第2話


教室に入って僕は、一通りぐるっと中を見回した。


「おはよう!」


「おはよ~」


クラスメイト達は、普段通りに挨拶してくる。


みんな、不自然な程に自然と、昨日までとなに一つ変わらない朝の風景の中にいる。


まるで、僕だけがドコかの異空間にでも紛れ込んでしまったようだ。


やっぱり、僕以外の生徒はみんな洗脳されてしまった後なのではないだろうか?

 

特になんの変化も見られない普段通りの教室で、クラスのヤツらがやはり何事もなく談笑する中【アレ】だけは相変わらず異彩を放っている。


僕の彼女の頭の上、数センチをウネウネと蠢く触手。


夢か?


もう、これは全て夢オチとかそんなんだったら良かったのだが……。


残念な事に、もう僕の左手は真っ赤になるほど右手に抓られ、コレが夢じゃないという悲しい現実を突きつけられている。


「はぁ~っ……」


ため息がつい、出てしまった。


ため息を吐くと幸せが逃げるとかなんとか、昔彼女に言われた事を思い出す。


ああ、あの頃は良かった。


毎日、特にこれと言った変わり映えのない日々だったけど、今思えばそれが幸せなんだ。


まさか、こんな奇々怪々な事象で彼女に悩まされる日が来るなんて……。


「ホームルームはじめるぞー?」


担任の伊藤が、ジャージ姿で教室に入って来た。


三十代半ばの、体育教師だ。


校内の風紀担当の教師で、口うるさく、暑苦しく、女子に人気が無い。


「みんな座れ~、チャイム鳴っただろ! それじゃあ、出欠を取る~」


もちろん、伊藤も教室に入って来て、何より目立つ彼女の触手に関しての反応はなにも無い。 


だが、もうどうせコイツも洗脳されているんだろうくらいの気持ちでいたので、特に驚きもしなかった。


「相沢~、飯田~、井岡~、植草~」


出欠の点呼は続く。


「斉藤~、篠崎~、鈴木~……」


彼女の名字は、〈た行〉だ。


もうすぐ、彼女の名前が呼ばれる。


「田中~……」


次が彼女だ。

名前を呼ばれ、彼女は、昨日までと何も変わらずに返事をするのだろう。


でも、僕にとっては、今の彼女はもう違うなにかに変わってしまっている……。


「え~っ……」


しかし、名前を呼ぶ前に、伊藤は何故か彼女を凝視した。


伊藤は、出席簿と、彼女を見比べている。


(ま、まさか!? 伊藤も彼女の【アレ】に驚いているのか!? 僕と同じ洗脳されていない側の人間なのか!?)


伊藤が、ゆっくり教壇を降り彼女の方に近づいていく。


僕の心臓は、早鐘を打ちはじめた。


ドキンドキンドキンドキンっ!!


やはり、伊藤は彼女の異変に気付いているのか!?


「オマエ、その頭……」


「────────っ!!」


僕は、思わず叫び出しそうだった。


必死に口元を両手で押さえ込み、教室中に響く大音響で伊藤と共に「オマエ! ソレなんなんだよっ!?」と、心の底から叫びだしたい気持ちでいっぱいだ。


僕は、伊藤のその「オマエ、頭……」に続く言葉を静かに待った。


そして、伊藤がその先を言った途端に、【アレ】に洗脳されたクラスのヤツらが襲いかかって来るかもしれない!


僕はそれに備え微々たる武器として、じいちゃんから高校入学祝いにプレゼントされた万年筆を握りしめた。


「その頭…………」


伊藤が、次のセリフを口に出すのが、僕にはひどく長い時間に感じられた。


しかし、未来永劫に続くかと思われたその時間は、ふいに時を刻み出し僕が待ちにまった、次の言葉へと進み出す。


「はい……」


彼女が、観念したかの様に小さく返事をしてうつむいた。


「少し茶色すぎるぞ! 先生この前注意したろ~? まだ直してなかったのか?」



(そこかよ~~~~っっっ!!)



