第2話 砂漠の惑星ロッコル

 ――星霜歴2028年。

 UI戦争の終結から三年の月日を経た、この時代の中で――人類は驚くべき早さで復興を遂げ、半世紀前の栄華を取り戻しつつあった。


 軍部はこの戦争の勝利を経て、次なる脅威に備えて軍拡を推し進めている。

 半世紀に渡る戦争で失われた優秀なパイロット達の穴を埋めるべく、次世代のエース育成を目指した訓練を積極的に取り入れるようになっていた。


 そして――UIと共に宇宙から姿を消した「ラオフェン・ドラッフェ」の名は、救世主として今も人々に語り継がれている。

 軍とは無関係の教科書にまでその名が載り、彼に救われた星の住民の間では、ラオフェンを軍神として祀る宗教まで台頭するほどであった。


 この全宇宙に、ラオフェン・ドラッフェを知らない者はいない。――だが、その名が知れ渡ったところで、その少年はもはやこの世にはいないのだ。


 ――エースパイロットがいない時代こそ。彼自身が願った、人々が望む平和な世界なのだから。


 ◇


「それは――本当なのですか!?」


 青い空の下に広がる一大都市。宙を飛ぶ車が飛び交い、多種多様な種族の宇宙人達が道行く街並みが、男の視界に広がっている。

 その後ろで叫ぶ女性は、その男の背を真摯な瞳で射抜き、彼の真意を問うている。


 髪の色、目の色、尻尾の有無。ありとあらゆる部位が異なる異星人同士の交流を見下ろす男は、彼女に視線を合わせることなく――この超高層ビルのガラス壁から、平和を謳歌する人々の営みを見守っていた。

 ――かつて自分が見出した少年が、全てを賭けて守り抜いた世界を。


「ああ。……あれから、もう三年になる。彼と共にあらゆる宙域で戦ってきた君なら、知る権利はあると思ってな」

「どうして、なぜそんな……! 彼ほどの英雄を、そんなことで野放しにするだなんて!」

「――出来る限りの望みを叶えたい、と彼に言ったのは君だろう。今がその時だと、私は思うのだがね」

「だからと言って、そんなこと……!」


 自分の言葉に動揺し、憤慨する部下を一瞥もせず。白髪の男は皴の寄った口元を緩め、未来ある子供を抱く人々を見つめる。

 彼の瞳に映る人々の暮らしだけが、彼の全てであるかのように。


 ――全宇宙を束ねるコズミシア星間連合政府。その中枢である第一惑星アースグランドの首都「へレンズシティ」に住まう人々は、彼に見守られながら平和のひと時の中に生きている。

 かつて「ワシントン」と呼ばれていたこの街は、コズミシア星間連合軍の本拠地となっており、数多のパイロット候補生がこの近辺の基地で訓練に励んでいる。

 男がふと視線を上げた先では、コスモソードの練習機が沖の向こうで激しい訓練に臨んでいた。


「コルトーゼ将軍。彼の生い立ちは知っているかね」

「……はい。この惑星アースグランドの一国家『ジャパン・エンパイア』の出身で、パイロットとして徴兵されるまでは曲芸飛行士として活躍していたと――」

「――その頃から。今も。彼はずっと、目に映る人々の笑顔を願い続けていた。強硬な軍部への反発から、脱走者が絶えないと言われていた現地徴用兵でありながら……彼がパイロットとして戦い続けていたのも、自分の戦いが人々の笑顔に繋がると信じていたからだ」

「……っ」


 ようやく部下と目を合わせた男は、皺の中に隠された鋭い眼差しで彼女を貫いた。その威厳と言葉の重みに触れ、部下の女性――ゼノヴィアは息を飲む。

 コズミシア星間連合軍総司令官、ハリオン・ルメニオンの眼光は――歴戦の女傑すらも黙らせる覇気を纏っていた。


「――私達は、それを裏切った。政府の官僚共は彼をダシに内輪もめに明け暮れた挙句、彼を危険視するあまり暗殺まで企てた。軍部は彼の退役すら認めず、口八丁手八丁で彼を軍に縛り付けようとした。……そうなってしまっては、もはやあの少年が己の願いを叶える術は、一つしかない」

