第5話

 モロゾフをきっかけに度々会うようになった彩音と陽太が付き合い始めるのに、それほど時間はかからなかった。彩音が陽太の実家を訪れる度に、子犬のモロゾフは全身で喜びを表現した。興奮して小便を撒き散らすので、服装には注意が必要だった。実家に寄るということは陽太の両親が在宅していればその都度挨拶をすることになる。一度や二度なら友人で済むが、回数が重なれば否が応でも二人がどういう関係性であると認識されるかは、想像に容易い。その辺の察しも陽太はちゃんとついていて、さほど期間を開けずに告白をしてくれた。当時彩音は26歳、陽太は28歳、いい年頃である。申し出を断る理由なんて当事、あるわけもなかった。

 恋人同士となってからの展開は更に早かった。お互いの貯金を合わせれば、ペット可のマンションを借りるだけの資金は充分にある。息子の自立を大いに歓迎する陽太の両親の後押しもあった。もちろん、部屋を借りる前に彩音の両親にも一度陽太を紹介している。両親にとって娘の縁談めいた話は彩音が初めてではない。

 彩音には五歳上の姉がひとりいる。姉はフリーランスの記者と自称する男と結婚し、遠く離れた場所で主婦を二年間やっていたが、彼女曰く性に合わなかったらしい。三年前、あっという間に姉はバツイチのフリーとなった。本当の原因は現在消息不明の相手の男にあると彩音は確信しているが、そんな男を選んだ姉も姉だ。

 しかし、ここからが姉の逞しさで、彼女は実家に帰省するどころかなんとその地で再就職に成功し、現在は広告代理店に勤めるキャリアウーマンになっている。子供はいなかった。当事、姉の縁談に強く反対したのが父である。それもあって姉は、帰省に後ろめたさも感じていたのだろう。

 姉と両親の修羅場は彩音も目の当たりにしていたので、陽太を紹介することに、少なからず不安もあった。

 ところが意外にも今回はあっさりと、同棲生活の承諾を得ることができた。駅員という定職についた陽太の印象が悪くなかったのだろう。あるいは姉の一件で力を使い果たしたのかもしれない。少なくとも表立った異議申し立てはなく、事は速やかに運んだ。万が一関係が破綻したときの諸々の書類や手続きのことと、互いに覚悟がない内はきちんと避妊はしなさいよと母に釘を刺された程度だった。

 彩音と陽太とモロゾフは、晴れて同棲生活を送ることになった。

 籍はまだ入れず、いわゆるプレ夫婦である。しばらくの共同生活が何ら問題なく送られて、生活のスタイルとリズムが滞りなく構築されたのであれば、後はプロポーズの言葉を待つだけという状況だった。将来を見据えた関係性がひとつ屋根の下に空間を彩ると、それなりに緊張感の保たれた日々が待っていた。夫として、嫁として、それぞれの力が試されるような感じだ。けれどもそれは決してプレッシャーを掛け合っているわけではなく、互いが自身を律しながら手を取り合い、ゴールへとまっしぐらに進んでいく過程と捉えて間違いなかった。

 無論それはとても輝かしい日々で、幸せを感じないときがないほどだ。彩音は学生時代、若気の至りで当事の恋人の家に何日間か入り浸ったことがある。だが、あんなものはおままごとだ。本当に運命の相手と生活を共にするというのは、見えない血管で結ばれるようなもので、それをつまり人は赤い糸と言うのだろう。他人同士が見えない血管で繋がって、生活に血液を循環させる。部屋全体がハートに包まれて、それがひとつの大きな心臓になっていく。

 喜びとともに彩音と陽太は二人三脚で、もう間もなくゴールテープを切る寸前にいた。彩音は毎晩、モロゾフの頭を撫でながら、今日か明日かと少女のように陽太の言葉を待った。

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