第3話 悪魔のヴェクサシオン



謎の男たちに命を狙われていた少年、阿九礼は悪魔と契約した。

美女に姿を変えた悪魔に命を救われ、ユウという名前をあげた。



今、二人は家へと帰る途中である。

あたりはすっかり暗くなってしまったけれど、まだ人通りは多い。あえてそういう道を選んで帰っていた。


「母さんが出張中でよかった。この状況をどう説明していいかわかんないし」

礼はユウを隣に連れて歩いている。


「警察に相談しても、絶対に信じてもらえない。

あいつらがまた襲ってきたら、お前だけが頼りだから。よろしくな」


「ああ、わかった」

そう返事をしたユウは、自分の左手の五枚の爪を変形させて、まるで剣のように伸ばした。


礼は待てと言おうとして、やめた。

人通りの多い場所でなら、あいつらは襲ってこないと思い込んでいた。

悪魔の能力は人前ではやたらに使わないと思っていたのだ。


「見つけた。どうやら君も契約者になったみたいだね」

派手な白スーツの若い男と、もうひとりのコートの男が立っていた。


「ヤモリの彼はどうしたのかな? まだ会っていない?

そんなわけないか。

ということは、君たちが返り討ちにしたというわけか」

仲間が殺されたかもしれないのに、派手な恰好の男はどこか楽しそうだった。


「僕の名前は谷沢栄治、契約する悪魔の名前はヴェクサシオン。

さあ、遊ぼうか。悪魔同士の殺し合いで!」


派手な格好の男がそう言うと、もう一人の男がマスクを取った。


マスクの下の顔は、ガラクタを集めて作ったような形をしている。破いて脱いだ服の下も明らかに人間じゃない。

機械的と言うよりも、金属を組み合わせて作った現代アートみたいだ。胸にある歪んだ複数の時計の針が、出鱈目な時を指している。シルエットは人間の姿からほど遠く、服の下に良く収まっていたと言いたくなるような、飾りでゴテゴテしていた。

派手な見た目の契約者谷沢と悪魔ヴェクサシオンは途轍もなく目立った。周囲の人間の注目を一身に集めている。

カメラを構えて撮影している人もいた。


「対価を捧げる。時計仕掛けの悪魔よ、嘘つきの秒針を刻め」


そう言ってすぐ近くの通行人を指さしながら、空中に何か丸い印のようなものを描いた。

その動作もどこかキレがあって、まるでステージパフォーマンスみたいだ。何かの撮影なのかとざわざわ騒がしくなってきた。


指さされた通行人の表情はだんだん無気力で生気を奪われているように見えた。その体も表情に合わせて変化していく。礼が廃工場で目撃してしまった状態だ。

体が薄い透明なガラスに変わって、周囲の景色に溶け込んでいく。夜の闇と街灯の明かりを映して、そしてゆっくりと倒れて粉々に砕けた。それまで生きていた人間が目の前で物質に変わり、ガラスの割れる嫌な音を残していなくなってしまった。あとに残ったのは辺りに散らばったガラスの破片だけである。


周囲に集まっていた人々は、その状況がすぐには飲み込まなかった。

まだカメラを構えているものもいる。隣の人間に話しかけるものもいた。

女性の誰かが悲鳴をあげた。目の前の現実を理解したのだ。


恐怖は伝染する。事実を受け入れた人々はパニックを起こして逃げだした。ある人は目の前の人間を押しのけて、ある人はその暴力で転ばされ怪我をしても何とか自分だけは助かりたいとして逃げようとしている。


礼には谷沢の意図がわかっていた。誰一人として逃がすつもりがないのだと。


ここで動いたのは意外にも悪魔のユウだった。

だがしかし、正義の心から他人の命を助けようとして行動しているわけではなかった。


「おまえの差し出す対価は人間か?」


「そうさ!正確に言うと対価は人間の命。安心してくれ、悪魔の契約者の命は対価として差し出せないことになっている。

そこのボウヤの命はこんなふうにできない」


そう谷沢が言うと、また誰かを指さしてあの言葉を唱える。


「時計仕掛けの悪魔よ、嘘つきの秒針を刻め!」


また誰かがガラスの姿に変えられて、アスファルトの路上に砕け散った。


「面倒なのは、捧げる対価は一つずつということかな。まとめて捧げられたら便利だとは思わないか?」


「お前たちの能力がどんなものか知らんが、対価を集められたら面倒だ。さっさと消えろ」

ユウは伸ばした爪で谷沢栄治とそのすぐ側にいる悪魔ヴェクサシオンを斬り付けた。

谷沢たちは受け止める動作をしなかった。それどころか攻撃を避けることもしない。


なのに、ユウの爪の攻撃が当たらなかった。


ただその場に立って、相変わらず逃げる人々の中から適当に選んで対価にしている。


「時計仕掛けの悪魔よ、嘘つきの秒針を刻め。


言ったはずだよね、これは遊びだと。

すぐに終わらせちゃったらつまらない。だからこうして対価を集めているんだよね。

もうすぐ終わるから大人しく待っていてくれるかな?」


そう言う谷沢からユウは距離を取ると、礼の側に立った。

先手必勝の攻撃を諦めて、ただ礼を守り抜くことに対応を変えた。

礼を抱きかかえると、そのまま谷沢たちを置いて走り出した。


「鬼ごっこかい?

