きっと世界は終わるよ
「それで結局ここに来てるのは、どうかと思うけどね……」
真弓は苦笑いしている。私は紅茶を啜った。
「だって、行くところがない」
私の生活にあるのは、自宅と学校だけ。一刻も早く隠れたくて、東棟の3階にある部室へ駆け込んだのだ。東棟は古い建物で、ほぼ全ての部屋が部室として使われている。ちなみに、教室は西棟。
「すぐに家に戻っていれば、貴重品を持ち出せたかもしれないな」
窓枠に肘を置き、窓の外を見下ろす真弓は、校庭に何かを見つけたようだった。それが何なのか、考えるまでもない。
「先生?」
そのようだ、と真弓は答える。
「ここがバレたらしい。まあ、今は授業中だからなあ」
部室にいる生徒は怪しく見えるだろうな、などと言って、紅茶を啜っている。
「どうしよう?」
これからどうすればいい? さっぱり見当がつかなかった。私はどうなってしまったのか? それもわからなかった。
真弓は率直には答えなかった。ただ、捉えどころのない笑みを浮かべている。いつものように。他愛もない話をしている時のように。
「脚を組んでいる君を見たのは、久しぶりだな」
窓枠に頬杖をつき、どこかくつろいだ様子の真弓は、薄ら笑いのまま私の脚を見つめている。
「……セクハラ?」
「ハイそうですなんて返事が返ってくるとでも?」
いつもと変わらない様子の真弓と話していると、少し安心する。それと同時に、彼に対する疑念が膨らんでいく。
だが、真弓も全てを隠す気は無いようだった。
「そのニーソ、どうしたんだ?」
私は彼の言葉につられて、自分の脚を見下ろす。濃紫のニーソックス。不思議なくらいすべすべだ。
「おばあちゃんの形見。昨日、急に思い出して」
「形見……ね」
真弓は少しだけ眉根を寄せ、「あいつ……どういうつもりだ?」と呟いた。
「これがどうしたの?」
「……キミの脚は治っていない。キミが歩けるのは、そのニーソのおかげだ」
意味がわからない。
私が無言でいると、その沈黙を肯定と受け取ったのか、真弓はその先を続けた。冗談ではないらしい。たぶん。
「そのニーソックスは、
「皮膚……これが?」
恐る恐る、
「どうして知ってるの、その……
「そりゃあ、僕がそうだからな」
私は眼を瞬かせた。コミックなら、頭上に疑問符が次々に湧いて出ているところだ。
「我が名は──なんて、名乗れるほどの名もないんだけど。あまり話している時間もなさそうだし、これは次の機会にしよう」
「実際にされたらもやもやするね、それ」
ふふ、と笑っている真弓は、どう見ても人間にしか見えなかった。
「様式美ってやつさ。ただ……学校での寝心地はどうだった? まあ、今日はどうしようもなかったな」
私は眼を見開いた。たぶん、ぽかんと口も開けて。
「獏はここにいるよ」
言葉が見つからなかった。友人が悪夢から守ってくれた、なんて話に、どう反応すればいい?
「もっと早く言ってくれれば……よかったのに」
私には、そう呟くのが精一杯だった。喉が渇いて、弱々しく、か細い声しか出なかった。
けれど、そうしていたらどうなったというのか? 私は彼に感謝しただろうか。
「その点は謝罪しておくかな。ま、でも、きっと信じなかったさ」
階下から、ばたばたとたくさんの足音が聞こえてくる。少しずつ近づくその音は、ここを目指しているに違いない。
真弓は机から降りると、勢い良く窓を開けた。冷たい風が部室の中を駆け巡り、その風に吹かれて、B5の原稿用紙がおよそ現実離れした挙動で巻き上がった。
「時は近いよ、神無月。現実の時代は終わる」
真弓の姿は、もうどこにも見えない。紙吹雪に隠されたわけではない。もともといなかったように、ふっと消えてしまったのだ。
「僕らは選ばなきゃならない。現実と戦うのか……それとも、現実の味方をするのか」
行け、と声が虚空に響いた。彼の言葉の意味はわからなかったが、今は言う通りにするしかなかった。ドアノブを乱暴に捻る音と、悪態、そして鍵を取り出す音が聴こえた。
私は弾かれたように窓へ駆け寄り、窓枠に飛び乗った。鍵を回す音がして、部室の扉が開け放たれる直前、私の足元でアルミ製のサッシがひしゃげた。私は人間離れした膂力で重力を振り切った。
そのまま落下すると思ったが、そうはならなかった。
私は何故だか、空の飛び方を知っていた。
ドラゴンニーソックス 信仰実在器官 鉈音 @QB_natane
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