「それで……そのような、ご決断を……?」

「この星は……いや、宇宙は。彼の力あってこその平和に満ちている。誰にも異論は許されぬはずだ」

「いいえ……いいえ! だからと言って彼という存在が、辺境の惑星で朽ち果てるなど……! あってはならないことではありませんか!?」

「コルトーゼ将軍。ラオフェン・ドラッフェはその役目を終えた。……そろそろ、眠らせるべきだとは思わないかね」


 ハリオンは諭すような口調で宥めるが――ゼノヴィアは唇を噛み締め、引き下がる気配を見せない。彼はそんな部下の姿を見遣ると、再び視線を街並みに戻し、独り言のように呟いた。


「――そんなに納得がいかないのであれば、直に彼と話すといい。彼なら今、惑星ロッコルにいる」

「……惑星ロッコル……!」


 その名前が出たことで、ゼノヴィアは目を剥く。そんな彼女の様子を見遣るハリオンは、スゥッと目を細めた。


「うむ。――君の娘の、配属先だな」


 ◇


(最悪、ね)


 配属先が発表されてから一ヶ月。悪い夢であって欲しい、と何度願ったか。

 ゼナイダ・コルトーゼは宇宙に浮かぶ砂漠の星を見つめ、暗闇の海の中で深く溜息をつく。ヘルメットに収まるミドルヘアの髪が無重力により、その視界の隅でふわりと揺らめいた。


 彼女を乗せた白銀のコスモソードは、緑で縁取りされた翼で宇宙を切り裂き、眼前の不毛の土地を目指す。

 母譲りの藍色の髪や翡翠色の瞳。色白の肌に類稀な美貌。全てが男の劣情を揺さぶる色香を放っているが――その表情は死人のようであった。


 その理由は、自身がコズミシア星間連合軍の名将、ゼノヴィア・コルトーゼの娘でありながら、ロッコルという辺境中の辺境惑星に配属されることになった点にある。


 敬愛する母のような気高い軍人となるべく努力を重ね、齢十七で軍のパイロット課程を修了した彼女だが――曲がったことを絶対に許さない性質が、腐敗した上層部の不興を買う結果となっていたのだ。


 全宇宙にその名を響かせる女傑・コルトーゼ将軍の娘とあっては、生意気であっても無下には出来ない。そこで彼らは「治安の悪い僻地だからこそ、優秀なパイロットが目を光らせねばならない」と体のいい理由をつけ、彼女を辺境の惑星ロッコルに配属したのである。


 その真意に気づかない彼女ではなかったが、どのみち新任少尉の身では発言力などないに等しい。その上、母にまで「これも試練」と言われれば、従う他なかった。


(……しかし、妙だ。普段の母上なら、このような横暴は絶対に許さないはず。なのにこの件に限っては、是が非でも私をロッコルに行かせようとしているようにも伺えた。母上をそうさせるほどの何かが、あそこにあるとでも……?)


 どれほど思案しても、強く反発しなかったことを後悔しても。今の彼女には、前に進む以外に道はない。

 緑の機械仕掛けの鳥は、憂鬱な面持ちの主を乗せて、辺境の惑星へ向かっていく……。


 ◇


 惑星ロッコル。

 コズミシア星間連合政府の管轄下において、最も中枢から離れた小惑星である。

 他の惑星と同様に様々な種族が共同で生活できる環境であるが、その整備状況は類を見ないほどに劣悪であるとされ、専ら貧民層の溜まり場として、その地位を獲得している。

 近年は戦争終結に伴う落ち着きもあってか、治安も良好のようだが――それ以前は血で血を洗う無益な抗争が絶えなかったという。


(……なによ、あれ)


 そんな場所へ降り立つことになってしまった彼女の前には今――白い航跡で描かれた「WELCOME!」の文字が視界を埋めるように広がっている。燦々と輝く太陽の下で行われた、あまりにも大きく派手な出迎えに、ゼナイダは困惑を隠せない。


(……貧しさのあまり、頭がおかしくなってるのかしら。この惑星の住民は)


 そこからやがて生まれ出た否定的な感情に、ゼナイダは細い眉を吊り上げる。遠目に伺えるオンボロの民間機は、フラフラになりながら懸命に、青空に航跡のメッセージを描いていた。


 ゼナイダが着任する地点――小都市「ポロッケタウン」。その目的地への到着を目前にしての、この頭の悪そうな「大歓迎」であった。

 こちらを誘導するように飛ぶ民間機。あり合わせの素材を継ぎ接ぎで形にしたようなハリボテ同然のそのフォルムは、この星の貧しさを主張するかのようなみずぼらしさを放っている。


(本来ならば先任の駐屯パイロットが出迎えに来るべきでしょう? なぜこんなボロボロの民間機が……。もしや、これがここの軍用機……?)


