食肉文化


 なぜ、を突き詰めていくとキリが無い。

 人は殺人をモラルに反するものとして嫌い、しばしばこの考えは他の動物にも適用される。動物愛護団体なんかがいい例だろう。


 ではなぜ動物を食べるのかと彼らに聞けば、きっと「生きるため」だと言うだろう。

 しかし、ただ生きるためだとすれば、植物や動物の中でも特に栄養価の高いものだけを食用として、他は殺さなくてもいいはずじゃないのか。豚、鳥、牛、魚、果ては蛇や虫まで、ありとあらゆる生物を殺して食べる必要は無い。


 どうして急にこんなことを考え始めたかと言えば、この間仕事先で知り合った男、山崎と一緒に飲みに行ったとき、食肉文化についての意見を求められたからだ。休日は動物愛護のボランティアをしているらしい彼は、

「いや、動物愛護やってる人間がですよ、こうして飲み屋で鶏肉にかじりついてるのって、どうなのかなぁと思いまして…」

 と、三串ぺろりと平らげた後で言った。俺にはそうは見えないが、本人はかなり悩んでいるらしい。こちらにしてみれば気分は盛り下がるし、わざわざ居酒屋に来てまで話すことでも無いだろう…とは思ったが、お悩み相談がすっかり板について来ていた俺は、言動の不一致に反論もせず彼の話をただただ頷きながら聞いていた。


 今回の相談は自分の意見を求められてしまい、いつものように適当に聞き流すわけにもいかなかった。

 考えれば考えるほど、生き物を殺して食うことの意味が分からなくなり、理性的に考えることを放棄したその時の俺は、

「山崎さんには悪いですけど、俺は、旨いもんが食いたい。」

 そう答えた。もちろん山崎はいい反応は示さなかったが、価値観は押し付けられませんからね、と一応の理解を示すような態度をとっていた。

 それから今日に至るまで、俺はずっとこの食肉文化について考えていた。この頃は、以前より何か考え事をする機会が増えた気がする。

 そして俺はたった今、一つの答えを見出だした。そもそも食肉文化についての問いを、生き物を殺していいかどうか、などという大きな倫理問題として捉えていたこと自体が間違っていた。一部の生き物にだけ、「殺してはいけない」という概念を適用しなければいい。つまり、俺が勝手に食べていい生き物を決めてしまえば何もかも解決する。

 いくらか調べた後で、俺は「殺してはいけない」という倫理観を、一部の生き物についてだけひっくり返した。









 いつまで経っても変化は訪れなかった。俺があのとき言ったように、人は「旨いから、食いたいから食う」のだった。

 人の食い意地の張りように驚かされた。

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