第7話 彼女の部屋


バン!


一発の銃声がして自動車の窓ガラスが割れた。

銃口から煙が出ている。



「こちら豊島。

パトカーから降りてきた警察官が悪魔……ユウに向けて発砲しようとしていたため先に撃ちました。肩に命中、」

豊島藍がそう報告していると、もう一人の警察官も発砲してきた。

豊島は姿勢を低くして応戦しながら運転席へと回り込み、車内に乗り込んだ。

アクセルを踏んで慌てて走り出す。


一方相手はケガをした同僚を回収しているのをバックミラーで確認した。


スピーカーボタンを押して助手席にケータイを放った。


「なぜ警官が撃って来たんです!?」

豊島が声を張り上げると、相手の上司が落ち着けと言ってから答えた。


「もう一つ報告しておかねばならないことと関係がある。

それは天使のことだ。


天使の契約者が谷沢を撃退した情報を入手して動き出した。有名人は周りへの影響力が強過ぎて困る。


警察官が攻撃してきたというのなら、もう警察署は敵の支配下に落ちてしまったのかもしれない。


ひとまず君は例の契約者と悪魔を連れて身を隠せ。

情報操作も行う必要が出てきた。少し時間がかかる」


あわてた様子の上司はそれだけ言うと、一方的に通話を切ってしまった。


それだけの情報では、悪魔について全くの素人の豊島には何の事だかさっぱりわからない。




バックミラーを見ると、後ろの二人が興味深そうにこちらを見ていた。今の会話も完全に聞かれていた。


「天使って何だ? 悪魔意外にもなんかいるのか?」

もっととんでもない強敵に出会ったことのある礼は、子供らしくないほど落ち着いていた。礼は隣に座っているユウに尋ねる余裕もあった。


「悪魔も天使もお前たちが勝手に区別してそう呼んでいるだけで、こちらから善だ悪だと名乗ることはないはずだ。

あの殺し屋が自分のことを最強だと自称していたのと同じじゃないか? あだ名?

誰かと契約した存在なら、たぶん同類だろう。それなら善悪を決めるのはあくまで人間さ」

ユウの説明は子供の礼よりむしろ豊島の方が熱心に聞いていた。どんなわずかな情報でも欲しい心境だった。


「ところでおねえさん」

礼に話しかけられた。豊島はハッとした。


「な、何?」


「俺たち、これからどこいくの?」


向かおうとしていた警察署には敵がいるらしい。考え事をしながらボーっと運転していたら、自分のマンションの近くまで来ていた。とりあえず豊島自身の家へ向かうことにした。




豊島藍は冷静ではなかった。

部屋のカギを開け玄関で靴を脱いで上がって、部屋に入った時に失敗したことに気付いた。


「……うわぁ」

すぐ後ろをついて来た少年が彼女の部屋を見てまずそう言った。


仕事が忙しかったから。

引っ越してきたばかりだから。

整理整頓は得意だけど面倒だったから。

なんとなくやる気が起きなかったから。

どんな言い訳をしても、もはや無意味だ。



「ちょっと待って、部屋が散らかっていて。三分で片付けるから!」と言って玄関、いや扉の外で待たせるべきだった。

ゴミ袋や飲んだビールの空き缶は浴室へ押し込んで、脱ぎ散らかした服や畳んでない洗濯物はクローゼットに突っ込んで、窓を開け広げ換気すれば大人の女性としての面目が立ったかもしれない。


残念ながら、手遅れだ!

もうダメだ!

終わったのよ!


豊島藍は少年の何気ない一言に、自分が大人になってどれほど薄汚れてしまったのかを突き付けられた気がした。


そんなどん底女を余所に、礼は彼女と扉の隙間を通り抜けて汚れちまった悲しい部屋に踏み込んでいく。

ゴミ袋を発掘すると、空の弁当箱や缶ビールを分別しながら片付けていく。

ユウに指示を出して窓を開けさせて換気する。まだここに引っ越してきたばかりだから、カビの大量発生等の汚染は発生していなかった。

脱ぎ散らかした服は礼が豊島に指示を出して洗濯をさせる。豊島がそれを洗濯機に放り込んで、ドバッと洗剤を入れてスウィッチを入れて戻ると、部屋がだいぶ片付いて座れるだけのスペースができていた。