 軍用機を差し置き、翼を振って味方機であることを主張する民間機。その手慣れた動作や風貌に見合わない優雅な飛行に、ちぐはぐさを感じつつも――ゼナイダは促されるまま、着陸地点を目指した。


 ◇


「……最悪、だわ」


 地上に降りて早々、出てきた言葉がそれだった。ポロッケタウンの駐屯基地――と読んでいいのか怪しいその場所は、タンブルウィードが飛び交う荒地も同然であった。


 辛うじて機体を格納できるスペースはあるものの、ゼナイダ機を除くコスモソードはたったの一機。

 入念に整備され尽くした格納庫に、所狭しと並ぶコスモソードの景観――というアースグランドの基地に馴染んでいたゼナイダにとって、このポロッケタウン駐屯基地の荒れようは目に余るものがあった。


 派手な航跡メッセージでゼナイダを出迎えた民間機は、基地から離れた敷地に降り立っている。――どうやら軍用機らしからぬフォルム、というわけではなく本当に民間機だったらしい。

 その非常識極まりない歓迎に、エリート出身の新米パイロットはさらに頭を痛めた。一体どれほど叩けば、文字通りの埃が出てくるのか――と。


「パイロットさーん! ようこそ、惑星ロッコルのポロッケタウンへ!」


 そう考え込んでいるところへ、黒髪の青年が手を振って駆け寄ってくる。黒いライダースジャケットに赤いグローブを嵌めた彼は、派手な身振り手振りで自身の存在を主張していた。

 端正な顔立ちではあるが、その立ち振舞いからは頭の悪そうな印象しか抱けない。即座に彼が、あの民間機のパイロットであると看破したゼナイダは、冷ややかな眼差しで睨む。


「……あなた、民間人よね。ここの正規パイロットは何をしているの?」

「えーと、すみませんパイロットさん。うちの人、多分今頃飲みに行ってる頃でして」

「うちの人って……。というか、こんな昼間から基地も空けて飲みに行ってるって、どうなってるのよこの星は」

「あはは……。まぁ、おおらかな人でいっぱいですから、この街は」


 緊張感のない笑みを浮かべる青年の物言いに、ゼナイダはため息と共に額に手を当てる。あまりに非常識な町と基地と住民に、文字通り頭を痛めていた。

 基地の外に乗機を泊めた彼が、ここに徒歩で来た――ということは、民間人の立ち入りすら容認しているということになる。つくづく、非常識。もはや基地という体裁を成しているとは言えない有様だ。


「あの人なら今も飲み屋にいると思います。近くですのでご案内しますよ」

「……悪いけどお願いするわ。先任から基地の情報も聞かなくちゃならないし。……それにしても、あなたは一体?」

「あっ、すみません! そういえば自己紹介もまだでした!」


 青年はハッと顔を上げると、ゼナイダの正面に立ち――朗らかな笑顔を浮かべ、大仰に両手を広げた。


「オレは竜造寺りゅうぞうじカケル! このポロッケタウンに花いっぱいの笑顔を振り撒く曲芸飛行士ですっ!」

(頭の悪い男ね。見るからに)

「せっかくですし、お近づきにこれをどうぞ! オレの故郷に伝わる伝統的食べ物! 『素麺そうめん』です!」

「私はゼナイダ・コルトーゼ少尉。……そのわけのわからない食べ物は遠慮させて頂くわ。バカが移りそう」


 その、頭の中に花畑が広がっているような自己紹介に、ゼナイダは冷ややかな眼差しを向ける。そんな彼女の冷淡な態度など意に介さず、その眼前に小さく箱詰めされた土産を差し出してきた。

 それを蚊を払うように手振りで拒絶するゼナイダは、うなだれるカケルを無視して基地の外へと踏み出して行く。町へと繰り出す彼女を追い、カケルが慌てて走り出したのはその直後だった。


