅れだ……魂が死んでおるな……』
青いローブの少年は、姉のミールにローブを纏わせ、話しかける。
『姉様……大丈夫ですか……』
ミールの目に淡い光が宿る。
彼女は瞬時に全てを悟る。父なる妖精王が輪廻の時を迎えたこと、自分が新たな妖精王となったこと、そして……ハル少年の魂が死んでいること。
『ワタシにはハル様を助けられないの!? ハル様は自らの魂を削ってワタシを救ってくれた。ワタシは2度も助けられたのに! ワタシには何もできないの!?』
疲労したフェニックスが優しく語りかける。
『ミール、久しいのう。霊王がそなたに託した力を解き放つのじゃ。奇跡はまだ終わらない!』
『フェニックス様……わかりました! ワタシは絶対に諦めません!!』
ミールは両手を胸の前で組むと、目を閉じ祈りを捧げる。
大地が震える……地面から萌え出でるたくさんの色とりどりの花……それは新しい生命を生み出す霊力。大地が持つ無限とも思えるエネルギーが、自分を囲む氷柱を溶かし始める……。
炎を纏う少女が不敵に笑い、青い髪の少年が奇跡の力を目の当たりにして感涙に
数分後、全ての氷柱が溶けきると共に、仲間たちが駆け寄ってくる。
「ミール! 良かった……でも、ハルは?」
フェニックスが手に抱くハル少年に、未だ魂は戻らない。みんなが無言で俯いていたそのとき、1人の少女が叫ぶ。
「ルーミィ、ラール、ミール、アネット。順番を覚えてる? クーが1番だったよね!!」
「クー……何を……?」
「ハルくんを起こすよ!!」
そう言うと、ハル少年をフェニックスから奪い取り、強く抱き締めながら、熱い口づけをした。
みんなが呆然とする中、クーデリアからハル少年を奪い取ったラールが優しく口づけをする。
次は、ミールの番だ。顔を真っ赤に染めながらラールからハル少年を預かると、初めての口づけをする。
そして、待ちくたびれたアネットがハル少年を抱き寄せて、その唇を奪う。
最後……涙を堪え、ハル少年に語りかけるように、ルーミィがゆっくりと唇を重ねた……。
奇跡は……起きた。
5人の愛が起こしたのか、見かねた神が起こしたのか、さては最初から少年が起きていたのか……。
ゆっくりとハル少年の瞼が開いていく。
恥ずかしそうな表情で、ルーミィの唇を眺めている。
少女たちが彼に駆け寄る。涙でもみくちゃにされながら、無言で抱き締めあう。
他の仲間たちは、長い間ずっとその光景を眺めていた。
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