教室には獏がいる
教室では、不思議と安心して眠れた。
悪い夢は見なかったし、目覚めも良好だった。悪夢に悩まされている私は、自然と授業中に睡眠を取るようになった。1時間目の途中には寝息を立て始め、昼休みには少しだけ起きて食事をし、また眠った。放課後になると自然に目が覚めた。
デリケートな背景を持つ生徒には注意し難いのか、それとも単に興味がないだけなのか、私が授業中に寝息を立てていても、誰も咎めなかった。
でも、その日は少し違った。
「神無月! 神無月まとい!」
その教師は今年の4月にやってきた人で、私のクラスとはほとんど関わりがなかった。筋肉の塊みたいな体格をしていて、身長は190cm近い。体育教師の例に漏れず、生徒からは慕われていると疎まれているの中間くらいの評価だった。たまたま保健体育の先生がお休みで、その代わりに来たらしいのだった。
そのとき私は、何もない空白の中で微睡むような、内容のない夢を見ていた。そこに雷鳴めいた轟音が鳴り響き、私の夢は途端にあの高速道路へと変わった。私の目の前で陸橋が崩れ落ちて、その下で蠢く何かが、私をぎょろりと睨みつけた……
……ともかく、私は深い眠りから一気に現実へ引き戻された。心臓が痛いほどに脈打っている。呼吸が上手くできない。首の後ろに、じわじわと汗が浮かんだ。
「俺は他の先生みたいに甘くはないぞ。お前にどんな事情があっても、特別扱いはしない。お前が居眠りしていると、他の奴に迷惑がかかるんだ」
意味がわからないのは寝起きだからかもしれなかったが、私は困り果てた。私は授業料を払ってここにいるのであって、決して無償奉仕を受けているわけではない。成績もさして悪くはない。授業中に騒ぎ立てるわけでもない。ただ眠っているだけだ。
……そういえば、私の授業料は誰が支払っているのだろう?
「甘えるな、頑張れ!」
頑張る頑張らないの話ではない。私はここでしか心安らかに眠れないのだ!
恐怖が薄れて、代わりに怒りがふつふつと沸き始めた。自分の表情が強張っていくのを感じる。
「なんだその目は!」
しかし、丸太のように太い腕が伸びてきた瞬間、私は再び恐怖に襲われて、ぎゅっと目を閉じた。そして闇雲に腕を振り回した。なんとか脅威から逃れようとしたのだ。
それから、腕に何かが当たった感触があって、少し遠くで、大きな音がした。
恐る恐る目を開けると、体育教師は私の目の前からいなくなっていて、代わりに黒板の下に倒れていた。
クラス中の視線が私に集まっている。何が起こったのか誰も理解していなかったし、私は尚更だった。
ただ、脚に違和感があった。
私は車椅子から降りて、二本の脚で立ち上がった。奇妙な感覚だった。自分の脚ではないような気がするのだ。
「か……神無月?」
誰かが私の名前を呼んだ。が、返事を期待してのものではないだろう。私は応える代わりに、自分の机を人差し指と親指だけで挟んで、持ち上げた。
その場の全員が唖然とした。まるで私が、実は健常な格闘家だったみたいに。
そんなわけないだろ。というか、私がいちばん驚いている。
あんな大男を何メートルも吹き飛ばせる女子高生は、まず間違いなく人間ではない。
夢の続きを見ているようだったけれど、何故だか、納得のような気持ちがあった。気分が良かったので、黒板の下で呻き始めた体育教師に向けて言い放った。
「わたし、学校辞めます」
そして窓から飛び降りた。3階だったが、たぶん平気だろうと思った。
平気だった。間違いなく人間ではないだろう。
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