じゃあ数えようか、残りの人間を。すべてを対価に変え終わったら、捕まえにいくよ」



他の人間が次々と対価へと変えられていく中、礼は自分だけを連れて逃げるユウに尋ねた。

「何で他の人を残して、俺たちだけが逃げるんだ? さっきみたいにあいつらを倒せば、みんな助かるんだろ?」


その質問に一切速度を落とさずにユウが答えた。

「お前が殺されかけているからだ。他にかまけている余裕はない。

俺の攻撃がかすりもしなかった」


契約者が死ぬとその悪魔も死ぬとサングラスの男が言っていたのを礼は思い出した。

もう自分だけの命ではないのだ。礼はユウの判断に任せる決断をした。


ユウがこの町の地理を理解しているはずもない。

とにかく谷沢栄治から離れようとしているのだけは礼にもわかった。

礼はタクシーや電車で逃げるように提案しようと考えていたけどそれを止めた。

ユウの脚の形が変わっている。腕と同じように変形できるみたいだ。その移動速度は自動車並みに速い。

これなら逃げきれると礼が思っていた時だった。


「も~い~かい?」

谷沢にとってこの必死の逃走劇も遊びに過ぎないのだろう。

その言葉の言い方は子供の遊びのようだった。


あの場にいた人間すべてを対価に変える時間の猶予を与え、そのうえ人間離れしたユウの移動速度にあっさり追いついた。

悪魔ヴェクサシオンの能力は、星よりも重い人間の命の価値に釣り合う強力なものに違いない。

まともにやり合えば、すぐに勝負は決まってしまう。

ユウは相手を殺す攻めの戦いを止めて、礼を守るだけの戦い方に切り替えた。




そこは駐車場だった。

昼間の日差しの熱がまだ残っている金属の塊を、ユウの爪が切り裂いて鋭い破片を作った。

伸ばした悪魔の爪を元の長さに戻してから、パワーのありそうな形状に変形させる。

筋肉がむき出しになったかのようなほど膨れ上がった片腕で、元は自動車だった手頃な金属片をつかんで追ってくる谷沢たちの方へブン投げた。


「やはり、かわされるか」


激しく動いて着衣の乱れた様子も無く、ただ歩いて向かっていた谷沢とその悪魔に攻撃が当たらなかった。

直前までは直撃間違いなしの軌道に見えたのに、その時になったら谷沢とヴェクサシオンは破片の前を平然と歩いている。


「あのゼンマイのロボみたいな悪魔に防御されているのか?」

変形してない方の右腕で抱えられたままの礼がユウに質問する。

ユウはさらに自動車の破片を投擲してから答えた。


「ヴェクサシオンが何かをしているように見えなかった。

だが、絶対に何かの能力を使っているはずだ」

駐車場にあった鉄製の柵を切り取り、先端部を尖らせた棒状に形を整える。

左腕だけでその即席の槍を谷沢に狙いを定めて投げた。


「時間稼ぎにもならんか」


ユウはあたりに散らばっている金属片を全部まとめて、大きく変形させて手のひらに乗せて投げた。

それまでの直線的な軌道ではなく、大きく放物線を描いて雨のように降り注いだ。

暗くなって見えにくい破片もあるのに、すべての破片が谷沢にもヴェクサシオンにも当たらなかった。

爆撃の後みたいな凸凹の地面を、何事も無かったかのように歩いている。


「この距離では向こうは攻撃してこない。

能力の正体のきっかけでもいい。それがつかめるまでこの距離を保つ」


ユウは一方的にそう礼に告げると、左腕を元の人間の形に戻してから両足を変形させる。

跳躍して一気に距離を稼ぐために、跳びあがる前のタメを作った。筋肉のばねを弾ませようとした時、ヴェクサシオンが自分の周りに落ちている金属片の一つを歪んだ現代アートみたいな自分の腕で拾い上げた。