僕は、心の中で絶妙とも言えるタイミングでツッコミを繰り出した。


今のツッコミの入りは、漫才師として最高の出来だ。

違う、僕は漫才師ではない。


そんな事より、伊藤はなんて言った?


彼女の髪の色がどうとかほざいていたが……、おかしいだろ!?


どう考えても指摘する所を間違っている!


確かに、我が校の校則には[触手を生やしてはいけない]とかいう、とんでも校則は無いけれど……。


それにしたって、今、彼女の頭部に関する事柄で一番の最重要項目は【触手】であって、もう、髪の色なんてのは本当にどうでも良い。

むしろ、一番後回しにしてもらいたいくらいのレベルだ。


「す、スミマセン……!」


彼女も僅かながら怒られて、ヘコんでいるみたいだが。


オマエもそんな事より、もっと一大事が自らの頭頂部で繰り広げられている事を深刻に受け入れて欲しい。


「はぁ~~~っ……」


僕はまた大きく、ため息を一つ吐いた。


幸せがまた逃げる。


伊藤に僅かに期待してしまった、5分前の僕を殴りに行きたい。


やっぱり、伊藤も[洗脳組み]だったか……。


もしかしたら、もうこの辺りには、僕以外で洗脳されてないヤツなんていないのかもしれない。


チラっと彼女に視線を向けた。


彼女の席は僕の右斜め後ろ、振り返るといつも彼女と目が合う。


「怒られちゃった……」


そう言って、おどけた顔を僕に向ける。


それと同時に、触手もすまなさそうに下を向く。


もちろん、触手に意志があるかどうなんて僕は知らんが、ただなんとなくそんな風に見て取れたのだ。



結局、誰も彼女の触手にツッコむ者はいなかった。


1時限目は、数学だ。


僕らの間で、『老師』とあだ名が付いている初老の男性教諭は、トレードマークの丸眼鏡を二、三度指で上げ下げしながら、彼女の顔を凝視したが、それはいつもの事だ。


単に生徒の顔と名前を、確認している作業なだけ。


そうは言っても、覚えてなんて全くいないのだが。


老師は、まるでスリープの呪文でも唱えるかの如く、淡々と数学の方程式を口に出しながら、黒板に書き綴る。


睡魔の襲来だ。


そして、唐突に今日の日付と出席番号を見比べ、問題に答えるよう促した。


で、触手のせいかなんなのか、今日はやたらと彼女が先生にご指名される日らしく、早速黒板に並べられた数の意味を答えよと前に呼ばれたワケだ。


おそるおそる、彼女は自分の席から立ち上がり、前へと歩き出した。


「この問題、答えて……」


老師が、消え入りそうな声で呟き、彼女が問題の前に立つ。


なにを隠そう、彼女は数学がものスゴ~くっ! 苦手だ。


試験の前にはいつも僕の家で集中講座を受けさせ、なんとか赤点を免れている。


「えっ……とぉっ……」


やはり、わからないらしい。


表情は見えない、しかし後頭部からだけでも「わかりません!」という強い思いが伝わって来る。


更に、まるで彼女の気持ちに同調するのか触手が慌てふためいて、荒波を描くかの様にうねっていた。


『わかんないよ~……』


振り向いた彼女の唇は、読唇術など出来ない僕にもそう読みとれた。


そうして目で必死に僕に訴える。


今にも泣きだしそうな顔で、僕に答えを教えてくれ! と彼女は懇願していた。


「はぁ。しょうがない……」


僕は些か納得出来なかったが、彼女のその甘えた表情には弱く、逆らえなかった。


(さて問題は~と…………)


けれども、僕がその彼女が答えるべき数学の問題を見てみようとすると、タイミングと彼女の立ち位置的に、まず黒板が見えない。


というか、本来なら見えるはずなのだ。

黒板に書かれた問題が。


でも、今日は見えない。


なぜなら、ぴったりと問題を覆い隠すみたいに、触手があるからだ。


僕は思う。本当に彼女は、僕に問題を解いて欲しいのだろうか?


その気があるのだろうか?