(――コルトーゼ、か)


 ◇


 タンブルウィードが忙しく転げ回り、へレンズシティに劣らぬ多種類の宇宙人が、狭い街道を行き交っている。

 舗装もされず、砂塵に地の色を染められた、低い建物ばかりの町並み。さながら西部劇のようなその光景に、ゼナイダは激しい文明の差を感じていた。


(……星間連合の管轄下に、こんな文明未発達な都市があるとは思わなかったわ。私も、まだまだ勉強不足ね)


 そんな彼女に、町の施設を一つ一つ丁寧に説明しつつ。カケルはある酒場のウエスタンドアを開き、笑顔で彼女を招き入れる。

 どうにも胡散臭いその振る舞いを訝しみつつ――彼女は応じるように中へ踏み込んだ。


「おうカケルじゃねぇか。なんだぁそのべっぴん。新しい彼女?」

「違うよ、新しくここに来てくれた軍のパイロットさん。前にジャックロウおじさんが話してたろ?」

「あー……そうだっけか?」


 そこでは享楽的な男達が昼間から飲んで騒ぐ、よく言えば自由奔放、悪く言えば無秩序な光景が広がっていた。その中の知り合いらしき一人の青年が、酔っ払った様子でカケルに声を掛ける。

 艶やかなブラウンの髪や金色の瞳など、見目麗しい容姿ではあるが――そのぐうたらな振る舞いと着崩し過ぎな緑のジャケット姿からは、容姿に見合う気品はまるで感じられなかった。


「竜造寺さん。こちらの知能指数が怪しい男は?」

「知能……。え、ええと。こっちはアイロス・フュードマン。この街で賭け事ばっかりしてるレーサーです」

「おい、レディの前で間違えんなよカケル。ただのレーサーじゃねぇ。この街で一番の、超一流レーサー……だぜ? 麗しいお嬢さん」

「街で一番の愚かな頭脳であることは理解したわ」


 容赦のないゼナイダの物言いに眉を顰めるアイロスは、カケルを手招きするとそっと耳打ちする。


「おい……なんなんだこの失礼な女」

「ま、まぁ悪い子じゃないから仲良くしてあげてよ。……多分」

「さっきの物言いからどこを抽出すればそんな判断に至るのか教えろ! ……あだっ!?」


 その時。チラチラと横目でゼナイダを見遣りながら、しきりに抗議するアイロスの脳天に――上方からの拳骨が炸裂した。

 頭を抑えながら、その拳――を放った張本人を睨み上げる彼の視界には、一人の少女の姿があった。


 ――が、少女という表現は十八歳という彼女の年齢に準じた言い方でしかない。その豊満に飛び出た巨峰とくびれた腰、山なりに膨らんだ臀部という肢体は、大人の女性としての色香を存分に孕んでいた。


 淡い桃色のシャギーショートの髪を白いリボンで飾った彼女は、碧色の強気な切れ目でアイロスを見下ろしている。一見するとそのままでも色白な肌の持ち主ではあるが、青いホットパンツやベージュのベストトップの隙間からは、さらに白い柔肌が覗いている。

 さらに彼女のベストトップは、身長に合わせたものより遥かに大きなサイズでありながら、持ち主の巨峰に押し上げられ、今にもボタンがはち切れそうなほどに張り詰めていた。


 西暦時代のカウガールを彷彿させるその衣装と、胸と共に腰で揺れる一丁の光線銃レイガンが意味する通り――彼女、カリン・マーシャスはこのポロッケタウンに駐在している保安官である。


「なにすんだカリン!」

「それはこっちのセリフよ。酒場のツケ、もう何ヶ月滞納してると思ってんの。お喋りする暇があるなら日雇いでも何でもやって、さっさと返済しろ穀潰し」

「ンだとォ!? 俺様を誰だと思ってやがる、ポロッケタウン一の超一流レーサーに向かって!」

「なぁにが超一流よ。こないだ酔っ払ったままレースに出たせいで、あんたに賭けた客に大損させて大量に借金抱えてるくせして」

「うるっせぇ! だから次のレースで全部取り返すっつってんだろうが!」


 そんなカリンに対し、アイロスは目を剥いて怒鳴り散らす。だが、その怒気を至近距離から浴びても、当の女保安官は眉一つ動かすことなく彼を見下ろしていた。

 彼女の圧倒的なプロポーションと、そのグラマラスな身体つきを余すところなく表現した服装に、見慣れているはずの周囲の常連客も喉を鳴らして凝視している。――が、すぐさま彼女が余所見しながら投げてきた灰皿を額に喰らい、邪念を霧散させられてしまった。