ユウはそれをこちらに投げ返されるよりも早く逃げ切れると予想して、そのままの体勢を維持している。


絶対に対応しきれると確信していたはずなのに、ユウは目の前にそれが来るまで気付けなかった。紙一重のところで左腕を突き出して礼をかばった。

さっきまでヴェクサシオンの持っていた破片の一つがユウの左腕に突き刺さっている。


「そろそろ鬼ごっこの鬼にも飽きて来ちゃったかな? こっちも攻撃させてもらうよ」


もの言わぬヴェクサシオンの代わりに谷沢栄治が遊びのルール変更を告げた。


「なぜだ? 飛んでくる過程が全く見えなかった」

歩きながら向かって来る谷沢たちよりも、今防ぎきれなかった理由をユウは考えている。そこにヴェクサシオンの能力の秘密が隠されているに違いない。


「ダメじゃないか、目の前の僕たちにちゃんと集中しなくちゃ!」

相手と離れていると思ってユウは油断していた。まだ相手の能力をわかっていなかった。ヴェクサシオンの能力にとって互いの間合いは問題ではないのだ。


あと一歩踏み込むだけで手の届くところに谷沢たちが立っていた。もはや相手の間合いだった。


ユウが左腕を変形させて礼をかばう盾にした。その変形が完全に終わる前に、悪魔ヴェクサシオンは拾った自動車の窓 ガラスを振り下ろして、ユウの左腕を切り落とした。

それと同時に、契約者谷沢栄治は隠し持っていたナイフみたいな形のガラスの破片を片手で四本持つと、ユウのがら空きになった胴体に向かって投げた。

変形する前に左腕は斬り落とされ、胸には四本のナイフが突き刺さっている。


「勝負あったかな?」

勝利宣言を楽しそうにする谷沢の横に立つヴェクサシオンは、落ちているユウの腕を自身の足で踏み潰した。悪魔と呼ばれるだけの悪意に満ちた行為に見える。


左腕の斬られた断面は真っ黒で、ユウもその同類であると感じさせる。

ユウは驚いた表情でそれを見たまま微動だにしない。



「おい、谷沢栄治!」

礼はごく自然にユウを守らなければならないと行動していた。出合って間もない、その上正体不明の悪魔なのに。

自分を必死に守ってくれたユウの姿を見て、純真に今度は自分が応えたいと思ったのかもしれない。

抱えられたままのしまらない格好であったけれど、その行動には人間の勇気を感じさせる。少年の目には戦う決意の光が宿っている。その言葉には力があった。


「なんだい? 少年。

目上の人間を呼び捨てとは感心しないな。

君の父親は男としての礼儀を教えてくれなかったのかい?」


谷沢は自分の好奇心を優先させる。たとえ命をかけた殺し合いだったとしても、彼が契約した悪魔は遊びをする余裕 を与えてくれる。

醜く勝ちを求める勝負を彼は全く求めていない。そんなもの全然楽しくない。



「うっさい!

俺は、おまえの能力がわかったぞ!」


「ふーん、そうかい。

言ってごらん。採点してあげよう。もし間違っていたらとびっきりの罰を与えるよ」

谷沢はこの子供との会話と続けたいと思っている。

少年の目的は何だろう? 時間稼ぎかもしれない。

でも、どんなに自分が不利な状況に置かれることになろうとも、心の余裕を捨ててまで遊びを止めるつもりはない。


「さっきこっちに近づいて来る時、俺は時計悪魔の針を見ていた。

普通の時計と同じように、一定間隔で秒針が動いていたのに、いきなり数秒だけ針が跳んだ。

つまり、お前たちだけ時間が先に進んだ。

おまえの能力は、時間の停止だな!」

礼は名探偵が答えを突き付けるように叫んだ。


「よく見ていたね。いいじゃん、合格点をあげよう。ほとんどの遊び相手は気が付かずに殺されるのに。

時間の流れは誰もが平等だという先入観が、思考の妨げになっているのかな? 時間の流れが一定ではないなんて常識の範疇だろうに……。

子供の柔軟な発想だからその答えを受け入れられたというわけか」


礼には谷沢の言っていることは良くわからない。正直に答えた。

「友達に借りた漫画で見た!」

その子供らしい答えを聞いて谷沢は吹き出す様に笑った。


「でも時間停止ってマンガとかだと最強の能力じゃん!

使うやつらは大抵ラスボスだろ。もっと後で出てこいよ! いきなり出てくるな!」

笑う谷沢に向かって礼はさらに叫んだ。


「そうか、マンガね。実に子供らしい!


そして、君は正しい!

僕たちの殺し屋としての二つ名は最強!

最強の殺し屋谷沢栄治。仕事の標的は必ず消す」

谷沢は礼の顔をまっすぐに見つめる。


礼はその殺し屋としての顔をしている谷沢をにらみつける。ただでさえ大人から冷たい視線を向けられるのは子供なら怖いことだ。それでも礼は視線を外さなかった。

ここで逃げることだけはしたくなかった。その目にはうっすらと涙がにじむ。

そんな背伸びする姿を見るためにからかうのも、谷沢の遊びの一環に過ぎないとは知らずに。


その時、抱きかかえられていた礼はユウの腕がわずかに震えだしていることに気付いた。

そして、それに気づいた礼の様子を見ていた谷沢とヴェクサシオンにも気付かれた。

谷沢たちには、意識を取り戻したユウが恐怖に震えているようにも見える。


でも、それは違った。


「虫けらの分際で、この俺の腕を」

ボソッとつぶやいた小さな声の言葉には、静かな怒りで満たされているように聞こえた。


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