触手の位置からもうワザと問題を隠している様にすら見える。


触手が「オマエには見せてやらんわ! 下等な人間」と言わんばかりに上手い具合に問題を隠す。


(もう、一緒に映画は観に行けないだろうな……)


洋画の吹き替えに、あんなコトされたらたまったもんじゃない。


全くいい迷惑だ。


そんな僕の苛立ちを知ってか知らぬか、彼女は相変わらずウルウルと瞳を濡らし、僕に答えを求めている。


いや、だから……、オマエの頭の【ソレ】のせいで、答えられるもんも答えられないんだよっ!!


なんなんだ一体っ!?


答えが欲しいなら【ソレ】をどかせ!!


「今日はここまで。各自、復習しておくように……」


その時、ちょうど授業の終わるチャイムが鳴った。


老師はぴったりのタイミングで教科書を閉じ、そそくさと教室を後にする。


教壇にはやれやれという顔をした彼女と触手が残されていた。


はぁ~……。


僕は僕で、今まで感じたコトのない疲労をドっと背中に背負わされ、真冬だというのに、ジットリ嫌な汗までかいている始末だ。


「もうっ! なんで答えを教えてくれなかったの!?」


彼女が頬を膨らませ、うねうね触手を伴いやって来た。


「……えっ……? いやっ、だって……」


オマエの頭の【ソレ】で、問題が見えないんだよっ!!


言ってやりたかった。


心底……、叫んでやりたかった……。


だが…………


「たっ、たまには自分でやんなきゃ、勉強にならんだろうが?」


やっぱり、言えない。


僕は、なんと臆病な小心者なんだろう。


「ぶ~っ……、それは、そうなんだけどさ……」


彼女は、子供の様に拗ねていた。頭の上では、相変わらず触手が蠢いている。


このリアクション、昨日までの彼女と何も変わらない。


変わったのは、頭に生えた【異形のもの】それだけだ。


「テスト勉強の時は、また面倒みてやるから……」


「……ホントっ!? やった~! 頼りにしてるからね!」


僕は、想像した。


彼女の部屋で、机に向かう彼女に僕は数学を教える。


二人の距離は、カナリ近い。密着した体勢。


ふと、横を見れば彼女の可愛い顔。

 


そして…………。



口を開け、今にも襲いかからんとして来る、【触手】!!


「……うーっ……」


僕は全身に一気に鳥肌を立てて、身震いした。


「大丈夫? やっぱり、風邪?」


「いや、大丈夫だよ……。なんでもない」


作り笑顔でなんとかその場を誤魔化した。


本当にそこはなんとかだ、なんせまた彼女の【触手】がまた数本増えている事に、僕は卒倒しそうだったから……。



次の時間、その次の時間は世界史と現国で、別段変わった事は無く過ぎていき。


どの先生も、彼女の【ソレ】に触れる事もなく。


いつもと変わらない、もういっそ【触手】の事など忘れてしまった方がいいような気さえする程に、普段通りの一日が何事もなく過ぎていた。


そんな中……。


4時限目の体育の時間。


男子と女子に分かれて、走り高跳びを行う事になったのだが。


そこで、またもや僕は、なんとも非常識的な光景に目を奪われていた。


ジャージ姿の彼女は、寒そうに両手に白い息を掛けている。


そして先生の合図で、彼女はスタートダッシュの位置に付いた。


「ヨーイ……」


ピー!! というホイッスルの合図。


それと共に、彼女は走り出す。


先に言っておくと、彼女は運動があまり得意では無い。


お世辞にも早いとは言えない、少し内股気味の独特なフォームで約50メートル先のバーに向かっていく。


揺れる髪、白い吐息、そしてたなびく【触手】……。


その光景は異様という以外、形容し難い。


そして、彼女にしては素晴らしいというくらいの奇跡のタイミングでジャンプ、これもまた奇跡の体制でバーを飛び越えた。


(ま、まさか……! アレが生えると、運動神経が良くなったりするのだろうか?)


