第17話 仕事辞めたい

5月の連休も終わり、今日から仕事はじめ。

不幸にも、降り注ぐ大粒の豪雨で濡れたスーツをはたきながら。

男は、人の波でごったがえす、駅のホームでうなだれていた。


まわりを見渡すと、誰もが不機嫌そうな顔で電車を待っている。

これから起こる、やりきれない日常。それは深夜遅くまで続く。


ホームに電車が来る。男は動かない。いや、動けない。

けだるさと頭痛と嗚咽が体を不自由にさせる。

風邪をひいている訳ではないのは、自分が一番わかっていた。


そうこうしているうちに、電車は走り去ってしまう。

男はホッと胸を撫で下ろす。一瞬だけの安堵。

しかし、男はすぐに次の不安にかられる。


会社に遅刻するのは間違いない。

でも、それでいい。とりあえず、上司に謝ればそれで済む。

次の電車に乗りさえすれば、それでいい。そう思っていた。


だが、しかし。次の電車も走り去ってしまった。

男の脳裏には、上司に対する言い訳ばかりが交差していた。

この豪雨の中、電車を1本遅らせたのは、何とか言い訳が通る。

だが、あまりにも遅れた場合は、どう言い訳すればよいのか?


ついには3本目の電車が無常にも視界から消える。

すでに、遅刻の範疇を超えてしまった。

鳴り響く携帯電話。会社からの電話である事は明白。耳をふさぎ頭を抱える。


そうだ。風邪を引いて頭痛で寝込んでしまった事にすれば……

だが、そんな陳腐な言い訳が通るだろうか?

そうだ。遠方の祖母の通夜に向かっている事にすれば……


かれこれ、駅のホームで2時間が過ぎた。

普通なら、常識ある社会人なら、遅刻の理由を会社に報告するのが筋だ。

それを怠ったら、無断欠勤となり、上司の信頼を著しく損ねてしまう事は確実。


何かないか……どんな言い訳でもいい……

午前半休を今更ながら申告するか? でも、その理由は何だ? 思いつかない。


額をつたる脂汗。それは、蒸し暑いからではなく、心の焦りと動揺。


葛藤がエンドレスに無限に続く。

どうする? このまま会社を休んでしまおうか?

一世一代の大ウソをつきさえすれば、なんとかなるのではないか?

それとも……会社を……辞める?……とか……


男はハッと我に帰った。

そんな事したら、大変な事になってしまう。

でも……誰が?……何が?……会社が?……


自分は社会の歯車の一員でしかないのか?

ぎゅうぎゅうに閉じ込められた環境で、言いたいことも言えず、ただ我慢をするしかないのか? 仕事をするのがあたりまえ。ストレスが溜まるのはあたりまえ。給料少ないのもあたりまえ。そうなのか? 本当にそうなのか? 誰もがそう思って仕事をしているのだろうか? 


もし。そうだ、もしもの話だ。

このまま会社を辞めたとする。そうすると、次に就職するまでに、数ヶ月はかかるだろう。それまでは雇用保険で食い繋ぐしかない……まてよ……うちの会社って本当に保険に入っているのか? まわりからは超絶ブラックの烙印を押されているし、最近、上司が自殺したし……


夢がない。希望もない。やる気もない。目の前が見えない。

男は、立ち上がると、ホームに入る電車にフラフラと近づいた。

いけない。何をしているんだ。


男が椅子にもたれ掛かっていると、隣に小汚い男が座ってきた。

どう見てもホームレスのような姿格好。その男が話しかけてきた。


「にいちゃん、仕事辞めたそうな顔してるねぇ」


確信をつかれた男は、うなだれながら話をした。

会社を辞めたい事。人生がつまらない事。

普段なら、初対面の人と話をする事などないが、追い詰められた感情がそれを許す。


ホームレスは、朝から酒の小瓶をちびちびやりながら、これから競馬に向かうそうだ。以前は、とある大企業の課長だったが、仕事の失敗で退社。妻と子供に見限られ離婚。今は、安アパートで生活保護を受けながら、たまにアルバイトをして生計を立てているそうだ。


「この前、当てたんだよ! 万馬券! ひゃっひゃっひゃっ!」


それでも、こんなだらしない男でも、結婚して子供までいるのかと思うと、男は情けなくなった。自分は一体何なのか? このまま何も変化がないまま、つまらない一生を終えるのかと。


憔悴しきった男を見て、ホームレスの放った言葉は、男にとって目が覚める思いだった。


「人生一度きり!」


男は何かを悟ったかのような顔で、軽く会釈をすると、その場を去っていった。

男のとった選択とは何なのだろうか? それはわからない。誰にもわからない。


ホームレスは、それを見てほくそ笑むと、ポケットからスマホを出した。

「あ~、もしもし。アイツ、やっぱ辞めますよ。これで商談成立ってことで」


ホームレスは、紅茶の入った小ビンをゴミ箱に投げ捨てると、どこかへ去っていった。


『仕事辞めさせ屋』

やる気のない社員をふるいにかけ、会社の人件費を浮かせる為に雇われた職業。

それは、今でも行われているとか、いないとか。


皆さんもお気をつけ下さい。               

                                おわり。













仕事辞めさせ屋を遠くから見つめる、ある人物。

そう。仕事辞めさせ屋を、監視する屋が監視しているのだった。

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