参
みつに案内されて、俺は離れの入り口の前までやってきたところで、彼女はくるりと振り返って言った。
「旦那様も仰っていましたが律お嬢様は今、体調を崩されておられます。ですので」
「わかっています。あまり長居はしませんから、それで一つだけ聞きたいのですが」
「なんでしょう?」
みつは怪訝そうに首を傾げる。
「お嬢さんが盗まれたものっていうのはどういうものが中心でしたか?」
「そうですね、何が中心ということはありませんでした。しいていうなら、高価なものばかりでした。いくら金に困った盗人でも許せないです」
そう、憤慨しながらみつは答えた
「それだけです、どうもありがとう」
俺が言うと、みつは離れの戸口を静かに開けて中に入って行った。
中からは、みつの声とお嬢様であり被害者である律の声がかすかに聞こえてきた。
しばらくすると戸が開き、みつが顔を出した。
「ご気分がよろしいようなので、お会いになるそうです」
「それは良かった、ありがとうございます」
「それと……」
みつが言いにくそうに言葉を濁す。
「それと?」
「二人っきりでお話になりたいようです」
少し面喰ってしまった。
初めから二人きりで話をする予定ではあったが、相手からそれを先に申し出されるとは思ってもみなかった。
「わかりました、そういたしましょう」
みつともに離れに入るとそこには、一目で上等だとわかる布団が敷かれ、九歳ばかりの、大人になったらさぞや別嬪になりそうな愛らしい少女が、上半身だけを起こして俺のほうをじっと見つめていた。
「律お嬢様、この方がお話を聞きたいと言っていた岡っ引きの捨吉さんです」
「はじめまして、お律ちゃん」
小さな少女、律は俺のほうを物珍しげにまじまじを眺めると、黙ってただ頷いた。
「では、私は外で待っております。律お嬢様、何かありましたらすぐにお申し付けください、ご無理をなさらないように。親分もお願いします」
「ああ、わかっていますよ」
「では」
そういって、みつはお辞儀をすると部屋を出て行った。
「ねえ、親分さん」
先ほどまで口を利かなかった律が突然、とても小さな声で俺に話しかけた。
「なんでしょう」
「あたしは一体何年くらい牢屋に入っていなくちゃいけないの?」
言葉を失う俺を律は大きな瞳でまっすぐ見つめてきた。
「あたし、もうあんまり生きられないと思うの。だからお白洲に行ってお裁きを受けて、牢屋に入れられてもそんなに長くはいられないと思うの」
「待て、お律ちゃん。話が見えないんですが」
「律でいいよ、親分さん。それでね…」
彼女は何を焦っているのか懸命に、しかし極力声は小さく話を急かしてくる。
「ですが、お律ちゃん。そういう訳にも」
「じゃあ、あたしも親分さんのことを『岡っ引きのおじさん』って呼ぶわよ?」
「わかった、律って呼ぶから『おじさん』はやめてくれ。俺はまだ二十五だ」
「ふふ、じゃあ私も親分さんって呼ぶわ」
この娘、俺が思った以上に相手の事を見ているらしい。
律は無邪気に笑いながら青白い頬をぷっくりと膨らませたりした。
「牢屋に入れられるってのは、なにか?自分が今回の盗人騒動の犯人って言いたいのか?」
「あら、親分さん。全部わかってるんじゃないの?」
「何?」
「だって、お父様からお金を貰わなかったでしょう?犯人が捕まえられないってわかってたんじゃないの?」
彼女は至極当然そうに答えた。
「みつから聞いたのか?」
「聞いたのは確かだけど、みつからじゃないわ」
「他の使用人からか?」
「違うわ」
「じゃあ、誰から聞いた?」
「雪女」
俺は、その答えに頭を抱えるしかなかった。
自分は元来、物の怪やら幽霊やらを見ることができる。
どうしてそうなったかは知らない、ただまじない屋からだけは『君は捨て子だったらしいね。なあに魔性の物と人の結婚譚なんてよくある話さ、君だけに限った話じゃあないよ、気に病むことなんてないさ』と、ほぼ正解のような励ましになっていないような励ましを受け取ったのみである。
そのせいか、奴のような変わり者やその筋の者たちとのかかわりは深い。だから今回も「そうか」と、答える以外に道は無かった。
「驚かないの?」
「なれっこなんでね」
「ふうん」
自分から言っておいて、律は俺の反応に少々戸惑っていたようだった。
普通は鼻で笑われるか医者を呼ばれるかの二沢だろう。
「うちの家ね、昔から雪女が住んでるの」
「ほう、そりゃまた如何して?」
「詳しい事はわからないけど、地下の氷室にずっと昔から居るの。他のお店には雪女はいないんでしょう? あたし、びっくりしたわ」
そりゃあいるほうが稀だろう、居るとしたら座敷童か貧乏神か、家鳴りくらいなものだ。
「だから、うちは昔から夏でも冷たいものが食べられるの」
なんだか今日は嫌に知り合いの顔が目の前にちらつく日である。
「だから、大事なお客様や便宜を図ってもらいたい人とかには特別に冷たいごちそうをお出しすることになっているの」
「雪女は他の人には見えるのか?」
律はさびしそうに首を横に振った。
「ううん、私だけ。昔からうちにある紙にそう書いてあって、他のみんなは『物が夏でも冷える不思議な場所』としか思ってないの。それで……」
律が再度口を開こうとしたとき、天井のほうから小さく、かたんと音がした。
そちらに目をやると天井板が外れていて、そこから透き通った小さな白い着物を着た女が布団に落っこちてきた。