だが、そんな奇跡続きで飛び越えたバーに、予想だにしなかった事態が起きたのだ。


「あっ……」


僕は、その光景を目にして、思わず口から声を出していた。



彼女の触手が、バーに食いついたのだ!!



大口を開け、思いっきりまるで焼き鳥の串に食らいつくかの如く……。


僕は、その突然の触手の凶行に、驚きと恐怖とそして、これが現実で【ソレ】はそこに実在するものだという確信を得た。


【触手】は、バーに食らいついたまま、左右に激しくこうべを振っていた。


まるで、応援団がフラッグを振るかのように、白く長いバーをブンブンと振っている。



普通ならこんな阿鼻叫喚の光景に、クラスメイトや果ては先生だって逃げまどうであろうこの状況で、特にそんな様子は無い。


周りを改めてゆっくり観察してみた。


これといって特別な反応をしている生徒は、やっぱりいない。


そして、彼女といえば……。


「あ~っ、もう~……もう少しだったのに~……」


と、この異常事態に全く動じておらず、ソレどころか飛べなかったのが悔しいというごく一般的なありふれた感想を延べ、その場でピョコピョコと跳ねていた。


それに合わせて【触手】も揺れながらバーを振っている。


カオスとはまさに、こんな有様なのであろう。


「ほら~、いい加減バーを戻さないと、次の人が飛べないよ~?」


サナエが苦笑いして、彼女の【触手】からバーを引き抜き、元の位置に戻した。


バーはヌトヌトと、粘液をおびて光っている。


アレには、絶対触りたくない。


いくら大好きな彼女の粘液でも、あの【触手】から分泌されたものなら勘弁だ。


普通に唾液や鼻水や汗ならば、まったく嫌悪感は感じないが、例え彼女から生えている彼女の分身だとしても絶対に無理だ。


大体、あの粘液はなんなんだ!?


唾液? 鼻水? 精液? 違う!!

ともかくなんらかの液体だ。


酸性でない事は身をもって知っているが、それにしたって正体不明の粘液を好き好むヤツはそうそういないだろう。


しかし、そんな状況なのに誰からも悲鳴どころか、非難の声すら上がらない。


それどころか……。


「サナエ~、お母さんみたいだぞ~」


「ほんとほんと~、このしっかりもの~」


そんな、微笑ましいとさえ思える女子達の会話が聞こえて来る。


ヌトヌトのバーも【触手】も、まるで日常の一部のつまらない事と認識されている。



なんだかとても疲れた……。



僕だけが、この異常な事態に慌てふためいて、狼狽しているのが、とてもバカバカしく思えて来た。





昼休み。




僕は一人、グランドのベンチにいた。


教室を出る時、彼女はサナエといつもの様に机を合わせて、弁当を開いていた。


お手製の弁当を見せ合いながら、おかずの交換をしている。


弁当を広げた途端に、【触手】からまた、ボタボタと唾液が垂れたが、アレは女子としてどうなんだろう?


特に誰もその辺りをツッコまないので、汗や涙と変わらない生理現象という事か?


「今度、お弁当作って来てあげる~」


いつだったか彼女は言っていたが、なんだか恥ずかしくて断り続けている。


購買で買ったパンをかじりながら、僕はこれからの彼女との接し方について考えていた。


もう、事態はそれどころじゃないのかもしれない……。


本当にこの町が、いや世界が、あいつらに侵略されもう地球は僕が知っている地球じゃないのかもしれないのだ。


「はぁ~……」


僕はまたため息を吐いた。


(幸せが、また逃げた……)


でも、もしかしたら、そう!


もしかしたらだ、コレはそんなだいそれたモノじゃなくて、本当にただ僕が無知で、思春期の女子にはよくある、だが、男には無いそんな生理現象かもしれない。【触手】が生える……。


「………………」


考えて、クソバカバカしくなった。



「あ~っ! 見つけたー!」



背後から聞こえた声に、僕はまた小さくため息を吐く。


「はぁ……っ」


「ちょっとぉ! 可愛い彼女とその親友に、なによその態度!?」


そこには、言わずと知れた僕の彼女とその友達のサナエが立っている。


「おまえら、弁当交換会はもう済んだのかよ?」


僕の質問に、サナエは少しバツが悪そうな様子でモジモジとしている。


悪いがこんな女子らしいサナエは、今まで見た事がない。


(まさか……サナエまでおかしくなっちまったのか……!?)