「もうとっくにあんたのマシンは差し押さえられてるのに?」

「ぐっ……へ、へっ。俺様くらいになりゃあ、安物のレンタカーでも優勝は狙えるのさ」

「あっそう。じゃあ今度それで負けたら、十年ここでタダ働きして返済しなさいね」

「んなぁ!? おいコラ、カリン! てめぇそれが幼馴染への仕打ちかぁ!?」

「腐れ縁よ、それを言うなら。幼馴染なんて綺麗な言い回し使うんだったら、あと百年は男を磨きな」


 まるで容赦のない物言いを、一通りアイロスにぶつけた後。カリンは新顔のゼナイダに気づくことなく、カケルに目を移し――


「いらっしゃいカケル! 今日のフライトもかっこよかったよ!」

「あ、ああ、ありがとうカリン。でもアイロスがそこでしょぼくれてるんだけど……」

「いいのよコイツの笑顔は咲かせなくて。それより喉乾いたでしょ? 何か飲んでく?」

「いや、後でまた貰うよ。ジャックロウおじさん見なかった? 多分ここだと思ったんだけど、姿が見えなくて」


 ――態度を急変させて、華やかな笑顔で彼の腕に体を絡めた。まるで自分の匂いをマーキングするかの如くその肢体を擦り付けながら、彼を椅子へと案内しようとする。

 その光景に歯ぎしりする常連客達を一瞥して冷や汗をかくカケルは、そんな彼女を制して用件を告げた。


「え、父さん? ……うーん。父さんだったら今頃、民間飛行場で飲み仲間とドンチャン騒いでる頃かな」

「オレの機体の近くでか? しょうがないな、もー……」

「あはは、ごめんねあんな父さんで。でも、父さんに何の用事? 急がないなら、ゆっくりしてってよ。あたし奢るから」

「おぃい! 奢る金あるなら酒場のツケくらい立て替えろよ!」

「黙れ穀潰し」

「ンだとォ!?」

「えっと、正確には用件があるのはオレじゃなくて――こっちの少尉さんなんだ」


 しばらく内輪話で放置されていたゼナイダに、ようやくカリンは目線を合わせる。体にぴっちりと張り付いた、コズミシア星間連合軍のパイロットスーツを纏った彼女から、カリンはおおよその事情を察するのだった。


「ああ、なるほど。あなたが例の新しくポロッケタウンに来たっていう、軍のパイロットさんね? 初めまして、あたしは駐在保安官のカリン・マーシャスよ。よろしくね!」


 そして満面の笑みとともに手を差し出し――握手を求めた。その好意的な挨拶に自分の手で応じつつ、ゼナイダは横目でカケルを見遣りながら問う。


「ゼナイダ・コルトーゼ少尉よ。……こちらこそよろしく、と言いたいところだけど。品性に欠けたその格好と言動を見るに、脳に必要なエネルギーを丸ごと乳に吸われているようね。町の治安は任せるから、私達パイロットの邪魔だけはしないでちょうだい」

「……は?」


 その瞬間、カリンの表情から一瞬にして笑顔が消え去り。今にも腰の光線銃に手が伸びそうなほどの殺気が迸る。

 悍ましい威圧に触れたカケルは、その状況から酒場の危機を察し、慌てて二人の間に割って入った。


「え、ええと! こっちはカリンっていう町の保安官さんで、アイロスの幼馴染なんです! この町唯一の軍人のジャックロウおじさんの一人娘で、明るく活発でいつもみんなの人気者で――」

「――どいてカケル。そいつ撃てない」

「ちょ、待ってカリン光線銃抜かないで! 今彼女に君がいい子なのを説明してるとこだからぁぁぁ!」

「……つくづく低俗な文明ね、この星は。ちょっと毒づかれた程度で安易に武器を抜く。まるで猿だわ」

「んぬぁんですってぇえぇ!」

「コルトーゼさんも煽っちゃらめぇえ!」


 どこまでもポロッケタウンの住民に毒を吐くゼナイダに、カリンは激情のままに飛び掛かろうとする。それを懸命に宥めるカケルだったが、さらに加速するゼナイダの煽りに悲鳴を上げるのだった。

