飼われた脳みそが暴走。

壊し屋本舗

第1話

一人暮らしの四畳半は、俺にとって何不自由ない空間だった。


寝具があった、食料があった、厳選されたエロ画像の詰まったパソコンがあった。エアコンがあった。爪切りがあった。薬があった。テレビがあった。本があった。漫画があった。ゲームがあった。スマートフォンがあった。箸があった。酒があった。調味料があった。ティッシュがあった。イヤホンがあった。ヘッドホンがあった。

どれも俺が必要に応じて、好きなものを選んで買ったものだ。


車もバイクも服も時計もヘアワックスも、必要ないものは持たなかった。俺の世界はこの四畳半で完結しているのだから。


ゴミ出しや食料の買い出し、大学の講義のためだけ外に出る。それならジャージひとつで十分だ。俺は充足している。


人間は社会的動物だ。寂しいと生きていけないのはうさぎではない。人間だ。


だから俺はインターネットを用いてつながりを作った。匿名掲示板で、SNSで、オンラインゲームで。俺はかけがえのない存在ではなかったが、それはもちろん他の人間にも当てはまることで、今ここで生きる俺が楽しいのだから、それでいいじゃないかと思う。唯一になりたいなんて欲望は幻想で、妄想で、わがままだ。


俺に足りないものはたくさんあったけれど、わざわざ苦労してまで手に入れたいと思うことはなかった。


「本当に?」


誰かが俺に問いかけた。


「本当だとも。俺は不自由していない」


「楽園?笑わせる。ここは沼だ。生ぬるく心地の良い温水にどっぷり浸からせて、真の幸福をつかむ努力をする気力を萎えさせているのだ。そして指の先から腐敗していることに気づかないのだ。死の直前まで。


あるいは監獄だ。ただしここに看守はいない。鍵もかかっていない。必要がないからだ。甘い餌がそこらに転がっていて、囚人はわざわざ外に出ようとしない。しかし、外には、真実の果実が高い木の上に実っているのだ。その果実は人工的に生み出された餌などと比べ物にならぬ」


その声を聞くと、俺の視界は狭く、暗くなった。動悸が早くなる。焦りだ。何に対して?わからない。目の前から楽園が消失し、現れ出たのは汚らしい四畳半だった。


食べかす散らかる机、転がった空の缶、ペットボトル。くすんだ絨毯には陰毛が絡まっている。


目の前のパソコンには二次元美少女が愛らしい笑顔を俺に向けていた。しかし。


「外には真実があるだと?それこそ幻想だ。馬鹿が。今までなにを見てきたんだ。現実を見ろ。この四畳半が現実だ。仮に、その真の幸福とやらがあったとして、なぜ求める必要がある?いまでも十分幸福なのに。沼だと?檻だと?結構じゃないか。何が悪い?現状で満足することがそんなに悪いか!」


声は言った。


「悪い」


俺はぶちぎれた。


「ふざけんじゃねえぞこのボケ!真の幸福だ?いまの俺は幸福じゃないと?その真の幸福とやらを求める過程はどうなるんだ?その間はいまより苦労してるんだから、不幸じゃねえのか!その真の幸福とやらがいまより幸福だってなんで断言できる?仮に彼女ができたとして、それがいまより幸福だってのは絶対か?世間一般の基準を誰にでも当てはめようとするんじゃねえ!努力と幸福の希求を義務にするな!現状に滿足させろ!じゃないと、いつまでたっても終わらねえだろうが!」


「それでも。少なくとも、ここに真実はない」


「やかましい!」


俺は壁に立てかけてあった金属バットを右手に取った。


「幸福を求める過程で失敗して、前より不幸になったら一層みじめじゃねえか!少なくとも俺はそれを経験してるんだ!見ろ、この体!夢を追ったせいで左腕を失った!こんなになった俺に、俺に、何を求めるんだよ!」


俺は利き腕ではなかった右腕を振って、バットをパソコンに叩きつけた。二次元美少女は、外とのつながりと共に消えた。


「これで満足か!?幻想を、餌を、ぶっ壊してやったぞ!俺はこれで外に出られるのか!?」


声は何も言わなかった。


俺は吠えた。42インチのテレビに向かって、バットを振るった。液晶に蜘蛛の巣のようなヒビ割れが出来た。WiiUをかち割った。中のディスクも部品も粉々にした。本棚を押し倒した。本や漫画が行き場を失って山となる。蹴飛ばしてやると、あちこち折れ曲がった。ベッドに何度も何度も振り下ろした。息が上がる。肩が上下する。机の上に散乱した物たちを吹き飛ばした。壁に大きな穴が空いた。ふたつ、みっつ、よっつ。床も同じように。視界が白んできて、足元がおぼつかなくなる。


声がした。


「お前はなにも見えちゃいない」


俺は台所に行って、食器をすべて叩き割った。大きな音がしたと思うが、俺には聞こえなかった。


ぶるぶる震える手から、バットが落ちた。


代わりに包丁を手に持った。


「真実なんて見たいように見ればいいじゃねえか。それなのに、何を見ても真実じゃないって言うのなら、こんな目は飾り以下だ。必要ないものはいらない」


俺は右目に包丁を突き刺した。左目には現実が映った。左目にも刺した。暗黒だけが見えた。


「この暗黒ですら真実でないっていうのなら、こんな体は飾り以下だ。こんなものがあるから、こんな地獄に存在しなればいけなくなるんだ」


俺は包丁を腹に突き刺した。肉を突き刺す感覚は、別に新鮮でもなかった。豚や牛と同じだ。切り身じゃないから、内臓の独特の感触が刃先から伝わってきた。


痛みだけが真実だった。


「現状に満足できない現実なんて、苦痛なだけだ。達成感による一時の幸福のために生きるだなんてまっぴらだ。ドラッグで幸福感を得るのと何が違うってんだ。全部この出来損ないの脳みそのせいだ。とんだ欠陥製品だ。なんのために存在するのかわからない、飾り以下……真実は全部脳みそに詰まっている」


俺は包丁を口に入れた。血の味だ。これも脳が見せる真実だ。あるいは幻想だ。


俺は思いきり、真実の果実へと、包丁を突き立てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

飼われた脳みそが暴走。 壊し屋本舗 @landmark1551

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