一抹の不安が、僕を襲う。


「あのね! それどころじゃないんだよっ!? ビックリニュースなんだよ!」


(オマエ以上のビックリニュースは無いだろ……)


彼女は、カナリ興奮した様子で僕に訴えたが、僕は、はっきり言って今日1!

イヤ、恐らく人生で一番のビックリニュースはオマエだよ!


と、ずっと心の中で叫んでいた。


「なんとなんとっ!! サナエに彼氏が出来たんだよ~っ!!」


「な、んだとっ!?」


それは確かにビックリニュースではある。


彼女の事がなければ、間違いなく今日1だったに違いない!!


「相手は人間なのか……? まさか、ビック・フットとか……っぐふ!」


サナエの無言の蹴りが、僕の腹部に炸裂した。


しかしこれは、半分冗談だったが半分本気だ。


なんせこんな状況だ、彼女の頭に【触手】が生えるなら、友達の彼氏がUMAだって不思議じゃない。


「なんで、アタシの彼氏が未確認生物なのよっ!?」


「いや、はは、そういう事もあるかなって……」


「サナエの彼氏、陸上部の先輩なんだよ~! ね~っ?」


サナエはそう言われた途端、顔を真っ赤にして俯いた。


サナエにもこんな清純可憐な、女子らしい一面があったんだ。


「う、うん……」


「ず~っと、サナエが憧れてた人なんだよね!」


「ふ~ん、じゃあ、サナエが告白したのか?」


僕は、サナエに好きな人がいた事も驚きだった。


恋愛とはなんだか無縁そうに見えたし、好きな男がいた事なんて全く知らなかった。


女には男が知らない秘密がまだまだ隠されているのかもしれない。



(ある日、突然触手が生えるとか…………)


いや、それは墓の中まで出来る事なら秘密にしていて欲しい。


「それが! 先輩の方から告白して来たんだよね!? ね? ねっ?」


「うっ!? う、うん。……そうなの……」


いつもの彼女とサナエが逆転している。


親友の恋が実って大興奮、といった感じの彼女にサナエの方がグイグイと押され気味だ。


「おいおい~っ、それって罰ゲームとかそういうオチじゃないだろうな?」


勿論、コレは僕なりのジョークのつもりだった。


「うん……。そうかも……」


だが、返って来たのは以外な反応。


僕はてっきり腹パンの一つや二つは覚悟していたのだが……。


しかしサナエはえらくしゅんとして、いつもの強気さは微塵も無い。


「な、なんだよ? どうしたんだよ? 冗談だよ冗談!」


見ると、彼女がムッとした顔で僕を見ている。


「もうっ! なんでそう気が利かないのかな~?」 


そう言われても僕には、なんの事やらだ……。


「サナエね自信が無いんだって……。なんで先輩が好きになってくれたのか……」


「はあ? でも、告白されたんだろ? その先輩とやらに」


「……うん。だけど、アンタの言う通り罰ゲームかもしれない……」


「もう! そんなのわからないでしょ!? サナエ、十分可愛いんだから!」


まあ、確かに。


この男勝りの性格を知らなきゃ、顔はまあまあ可愛いしスタイルだって悪くない。


実際、隠れファンも多い。


「……でも…………」


怖じ気付くサナエは、いつもと違って新鮮で、なんだか可愛らしかった。


いつもそうしていれば、コイツももっとモテていたであろう。


やはり、恋は女を変えるのか……。


僕の彼女も恋をして、【触手】が生えたのだろうか……?


いやいや、それならもっと早く生えてるだろう。


僕達は付き合いも長いのだ。



ん? まさか!? 違うのか? 僕じゃないのか!?

新しく別に好きな相手が出来たとでも言うのか!?