 詰め寄るカリンに押され、一歩も引かないゼナイダに挟まれ。爆乳と美乳に挟まれたカケルは一触即発の事態を回避すべく、懸命に説得を試みていた。


 ――だが。事態はさらに、混迷を極める。


「う、うわぁっ!?」

「きゃあ!?」

「……っ!」


 揉み合いの弾みで転倒してしまう三人。その中で真っ先に我に返ったカケルは――いつしか、天に向かってそそり立つ張りのいい膨らみを、揉みしだいていることに気づいた。

 右手にカリンを、左手にゼナイダを。


「んぁっ!?」

「ぅんっ……?」


 その感覚を遅れて感じ取った二人が、相次いで甘い吐息を漏らす。やがて我に返った二人は状況を察すると、慌てて同時に胸を隠した。


「も、もう! カケルったら、相変わらず変な転び方するよね!」

「あぁいや、ごめんカリン」

「……カケルのえっち」


 だが、カリンはさほど気にしていないのか――むしろ好意的ですらあった。ほんのりと頬を染めながら、微笑を浮かべて呟かれた言葉からは「怒り」というものはまるで感じられない。


 ――しかし、一方のゼナイダは。


「……ぃ……だ……」


 俯いたまま、うわ言のように何かを呟いていた。


「……ほ、だ……」


 ――どこか打ち所が悪かったのかも知れない。彼女の様子からそんな可能性を危惧したカリンはカケルと顔を見合わせ、優しげに声を掛ける。


「ね、ねえちょっと。あんた大丈夫――」


 その瞬間。ゼナイダはガバッと一気に立ち上がると、胸を片手で隠しながら腰の光線銃を引き抜き、息つく間もなく天井に乱射する。

 突然の暴走に酒場は騒然となり、カケルとカリンも唖然となってしまった。


「――逮捕だあぁあぁあ! 公然猥褻罪の、現行犯逮捕だあぁあぁあッ!」

「え、ちょ、待っ――」

「――逮捕するぅうぅう! 逮捕すりゅうぅぅうう!」


 その非常識極まりない行動と、茹で蛸のように真っ赤に染まった顔。ぐるぐると回り、定まらない視線。それらの状況証拠から、ウブな彼女がラッキースケベを受けて暴走を起こしたと看破したカリンが、宥めようと歩み寄る。

 だが、ゼナイダはまるで耳を貸す気配を見せず――いきなり当事者のカケル目掛けて発砲してきた。


「うわぁ!?」

「竜造寺カケルぅぅう! 逮捕だあぁあぁあ!」

「ちょ、待ちなさいゼナイダ! あんたこんなところで発砲なんか――ひゃあ!?」


 それを止めようとしたカリンまで発砲され、慌てて伏せた彼女の頭上を、青白い閃光が突き抜けて行く。木造の壁に小さな穴を幾つも作りながら、暴走するゼナイダは酒場を飛び出したカケルを追い始めた。


 ◇


「と、とにかく民間飛行場が一番人が少ないはず! それにジャックロウおじさんに会わせれば、目的を思い出して落ち着きが戻るかも……ひぃ!?」


 これ以上乱射させれば、酒場の常連客に当たる。そう踏んだカケルはなんとか人通りの少ない場所へ誘導するべく走り出したのだが――その後ろを走るゼナイダは、女性とは思えないほどの速さで肉迫してくる。


「や、やばい。ジャックロウおじさんに会っても正気に戻るかな、あれ……」

「逮捕するぅうぅう!」

「待ちなさいゼナイダぁぁあぁあ!」


 さらにその後ろから、暴走機関車と化したゼナイダを追う女保安官。三人の壮絶な追跡劇は、道行く顔馴染みの町民達を唖然とさせる。


「お、おい。カケルの奴なにやってんだ? 二股? 修羅場?」

「見ねえ顔が光線銃持って追いかけてるぜ。多分あいつが浮気相手だな」

「カリンの奴もモテる男に惚れて大変だねぇ」

「おーいカケル、これに懲りたら女遊びもほどほどにしとけよー」


 だが、基本的に自由奔放な住民が多数を占めるこの町では、捕り物も修羅場も珍しい光景ではない。すぐにいつものことと慣れてしまった彼らは、気ままに手を振り、最前線で決死の逃避行を続けるカケルをからかうのだった。