「えらく小さい雪女だな」
『ひゃあああああ、こいつ我の事が見えてる!』
一目散で逃げ出そうとする雪女の首根っこを猫のようにつまみあげる。
小さな柴犬くらいしかないそいつはいとも簡単に持ち上がり、手足が床につかないので、逃げ出せずにただじたばたと手足をばたつかせていた。
「ううん……雪女ってのはもっと大きいもんかと思ってたが、小さいな」
『我を離すのだ、人間、はーなーせー!』
「親分、雪は凄く臆病だから離してあげて。
俺がその雪女、氷柱を離すと大人しく不機嫌な顔で布団の上で、正座をして俺を睨み付けてきた。
『なんだお主は、岡っ引きのようだがあれか、陰陽師の類か』
「ちげえよ。ただちっとばかし、お前たちみたいなのが見えたりするだけだ」
『それだけの力があってみえたりするだけか、よう言いようるわ。しかし、口封じのための宝物はあのまじない屋に渡してしまったし……困った』
「あー、俺はそいつみたいに対価を要求しないから安心しておけ。律、こいつとはどういう関係なんだ?」
「友達、なの。あたしの最初で最後の友達」
律は今までにない悲しげな笑みを浮かべてそういった。
『律! 何を言いよるか、お主はきっと治る! それでもっと人間の友達をたくさん作って婿を取って生きるのだ!』
氷柱はそんな律に向かって必死にそういった。
「いいんだよ、氷柱。それくらいわかってるから、親分さん」
「なんだ?」
「今回の盗人事件の犯人はあたし、氷柱に無理を言って協力してもらったの」
彼女は先ほどの悲しげな笑顔とは打って変わってなんともいえない微笑みを浮かべていた。
「氷柱に初めて会ったのは今年のお正月、氷室からでて雪に当たりに外へ出たのを偶然あたしが見つけたの」
『我はその昔、駿河屋の御先祖に助けられてな。落ちこぼれだったもんだから自活することができなんだ。それで、そのご先祖に世話になる代わりに夏でもいつでも氷を作れるようにお仕えしていたんだ』
「でね、あたし。そのころからこっそりお父様たちが話してるのを聞いちゃったんだ、元々の身体が弱いから十一の歳は越せないだろうって、あたしの身体はもうボロボロなんだって」
「そんなの医者の見立てだろ?どうなるかわかりゃしねえよ」
「ううん、わかるの。この頃、風邪をひいてなくてもだるいし何でおこるかわからない熱がながく続くことも多いの、自分の事だもん。わかるよ」
俺は正直、驚いていた。
律はその境遇のせいかとても大人びていた、そして自分がどうなるかを十分に受け止められているようにも感じられた。
「跡取りだって、お妾さんの所にあったことはないけど三つ下の腹違いの男の子がいるの。みんな、あたしのことを本当に心配して本当に大事にしてくれるけど。わかってるの、このお店で一番要らないのはあたしなんだって」
「それで?」
「氷柱に頼んだの、もうどうせあたしが持ってても仕方がないし、これ以上あっても棺に入れて燃やされるだけでしょう?だから、お金になりそうなものを他のあたしよりもずっと困ってる人にわけてあげてって」
「お前はそれを引き受けたんだな?」
『最初は渋ったのだ、そのように弱気になってしまっては治る病も治らなくなってしまう。だが、律は我の友達で我が、律にできることといったら、熱が出た時に傍にいてやることぐらい、少しでも助けになれたらと思って…』
小さな氷柱は、もっと小さくなってしまうように背中を丸めて項垂れた。
盗人騒動は律の優しさで、それに加担した氷柱もまた律の事を想ってその願いを代行していた。
居もしない盗人を探し出そうとしていた長兵衛らもまた、律の事を一番に思っているのだ。
(どうすっかなあ、これ)
全員が全員悪気はなく、むしろ善意で動いているのだ、
はっきり言って自分の独断で何かができるはずもなく、全くのお手上げ状態である。
「氷柱、なんでお前さんはそんなに小さいんだ?元からか?」
素朴な疑問だったが、その問いに氷柱はびくりと体を震わせた。
『これは…、律のお使いに行くにはどうしても外に出る必要があるんだ。暑いときはいつも氷室の中にいたからそうでもなかったんだが消耗が激しくてな……、いつのまにかこんなことに』
「氷柱、ごめんなさい。あたしがこんなこと頼まなければ」
『よい。律のためなんだからしょうがないし、我がこうするって決めたんだから』
氷柱の身を案じて涙目になる律とそれを笑いながら受け流す氷柱、俺はただそれを見ていることしかできなかった。
「律、お前はこれを辞める気はないんだな?」
律は黙って、ゆっくりしかし力強く頷いた。その決心は固いらしい。
『我も律と同じだ。ここまで来た以上、最後まで手伝う』
氷柱のほうも説得はできなさそうであった。
「そうか、ならいいんだ。このことは俺が黙っておく、犯人はわからなかったということにしておく。それでいいな?」
俺がそう言って確認すると律は嬉しそうに笑った。
「ありがとう、親分さん!」
「いや、初めからこうするつもりだったしな。体を大事にして早く良くなれよ、またな」
律は何も言わずただ微笑んだ。
『お主、本当に誰にも言うなよ? もしも言ったら取り殺しに行くからな』
「言わねえよ、安心しな」
小さな氷柱の透き通った頭をなでてから、俺はみつに帰ることを伝えるために離れを後にした。
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