礼はキッチンスペースで洗い物をしてくれていた。ユウはその隣に立ってはいるけど、手伝っている様子はない。黙って見ていた。

豊島がふと洗濯物を見ると、全部きれいに畳まれていた。下着も……。豊島は何か無くしてはいけない大切なものを失った気がした。




「刑事さんに質問があります」

一通り片付け終わった礼が豊島にそう切り出してきた。その礼の隣には礼が用意した冷凍庫の氷に砂糖がかかった物を、口に含んでペロペロなめている悪魔が大人しく座っていた。


「悪魔について教えてください。おねえさんは全部知っているんでしょ?」

少年は確信に満ちた視線を向けて来た。


その真っ直ぐな目を裏切りたくなかった。「ごめんなさい。今日まで存在すら知りませんでした」と正直に言いたくない。


「ごめんなさい。どこまで話すべきか私の立場では判断が付かないの。あとで私の上司からゆっくり聞いてちょうだい」

豊島はそう言い終わったあと、自分でもこの言い訳はかなりよかったんじゃね? できる女っぽいんじゃね? とか考えていた。

私生活が残念になるほど仕事に打ち込んでいるのに、その仕事にも詳しくないなんておねえさん何やっているの? とかこの少年に言われたらしばらく立ち直れないかもしれない。そう豊島は思った。


「あとでって具体的にいつですか?」

逃げ切ったと思っていた豊島はさらに踏み込んできた礼に動揺した。そんなことは彼女自身の方がよっぽど聞きたい。その動揺を隠しつつ上司に連絡してみると言って時間を稼いだ。


ダメ元で連絡してみると、上司もちょうどこちらから連絡するつもりだったと言ってきた。

その声に落ち着きがない。危険が迫っているらしい。


「いいから今すぐそこから離れろ!

ちくしょう!もうダメか。すでに囲まれている。


いいかよく聞け、天使の能力は正義の逆転だ。

だから天使にはその国の警察や軍隊が狙われやすい。悪行を為す抵抗感をなくして自分の支配下に置く。

守るべき法や命令よりも天使の能力に従うようになる。


だから、君たちを攻撃してくる彼らは悪くない。操られているだけなのだ!

これはお願いだ。できる限り彼らを殺さないようにしてもらいたい。

戦わずに逃げてくれ。


こちらの調査では天使は署の屋上にいる。能力を解くには本体を叩くしか手はない」


豊島は、何言ってんだこのおっさんは? と思った。そう説明し終えると、連絡は一方的に切られた。



それと同時にパトカーのサイレンの音が鳴った。

窓の向こうから拡声器の声が聞こえる。

「君たちは完全に包囲されている。ただちに武器を捨てて投降しなさい!」


カーテンの隙間から外を見ると、盾を持った機動隊が隙間なく並んで立っていた。


「すげー、刑事ドラマみたい!」

礼が少年らしいのんきな感想を言った。


豊島にはさっきまでの上司の連絡内容がだんだんわかってきた。

要するに、この包囲網から脱出して警察署の屋上にいる敵本体を倒せという命令だったのだ。


「それ無理。むーり。むーりーなーのー」豊島は心の中ではそう叫びたかった。


本当の警察であれば、彼らの指示通り武器を捨てて投降すれば命だけは助かるはずだ。でも、豊島たちを包囲している彼らは違う。天使と呼ばれる超能力者の支配下にあるのだ。命の保証はない。


今この状況で豊島にできそうなことといえば、少年を人質にして現金と逃走用のヘリでも用意させることぐらいだ。

完全に立てこもり犯の選択肢である。


「うん?」

豊島は気付いた。自分には出来なくとも、彼らならば。

契約者の礼と悪魔のユウに協力してもらえれば脱出できるのではないか?

最強の殺し屋とその悪魔を退けるほどの実力を持っている。上司もきっとそう考えてあの命令を出したのだ。


「交渉するフリをして時間を稼ぎつつ、礼とユウに協力を求めてここから脱出する。よし!」

豊島はしなければならないことを一人つぶやき、これから行動するべく気合を入れた。



窓の外の機動隊の様子を見ると、先ほどとは何かが違う気がした。

具体的にはわからないが雰囲気のようなものが変わったかもしれない。


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