「ちょっ……ちょっとぉ! 全然そんな状況じゃないんですけ――ほぉあ!?」

「逮捕すりゅうぅぅうう!」

「いい加減にしなさいゼナイダぁあ! それ逮捕じゃなくて銃殺ぅうぅ!」


 そんな能天気な住民達に突っ込む暇もなく、青白い閃光が頬や足元を掠める。一瞬の油断が命取りに繋がる状況に陥り、カケルは顎に冷や汗を滴らせた。

 その元凶たるゼナイダを懸命に追うカリンは、胸を激しく揺らしながら汗を散らして街道を走る。自分の胸や尻を厭らしく見つめるギャラリーに、ガンを飛ばしながら。


 ――やがて。アリーナのように大きく広がったドームが、三人の視界に入ってくる。カケルの機体を含む民間機を格納する、民間飛行場だ。

 その入り口近くでは、三十代半ばの仲間達と共に木箱に腰掛け、酒を意気揚々と呷る五十代の小柄な男の姿が伺えた。禿げ上がり、微かに白髪が残った頭と髭が特徴的だ。


「おん? なんじゃカケルか! おーい! お前も飲むか――って、んん?」


 カケルの腰程度しかない身長の持ち主である彼は、カケルに気づくと陽気に手を振り始める。――が、その後ろの人影に気づくと、すぐさま白い顎髭を撫で、鋭い目つきに変わった。


「あ、ジャックロウおじさん! この人は新しく着任してきた軍のパイロットで――」

「んひょおぉおぉぉお〜っ! プリプリのかわいこちゃんじゃ〜っ!」

「ちょっ、おじさんっ!?」


 そして、疾きこと風の如く。ジャックロウと呼ばれた小柄の男は、その体躯からは想像もつかない速度で走り出し――カケルとすれ違う瞬間、ゼナイダ目掛けて飛びかかった。

 体を大の字にして、ムササビのように襲い来る変態。その女の敵を前に、冷静さを取り戻したようにゼナイダは無表情になる。


「ほげがッ!」


 直後。程よい大きさで、形の整ったゼナイダの双丘に飛び掛かるジャックロウの顔面に――非情の裏拳がめり込む。

 生涯、前が見えなくなりそうな一撃を浴びたジャックロウの小さな体は、螺旋状の回転と共に宙を舞う。青空の下に舞い散る鼻血の雨が、その威力を物語っていた。


 凄惨を極めるその仕打ちに、カケルは涙目になりつつ声にならない悲鳴を上げる。――だが、惨劇は終わらない。


 錐揉み回転の果てにジャックロウが辿り着いたのは、セクシーな衣装に身を包む年頃の娘。はち切れんばかりの爆乳にへばりついた彼は、妻譲りの美女に「成長」した愛娘の柔らかさを前に、下卑た笑みを浮かべた。

 全身でカリンの肢体に抱きつく父は、顔を擦り付けるように娘の胸に埋もれて行く。


「んっほぉお〜……えぇ気持ちじゃあ! 母さんと瓜二つの、このぷるんぷるんのおっぱ――ぼぎゃえぁあぁあ!」


 ――路傍の生ゴミを見下ろすような眼差しで自身を射抜く、娘の眼に気づかないまま。


 一瞬でひっぺがされたところに渾身のストレートを叩き込まれたのは、その直後のことだった。もう元に戻せるかもわからないほどに、顔を陥没させられたジャックロウは、矢の如し疾さで後方に吹き飛ばされてしまった。


 その最高速度は現在進行形で先を走っていたゼナイダとカケルを抜き去るほどであり――彼の体はカケルの眼前で、さっきまで椅子にしていた木箱に突き刺さってしまう。

 轟音と共に爆散する木箱。あまりの事態に酔いを覚まし、逃げ惑う飲み仲間。血だるまで横たわるジャックロウだけが、現場に残されていた。


「ジャッ……ジャックロウおじさぁあぁあぁあぁああんッ!」


 刹那。

 耐え難い悲劇に直面したカケルの、悲痛な叫びが青空を衝く。

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