そんなっ……!



…………。



一体、僕は何を考えているんだ。


【触手】と恋は関係無い。


そんな話聞いた事も見た事も無い。


大体、恋をして【触手】が生えるなら、巷に溢れる恋愛映画は全てR指定になり、ラブソングは全てグロい表現と粘液にまみれえらい事になるだろう。



「もう、だから私たちでサポートするから! ねっ?」



彼女が僕に目配せしてくる。


「あっ? なにを?」


僕には彼女に言われた意味が、よくわからず疑問に疑問で返していた。


「ほ、本当に一緒に来てくれるの?」


「うん! 当然! だって、友達でしょ?」


「は? だから、一緒にどこに行くってんだよ?」


その質問に、サナエは若干頬を紅潮させ、彼女はふんっと鼻息を荒げる。


彼女の【触手】も何故だか意気込んでいるみたいに見えた。


「デートだよ! デート!」


「デート? 誰と誰が? いつ?」


「サナエと先輩がデートするの! そこに私達も行くの! 今日の放課後!」


「はぁ? なんで? 突然すぎるだろ!?」


「ごっ、ゴメン……。私が一人じゃ行けないって言ったから……」


おずおずと、申し訳なさそうにサナエが答えた。


「ダブルデートなら、サナエも心強いかな~って」


「ダっ、ダブルデートって! そんな……、私と先輩はまだ……」


ダブルデート……。


言葉だけ聞けばなにやら甘い響きだが、僕の彼女は今そんな青春の1ページのような、甘酸っぱい時間を共有出来る存在では無い。


「もう~っ! まだ返事してなかったのぉ!? 付き合ってなくてもデートはデート!」


「そう……なの?」


「そうだよ! ねぇっ!?」


「…………あっ……ああ……」


突然の彼女のパスに、僕は戸惑った。


なにせ今、彼女の頭の後ろにはギリシャ神話のメデューサの如く【アレ】がのたうっているのだから。


ぶっちゃけサナエには悪いが、友達の恋の悩みより、自分の目の前にあるこの異常事態のが大きな悩みだ。


「ほら~? ねっ? だから私たちも行くよ! 決まり~!」


なんだか勝手に決めている。


「いや、オマエさすがに人のデートに付いて行くって……。なぁ? サナエだってほんとのところは迷惑だろ?」


僕もようやく頭が動き始めた。


デートに付いて行くどうのでは無い。


【触手】の生えた彼女と出歩く事を考えれば誰もが思うに違いない。


ココはやはり、常識人であるサナエのもっともな意見を味方に付け、阻止しなければならんだろう。


「わ、私は……出来れば付いて来て欲しいな……って」


万事休す。


今日は、終始僕の思いも付かない展開が巻き起こる日らしい。


「ゴっ、ゴメンね! やっぱ迷惑だったよね……?」


「あっ……いや…………」


普段、強気なサナエがしょぼくれる姿は、行きたくない僕に罪悪感を抱かせる。


「そんな事ないって! 行くよね!?」


困った僕は、ふと彼女に視線を向け、そして硬直した。


僕の横顔のすぐ側に、大きな口を開けた【触手】がいたからだ。


口の中にはギザギザとした歯が重なりながら並んでいて、まるで【ヤツメウナギ】みたいだなと、ネットで画像をチラっと見ただけだがそんな既視感を覚える。


彼女と【触手】が、僕に物スゴイ威圧感を与えて来る。


僕は、本気で殺される! とすら思った。


山で熊に出くわして命の危機を感じたり、海でサメに襲われ絶対絶命に陥ったら、きっとこんな感じなのだろう。


後はもう、素直に頷く他なかった。


今ここで補食されるくらいなら、遊園地でもなんでも行ってやる。


遊園地で彼女に食われる可能性は、勿論ないワケじゃないのだが……。


ヒトというものは、目の前に死が迫ると、1分・1秒だって生にしがみついて、長く生きたくなるものだから仕方ない。

 


僕は、普段なら待ち遠しいはずの放課後の訪れを、恐怖に震えて待った。





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